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「お願い、しっかりして」

 目を開けると、先ほどの女子行員が後藤の顔を覗き込んでいた。

 先刻とは打って変わり、眉を八の字にさせて、一時期、一世を風靡させた女性アイドル歌手のような表情を浮かべ見つめている。まだ完全にまどろみから脱け出せないでいる後藤は、頭を朦朧とさせて行員を見返した。

 そうだ、犯人の一人に殴られて気絶したんだ。なら犯人たちは、撃たれた行員の人は?

 事件のあらましを思い出すと、記者根性がそうさせるのかすくっと立ち上がった。

 頭がずきずきするが、どこからも血が出ていなかった。なら、現場状況を再確認して取材もしなくてはいけない。意気込み、辺りを見回した。

 あちこちに椅子が倒れている。大理石風の人造石を張ったタイルに、割れた蛍光管の破片が飛び散っていた。その上に振込用紙やらパンフレットなどが散乱している。犯行時の異常さが生々しく残っていた。行内の空気も、まだまだ張りつめられていてかなり重苦しい。

 大部分の客は外へ避難したようだが、まだ数人の客が呆然とその場に座り込んでいる。中には携帯を取り出して通話する者もいたが、総じて顔に生気がない。

 ただ、行員たちだけは二ヶ所に集まり、いや正確に言うなら後藤も倒れていたので三ヶ所だったが、一様に思いつめた表情を見せていた。それぞれの目は真っ赤だ。

 通報しようとした女性行員が殺され、立て続けに上司が殺されたのだ。その心情は痛いほど慮るものがある。嵐が過ぎ去ったとはいえ、別の新たな嵐が生まれていたのだから。

 外が慌しい。やっと警察車両が到着したのだろう、救急車もやってきた。

 数人の警察官が、野次馬たちを整理しようとロープを張っている。かなりの人数の警察官が入行して、遺体を覗き込んでいる。この後、捜査課の刑事の指示のもと、被害者の状態、血痕、犯人の靴跡、弾痕などをチョークで細かく書き示すのだ。

 と、その行員の様態をチェックしていた警察官が、身体を伸び上げ救急隊員を手招きした。大きな動作で「早く、ストレッチャ―を!」と、声を張り上げた。

 後藤の胸が高鳴る。

 通常、捜査課の刑事と鑑識が検証を終えるまでは、原則的な手順として遺体に触れてはならないのだが、生きていれば別だ。人命第一、鑑識を待つ必要などない。

 ということは、虫の息かもしれないが、生きている。死んではいなかったのだ。高鳴っていた後藤の胸が熱くなった。

 なら情報を提供しよう。

 死んだ女性行員のためにも、犯人逮捕への協力をしなければならない。

 殴られたときに想い出したのだが、彼らは中学の同級生だった。フードの隙間から覗けた歪んで吊り上った目。忘れもしない。友人を自殺に追い込んだ許すまじき男、松本だ。そうしたら残る二人は、背格好やら動きで簡単に推測できる。たぶん新田と池山なのであろう。小走りで警察官の所へ急いだ。

 そこへ、犯人たちが事故を起こして全員死亡したとの急報が入る。

 死んだ? あいつらが……。

 出鼻をくじかれた。死んでしまったのなら、容疑者の名を教えても意味がない。後藤も事故現場へ向かうことにした。

       

 

 後藤が事故現場へ到着する頃には、レスキュー隊が特殊工具を使ってドアをこじ開け、車から犯人たちの遺体を引っ張り出していた。

 日本では滅多にお目にかかることのない、拳銃による銀行強盗。死傷者も出た。その特異性から、続々と集まったテレビのリポーターやら他誌の記者などで現場はごった返していた。

 確信はあったが、念のため運び出された犯人の顔をチェックしようと大股で車の所へ行った。ストレッチャーが四台並べられていた。

「四台? 犯人は三人ではなかったのか」

 直感で後藤を殴りつけたのが松本と勝手に決め付けていたし、思い込んでいただけだったのだろうか。

 虚を突かれ、警察官に聞くよりも先にストレッチャーに運ばれた遺体を探った。まず最初に搬出されたのは右側後部座席、スキンヘッドの男だった。屈み込んでいたのだろうか、考えていたよりも頭部の損傷が少ない。

 でも背中と脇腹を強く強打していたみたいだ。内側に折れ曲がった肋骨が心臓に食い込んで、出血多量もしくは呼吸停止に追い込まれたようだった。口をひどく引き攣らせているが新田だった。となれば、残る二人は頭がぐしゃぐしゃで断定しにくいが、九分九厘、松本と池山だ。

 しかし三人しか引っ張り出されてこない。四台目は空のままだ。

 では、どうしてストレッチャーは四台も用意されていたのか。考えられることは、警察側が遺体を四人と判断したか、もしくは知っていたことになる。つまり松本と新田と池山の外にもう一人、運転技術に長けたドライバーが仲間に加わっていた。そして運転手が逃げた。

 よもや純二?

 疑問が、とんでもない人間の名前を浮かばせた。

 苦笑した。運転が上手いというだけで、あろうことか親友の名前を思い浮かべてしまったのだ。松本たちとは、単なる中学の同級生にしかすぎない。のみならず社会に出てから互いに接点はないはずだ。

 だいたいが犯罪に手を染める人間ではなかったし、近々結婚するとも聞かされていた。不謹慎だ、即座に否定した。

       

 

 親友の名を頭から消し去ったものの、この悲観的な事故状況の中で、どうして犯人は逃げられたのか。後藤にはそれが不思議でならなかった。三人が即死しているのだ。仮に死ななかったとしても大怪我をしていただろうし、逃げられるわけがないのだ。

 血痕を辿ろうにも、車のそばに血糊が付いているだけで、その先には足跡さえない。かなり強引な消去法で推理しても、徒歩で逃げてはいないことになる。また大金を独り占めにするために仕組んだ事故と想定したとしても、車内に強奪した金が残されている以上、論外だ。

 だとすれば、偶然通りかかった車に救出されたか、もしくは脅して逃げたとしか考えられない。そうすると二次犯罪、新たな犠牲者が生まれる可能性がある。

 逃亡した犯人によって、今後どんな不測の自体が生じるか。思考をそこへ飛ばしていると、急に背後がざわざわした。振り向くと、数人のメディアに男が囲まれていた。

 どうやら事故の目撃者のようだ。背伸びして聞き耳をたてた。

 六十才ぐらいの老人。少し足を引きずり、厚手のジャンバーの下にはジャージの上下、靴は白いスニーカーと至って軽装だ。あきらかに地元の人のようだった。

 その老人が言った。

「痩せて、背の高い男だった。とても銀行強盗をするような人間には見えなかったよ」

 痩せて、背が高い? それは逃亡した男のことなのか。

 また無意味な想像が拍車をかける。後藤は老人の言葉がどうしても気になり、輪の隙間に入り込んだ。

「あなたは、間違いなく逃げた犯人を目撃したというのですね」

 記者の一人が、確認するかに問い質している。

「冗談は言っても嘘はつかないほうだ。けど、さっき刑事に話したら笑われた」

「何のことです?」

 記者が怪訝そうに首をひねる。

 どうかすると後藤には、それが記者の落胆にも見えた。つまり真相は、事故を目撃してその様子を刑事に話したら、信憑性にかけるばかりか一笑に付されたということなのだろう。

 年令を重ねるにつれて、男はだいたい二種類に大別されていく。素直になる人と、ひねくれる人たちだ。事故を目撃したというこの老人は、どちらかといえば前者の素直になった人間の部類に入るのかもしれない。目も歪んではいないし、愉快犯的な、騒ぎに便乗して世間を驚かせてやろうとするタイプには見えなかったからだ。

 だったら気になる犯人の特徴を、もっと詳しく知りたい。

 老人が後藤にちらっと目を向け、また話し出す。「車から数メートル離れると犯人は光に包まれた。そしてふらふらだったはずなのに、急に勢いよく走り出したんだ。どくどく流れているはずの血もとまっていた」と、誇張気味に言った。

 記者たちがきょとんとさせる。中には大きく溜息を吐く者もいた。

「光に包まれて、血がとまっただって? それは証言ではなくて、ただの妄想じゃないの。根拠がある、真実だというので話を聞こうとしたけど、これでは時間のむだ。刑事に笑われるのもあたり前だ」

 一人の記者が「ばかばかしい」と、口を尖らせた。

 場が白けはじめようとしたそのとき、湿り気のある懐かしい声がした。

「逃げた犯人の特徴を、もう一度教えてくださるかしら。運転席から続く血痕が、どうして途絶えているのか疑問なの」

 声の主は涼子だった。後藤の同僚で恋人の小池涼子。白いダウンジャケットにグレイがかった黒いチノパンをはいている。ショートヘアーの首すじには赤いマフラー、それがくりっとした二重瞼の瞳を引き立たせていた。

「いいよ、もう行こうよ涼子くん。嘘っぽい、オカルトめいているし、銀行で聞き込みをしてから所轄の警察署へ取材をしなくちゃ」

 眼鏡の縁に指をかけ、つっけんどんな口調で男がさえぎった。

 後藤と真向かいの席に座る同期の今井だ。わりと仲がいい。最近も夢の話を相談したことがある。だけど後藤が涼子と交際をしていることを知らなくて、逆に思いを打ち明けられた。そんな複雑な関係でもある。いずれ伝えなくてはと思っている。

 だが、おかしい。こんなに近くにいるのに、二人は気づく素振りも見せない。驚かすつもりはなかったが、するすると背後に忍びよって涼子の肩を叩こうとした。

 と、老人が質問に答え出す。後藤は行動を躊躇った。

「信じてくれるのなら、ぜんぶ話すよ。けどその前に、あなたには、あなたの横にいる男の人が見えているのかな。それが大前提になるからね」

「え、私の横?」

 涼子が、後藤を通り越して今井へ視線を預けた。

「ばかばかしい。何を言っているのやら。行こう、猿芝居だ」

 今井が涼子の腕をとる。

「違うぞ。その男の人ではなくて、柔道選手のようにがっしりとした人だ。眼鏡もかけていない」

「柔道選手、ですって?」

 ようやくぴんときたようだ。涼子が後藤を捜し出す。だが、後藤と視線を合わせようともしない。

「戯言だよ、相手にしないほうがいい。そしてその言葉に、君が何を連想しようとかまわないが、それを鵜呑みにして記事を書いたら我々が品性を疑われる」

 今井が感情的になる。踵を返した。いい奴なのだが、こと後藤のことになるといつもわざとらしい。

 夢の相談をしたときもそうだった。ストレスと決めつけられた。

 直感で知覚したのにも関わらず、決して認めようとしなかった。たぶん涼子の気持ちが後藤に向いているのを察していたから。

「待って。今井くんもきっと私と同じで、後藤くんのことが頭をよぎったのね。だったら仮定の話だけど、何らかの事情があって、ほんとうにここにいるのかもしれないよ」

「何らかの事情って何だよ。ばかばかしい。証明できるのならいざ知らず、僕は信じないよ。よくいるんだよ、こういう手合いがさ。けど、君がそんなに簡単に信じてしまうなんて幻滅だな」

「で、でも……」

 二人の会話が理解できなかったが、今井の度重なる否定に涼子は涙声になっている。しまいには耐えきれないのか、しゃがみ込んでしまった。

 僕なら、ここにいる。安心させようと涼子の肩に手をかけた。

 そうしたら……手がすり抜けた。

 これは、いったい?

 急激に心が強張っていく。どうしていいか分からずにうろたえた。涼子ばかりでなく、誰も後藤の存在に気づいてくれない。

 まさか、僕は死んでいるのか?

 言葉を失い、答がそこへ導き出されたとき、初めて真実が理解できた。

 そういえば銀行内で、後藤のまわりに人がたくさん集まっていたし、意識を取り戻してから誰とも話をしていなかった。それは、すでに死んでいたという証明になる。

 何ということだ。たった二発、銃底で殴られただけで死んでしまったなんて――。

 抑えていた感情。それが、ない胸を締めつけてきた。実感の伴わない後ろ髪、それに引かれながら後ずさりをした。思いが加速されて宙に飛ばされたのか、たちまち人の輪が遠景になった。

 すると事故車のまわりに三人の霊が見えた。松本と新田と池山たちだった。とうに遺体は運び出されてしまっているというのに、現場に残っていた。強奪した現金に取り憑かれ、離れられないのだろう。警察官が証拠物件として押収したバッグから、札束を懸命に抜こうとしていた。

 きっと彼らも、死んだということがまだ分からないのだ。ある意味トランス、金に対する執着心によって歪ませている。このままでは自縛霊として永遠に地上を彷徨うことになるかもしれない。

 後藤だってそうだ。

 人は死ぬ際、一瞬で人生を回顧するという。後藤は回顧をしなかった。死んでいることに気づかなかった。なら彼らと変わりがない。浮遊し続けるに違いない。

 空しい。空を見ると大気はひんやりとして、曇り空に、またわずかずつ雪空が塗り込められていった。

 


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