秘める想い
微かな日差しで重い瞼を上げる。けれどあたたかい布団から出たくなくて寝返りを打つと、風が顔に触れる。不思議に思い再び目を開くと、見知った顔がある。
わりと睫毛が長いなと思ってから、この状況がおかしいことに気づく。
布団を押しのけ這い出ると、「寒い」と聞こえた。
明らかな寝起きの表情からいつもの意地の悪い笑みになる。
「自分が何しているのかおわかりになりますか」
「起きるの待ってたら眠くなった」
「だからってどうして一緒の布団に……」
「あったかかったからつい」
答えながらなぜか近寄って来る彼。後ずさりしながら睨むけれどついに壁に追い込まれる。
思わず目を瞑ったが、頬と頭を撫でられただけで彼の気配が消える。
襖を開閉する音が聞こえ、おそるおそる見たが部屋にはもういなかった。
「また、一泊……」
一人呟きながら息を吐く。家に帰ったらまた怒られると思うと、憂鬱だった。
夢次にも彼の両親にも謝らなければならない。もう二度とこんなことにならないようにと気を引き締め、身支度をする。
「簪」
いつも身につけている簪だけなかった。落としてしまったのだろうか。
貸してもらえるだろうかと襖を開けると、目の前に夢次が現れ部屋に押し戻される。
そのまま回転させられ座らされる。背後で何やらがさごそしている夢次に文句を言おうとすると、頭をぐいっと押さえつけられた。
「動くと間違えて刺すだろ」
簪がなかったわけがわかった。
「今おまえの父親が来てる」
「え!?」
思わず振り返りそうになると「刺すぞ」とまた頭を押さえつけられる。
それどころではないのに離してくれそうになかった。
「迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」
父が来ているということもあり素直に謝る。何を言われるかと構えていたが、何もなかった。
怒っているのだろうかと冷や冷やしながら終わるのを待つ。
整えるように後頭部を撫でられ、なぜか首筋に触れられる。きっと整えるときにたまたま触れただけだと思ったが今度は明らかに撫でている。そして何か柔らかいものが辺り、そこに息を吹きかけられ思わず叫ぶ。
「何をしたんですか!」
反応が面白かったらしく、彼はおかしそうに笑う。なんでいつもこんなことばかりしてくるのだろうと思ってから、昨日告白されたことを思い出し慌てて振り払う。
「顔が赤いぞ」
そう言って額を合わせてくる。わざとだとわかっているのにさらに頬が熱くなるのが自分でもわかって、彼の肩を押す。
離れてはくれたが頭を撫でられる。
「俺だったらいつでも迷惑かけていい」
優しい目で見つめてくる彼を直視できなくて、俯いてしまう。
どうして意地悪だったり優しくしてくれたりするのか。考えが読めない。
「その分こうやって楽しませてもらうからな」
「やっぱり意地悪ですね」
予想通りの言葉に即答で返し、立ち上がると部屋から出る。けれど手を引っ張られた。
「何ですか」
振り返らずに冷たく言えば、なんでもないと夢次は手を放す。
人を止めてそれはないと彼の方を向けば、腕を引っ張られまた抱きしめられる。
寒いからといって人をすぐに抱きしめるのはどうかと抗議しようと顔を上げようとしたら、頭まで抑えられる。
彼の胸あたりに耳を押し付けられている格好。恥ずかしくて顔が赤くなるのを自覚しながら、また足を蹴ってやろうと片足をあげる。
その前に体を解放された。今度は片手を繋いできて、頬に手を添えられる。
さっきからこの男は、と払いのけようとした空いている手を空中で止める。
「兄上のことも朱院のことも、おまえ一人の責任じゃない。だからもう、一人で抱え込むのはやめてくれないか」
彼は怒っていた。なぜそのことで怒られなくてはなのか理解できない。悪いのは自分。彼の家族を失わせてしまったのは自分のせいであるのに。
目を合わせたくないのに、無理やり向かされる。視線を逸らす。
「あなたにそんなこと言われる筋合いはありません」
口にしてはいけないとわかっていた。謝れば溜息をつきながらも彼が離してくれるだろうと知っていた。
彼がいつも心配してくれていることに気付きながら、踏み出すのがこわくて。
突き放された。そのまま逃げるように立ち去る。
呼ばれた気がしたけれど止まることができず、外へ出て走る。
冷たい風が痛いほど当たり、そのせいなのか涙がまた頬をすべり落ちる。
自分でもどう走ったのかわからないが、気づいたらあの橋にいた。
枯れ木となった桜が寂しそうに佇んでいる。
引かれるようにそっと木に近づき、朱院がしたようにそっと幹を撫でる。
「壺鈴?」
いきなり声をかけられ振り返れば、なんだか懐かしい梅都がいた。やはり籠に沢山の蜜柑を入れ背負っている。
「泣いてるんか?ちょっと待ってろよ」
彼の言葉で慌てて拭おうとすると、手巾を手渡される。
梅都は籠を桜の木の横に置くと、そのまま籠の前にどかりと座り込む。
「疲れたー」
そうして「疲れた」を連呼する彼がおかしくて笑う。
「お仕事ですか」
「うん、まあ。特注が入って」
それと蜜柑が関係あるのかはわからないが、大きく伸びをすると彼は立ちあがる。
「喧嘩でもしたのか」
なんでこういうときだけ勘が冴えるんだろうと一瞬思う。でもいつもそばにいる彼ならわかるのだろうと息を吐く。
「私が、悪いんです」
わかっていて彼の優しさに寄りかかっていた。これ以上は無理だった。彼の気持ちに応えられないのなら、最初の頃のようにただの同業者で良きライバルが一番綺麗に収まる形だから。
「壺鈴、夢次様のこと好きなんだろ?」
こくりと頷けば、梅都はそっかと言って彼らしく笑う。
「ほんとはさ、寿次がいなくなってから、少しでも梅納寺のためにならんかと行ったんだ。春の……壺鈴たちが夢次様に捕まって一件落着した後さ、それ言ったら夢次様に怒られたんだ。あの人があんなに感情豊かだとは思わなかったけどな」
衝撃的で梅都を見るが、空を見上げている。
変に疑っていた自分が恥ずかしくなる。彼はいつだって誰かの為に動くのに。
同じように怒られた彼は、それでもずっと一緒にいた。それは理想的な形といえる。
ふと梅都は立ち上がると、桜の木をぽんぽんと叩く。
「朱院さんがいればもっと上手くできたんだろうなぁ」
「朱院殿のこと、聞いたのですか?」
「うん、まぁ。さっき清院さんから。よくわかんなかったけどな」
最後の言葉が彼らしい。
「壺鈴、朱院さんには結構何でも言ってたもんな」
「え、そうですか」
「夢次様のことが好きだって言ったとか」
「い、いってませんよ!言ってないです……」
だけど思い当たる節があり、顔を覆う。たしかに言いように丸め込まれた時があった。一人脱力していると、優しく頭をぽんぽんと叩かれる。
その胸元をぎゅっと握ると、梅都は軽く引いた。
「絶対に言わないで下さいね、彼に」
「わ、わかった。わかったから離してくれ」
「言ったら絶交ですから!」
「それは嫌だ」
なぜか真面目に言われ、そっと手を離す。
けれど次の言葉でまた詰め寄ることになった。
「そういえば親父さんが縁談話持ちかけたとか」
「だ、だれに!?私のですか!?」
「おまえ以外いないだろ…………なんか、梅納寺みたいで」
「なんで!!」
「俺に言われても!」
そういえば夢次に父が来ていると言われたことを思い出す。あれはそういう話だったのかと気付き、慌てて家に向かって走る。
背後で梅都が叫んでいたけれど振り返る余裕はなかった。