六ノ話「武士と鬼」
「……いつからお気づきで?」
「恥ずかしながらたった今だよ。いつからの出歯亀かは知らん」
「……正直なお方だ」
下男はニタリ、と嫌らしい笑いを浮かべた。
着流しで、やや前掛かりの姿勢が猫背を更に丸く見せている。大きくはないが、その分俊敏さが伺える体躯である。腰に差しているのは脇差が一振り。
恐らく他にも仕込むものはあるのだろうと本村は踏んでいた。
「おっしゃる通り、追いついたのはたった今でさぁ。つけていたのは宿場からですがねぇ?」
「……ほう」
「本村様に於いては、女子が苦手のご様子で……」
「なるほど」
本村が十手を抜いた。それを左手で逆手に構える。
「職務中で良かったな。ここで死ぬことだけはねぇだろうさ。……一つ聞かせちゃくれねえかぃ」
「……なんです?」
そう応えながらも下男に警戒の色が見える。踵の浮き方といい腰の落とし方といい、何事かあらば即暴れだす構えだ。
「牛込の旦那は関わりがあるのか?」
「ある。……と言ったらどうなさいます?」
「やるこたぁ変わらねえよ。ただ自分の見る目のなさを嘆くだけさ」
「くくく。あの旦那のこたぁあっしは知りやせんよ。あっしを雇ったのは旦那だが、拾ったのは吉太郎坊ちゃんでさ」
「……ほう?」
「食い詰めて野垂れたちんぴらなんぞ放っておきゃあいいものを。年頃とはいえ、人のよさは変わりゃしねぇ。……お礼に猫の弄り方と喧嘩の仕方を教えてやった、それだけのことでさぁ」
「……恩を仇で返すたぁこのことだな」
本村の声が低くなり、ゆっくりと歯の間から言葉を漏らす。
「……昨日、吉太郎を呼んだ時の牛込様の慌て様、ありゃあなんだ」
「おいたが過ぎた、だけでさぁ。こちらのことです、同心さんにゃ関係ねえ。……飼い猫が一匹、死んだだけでございますよ」
「ひっ」
下男の物言いにお多恵が息を呑んだ。よほど心にきたのか、そのまま糸が切れた様に座っていた縁台に突っ伏した。
――お多恵どの。
すぐにでも近くに行ってやりたい本村ではあったが、目の前の懸案ごとがそうさせてはくれない。
店の親父も先程から姿を現さない。店の奥でカタカタと音がしているので、そこで震えているのだろうと分かるばかりだ。
「殺しやがったか」
「……」
「てめぇの指図か」
「とんでもねえ。……ただ、やり方を教えただけで」
「なるほどな」
本村の眼に力が入る。その眼光を視た下男はにやり、と口角を上げた。
「それがてめぇの言い訳ってぇことかよ。しかもてめぇ、それぁただの猫殺しじゃあねえな?」
「……何の話です?」
「神社の取り壊し」
「!」
「こまけぇこたぁ分からねえが、そいつと関係があるんだろうさ」
「……何のことやらさっぱりですな」
「そうかい」
そういって本村は十手をしまい、腰に差した刀の鯉口へ左手を添える。
「同心が抜きますかい……」
「人相手なら抜かねえよ。……でもおめぇ」
本村は下男を正面に見据える。
その様子を警戒した下男は、先程から逃げの構えを崩さない。
「視えてるぜ。……小汚え角がよ」
「けぇっ!」
忌々しい表情で地面に唾を吐き、下男は自らの服を引き裂いた。
同時に膨れ上がったようにみえるその身体は赤銅色で、全身が硬い毛に覆われている。さらに本村が言った様に、額の真ん中から捻じくれた角が一本、皮膚を突き破って伸びていた。
鬼。
そう呼ばれる“あやかし”である。
――本当にいるとはな。
“あやかし同心”と呼ばれる本村も、実際にあやかしを見るのはこれが初めてである。
惣助と共に解決した幽霊騒ぎは、文字通り“柳に風”であった。
「……本物たぁ恐れ入ったな」
「大人しく手ぇ引いとけばいいものを……」
「言えよ。飼い猫を殺させてどうする」
「……猫の怨みよ」
「怨みだと?」
「猫ってのは怨恨の情が深い。その情を利用して人間を憑り殺す、そういう法もあるってことよ」
下男、もとい鬼がニタニタと嗤う。
「……なぁ。あの例の神社、あそこには何があったか知ってるかい?」
「知らねえな。普通の稲荷神社だろう」
「そう、人間共は知らねえんだよ。……あそこにはな、大昔にここらで暴れた、鬼の大将が封じられてんだ。当時の陰陽師やらなんやらが何人もでようやく抑えたって大物がな。……江戸が出来てからこっち、馬鹿みてぇに増えた人間がいい加減鬱陶しくてよ。そろそろこういう古い鬼やあやかしを叩き起こして、昔みてぇに楽しくやりてぇ。そう思う連中が沢山いるってぇこった」
鬼は吊り上がった口の端から涎を垂らしはじめている。
「こっちもただの荒くればかりじゃあねえ。頭の良い奴が、増えた人間共のために土地を作るってぇ名目で、あの神社を取り壊す算段を付けたんだがよ。……あの牛込って与力は神社を護ろうとしてなぁ。どうにも邪魔だから、適当な猫を懐かせて、頃合いを見て殺し、そいつを使って家ごと潰しちまおうってぇ計画だ。ま、ちょいと邪魔が入ったがなぁ」
「……邪魔だと?」
「吉太郎だよ」
「なに……?」
「あのガキ、親父によく似てやがってな。少しずつこっちに取り込んでやろうと思ったが、どうにも首を縦に振りやがらねえ」
「……まさかてめぇ」
本村の顔は怒りで歪む。その激情は、今にも爆発せん勢いで本村の魂を燃やしていた。
「……元服前のガキぁ美味かったぜぇ」
「てめぇええっ!!」
本村は爆発する怒りのまま、弾かれるように間合いを詰めた。最後の一歩を踏み出すと同時に彼の刀が鞘を走り抜ける。
ひゅ、と息を鋭く吐きながら、鬼もまた後ろに自分の身を弾いた。
と、本村の二の太刀が間髪入れず鬼に向かって斬り上がる。
かいん、と乾いた音がした数瞬の後、地面には斬り飛ばされた鬼の角が転がった。
「おごぁあああっ!!」
「……答えろ」
額を抑えてうずくまる鬼に、本村は切っ先を突きつけた。
「親玉は何処にいる。答えによっちゃあ、一思いに殺してやるよ」
この作品は秋月忍先生主催の「和語り企画」参加作品です。
感想や応援、お待ちしております°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°