老いる瞬間とは?
その昔、戸愚呂(弟)は言った。
「オレもお前も今が強さの最盛期だろうな。時がとまればいいと最近よく思う。
オレは怖いんだ。オレ達より強いヤツが現れることが怖いんじゃない。
そんな奴が現れた時、自分の肉体が衰えていたらと思うと怖いのだ。
口惜しいのだ。
人間とは不便なものだな……」(幽遊白書より)
そして彼は妖怪になった。その後、妖怪になった理由は二転三転してお仕着せの同情票を狙う残念な理由で幕を引いたけど、俺個人的には、単純にこの理由で妖怪になった、でよかったと思う。
ともあれ、だ。
ごくたまに、九十歳くらいの方が陸上トラックを走ってる姿が特集されていたりする。
それはそれですごいことなんだろうけど、その速度は往年のアスリートに比べて見る影もない。そのような言い方は失礼かもしれないが、揺るぎのない事実だ。
人は衰える。老いから逃れることはできない。
俺もきっと今から先、今まで出来ていたことができなくなっていく瞬間があるのだろう。
それが怖いのだ。口惜しいのだ。人間とは不便なものだな……。
しかし思う。
人間というのは、いつ、どのタイミングで、衰えていくものなのだろうか。
たとえば、いくら上手にピアノを弾いていた人だって、三十年も弾かなかったら、そりゃ弾けなくなって然るべきだ。そのブランクが一年であっても、あるいはうまくいかなくなっているかもしれない。
だけど、そのブランクが一週間だったら?三日だったら?
……毎日、それをやり続けていることに関して、衰えというものは、どのように現れるものなのだろう。
さっきの徒競走を例にとってみよう。ここに一定の距離を10秒で走る俺がいるとする。
俺は毎日走る。衰えるものかと歯を食いしばって、雨の日も風の日も走り続けるとする。
その場合、老いと共に衰えていくとして、ある日、10,1秒になる日が来るのだろうか。
まぁ、コンディションによって、コンマ数秒くらいの増減はあるかもしれないが、それが間違いなく落ちていく瞬間ってあるのだろうか。
それって、今日走ってから明日走るまで、二十四時間も時間を空けてしまったから衰えるのだろうか。
ならば、朝と晩、一度ずつ走って、十二時間に一度走れば、アベレージを下げずに走り続けることができるのだろうか。
それでもダメなのか。ならば老いの瞬間はどこで来るのだろうか。
10秒が10,1秒となったその日は、寝ると朝には10,1秒の身体になっているのだろうか。
習慣として続いていることに関して、衰えを感じたことはまだない。もちろんそこまで老齢ではないから当たり前なのかもしれないが、だから習慣として続いていくことについて、〝にもかかわらずできなくなっていく〟ということがまったく想像つかない。
毎日やっていて、昨日できていたことが今日できなくなるということはあるのだろうか。ひょっとしたら、このまま続ければ、九十になっても百になっても、10秒のままでいられるんじゃないだろうか。
ただ、死ぬまで本気で衰えないことを願うなら、少なくとも怪我でも病気でも、衰えたくないことはやり続けないといけないのかなと、百を越えてコロナで二週間臥せって歩けなくなった親族を見て思う。




