二ノ話「看板娘と廃神社」
「あら、本村様いらっしゃい、惣助さんも」
「……うむ」
「こんにちはー」
食事処・夕庵。
この宿場町にあって、ちょっとした評判の店である。
昼間は飯屋、夜は居酒屋となり、旅行く宿泊客や地元の男たちを相手に繁盛している店だ。
その客のほとんどが店の看板娘、お多恵目当てであることは、ここに住む誰もが周知であった。絣の着物に山吹色の前掛け、島田髷に結い上げたうなじはうっすら汗が滲んでいる。
その上器量も愛想もいいとくれば、噂にならない訳がなかった。
中に通され、席に座る。間を空けず、入り口を背にして厨房をのぞむ位置に本村が陣取り、その後に惣助が対面の席に着いた。
「これじゃあかみしもがあべこべですよ、本村さん」
「……気にするな。俺も気にしない」
「そこからなら、厨房の中にいても見えますもんね?」
「うるさいな」
「今日も可愛らしいですね、お多恵ちゃん。ね?」
「うるせぇってんだよ」
からかうような惣助の口調に、本村は口を尖らせる。その顔には“分かってるなら言うんじゃねえよ”と書いてあった。
ほどなくして湯呑みを二つ、盆に載せたお多恵がやってきた。
「お二人して顔を寄せちゃって、何のお話です?」
「あ、いけないなあお多恵ちゃん、仕事の内緒話だったらどうするのさ」
「そんなにニヤニヤしながらする内緒話なんて、お仕事なわけないでしょう? ねえ、本村様」
「ん、あ、お、うむ」
急に話しかけられた本村は、あからさまに動揺している。それを眺める惣助のニヤケ顔が止まらない。
そんな二人の前に湯呑みを置いたお多恵は、盆を抱えてにこにこしている。
「面白いなあ、本村様は」
「……てめぇ、斬り飛ばすぞ」
「あ、お多恵ちゃん、鮭定食二つ」
「はーい、少々お待ち下さいな」
ひまわりのような笑顔を残し、お多恵は厨房に消えていった。
本村は惣助にじとっとした眼を向けつつ、お多恵の置いていった茶をひとすすりすると、今度は真剣な眼で軽く身を乗り出した。
「でだ。これから行く与力殿についてなんだが」
「ええ、私も聞こうと思ってました」
「……名を、牛込橋之助という。お上に楯突くまではねえが、下の者には寛容な、中々の人物なんだそうだ」
「へえ。今時珍しい、と言っては失礼ですが、良き与力様って感じですねぇ」
「まぁな。それだけならいいんだが……」
「その家の飼い猫が化け猫疑惑。人当たりが良すぎて逆に、といったところですか」
まぁ、そういうことだと本村は答え、茶に口をつけた。
「どうにもぞっとしねぇなぁ……」
「はい、鮭定食お待たせしましたー。ごゆっくり召し上がれっ」
「う! ……う、うむ」
「はい、ありがとうございます」
お多恵の運んできた膳を前に、まずは食おうということになった。
膳には麦入りの白米に油揚げの味噌汁、小皿には菜っ葉の漬物、大皿には皮が少し焦げた大ぶりの焼き鮭が一切れ乗っている。鮭は塩っ気の強い、肉体労働者向けの味付けだ。
惣助はそのまま、本村は漬物に少しだけ醤油を使う。
「いただきます」
お互い手を合わせ、箸を手に取る。どちらも腹が減っているのだろう、それからは無言でガツガツと膳の上を片付けていった。
時々本村が「うま」と漏らすのを、惣助がにやにやと眺めたりしている。
飯を食い終わり箸を置いた本村が見ると、惣助は既に食事を終えていた様で、静かに茶をすすっていた。
「……ご馳走様。待たせたな」
「いえいえ。……ぼちぼち行きましょうか」
「そうだな」
連れ立って席を立ち、本村が机に銭を置いた。
「ありがとうございましたー、またご贔屓に!」
「あ、お、う、うむ」
お多恵の声にまたしてもギクシャクしながら、本村は惣助と与力邸へと足を向けた。
その道すがら、本村と惣助は簡単な打ち合わせを済ませておく。
「惣助、一応おまえのことは岡っ引きだと紹介する。瓦版屋だとバレると色々面倒だからな」
「わかってますよ。私もお上に目をつけられるのはぞっとしませんからね」
「それから、名目は悲鳴の調査としておくぞ」
「ですねぇ、いきなり化け猫がーなんて始めたら、聞ける話も聞けなくなります」
瓦版屋は、個人で運営するゴシップ新聞のようなものだ。公のものもあるが、殆どは無認可で勝手に営業している。
惣助も後者の方なので、役人の前にそのまま出るわけにはいかないのである。
とはいえ同心、特に本村などは町人と触れ合うことも多く、瓦版の存在によって識字率が上がっていることをむしろ好ましく思っている節がある。
現場の裁量。そういうものであった。
程なくして、二人はある神社の前を通りがかった。
そこで惣助が一瞬立ち止まる。
「ん、どうした?」
「この神社……こんなに荒れてましたっけ?」
神社は、お社だけはかろうじて残っているものの、鳥居も稲荷像も全て打ち壊されていた。立ち止まった惣助の横で、本村は唸りを上げるように苦い声で言った。
「ああ、どうやらこないだ、ここを移転するのしないのって話が出たらしくてな。つい二、三日前だったか、移転強硬派と反対派がここで揉めてな。……おかげで神社は半壊、祀られていたお稲荷さんは只の石塊になっちまった。……全く、罰当たり共が」
「……そうですか」
「さあ、行こう。ここの件はもう上で決着つけるってことで落ち着いてる。半年もすりゃ元に戻るだろうさ」
「はい」
二人は神社を通り過ぎ、真っすぐ歩いていく。
終始無言で、時折小さなため息にも似た吐息が聞こえる。
やがて牛込邸にたどり着いた二人は、そこでまたため息をつくことになるのだった。
「でけぇ……」
「何をしたらこんな家に住めるんですかねえ……」
「さあな。とりあえず話は俺がする。後ろに控えて聞いててくれ」
「わかりました」
そんなやり取りをしつつ、二人は牛込邸の門をくぐったのだった。
この作品は秋月忍先生主催の「和語り企画」参加作品です。
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