因果応報
わたしには忘れたい、忘れられない記憶がある。
そんなのは誰もがいくつも持っているものだろうが、種類分けをしてみると、ある記憶だけがぽつんと、別種の苦味を帯びているのだ。
たまにふわっと胃の辺りまでこみ上げてきて、頭に霧がかかったようになるのでせっかくだからコラムにして残してみよう。
うちのじーさまの家は古い家で、骨董品とかも少なくなかった。壺とか皿とか掛け軸とか?……わたしには価値のわからんものなので、特に興味もないものだらけだったが、中には火縄銃、日本刀などもあった。
……なんて話すると矢久の家は金持ちなのかと一瞬思うかもしれないがとんでもない。数代前は大したものだった家も、没落に没落を重ねて分家五代目のわたしは日銭暮らしの小説家。……それも何か事件を起こしてテレビなどで紹介される時は『『自称』小説家』という屈辱的な接頭語がつくであろうことは間違いないしょぼさ。
……というか、あの『自称』って、何の基準でメディアはつけるのだろう。先日事件となった「(地下)アイドル殺人未遂事件」のアイドルに『自称』とつく記事はない。しかし失礼だが、事件として浮上するまで、彼女をアイドルとして認識していた日本人は極少数だっただろう。どこまでが『自称』なのか……言われる人は不本意であると思うだけに、少し気になるところだ。
脱線しすぎた。ともあれじーさまの貯蔵庫?には武器もあった。銃刀法違反ではもちろんなく、美術品指定されたものだが、少なくとも刀に関してはちゃんと殺傷能力のあるものだった。無銘のものもあれば、名は伏せるが有名な刀匠のものもあり、それに関しては価値のあるものだったのだと思う。(知らない)
わたしは男だし、武士道とかサムライとか、そういうのが大好きな部類なので、日本刀があると聞けばときめいた。何度か見せてもらったし、子供の頃から大人になるまで、わたしが刀を欲しがっていたことは一族で周知されていた。
美術的価値などでほしいわけじゃない。そんな大名様が持つようなものじゃなくても、無銘でいい……ただ無邪気に、男として、欲しかった。
ここまで言えば顛末は分かりそうなものだが、それらの刀は現在、一振りとしてわたしの手元にはない。
じーさまは生前、もらしていたらしい。
「俺が死んでも刀はアイツにはやらん」と。
ずいぶん嫌われたものだ。なぜ嫌われたのか分からない。
否、価値のある刀を渡すというその行為自体が嫌だったのか。自分の孫のことを財産にたかるハイエナとでも思ったか。
ついでに、誰に渡すことができれば満足だったのか。
一族にわたし以外に刀なんぞに興味を持っている人などいない。それこそ「売れば金になる」と思う親族はいても、「刀を手入れしながら、代々受け継いでいきたい」ようなしちめんどくさい精神の持ち主などいなかったはずだ。
「カネに変えてしまう誰か」に渡すことが本意であったのならつまり、「お前にやるくらいならあぶく銭に替えて捨てるほうがマシだ」と思っていた事になる。
じーさまはそこまでわたしが嫌いだったのだろうか。
しかしてこの刀たちは結局、親族の誰の手にも渡らなかった。
いったいこれらがどこにいったのか。答えはCMの後!!
……CM終わり。刀たちはいったいどこへいったのか!?
じーさまが死ぬほんの少し前に詐欺にあって全部持っていかれました。てへぺろ☆
いやぁ……実話だ。欲の皮をつっぱってこっぱって、自身で抱いて離さなかった挙句に、その宝物たちは忽然と姿を消してしまったのであった。
しかし話をここまでにして、コラムのタイトルにあるように「これは因果応報」と片付けてはあまりに我田引水というもの。そこまで傲慢じゃない。わたしに刀を譲らなければならない理由も法もないのだから、「くれっていったのにくれなかったからバチがあたった」では、あまりに幼稚にすぎる。
そうではない。
わたしが言いたいのは、なぜこのじーさまは孫のたった一つの、ささやかな望みを、それこそ一刀の元に斬り捨てたのかということ。
人間と人間のつながりで本当に大切なのは現物がどうとかではなく、そこに渦巻いている気持ちなのだと思う。
例えば「そんなに欲しければ一振りくれてやろう」と言っていたが、詐欺られてなくなった……というなら、今、ここに記事にはしていまい。
譲れない理由があるのなら理由を残せばよかった。というかあんなものは連綿と受け継いでいくしかないのだから、確固たる理由があるのなら聞いてみたい。
ちなみに、「やらん」と言われたものなど、いくら価値があろうがいらんので、詐欺られずに物が残っていたとしても、わたしが受け取ることはない。
すべては気持ちなのだ。人間に必要なのは人情だと、わたしは硬く思っている。
なにを思ったのか謎のまま、じーさまは死んだ。刀もなくし、数々の骨董品もなくして、そのまますべてがなくなればよかった。残ったものがある。
わたしのわだかまりである。
じーさまを思い出すたびにこの話を思い出す。じーさまを思い出すたびに脳裏に浮かぶ生前の彼のシルエットに暗い影が落ちる。
うちは古い家なので、命日に線香も上げれば挨拶もする。しかし数ある先祖の中でも、このじーさまのことだけは良い印象で手を合わせることができない。
わたしは長男だ。彼はいずれ、そんなわたしに供養され続けなければならない。
いつまでもいつまでも孫にこのように思われる彼はあの世で幸せだろうか。
これを因果応報といわずになんと言おうか。




