十ノ話「怯懦と青鬼」
狐憑きの身体が輝きを放つ。首を伸ばし、尾をピンと真っ直ぐに伸ばした狐憑きは、一瞬本村にむかって笑いかけたように見えた。
『我の力を貸そう。“神刀”をもってすれば鬼憑きなどどうということはない』
「神刀……」
「本村さん。その刀は私には振れない。貴方だけが振るうことを許された刀です」
輝きが収まり、本村の手には白鞘の刀が一振り握られていた。
それは未だ薄く光を放ち、鯉口からはさらに濃い光が漏れ出ている。
「神刀は、そのままでは銘がありません。それは、振るう者のみが付けることが出来るんです。……とはいえ今は時間が惜しい。白鞘でも戦えますか、本村さん」
「戦えますかたぁご挨拶だな。……俺を誰だと思ってやがる」
本村の眼は、既に鬼を凝視している。
「がきの頃から話に聞いた、名だたる武士の鬼退治。その末席に名を連ねるたぁ面白い」
本村の口角が自然と上がる。
その瞳はたった今生まれた青い鬼を捉えて離さない。
その実、本村は怖くて仕方がなかった。神刀の鞘を持つ手の震えは武者震いではない。
先程の鬼の時は“お多恵を護る”という、必死な思いが勝っていた。更に、鬼自体がそれほど大きなものでもなかったため、恐怖心を無意識に抑え込めていたのだ。
だが、今回は違う。
部屋の中という区切られた空間。視界いっぱいに広がる鬼の巨躯。
かつてない恐怖に晒され、それでも尚、本村は己を奮い立たせる。
「あやかし同心本村博嗣、迷い出たる古の鬼を、神刀を以って見事討ち取ってみせようぞぉ!!」
手の震えはもはや全身にまで回っている。
居合の型に構えたまま、動く前から肩で荒い息をするその姿は、まるで初陣の若武者さながらであった。
「……可愛いのぅ、小僧」
「なぶるか鬼め!!」
「だがその刀はちと厄介だぁ……」
青鬼はそう言うが早いか、その丸太のような右腕をぶん、と真横に薙いだ。その一振りで生まれた嵐のような風が、本村の身体を大きく揺らす。
だが本村の足は、柄に手をかけ、踏ん張ったまま微動だにしない。
「ぐぅっ!」
「揺らぐも動かぬかよ」
「そんなそよ風で動くものかよ!」
その時、神刀となった狐憑きが本村の頭に直接語りかけてきた。
『ほんむら。次にやつが動く時、我を抜け。……呑まれるでないぞ』
「! 言われずとも!!」
『ならば良い。今この場は、我とお主が一心同体となりて、かの鬼を斬ることのみを考えろ。……信じておるぞ』
「……承知!」
目をつぶった本村は、大きく鼻から息を吸い、口から吐く。その吐息と共に恐怖心もまた吐き出されたのだろうか、それきりピタリと全ての動きを止めていた。
『ほぉうらぁっ!!』
鬼が一歩踏み込み、さっきとは逆の左手を横薙ぎに飛ばしてくる。目を閉じたままの本村には見える術もないが、その殺気、瘴気、肌に感じる風の動きで、鬼の動きが手にとるように判る。
と、同時に、それがとてもゆっくり動いているようにも感じていた。
――今度こそ。今度こそ護ってみせる。惣助を、宿場町を、お多恵どのを、そして神刀となってその力を貸す、このお人好しな狐憑きを。
――俺が、護る。
本村の双眸が見開かれる。その瞳に映るものに恐怖心は微塵もない。
ただ、眼前の敵を斬り、全てを護る。
その強い意志のみ、そこには映し出されていた。
「――っ!!」
神刀がその白鞘を走る。その速さに、左手に持つ鞘が熱を帯びる。
一閃。
空気の焦げる臭いと共に、蒼白銀に輝く刀身がその身を晒し、鬼の左腕を斬り飛ばした。
『ほごぉぉぅああああっ!!』
「ぢえぇぇえええっ!!」
鞘を捨て、抜いた刀を両手に持ち、大上段に振り上げる。
同時に軸足を踏み込み、頭を狙うように跳躍した。
『ごああああ!!』
それを読んでか、鬼の残された右腕が自身の顔面を覆う。
――それが、狙いだった。
跳躍してみせた本村はだんっ!! と大きな音を立て、刀を振り下ろすことなく鬼の斬り落とされた左腕、懐近くの床を踏む。
本村はそのまま、全身のバネを弾けさせて伸び上がり、あばら骨の間にぞぶり、と神刀を突き入れた。
「ぬおおおおっ!!」
『あっがっはああああっ!!』
その刀身は鬼の鎧のような皮膚、鋼のような筋肉を刺し貫き、切っ先はその心臓を突き通した。
その瞬間、それまで押し黙っていた惣助が、鬼に向かい、指を揃えた掌で、空を縦横になぞり何事かを叫んだ。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!」
『ぉごぉぉぉ……っ! 貴様ぁ……っ、賀茂の……!』
「違いますよ。掟を破って賀茂から追い出された、ただのはぐれの成れの果てです」
鬼の身体のあちこちから、青白い炎がちろちろと上がっていた。
惣助の唱えた“まじない”は、九字と呼ばれる陰陽道の法である。主に破邪の法として用いられ、縦に四本、横に五本の格子を手刀で切りながら唱えることで、悪い気を打ち破ると言われている。
「本村さん! 外へ早く!」
「おう!」
『そう、すけ……ほん、むらぁ……この、ままではぁっ……!』
今や全身を覆う業火と化した青炎は、そのまま屋敷に燃え移っていた。
その炎はみるみるうちに燃え広がり、牛込邸を全て呑み込んだ。
この作品は秋月忍先生主催の「和語り企画」参加作品です。
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次回最終回!





