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時空で迷子になったヤツラに言ってやりたいこと(笑)

 考えても栓のないことを作家視点で少々……

 主人公が過去に行く物語を見ていると、必ずつきまとうのがタイムパラドクス問題だ。それについて、何も考えないライトな物語もあるが、ものすごい葛藤する主人公もたまにいる。

『自分が歴史を変えてしまうことについて、とんでもなく罪深いことをしているのではないか』という葛藤だ。

 そう思う主人公たちはできる限り歴史に介入することを望まず、消極的な行動に終始しようとする。(が、結局は介入せざるを得ない展開となるわけだが)

 こういう葛藤を聞くたびに、「うーん、そうだよな。それは大変なことだ」とうなずく反面、なんとなーくよぎる別の考え方もある。

「これって、実は現代でも同じことが言えるのではないか……?」


 こういうパラドックス作品というものは、現在を基準に、過去があり、現在という未来がある。それが、『過去に戻ったのだから、もともとある現在は決まっている』という前提の下、話が展開されている。

 だけどさ、『もともとある現在が決まっている』のなら、過去からすれば『未来は決まっている』わけだ。

 だとすれば……だよ?『今ある現在』も『未来は決まっている』ことにはならないのか?


 いやいやいや、今を生きている人が作り上げるのが未来だから、未来は未知のものだ。

 ……と、人は考えるかもしれない。だけど、過去も"動いている"ならば、だよ?今、2084年の世界から今日という日に人がタイムスリップしてきたらどうなんだ?

 63年後の未来を『もともとある現在』としている人間が2021年に来たということは、2084年という未来は『決まっている』ことになる。

 過去にタイムスリップした以上、未来という時間もすべて決まっているという前提が成り立つと思うのだが、ここまではよい?


 そうすると、『過去をいじることは歴史を変えてしまう』であるなら、『現代をいじることも歴史を変えてしまう』ともいえないか。

 例えば現在、私たちは今日も、今も、さまざまなことを行っている。

 この瞬間、自分の人生の節目にいる人もいれば、私みたいにくっっっっだらないことを書いて時間を無駄にしている人もいるだろう。いいことをしている人もいるだろうし、今この瞬間、人を殺した人もいるかもしれない。

 例えばその中で、人を殺した人を例に挙げてみると、もしその人を殺さなければ、一秒後の未来が変わっていく可能性がある。それが将来総理大臣になるはずの男であれば、その影響はすさまじいかもしれない。

 その瞬間、現代人は未来を変えたこととなる。これが、過去を変えて現在に影響力を及ぼすこととどの程度違うことなのか。

 だから……現代人が過去をいじることと、現代人が現代をいじることは同じことなのだ。

 ……え?違う……?


 そういう人たちの葛藤は『もともといなかった人間が影響力を及ぼすことによって~~』ということなのかもしれないが、もともといる人間が起こすことならどんなことでも正しい歴史なのだろうか。その行いは、例えば60年後の未来人にとって、本当に整合した歴史となっているのだろうか。

 例えば今、私が目の前の窓から飛び降りて死ぬのと、思いとどまるのとでは、結果が決まっている必然なのだろうか。

 時間にとって、「え!? 嘘! そんなとこで死ぬの!?」であれば、そういう状態で紡がれる未来はおのずと変わってくる。

「いやいや、それも決まっているのだよ」であるなら、……すべてが決まっているのなら、人がタイムリープしてくることさえ、『決まっていること』であるとはいえないか?

 ……ようするにタイムリープしてきた者の行うことは皆不自然で、それ以外はすべて必然であることが前提なのがいかん。果たして本当にそうか。

 未来が決まっていることだとすれば、タイムリープして変更される未来も決まっているとは考えられないか。


 他方で、今取りざたされてる電子計算を凌駕する量子計算の考え方では、『同じ状況における同じ動作が、同じ結果につながるとは限らない』というものがあり、しかもそのことの実験が成功してるとか何とか……。

 その理屈でいくと、『同じ道を進んでも、同じ未来が見えるとは限らない』ということになる。たまたま一枚買った宝くじが、過去に戻ってもいつも当たるとは限らないというわけだ。

 アインシュタインは最後までそれを認めなかったらしいが、その量子論が正しいならば、"過去が現在と同じ時間軸で動いている時点で"未来は違うものになっているといえる。

 過去が写真のように動かぬものならそうではないだろう。しかし、ならば主人公たちはタイムリープした瞬間、一時点で静止してなければならないことになる。


 なににせよ……だ。

『未来は決まっている』にしても『同じ道を進んでも、同じ未来が見えるとは限らない』にしても、連綿と続く"時"という名の道に、すべての事象が影響力を及ぼすことには変わりない。……それはたとえ、現代を生きる現代の人間でも。過去に戻った未来の人間だとしても、未来を作り出すための登場人物であることには変わりないのだ。

 だから、結局、過去も現在も未来もなく、その時にいる人間たちが、その時になにをするか……だけなんじゃないか。過去にワープしようが、現代にいてこんな駄文を見ていようが同じだ。

 その存在が必然にせよ偶然にせよ、未来という決められた道を歩むだけにせよ、未来というものが今から決定していくにせよ、人間の行動原理に影響を及ぼすものではないのである。


 なーんてな。

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