終わった楽園の守護者たち(中)
力強い太陽の光に照らされた廃遊園地に、二本の白い腕が浮かんでいる。片手にゴミ拾いのトング、もう片方にはヨレヨレのビニール袋を持っていた。サジは毎夜のようにまき散らされる、空き缶や吸い殻などの清掃を行っているのだった。
日の出ているうちに幽霊は活動しないと考えている人間も多いようだが、サジの知る限りでは幽霊に時間は関係ない。自分が幽霊になってから初めて知ったことなのだが、昼間でも幽霊はそこら中に居る。それが人の目に映らないのは〝昼間に幽霊が居るわけがない〟と勝手に思い込んでいるからだ。
サジは集めたゴミを、園の裏手に掘った大穴に投げ込む。ビニール袋をひっくり返すと、カラカラと音を立てて空き缶が穴の暗がりへ消えていった。廃園となった裏野ドリームランドにゴミ収集車はやってこないので、地面に埋めて処理するしかない。いけないことをしているなとは思うが、金属や煙草の吸殻もいずれは土に還るだろう、と自然の力に期待するほかないのだ。
次に蹴倒されたゴミ箱を元に戻し、通路に生えた余分な雑草をむしり取っていく。雑草はあくまで自然な感じに、取りすぎないように注意だ。躓いてしまいそうな障害物を取り除き、爪先が引っかかるアスファルトの割れ目は土で埋めて均す。来園者が転んで怪我などをしないように。
招かれざる来園者とはいえ、彼らに怪我をされるのはサジの本意ではない。サジはただ、この夢の国を荒らしてほしくないだけだ。〝ここはもう、お前たちの居場所ではない〟ということを理解してもらえれば、それでいい。危害を加えるつもりはないのだ。それどころか、不慮の事故が起きないようにと日々このようにして気を使っている。
見えない腰を叩き、サジは空を見上げる。初夏の太陽が活き活きと輝いていた。遠くからセミの寝起きのような欠伸が聞こえてくる。数日もすれば大合唱が始まるだろう。
サジは、裏野ドリームランドに守衛として勤めていた頃を思い出す。
命を燃え上がらせるような夏の気配。容赦なく肌を炙る日差し。焼けたアスファルトの匂い。脳髄まで染み込む蝉時雨。白く霞む景色。
子供たちの笑い声。青空に響く園内アナウンス。アイスクリームのワゴンを引く売り子の掛け声。アトラクションから響く黄色い悲鳴。狂ったように回転するコーヒーカップ。観覧車が一周するたびに、いくつもの思い出が生まれていく。
青々とした生命の輝きを宿す山々に囲まれた裏野ドリームランドは、まさに〝夢の国〟だった。
いつまでも見守っていたかった。しかし、夢の国はいとも簡単に崩壊してしまった。
切っ掛けは、たった一つの心無い噂からだった。〝裏野ドリームランドでは子供が消える〟という妙な噂は、瞬く間にあらゆるSNSで拡散された。
噂の最も恐ろしい所は、当事者に罪の意識がない事だ。〝自分はただ他人から聞いたことを伝えているだけ〟としか考えておらず、更には少しでも他人の気を引くようにと、面白可笑しく改変を加えたりもする。それがどのような事態を引き起こしていくのか、深く考えもせずに。
罪の意識がないから、罪悪感がない。罪悪感がないから、歯止めが利かない。一つの噂からまた別の噂が生み出され、園内で起きた様々な出来事も、誇張されて新たな噂になった。
いつしか裏野ドリームランドは〝良く解らないが危険な場所〟と扱われるようになった。解らなくて当然だ。彼らが面白可笑しく語っていた噂に、真実など一つもないのだから。
来園者数は減少を続け、裏野ドリームランドはついに閉園にまで追い込まれてしまった。
もちろん、スタッフもただ黙っていたわけではない。様々な企画を催したり、駅前でのビラ配りや呼びかけなどの、草の根的な活動も一から行った。
荒唐無稽なものを除いて、真相の存在する噂については、あらゆるメディアに解説を掲載した。とにもかくにも、広がり続ける噂を収束させなければならなかった。
事態の切っ掛けとなった〝子供が消える〟という噂の真実については、こうだ。
ある日迷子センターに、一人の少年が自らやってきた。少年は自分の名前や両親の名前、どこから来たのか、どうやって来たのかなどの、あらゆる質問に口をつぐんだ。ただ一つ、少年は〝身体が痛い〟とだけ訴え続けた。担当スタッフが少年のTシャツを捲りあげると、小さな悲鳴を上げた。少年の身体には殴られたような痣や、煙草の火を押し付けられたような火傷が無数につけられていた。
痣や火傷は新しいものから古いものまで様々で、少年が日常的に虐待を受けているのは明らかだった。彼は迷子としてやってきたのではなく、助けを求めて迷子センターに飛び込んだのだ。
虐待を受けていると思わしき子供が迷子センターを訪れた事は、無線機を通じてスタッフ全員に周知された。やがて園内のスタッフから、一組の夫婦が子供を捜しているという連絡が入る。夫婦は鬼のように目を吊り上がらせ、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。それは姿の見えない我が子を心配してというよりは、逃げ出した囚人に対して怒りを露わにしているように見えた。
虐待の事実を世間の目から隠すために、表面上は良い家族を装おうとする事がある。少年らが裏野ドリームランドを訪れたのは、その為だろう。少年は夢の国の住人たちなら自分を助けてくれるかもしれないと子供心に考え、思い切って両親から逃げ出した。スタッフたちは、その想いに応えようと思った。
親子をそのまま引き合わせるわけにはいかなかった。スタッフは裏野市の児童相談所から職員がやってくるまで、少年を両親から守らなければならない。
子供を連れてこいと喚く両親。父親は口汚い罵声をスタッフに浴びせ続け、母親はヒステリックに喚き散らす。迷子センターに案内もされず、事務所に押し込められたままである事に何かを感じたのだろう。両親は戦略を変えてきた。事務所から園内に飛び出し〝この遊園地は子供を誘拐している〟とドリームキャッスル前の広場で、大声をだして喚き散らした。
両親の迷惑行為はすぐにスタッフにより抑えられたが、その騒動は携帯電話で動画を取られ、SNSにアップされた。そこから生み出された噂が独り歩きを始め、面白可笑しく形を変えられて広がり続けた。
真実を訴えかけるスタッフたちの声は、全く響かなかった。スタッフたちの行動は人間としては正しいものだ。しかし、たかが遊園地のスタッフが親子関係に干渉するなど烏滸がましいといった声も多かった。更には、そもそもの真実にも〝イメージ回復の為の作り話では〟と疑問を呈する声も上がった。噂をこねくり回して遊んでいて者たちにとっては、真実などは邪魔なものでしかなかったのだ。
何が正しくて、何が間違っていたのか。虚構は真実に勝るのか。誰にも解らなかった。解らないままに時は過ぎ、夢の国は膿み腐り、無為の悪意に翻弄されて崩壊した。
サジはそれを見守っていた。ただの守衛に過ぎなかったサジには、見守る事しかできなかった。
怒りなのか、悲しみなのか。あるいは悔しさか、もしくは後悔だろうか。言葉にできない感情の渦は、彼が死した今もなお、魂をこの地に縛り付けている。
サジは園内を隅々まで練り歩く。日に園内を十周。それがサジのかつての日課だった。そして、今も。蔦の巻き付いた照明の上で、小鳥が歌っている。
何か異常はないか? 怪我の原因になりそうなものは? 落し物は? 迷子は――居るわけもないか。
いや、居た。迷える魂が一人、朽ちかけたベンチに腰かけている。煙草を口に咥え、背もたれに両腕を預けて空を仰ぎ見ている。直立した煙草が線香のように煙を上げていた。
「解らないね」
「……あん?」
ハヤトは目を細く開け、サジの白い腕に視線を向ける。
「幽霊なのに、どうして煙草が吸えるんだい。食事も睡眠も必要ないのに、煙草は死んでもやめられないのかい?」
「解らないのはお前の方だよ。腕しかねぇのに、どうして見たり聞いたり、会話したりできるんだ。道理に合わねぇだろ」
ハヤトは煙草をひょこひょこと動かしながら言う。因みに、煙草は招かれざる来園者たちの落し物だ。どうせ取りには来ないので、アトラクション代金のかわりにハヤトが頂戴している。
「それは、答えようがないね。僕が知りたいくらいだ」
「良く解ってんじゃねぇか。そういうこった」
ハヤトもサジと同じく裏野市の出身で、子供のころは良く裏野ドリームランドを訪れていた。裏野ドリームランドは入場料が無料で、アトラクションや遊具を利用する際にチケットを購入するという料金形態だった。裏野駅から無料送迎バスが出ており、地元の子供たちはよくそれに乗って裏野ドリームランドまで遊びに来ていた。
アトラクションや遊具を利用しなくても、自然を利用した水遊び場や広場は子供たちの格好の遊び場だった。中にはこっそりアトラクションに潜り込んだりする悪ガキも居て、ハヤトはそんな悪童の一人だった。
彼は若くして病死し、成仏できずに現世を彷徨っていた。思い出の地である裏野ドリームランドを訪れた際に、夜な夜な訪れる、招かれざる来園者に頭を悩ませていたサジと出会った。以来、なし崩し的にそのまま居ついている。
サジがアクアツアーの前を通ると、水辺で佇むハルカの姿が目に入った。アクアツアーの湖は自然の物をそのまま利用した造りになっていて、廃園となった今でも綺麗な水をたたえている。太陽が出ていればアクアツアーの柵に寄りかかって、日がな一日キラキラと光る水面を見つめる。それがハルカの日課だった。
ハルカは裏野市にもう一つあるレジャー施設、裏野アクアワールドでイルカの調教師をしていた。死因については誰にも語らないが、生前はライバル的存在であった裏野ドリームランドを飲み込んだ不運に、胸を痛めていたそうだ。死後に裏野ドリームランドを訪れ、サジたちに出会った。見た目は二十代前半に見える彼女だが、幽霊の見た目など何の当てにもならない。多くを語らない、謎の多い女性だった。
メリーゴーラウンドでは、クラハシが調整を行っていた。
「お疲れ様です、クラハシさん」
サジが声を掛けると、クラハシは振り向きもせずに「おう」と応えた。どうやら、今日は機嫌が良いらしい。クラハシはこと機械弄りとなると、驚異的な集中力を発揮する。それは死後も変わらないようで、下手に邪魔をしてしまえば落雷のような一喝を頂戴する事になる。今日はどうやら、スピーカーに手を加えているようだ。物悲しい雰囲気のする今のメロディーに、不気味さをプラスしたいとの事だった。
クラハシは元々裏野ドリームランドの、裏方スタッフの一人だった。休日ともなれば孫を連れて、よくここへ遊びに来ていたものだ。彼はSNSなどには全く疎かったが、何か得体のしれない力に良くない事をされているというのは理解していた。彼もまた死後にここを訪れ、サジたちに出会った。
クラハシの助力は、サジたちにとってまさに天祐だった。彼のお陰で遊具やアトラクションが使えるようになり、招かれざる来園者たちに対するサプライズの効果は一気に高まった。
ドリームキャッスル前の広場では、ミキとミクがボール遊びに興じている。彼女らは双子の姉妹で、二十年前に何らかの事故で無くなったらしい。恐らくは水難事故のようだが、本人たちもよく覚えていないようだった。
彼女たちは死してからの数カ月は、両親の元に居たらしい。両親が自分たちの存在に気付いてくれない事に初めは戸惑ったが、やがて死という物を理解してからは、外の世界へ飛び出した。両親がそう望んだように。
人生これからだったのに。まだまだ楽しい事がいっぱいあったのに。両親は二人の遺影を抱きしめながら、日々そうして嘆いていた。
ならば、とミキとミクは考えた。死後の人生を楽しもう。行った事のない場所へ行き、見た事のない物を見て回ろう。精一杯、死後の人生を楽しもう。ママとパパが望むように、悲しさを忘れてしまうまで、涙を流さなくて良くなるまで。大丈夫。二人なら怖くない。
そうしてミキとミクはあちこちで遊び回り、今は裏野ドリームランドでサジたちに協力している。本人たちは、大きなイタズラをしているくらいの感覚であるのだろうが。
二人の笑い声にかつての情景を思い起こしながら、サジはドリームキャッスルのくすんだ尖塔を見上げる。
ハヤト。ハルカさん。クラハシさん。そしてミキとミク。皆には心から感謝している。
サジの願いはただ一つ。この終わってしまった楽園を守り、共に朽ちて果てる事。誰からも忘れられ、静かに、密やかに、自然に還る事。それだけだった。
いずれこの地を踏み荒らす者たちとの戦いが終わり、裏野ドリームランドが忘れ去られれば、ハヤトたちもここを去るのだろうか。成仏できることができるのであれば、それが一番良い。僕は最後まで、ここに残る。最後まで裏野ドリームランドを見守っている。
サジは尖塔に掌をかざし、そう思った。
とある蒸し暑い夜。サジたちが事務所で待機をしていると、門扉の上で道路を監視していたハルカから無線連絡が入った。
『お客様……なのだけれど、何だか妙なのよ』
ハルカの言葉にハヤトとクラハシは眉根を寄せ、サジは腕を組んだ。ミキとミクはよくわからないといった表情で、彼らを見つめている。
「妙ってなんだよ。解るように言ってくれ」
ハヤトが言う。ハルカは『その……』と迷うように呟いた。
『大人の男性と八歳くらいの女の子なんだけれど、親子って感じでもないのよね。なんだか、嫌な予感がするかも』
その言葉に、全員が首を傾げた。