真打
「俺言ったよな、暫く討伐隊に置いてやる、ただしルドヴィカと争ったりするなってな」
昴とルドヴィカというらしい二人の会話はいつまでも続きそうであったが、坂田と少年の一声で終了した。
眉間に皺を寄せ、父親のような雰囲気を出している、ジャージの少年。黒髪に生気の無い黒い瞳。一番の特徴は似合わない芋臭いジャージ。確かに羚は彼に一度出会っている。
「まあ、今回はどちらかっつーとルドヴィカが悪いからどうこう報告はしない。それに昴、お前は今日の午前中で訓練兵から卒業だしな。あとで好きなだけ肉食わせてやる」
「本当ですか!?」
昴、というらしい小柄な少年は、ルドヴィカだと思われる少女に睨まれながらも喜びの表情を出す。白いきめ細やかな肌で覆われた頬が、興奮で少し赤い。
「ルドヴィカは帰ったら俺に反省文出せ」
「はぁ!?」
「懲罰房に行きたいか?」
「イイエメッソウモゴザイマセンヨロコンデヤリマス、ハイ」
頬を膨らませて不機嫌なルドヴィカを確認すると、少年は呆れた顔で溜息を吐き、羚達に目を向ける。暫くの沈黙。坂田が耐え切れなくなったのか、少年に声をかけた。
「……稲荷山羚、蝦夷藩第二副藩長の実子であり要保護対象の【王】……なんだかんだで連れてきたぜ? さあ、後はどうするんだ。神野。俺は決定権持ってねえぞ」
ジャージの少年、神野は坂田の方は見ずに羚だけを見た。
その目は初めて出会ったあの時とは全く違い、無機物を見るような眼で、自分を見ている。少しかったるそうな、威圧と恐怖をまぜこぜにして投げつけられているような気がした。
「……あぁ、仕事はこれで終わりだ。正直、坂田は今から使えなくなるから帰って良いわ」
「はあ!?」
「いや、ホント使えない。今からユクコロが政府兵連れてくるけどそれ、そこの爆弾魔が爆弾投げつけた方が早い」
「そんなんこっちまで被害来るだろ!」
「それで死んだらそれまで。それに爆弾魔、火力調整なんて簡単だろ? ま、それもこれも火薬があればの話だけどよ」
完全な上から目線。おそらく同僚や友人、対等な立場であろう坂田に、神野は薄ら笑いで見下している。それどころかやってきた数人、水咲、羚、淳史、そして春馬までもを下に見ている。言動によるものではない。彼自身の立ち方、無表情にも近い顔で解る。だがそこにはプライドのようなものは感じられず、ある意味公平にモノを見ているのが伺えた。
水咲と淳史は顔を合わせ、二人で一緒に春馬の方を見る。すると春馬も頷いて、息を整え始めた。水咲、淳史の二人はそれぞれ神野とその風景全体を一緒に見る。
その場の空間、空気、近くにいる人間か、おそらくはそうでないだろう者達、多くの情報を一度に脳に納め、観察。観察。隙を見る。会話と目線の切れた場所を見る。見る、感じる。だが、二人は首をかしげた。
神野の目線が、どうも羚から離れていない。というよりも、羚の、更に後ろの、自分達よりも後ろから目が離れていないのだ。まるで初めから自分たちに興味が無いようにも思えるが、何故だか羚も視界から外してはいない。
「あぁ、俺を観察するなら幕府に来てからいくらでもすれば良い。やっても意味が無いからな」
不思議な口調と雰囲気を漂わせたまま、三人の殺人鬼にそう言った。羚の方からは目を放したらしく、主に彼自身の眼は昴やルドヴィカに行っている。しかし三人は観察を止め、特に春馬は溜息を吐いて手に持っていた鋏をしまった。
彼らはその辺の殺人者とはスコア、被害者の数が違う。故に、切り捨てるべきものと留めるべきもの、優先すべきものが解るのだ。それでも腑に落ちない、というように顔を歪めているのは水咲だった。
「でさ、アンタの話からすると俺等は幕府に行けるんだよね? 羚だっている。他の奴らと合流してさっさと行きたいんだけど」
「焦るなよ。俺たちの仕事はお前らを連れて行くことじゃないんだ。本題の『ついで』を優先させる気は無い。先生の息子だって本来なら今取りに来ようとは思ってなかった」
「つまり?」
「つまりまだ俺達は仕事を終えていないんだ。手伝え」
命令口調に感情の籠らない言葉。手伝わなければ何をされるかわからない。いつの間にか銃口を突きつけられている気分だった。獲物になった気分だった。神野の控えめな舌舐めずりが、脊椎を舐められているような気持ちにさせる。
それに対して肩を震わせたのは、殺人鬼達ではなく羚だった。
血の匂いと、軍事用の靴の音。自ら走りながらでも解るその騒音は、徐々に近づいている。そのことを知らせもせずに、そろそろ疲れの見えている少女の隣を走る。出雲は携帯を落としてしまったらしい自分にも、自分の作った計画が次々と裏返されていることにも、腹が立って仕方が無かった。思えば計算に遠征隊を入れてはいたが、その遠征隊がどんな動きをするかをあまりにも単調に考えていた。故に、政府への考え違いも大きくなり、今の失敗寸前の状態に繋がっている。
――――あぁ、邪魔や。どうすればええんや。
邪魔しかない。ここにいる全て自分の障壁でしかない。驚くほど単純な自問自答の答えを導き出す。
この鹿は何だ、それこそ猟師に撃たれて死んでしまえばいいのに。この目つきの悪いチビは何だ、刀なら大人しく錆びついていれば良いのに。この華奢な男は何だ、その辺に置いて行って、政府兵の銃で肉になってしまえばいいのに。この単細胞なゴリラのような女は、さっさと追手を潰しに行けば良いじゃないか。
この餓鬼は、餌になればそれでいいじゃないか。
単純な、思考の中での八つ当たりに興じる。今持っているイラつきを、最大限に押し出す。最善策ではないし、言ってしまえばこれはいつもの癖と言うやつであって。おそらく良いことは一つもない。
だが、出雲は普段からその八つ当たりの中に最善策であろうことを見つける。何故だかはわからないが、いつも自分中心でありながらそれが出来るのだ。今日も出来たはずだった。
「なあ、そこの鹿クン?」
出雲の言葉に、鹿の角の少年は答えない。黙って走るばかりだ。
「なあ」
「…………」
「おーい?」
「…………」
「聞いとるか?」
いつまでも黙ったまま、走り続ける少年に、有り余る苛立ちを覚えつつ、彼もそのまま黙って走ってしまった。隙を作れず、打開策も尽き、怠い足を動かし、階段は幾つ上ったかわからない。
だが、進んでいれば何れは何かにあたると言うのは本当の事らしい。角を曲がってすぐに、見覚えのある少年と青年が三人と、見知らぬ男二人、銀髪の男女二人、そしてターゲットの羚が見えた。
「主! 遅れました!」
走っていた全員がその集団に近付くと、鹿角の少年は聡を丁寧且つ素早く地面に降ろし、ジャージの一番背の高い男、神野の傍に寄った。
「あぁ、予定通りの遅さだ。よくやった。一旦下がれ」
神野の言葉に、鹿角の少年は黒髪の少年の手を引いて神野の後ろに行く。それにならって愛達も神野の隣へと小走りする。
「羚!?」
愛の眼に、怯えた羚の姿が映った。
あぁ、良かった。見つかった。私の羚が見つかった。リョウ、羚、りょう。
「……愛?」
羚も愛を認識したらしく、元々丸い目を更に丸くして呟いた。お互い傍に駆け寄ると、その存在を何度も再確認するように顔をペチペチ可愛らしく叩く。周りはそれを見ているだけか、他に注意をする。
合流した六人の後ろ、特に聡の後ろから物音が酷い。隠れる気などないのがよく解る。ガチャガチャと鳴る重い金属の音に、足音。それに勘付き逃げたいが逃げるほどの機動力の無い聡。
動けばおそらく直ぐに銃弾が己の脳をかき回し、頭蓋骨を二回は貫く。想像しただけなのに、腰が抜けてしまった。足が震え、もう立てそうにない。少し遠いところで不安の欠片もなく遊んでいるような、無邪気な幼い二人に、声をかけたかった。
ガチャン、と銃の装填音が聞こえる。半分涙目になりながら、そのまま黙って誰がその音を出したのか探ろうとした。だが、どう考えてもそれは自分の後ろから聞こえているのだ。自分が見ている先にいる者たちは誰一人として武器の類を手に持っていない。もし撃たれたとしても、誰も助けてはくれない。正に危機的状況である。
今日何度目か解らないが、聡はまた腹をくくり直す。そっと耳に人差し指を入れて、死を覚悟した。
自分の指から聞こえる血潮の音が、虚無の空間を作った。一度前をしっかり向いて妹とその幼馴染を確認しようとする。視界に入った多くのヒトが、心底驚いた表情でこちらを向いてた。しかしその中に銀髪が見えない。ジャージの少年は感心を込めた表情でこちらを見ている。コンマ数秒をスローモーションのように見ている聡は、苦笑いしてしまう。何が起きているのか解らな過ぎて、頭も感覚も追いつかない。自分の背に生温い粘ついた液体が着いていることに気が付いたのは、数秒後の事だった。
その数秒の間に、断末魔も起こらずに何が起きていたかと言えば、それは食事だった。羚と愛の眼に焼きついたのは銀髪の長い髪が箒星のように飛んで行く瞬間。そして顔を出した人間のその顔に歯形が付く瞬間。
二つの箒星は別れて不幸を振りまいていく。骨が一瞬にして砕ける音は、バリン、といよりもメキリ、という感じだった。頭蓋骨と脳漿が露出したそれが倒れ込む前にもう一人の腸は床に垂れる。
ツギハギだらけの少女はそのツギハギから赤黒い何か長い物を自ら引きずり出し、笑っていた。長い物は蛇の如く、ルドヴィカに繋がったまま動き、先の方は牙が生え、近くの兵士を食い散らかす。食事としてはお行儀が悪い、と言ってしまいそうな感じだと、羚は見つめながら思った。
右腕の無い少年は左の腕を駆使して瞬時に移動する。床や壁を引っ掻いた所為か爪がいくらか剥がれている。だが昴は兵士の肉を平らげると直ぐにその傷を消す。否、瞬間的に治している。いつの間にか右腕も完全に形を成し、コンクリートの壁に穴を開け、兵士の頑丈な防具を引き剥がし、筋肉を引き剥がし、目をくり貫くのに使用されている。
数秒と少しの余韻の後、鉄の臭いでも耳を塞ぐのを止めない聡の肩に、昴が手を掛ける。
「終わりましたよ。もう大丈夫ですから」
ビクリと聡は肩を震わせ、急いで昴の方を見た。口元に付着した粘ついた血液と唾液に一瞬顔を青くさせたが、やっとのことで口を開く。
「……君、獄卒とかじゃないよな?」
その発言に笑ったのは、まだ知らぬ声。
「お兄さん、アンタ面白いわあ。背中にそんな臭いの付けといてアホ臭いこと言っちゃうなんて、一般人って感じがして良いわ。アタシそういう人好きよ」
兵士たちの来た廊下から、色っぽい息がかった女声が聞こえた。その場にいる全員が声の方を向き、聞き耳を立てる。殺人鬼達と羚達以外は半分呆れた顔でその先を見ている。
「お前達も遅かったな。遊んでたのか?」
神野は女に問うように言った。スッと見えたその声の主はグラマラスな体付きに、高めの身長。人の多い場所を歩けば多くの者が振り返るであろう、そんなオーラと美しい顔を持っていた。黒髪に、光る金の眼。その後ろにも顔付の似た幼い少年が居たが、その子もまた美少年と言える風貌だ。
「違いますよお! 命様が言ったんでしょ!? 私は任務を果たしてたんです! ほら、武蔵藩のアイドル様達とうちの足手まとい!」
「誰が足手まといだ!」
気が付くのが遅れたが、その美女の後ろには少年の他にさらに人が居た。数えれば四人だったが、うち二人は【人】とは言い難い。
足手まといと称され怒鳴った男は頬に鱗が生え、爪は肉を裂くような鋭さ。パッと見、爬虫類と人間を掛け合わせたような形だった。
更に人と思えぬのは首の無い、と言うより、首より上を両手で前に持っている青年。手に持った顔は何処かで見たような気がする。
人と見受けられたのは二人だけ。一人は首に長く白いマフラーを巻きつけ、洋服のような和服のようなよくわからないジャケットを羽織り、全体的に丸い印象を持つ高身長の男。もう一人はスーツを程よく着崩し、ほんのりと笑みをたたえる男。
「まあ、大和君が干からびて時間食ってたのは確かだよねー……」
スーツの男はウフフと笑って見せる。それに釣られたか、何か思い出し笑いのようにも見えるが、マフラーの男が大笑いし出した。
「だよなだよな! 討伐隊は見てて飽きねえけど、大和君とか昴君みてえのが一番飽きねえ。でもよ、探すもんこっちは探せたし、これ以上何か言う気もねえんだ。さっさと帰る準備しようや。会議に間に合わねえさ」
ふてくされているような、大和と呼ばれた爬虫類のような男に続いて、その六人が神野に近寄った。
「そうか、なら、仕事は終わりか。他に残党は」
神野がそう言うと、首なしの青年が持っていた顔が口を動かした。
「全部主が殺ったぞ! 主を褒めろ! 西の!」
得意気に顔は笑った。体の方は何かもじもじと恥ずかしそうだ。
「あら、私とシグマだって頑張りましたよ? いくらか味見してしまいましたけど……やはり、命様の血が一番美味しいって結論でした」
「でした」
黒髪金目の女に続いて、幼い口調で少年、シグマが言うと、大和と、気が付けば昴も良い顔はしていない。
「そうか、大体どうでも良い話だったな。帰ろうか」
無表情でその場を立ち去ろうとする神野に、鹿角の少年や、それ以外の人ではなさそうな者たちが続く。放送室の扉が開くと、牛のような角を生やした男と、白衣の少女が顔を出した。
「主、戻るんですか」
牛角の男はそう言って神野の隣に陣取る。
「あぁ、驚いたことに今回は案外早く仕事が終わったからな。掃除は政府に任せよう」
と、夕方の紅い光を差すガラスの前に立ち止まる神野。
「そこの武器と殺意満々な奴らも来い。約束を果たそう。羚と鎌田兄妹も招待しようじゃないか。一気に仕事が片付くのはとても気持ちが良いからな」
神野、あるいは命、主と呼ばれていた男は、紙に書いたような薄っぺらい笑顔でそう発音した。