プロローグ 杖は大切に。
のどかな風景。いくつかの丘に囲まれた一本の道。
その道を使い古された馬車でのんびりと進んでいく二人の少女。
「おねーちゃーん、まだー?」
後ろの荷台から小さな子供の可愛らしい声がする。
「まだまだだよー。もうちょっと待っててねー」
それに答える少し大人びた少女の声。この子供の姉である。
「おねーちゃん、まだー?」
数分もたたぬうちに痺れを切らす妹。
困った顔をするもひらめいた姉。
「そうだ、メグちゃん。あの丘の上の雲何に見える?」
「ん~、うんち! うんちっちーのーちー!」
「ブッブー!あれはソフトクリームでした~」
「えーうんちさんだもん!」
「あはは・・・。じゃああれは何でしょうー?」
「カエルさんだー!」
「ピンポーンピンポーン!」
だんだん楽しくなってきたらしく目を輝かせる幼女。
次第に自分で何かに似ている雲を探し始めた。
「あれはお母さんでー、あっちがおねーちゃんで…ドラゴン!!」
「ドラゴンみたいな雲なんてあったのー? よくみつけたねー」
「うう〜ん、ドラゴンがいるよ?」
「えっ?」
馬を止め周りを見渡すと、右後方の遥か遠くにかすかに見える羽ばたく生き物。
一見ドラゴンかのように見えるが、腕と翼が一体となっている。
その生物はワイバーンだった。
「ブブ〜。あれはワイバーンでした・・・ってこっち来てない!?」
みるみる大きくなるシルエット。
気がつけば、風を切る羽の音も聞こえる程の距離まで迫ってきた。
ワイバーンは本来、見た目とは裏腹に臆病であまり人を襲わない事を、少女たちは知っていたが、すぐさま様子がおかしい事に気づき、慌てて馬を走らせる。
「やばい! お願い、お馬さん頑張って!!」
こんな時に限って不幸が重なる。
長年使い込まれ、ガタが来ていた馬車がついに音を上げた。
馬と馬車をつなぐ御者席の一部が壊れ、つないでいた馬が一目散に遁走する。
「キャー!! おねぇちゃん!!」
姉アンヌは、泣きじゃくり怯える妹メグを抱きかかえ、馬車から降りた。
「大丈夫、大丈夫よメグ神様がきっと・・・」
二人身を寄せ合い天に祈りを捧げていると、追いついたワイバーンが目の前に降り立つ。
縦に細長く伸びた瞳孔がこちらを睨んでいる。
歩いてでも逃げようと勇気を奮い立たせていたが、足がすくみ思い通りに動いてくれない。
蛇に睨まれたカエルとはまさにこのことで、何もすることができずただ襲われる瞬間を待つだけだった。
そこへまたも空から両者の間に何かが落ちてきた。
ズドン、と言う衝撃音とともに舞った土埃が、風に流れていくと、落ちてきた何かが見えた。
どうやらそれは人間のようである。紺色のローブに身を包み、右手には杖を持っている。
「いててぇ~あの野郎もっとまともな移動手段を用意しやがれってんだ・・・」
彼の名前はセト・シン。異世界より転生した魔法使いである。この物語の主人公なのである。
「あぁ、見知らぬ魔法使いさん!! どうか私達をお救いください!!」
まるで、神に祈りを乞うかのように、両手を合わせ懇願してくる少女を横目に、体についた土を払い、むくむくと起き上がる。
「えっと・・・どうかしましたか? あー、これはひどい。馬が逃げてしまったのですね? すみませんが俺にはどうすることもでき・・・ま・・・せん?」
近くにある馬のいない壊れた馬車を見て、同情の念を抱いたが、セトの後ろを震えながら指差す姉妹に気づき、振り返る。
そこには、今にもセトにかぶりつきそうなワイバーンがいた。
セトは慌てて距離をとる。
「うわぁ! 何だこいつ!?」
華麗なバックステップを決め込み、間一髪で餌になるのを免れた。
「魔法使いさん、どうかそのワイバーンを退治してください!」
「お願いしますー!」
若いながら大人の魅力とたわわな胸を持った姉と、何とも守りたくなる可愛らしさの妹にそう言われ、鼻の下を伸ばし杖を構える。
緩みきった顔をキリッとさせ、セトはワイバーンに向き合った。
「任せてください! こんなの一撃ですよ!」
姿勢を整え。
大きく振りかぶり。
杖を・・・投げたッーーー!!
「喰らえ! マジカルショット(物理)」
くるくると回転しながら放物線を描いた木の杖は、ワイバーンに当たり、投げられた杖の速度に見合わない勢いでワイバーンが吹っ飛ぶ。さながら某ゲームのゴルデンハンマーを彷彿させる。
少し離れたところにある岩石に激しく叩きつけられ、ワイバーンは力尽きた・・・。
「どんなもんだい!」
ガッツポーズを取りドヤ顔を姉妹に見せるセト。
何が起こったのかよくわからずただ立ちすくんでいる姉アンヌ。
妹は目を輝かせ、セトのもとへダッシュした。
「おにぃちゃんすごーい!! カッコイイ―!!」
えっへん、と鼻息を漏らしどんな問題と言わんばかりにセトは腕を組んだ。
「だろだろ?」
「あのね、メグね? おにぃちゃんのお嫁さんになるー!」
その時、またまた空から大きな大きな鳥が急降下してきた。
巨鳥の背中には人影があり、ある程度の高さまで降下するとその人影が飛び降りてきた。
ピンクの短髪をした褐色肌のエルフだった。ものの見事にセトの頭に着地。
「 何をしてるのかしらー? そんな幼い子にちょっかいかけようだなんて・・・」
「いてぇ! 乗るなー! ったく、人を空高くから落とすわ、人様の頭に着地するわ・・・とんでもねぇ女だぜ・・・」
「それはあんたがしっかり掴まってないのが悪いんでしょ。ありがとう、ぴーちゃん。もう帰っていいよ~」
先程まで乗っていた巨鳥、ぴーちゃんとやらと別れを告げ、巨鳥は空へ帰っていった。
「ところで・・・あなた達は誰?」
「あ、危ないところを助けていただいてありがとうございました・・・!! 私はアンヌ・フランと申します。こっちは妹のメグです・・・」
「アタシはメルスよ」
セトも思い出したかのように続く。
「あ、俺はセト! セト・シンって言いますー!」
「アンタの名前なんてどうでもいいでしょ。ね? メグちゃん」
どすの利いた目つきでセトにがんを飛ばし、お花エフェクトが出てくるほどの緩みきった笑顔で幼女を見る。
「おにぃちゃんこの人とどういう関係なの!! もしかして恋人同士・・・? ぐすん・・・」
華麗にスルーされ、どんよりエフェクトを漂わせてしょんぼりする。
「んなわけ。こんな乱暴女なんてこっちが願い下げだぜ! それよりこんなところで何してたの?」
「浮気は許しませんからねー! んとねぇ・・・おーとに帰るの!」
「浮気って・・・。え、王都?」
「はい、私達は王都で宿屋を営んでいるのですが、今は故郷にいる祖父母へ仕送りに行って帰ってきている最中なんですが・・・」
そういい馬のいない馬車を痛々しく見つめる。
先程の騒ぎで逃げ出したまま帰ってこない馬の心配と、これからどうしようという不安でいっぱいになるアンヌ。
「あら、あなた達も王都へ行くの? 奇遇ね。なら一緒に行きましょう。メグたんともっとお話したいしー!」
再び目をキラキラさせるが、セトの後ろに隠れるメグにまたもやショック。
「ぜひご一緒させていただきたいのですが、馬車はこの有様で・・・」
「それなら心配ないわ!こいつがなんとかするから!」
指を刺されるセト。ギクッっと冷や汗を流す。
「もしかして、セトさんが魔法か何かでなんとかしてくれたりするのですか?」
「ええ、そうよ。」
「まて、俺にそんな魔法も魔力もない。知ってるだろ?」
本当である。セトは訳あってほとんど魔法が使えないのである。その話は後ほど・・・
「ええ、知ってるわ。魔法じゃなくて、アンタが馬車を引くのよ。」
「そんな、メルスさん。無理ですよ、小型の馬車なら可能かもしれないですけどこれは行商用のキャラバンなんですよ?人の力じゃとても・・・」
フラン姉妹は宿屋が暇になる時期に行商も行うため、多くの荷物が入るようにキャラバンを所有している。
よく農家のおっちゃんたちが、リンゴなどの収穫物を大量に入れて運ぶあれである。
「大丈夫、安心しなさい。こいつろくに魔法使えないくせに力だけはアホみたいにあるから。」
「うぐぐっ・・・」
ぐさっとくることを言われ何も言い返せないセト。
「あー! もう! わかりやしたよお嬢様! やりゃいいんでしょやりゃあ・・・」
こうして馬車を引くセト、御者席に座り満足げに新しい馬を見下すメルス、荷台に姉妹仲良く座り王都へ向かったーー