意識と無意識
ユング心理学と言うものをご存知でしょうか?
調べてみればわかりますが、意識、個人的無意識、普遍的無意識と三層のピラミッドのような図があるはずです。
無意識と言うのは重要だと思うのですよ、意識以上にね。
ただ、僕は普遍的無意識には懐疑的なのです。そもそも、客観的な意義は存在しないとか言ってる時点で原型はどうなってしまうのか、とかなるかも知れないしね。
ともかく、無意識というものはザックリと言ってしまえば、ユング心理学では意識に呼びかけて更正させるようなやつだったり、フロイト心理学では欲望の塊だったりと。流石に適当な説明過ぎて怒られそうですが、そんな感じです。
それぞれ意識と無意識の図があったりしますが、記憶理念無意味思想の場合は皿の上に砂が積もっていくかんじと捉えてください。時間がたてば皿の上に砂の山ができますね、この山の頂上、表面の点の部分が意識で、残りの砂はユング心理学で言うところの個人的無意識です。では、皿はなんなのか?ユング心理学で言うところの普遍的無意識です。
ただし、個人的無意識、普遍的無意識とは呼びません。個人的無意識ではなく、累積無意識。普遍的無意識ではなく本能無意識。そう名付けました。
この砂が表しているのは記憶です。意識と累積無意識は記憶によって形成されています。本能無意識はその名の通り人間の本能そのものです。
産まれてすぐはこの本能無意識が殆んど剥き出しになっています。小さい子の行動はわりとパターン化されていますよね?幼ければ幼いほどに、行動が単純な筈です。それは大人に比べて記憶が少なく、意識や累積無意識による介入も少ない、殆んどが本能無意識によるものとなる。成長するに従って、記憶の砂はどんどん皿(本能無意識)を埋めていきます。段々とその人の行動は記憶によるものとなっていきます。
ここまでの事を考えると、本能無意識は全ての人が殆んど同じ構成をしていると、進化の過程により変化はすると思いますが、同じと言っても過言ではありません。だから、産まれてすぐの赤ちゃんはみんな同じような行動をするのではないのでしょうか?とはいえ、お腹の中の状態でも記憶は累積していくので、全く同じではないのでしょうね。
さて、本能無意識は殆んど同じと言いました。ユング心理学の普遍的無意識と何か似てませんか?繋がっているか繋がっていないかの違いなのです。もしかしたら、似ているが故に繋がっていると見ることもできるかも。
僕もまだまだ勉強途中です