AIと創作作品(楽観編)
とはいえ……(前回の続き)
AIとはいっても、別にたいした脅威じゃないかもしれんな……とも思ってる。
「現代において、物語のネタは出尽くした」とはまぁ、割といわれることだ。
確かに今適当な作品を思い浮かべてもらって、その作品は、ほんとのほんとのほんとに一から十まで、他作品の影響を一つも受けてない、まったく新しい分野の物語だろうか。……そんな物語、存在するだろうか。
どこかで「日本の漫画はすべてが手塚修虫のパクリだ」と聞いたことがあるけど、それを暴論と吐き捨てたとしても、「こんな物語、まったくもって見たこともない」という発想で起承転結まとまってる作品を見ることは……少なくとも俺はない。
創作ってもんがどれくらいの歴史を踏んでるかは分からないが、ネタはすでに飽和状態と迎えていることは言えると思う。
AIがそれら、"ネタの飽和"とは違うものを作り出せるのか。
それも、常に、新たな時代を牽引する形で……だ。
なぜなら、やっと一つや二つ新しい発想ができたとしても、それが時代に受け入れられるものであれば、すぐに模倣作品で時代が埋まってしまうだろうことは想像に難しくない。
いつもいつも突き抜けた存在となっていくなら追いつけないだろうけど、そうである可能性はそれほど高くないと思う。
ネタが飽和していると考えているのが、人間の方だからだ。
人間ができること、共感できることは、人間の五感の中で生まれる。
それを刺激する感覚がすでに飽和しているのなら、それの外で作られた発想というものは、人間が共感できないことも多いのだと思う。
そもそも共感というのは、自分の経験や知識に基づいた感情であり、それらが未熟であるほど、共感できる部分は少なくなる。
だから、ミジンコが主人公だろうが宇宙人が主人公だろうが、人間に分かる情念に基づいて物語を展開していかなければ、人間は「面白い」とは思わない。
その、「面白い」と思える範囲には人間の能力的な限界があり、"ネタが飽和している"と言われるなら、それが"飽和"している。
そして、人間は、実はそれほど新しいものを求めていない。
これはもう、作家として長く頭を捻った挙句の実感だし、いろいろ考えてたこともあったけど、今忘れちまったことも多いのでうまくはいえないかもしれないけど……。
「今その時点で、受け入れられる範囲の新しいもの」を求めるということは、すでにまったく新しいものではないことを意味している。「受け入れられ」なかったら、新しくても「面白い」とは感じないわけだから。
一項前と似たようなことを言ったかな?
とりあえず、とある編集者がこんなことを言ってた。
「採用基準としては、流行にどれだけ沿ってるか。その上で、オリジナルと言える部分が説明できるレベルで描かれているか」
……少なくとも、「見たこともない発想」とは一言も言ってない。それは「見たこともない発想などない」と思っているからか、「見たこともない発想」よりも「見たことあるけど時代のニーズに合っている」方が売れるからか。
ともかく、時代のニーズに合致しているうちは、何度重複されても人は受け入れる。だから『流行』というアクションがある。
人間は、実は「見たこともない発想」などというものは、それほどすんなりは受け入れないのだ。
受け入れられない「新しさ」もある中で、ネタの飽和を突き抜けて、AIが創作分野を牽引する時代。
……これは、たとえ人工知能のIQが高かろうが、実はかなり条件が厳しい話なのだと思う。AIがどうのじゃなくて、受け手が人間であることがどーの……だ。
そして、「AIは模倣する、他作品に影響される」と言っても、それは人間と変わらない。
となれば、AIとて一創作者であることには変わらず、日本のタレント名鑑に『りかちゃん』が載ってるのとそれほど変わらないことなのかもしれない。
あるいは先ほどの"とある編集者"のような基準で描くなら強力なライバルになりえるのかもしれないが、少なくとも俺自身はそんな発想じゃ描いてないし、これからもそんな発想で物語作りはしない。
それでも、俺の作品に感銘を受けてくれる人もいる。AIが何を描こうが、俺は、俺の感性で人に感銘を与えることができる。
ならば、俺が作家としてやっていける可能性は、あるんじゃないか?




