黄泉守
「夢次殿……」
か細い声に抱きしめた彼女を見る。落ち着いたらしいがまだ呼吸が乱れている。
そっと前髪をかきあげる。
「大丈夫か」
「あまり」
いつかの時のように困ったように笑う。その頬を撫で、立ち上がらせる。
まだふらふらしているのでその体を抱きしめれば、彼女も素直にされるがまま。
顔を持ち上げれば、泣いていた。
兄の姿を見た彼女が不安定になるのは当然だろう。いないのだと頭では理解していても。
「忘れろ。俺がいるだろ」
そっとその頬を撫で、涙を拭う。それでも彼女の目からはとめどなく流れ続ける。
だからその唇に自分の唇を重ねる。その涙が止まることを願って。
そういう人だとはわかっていた。
突然口付けられて驚くも、きっと泣きやませたかったからだと気付いた。
いつかのように角度を変え何度もされる。ふと空気に唇が触れ、やっと解放されるのだと思ったら、また口を塞がれる。息を吸いたくて思わず口を開くと、するりと生温かいものが入ってきた。
もう苦しくて、何をされているのかわからなかったけれど腕に力が入らなくてされるがまま。
やっと離れたけれど、まだ抱きしめられていた。
「壺鈴、壺鈴……」
耳元で何度も名前を呼ばれる。
その度に胸がしめつけられる思い。止まったはずの涙がまた溢れてくる。
「好きだ」
最後に囁かれた言葉に、押さえていた涙が一気に流れ落ちる。
わかっていたことだった。
「うん」
それが叶わぬ想いだということも知っていた。
「ラブラブなところ申し訳ないが」
「!!」
「!?」
二人で泣きながら抱き合っているところに、突然声をかけられ慌てて離れ涙を拭う。
見れば清院がいた。朱院はどうしたのだろうか。
「朱院はどうしたんだ」
同じことを思ったらしい夢次が問う。すると清院の顔は翳る。
「還った。本来在るべき場所へ」
還ったとはどういうことだろうか。以前のようにあの桜の木にだろうか。
意味がわからず、どう問うべきか考えていると隣で夢次が先に口を開いた。
「あいつらは『黄泉守姫』といっていたから、黄泉へ……だな?」
「そうじゃ。あの桜は黄泉と現世に同時に存在する。故に桜姫は黄泉守姫の役目も負う」
自分の知らないことを二人は話す。
「あの桜はもともと黄泉桜。他と違って当然じゃ」
淡々と語る清院。それに納得する夢次。
一人だけ置いていかれていた。それでも、なんとなくわかる。彼女はもういないのだと。この世には存在しないのだと。
ふと最初に出会った頃を思い出す。昔どこかで置き忘れてきたような懐かしい気持ちが溢れて泣きながら会った。
『夢に見しや、虚し現世』
『謀略なる人間により多くの珠玉を失い、黄泉還っては失い』
思えば最初から言葉の端々に答えはあった。
『千の声、風の声、数多の叫びと命の灯を見送り続けておりました』
あれは比喩などではなく、黄泉でのことを話していたのだ。
何も気づかなかった自分が腹立たしい。力を込めて腕を掴む。
「大丈夫か」
彼の言葉に頷く。今日は心配されてばかりだなと心の隅で思う。
そっと抱き寄せられ、そのまま寄りかかる。
「冬呀殿たちは何者だったのですか」
振り絞るような声しか出なかったけれど、清院は説明してくれる。
「同じ黄泉守じゃ。もちろん朱院には及ばぬがな。“ココロ”があれば黄泉守の役目から解放されるとでも思ったのであろう。朱院自身が逃れられなかったというのにな」
清院は溜息を吐く。
「逃れられなかった」と聞いてほっと安心する自分に気付いて唇を噛む。
朱院は助けてくれたというのに、なんてことを考えるのかと嫌悪感が募る。
自分が冬呀の嘘に気づけば朱院はまだここにいられたはず。「もう一度人世で生きてみたかった」と告げた彼女の思いを無にしたのは自分だ。
助けられてばかりの自分が嫌だった。
一緒に出かけなければ、寿次だって死ななかったはずだから。
「冷え切ってるな。とりあえず帰ろう」
夢次に手を引かれ歩き出したけれど、その後の記憶はなかった。