五ノ話「お多恵と刺客」
茶屋は、宿場町と半壊した神社の丁度中程にある。
表に置いた『縁台』に腰掛ければ、中から店主の爺さんが黙って茶と煎餅を持ってくる。帰りは自分の座っていた場所に代金を置き、ひと声掛けて歩き出す、それだけの店であった。
この日もやはり、本村とお多恵が縁台に腰を掛けると、爺さんがしずしずと茶と茶請けの煎餅を持ってきた。
爺さんが去るのを見ながら口を開いたのはお多恵だった。
「あの人、こんなところで商売してたんですねぇ」
「ん、し、知っているのか」
「ええ。以前は町の中で小料理を出していた、言ってみれば商売敵だったんです」
「なるほど」
何がなるほどなのか我ながら分からんな、などと思いながら、本村は出された茶をひとすすりした。
「あちっ!」
「あら、猫舌ですか?」
「……うむ。ましにはなったが、まだ少し熱い」
言いながら今度は煎餅をかじる。
「ああ、だからうちでも、冷めるまでごゆっくりして頂いてるんですねー。……もう、ひどいなぁ、惣助さんたら」
「な、なにがだ?」
「前に惣助さんがうちに来てくれた時なんですけどね。本村さまがいつもうちでゆっくりしていただけるものだから、お店を気に入っていただけたのかしら、なんて話してたんですよ。そしたら、なんて言ったと思います?」
「う……う?」
「『お多恵ちゃんがいるから長っ尻なんだよ』ですって」
「ぶふぅっ!?」
――あんの野郎、何とんでもねえ爆弾発言してやがる。
本村は思わず吹いた茶でびしょびしょになった裾を見ながら、今度会ったらどうしてくれようと考えていた。
「あら、その様子からすると……まんざらでも? あ、わかった、誰かお目当ての子がいるんでしょう。だめですよう、うちの子達はわたし以外みんないい人がいるんですから」
――わたし以外!?
確かに夕庵には他にも数人働いている娘がいる。そのうち一人は娘というか姑というかご母堂というか……だが、それぞれに愛嬌があり、可愛らしい娘だった。
しかし、お多恵殿にはいない、だと……?
本村にとってはぶっちぎりで頂点に立つこの娘に相手がいないというのは、嬉しい反面納得のいかないことでもあった。
「あれ? 本村さま?」
「はっ! ……い、いやすまん。……それで変な話というのは」
「あ、そうそう、つい楽しくて。簪屋さんのご主人が見たそうなんですけどね」
本村はお多恵がさらっと言った“つい楽しくて”の言葉に心臓を鷲掴みにされた心地だったが、彼女の聞いた話というのにいつの間にか引き込まれていた。
話というのはこうだ。
数日前の夕刻あたり、簪屋の主人が城下町から戻ってくる時のことである。
例の半壊した神社の騒動を見かけたらしい。
主人の見た時には既に事態は終わりかけていたらしく、荒っぽいこともなかったようだが、ぼんやりと眺めていた彼の目の端に動くものを見つけた。
それは一匹の狐だったという。
「神社で狐とくりゃ……」
「しかもその狐、いつの間にか消えていたっていうんですよ」
「消えた? 逃げたのに気づかなかったということではないのか?」
「……それが、どうも違うみたいなんです。ご主人も神社で狐っていうことで、じっと見ていたらしいんですけど」
「見ている前で消えたってことか……」
「ね、ちょっと変な話でしょう」
確かに、と本村は頷いた。彼はそのまま台に置いた煎餅の欠片をぼんやりと見つめ、考えを巡らせる。
――簪屋の見たのが、ただの狐じゃなかったとしたら。
それはつまり、あの神社に棲むお稲荷様だということになるのだろうか。
しかし、と本村は頭を振る。
そういうものがいる、ということを否定は出来ないが、見たことはない。半年前の件も結局は“幽霊の正体見たり枯尾花”であった。だからと言って今回もそうだとは言えないが、しかし。
そこまで考えた時、お多恵が更に気になる話をし始めた。
「あ、そうそう、あの神社で揉めていた人たちの中に、どこかの与力様のご子息がいらっしゃったとか」
「――なに?」
「ひっ」
「ああ、すまん、考え事をしていた。どうも俺は考え事をすると顔つきが悪くなるらしい」
「あ、ごめんなさい、いつもの本村さまと違っていたんで、ちょっとびっくりしちゃって」
「ああ、構わぬ。してそのご子息、どこのお家の方かわかるか」
本村の言葉にお多恵は顔を俯け、ああでもないこうでもないとブツブツ言いながら思い出そうとしているようだった。
「……しかし、これがあの牛込様の件と何か関わりが」
「あっ! それです! 牛込様!」
「……!」
「そうだ、滅多にこっちにはいらっしゃらないから浮かびませんでした。確かに牛込様のご子息って聞きました!」
――そこでつながるか。それに、これは……?
本村は渋い顔のまま、残っている茶を飲み干す。
その手をゆっくりと下ろしながら、お多恵に向かって呟いた。
「ここで、待っていてくれ」
「え? どうしたんですか?」
お多恵の問には答えず、本村は立ち上がると、帯に差した十手にそっと手をかけた。
「……出てこい。後ろから襲う気だろうが、殺気がだだ漏れだ。気づかぬと思ったか、素人め」
「……」
そう本村に言われ、彼の後ろの木陰から現れたのは、牛込邸で見た下男だった。
この作品は秋月忍先生主催の「和語り企画」参加作品です。
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