アンチハギング
幼いころからずっと思っていたことがある。
夢というか希望というか、実際の分類は分からない。とにかくせつせつと思い続けてきたことだ。
「ハゲたくねぇ……」
全国のハゲには申し訳ない。会員数3000万人を数えるといわれる「ハゲ振興会」を敵に回すつもりはないし、いらぬ反感を生むかもしれないこんな駄文は百害あって一利ないとも思うのだが、まぁここはともかく文章を鍛える場所だ。思えばわたしはこれまでの人生で小説よりもエッセイのほうが文章量が多かったから、書いていくことで心の潤滑油になりえるのではないだろうか。
とにかくハゲたくない。
キャプテン翼がはやっていたころ、地元のサッカーチームを訪ねたら「坊主が必須」だったためにサッカーを諦めたというエピソードがあるほどに本能から徹底している。おそらく、「三億円やるからハゲさせろ」という申し出があったとしても、その交渉人は何の土産も持たずに帰ることになろう。もはや人生の目標の一つと言っても過言ではない。
わたしは今までに二種類、スポーツを行ってきた。当然そのスポーツを教えてくれる人……「師匠」がいたわけだが、この二人の師匠には、ある共通の教えがあった。
「シャンプーをやめて石鹸で頭を洗うとハゲない」
なぜ、まったく接点もない二人が共通のテツガクを持っていたのか……。その謎が解明されることはないだろうが、この奇妙な偶然がわたしにとっては正義である。
「乞食にハゲはいない」と豪語する医者がいる。あまり清潔にしすぎると逆に髪によくないという一派と、「毛根まできれいにしなければ髪が呼吸できなくなってよくない」と、清潔を保つことを推奨する床屋もいる。「真実は一つだ!!」と叫んでも、実際は真逆の論が当たり前のように語られるのが世の中だ。
要するに大事なのは、自分が何を信じるか……なのだろう。わたしも自分の信念に従って自分なりのアンチハギング(アンチエイジングのハゲバージョン)運動を推進していきたい。
ところで昔の日本人はハゲを逆にファッションにした。
自論なので推測の域をでないが、ちょんまげというのはハゲでもキマる形を追い求めた結果なのではないかと思う。ハゲやすい部分は先に剃ってしまって、「こうすることが日本のスタンダード!!」と言い切ったあの男気には恐れ入る。
ちなみにこれが脳内のみの推測ではないのは、ちょんまげと同じく日本古来の着物というファッションも、スラっとスマートな人間よりも恰幅のいい人間が着たときに形がよい仕組みになっていることだ。日本人というのは容姿の悪さを逆に武器にする工夫を行っていた。
ハゲに抗うか、ハゲに従って自分の武器とするか……ハゲを"運命"という言葉に置き換えたら人生をも語れるんじゃないかという、とても奥の深い話題だ。(たぶん)