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ちょっときいて  作者: 矢久 勝基


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歴史から学ぶもの

若いヒトにはまったく興味がない話題だと思うけれど。

 最近、こういういじめがあるらしい。

 ラインで対象の子を除いたコミュニティを作る。これをAとして。

 一方で対象の子も入れたコミュニティを作る。これをBとする。

 いじめ側はAを利用してみなの意思統一と根回しを行い、Bにて、対象が自爆するよう仕向ける。対象は自分の望まぬ行動や言動を行わざるを得ず、コミュニティの中で追い込まれてゆく。

 恐ろしいところは、Bのコミュニティでは自然な流れとして対象がキレたり落ち込んだりするために、いじめと判別することが困難で、しかもAは完全にステレス化されているから、外部には『たんなるコミュニケーションミスによるもつれ』もしくは『対象のコミュニケーション能力の不足』に見えるところらしい。

 すごい。どれほどの追い込み方かは知らないが、スパイ組織も真っ青な情報操作であり、「子供のやることだ」などと笑うことは到底できない陰湿さだ。


 最近、東京裁判の資料に当たる機会があった。

 東京裁判とは旧日本帝国が日露戦争後に行った国外に於ける軍事的政略を糾弾するものである。本来裁判とはそういうものではないはずだが、実態はそうであっただろう。

 ちなみに、幕末史に於ける会津藩の顛末と性質が似ている……などといい始めたら怒る人もいるだろうか。

 敗戦時に戦犯と呼ばれた方々は、彼らが裁かれなければ、世界は納得しなかった。

 幕末の新政府軍は振り上げた拳が熱せられすぎて、そのまま振り下ろせば己を焼いてしまう状況にあったため、氷嚢代わりに会津藩が使われた。似てないか?


 東京裁判で裁かれた方々が『実は彼らは氷嚢の役目を果たしただけで無実だったのだ』などというつもりはまったくない。日本があの時に行ったのが侵略だったのか防衛だったのかも、ここでは主張しない。

 ただ一つ……資料に当たっていて、ふと、冒頭で示したいじめと同じ空気を感じたのである。

 性質は違うのかもしれない。しかし、少なくともあの裁判で一番重要視されたのは"真実"ではなかったのだと思う。

 彼らを追いこむのに必要のない情報は無視された。真実は、大国の思惑に操作されていた。まるで、最近の子供たちのいじめのように……。

 詳細に触れ、少なくともわたしにはそう見えた。


 歴史というものは、実はそういうものではないか。

 重要視されているのは必ずしも真実ではない。

 どこの時代の何の資料に当たっても同じことをよく思うが、歴史に客観などは存在しない。

 編者による都合のよい解釈・誤解釈。勝者による事実の湾曲・誇張。立場の違いによる解釈の違い。プロバガンダまで混じって、『その時誰が何を思ってそういう行動に至ったか』となるともはや本人にしか分からない。たとえ本人が記録を残しても隠したいことは隠す。勝者であれば、かっこ悪いことなど描くわけがない。

 動機が分からなければ真相の解釈など、幾通りでも出来るようになることなどは言わずもがな。そんなことは小説を描くここの読者なら執筆中、痛いほど実感しているはずだ。

 真実などというものは所詮、当人でしかわかり得ないことなのだ。

「そうじゃない。真実が分からなければ事実だけを見ればいい」……そういう意見もあるだろう。

 しかしそれは、例えば食べ物を、人から盗って食ったのと、もらって食ったのを『同じことだ』と第三者が判断するくらい乱暴なことではないか。


 つまり現代において、歴史というものは、所詮フィクションに過ぎないということを知るべきだ。

 だから歴史を学ぶことは無意味だ……などといいたいわけじゃない。歴史から学ぶことなどは何もない……でもない。

 学ぶべきは教訓であって、その事件、その事柄自体ではないということだ。そして知るべきは、その教訓も、フィクションから得られる主観の感想でしかないということ。

 真実を解明していくことが無駄たとは言わない。しかしその真実もまた、フィクションである可能性を拭い去れない。「今まで語られてきた歴史はウソだ」とか、「真実を知るべきだ」と、ことさらに述べる文章や言動などは、眉につばをつけて聞くべきだとわたしは思うし、歴史的事実を並べて他に影響を与えようという行為は、どこかの冒険小説で魔王が行った行動にまともに腹を立てて、誰かにケチをつけるのとあまりかわらない行為だと思うのだ。


 真実が見えない争いというのは本当に難しい。

 真実の見えないところで行われている昨今のいじめの現実。……わたしにも娘がいる。どう守ればよいのやらと思うこの頃だ。

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