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街の事務員の日常  作者: 滝田TE
街の事務員の日常
5/39

第五話 新たな縁


 冬の一の月、修一郎の世界で言えば十一月になって数日経ったある日のこと。

 前日の売上金を、市庁舎内にある資産保管局に預け入れに行った修一郎が、事務室に戻ってくるなり口を開いた。


「ソーンリヴさん、私に付き合って貰えませんか」


 時刻は、もうじき大鐘三つ(正午)である。

 昼食を買うために外に出るつもりであったソーンリヴは、殆ど考えることなく応じた。


「構わんが、何かあったのか?」


「いえ、別に仕事で問題があったわけではないです。

 ちょっと行きたいところがありまして。

 昼をご一緒させて貰って、そのまま向かいたいのですが、いいですか?」


「分かった。だが、その前に入金確認票を寄越せ。

 資産出納簿に書き込んでおく」


 何やら浮き足立っている様子の修一郎を一睨みして、ソーンリヴは手の平を突き出した。

 入金確認票とは、資産保管局が発行する証明書である。

 その資産保管局とは、こちらの世界の銀行であり、その名の通り現金や貴金属の預かりや払い戻しを業務としている部署である。

 主要都市の市庁舎には必ず窓口が設置され、本部は王都にあり、その他の都市にある保管局は支部となる。

 国が運営しているためか、取り扱い手数料は無料だが、毎年決まった時期に使用税として、各々が預けている資産を貨幣換算した二十分の一相当額に、基本料を加算した額を税金として納めなければならない。

 その資産保管局に金銭を保管依頼……つまりは預け入れした際に発行されるのが入金確認票で、引き出しを行った際に発行されるのが出金確認票になる。

 ちなみに、修一郎の世界の銀行のように、口座振込みや自動引き落としといったサービスは行われていない。


「あ、すみません。お願いします」


 制服のポケットから、小さな羊皮紙製の入金確認票を取り出してソーンリヴに渡しながらも、修一郎は未だどこか落ち着かない様子だ。


「だいたい、まだ鐘は鳴っていないんだ。

 何をそんなに慌てているのか知らんが、少しは落ち着け」


 資産出納簿と金銭出納簿に手早く記帳し、専用の木箱に受け取った入金確認票を収めながら、先輩事務員は相変わらず頼りない部下を窘める。

 そうするうちに、市庁舎の親鐘が鳴り響き、正午になったことを告げた。


「よし、では行こうか」


 ソーンリヴは、椅子の背もたれに掛けてあった薄手の上着を制服の上から羽織ると、修一郎を連れて事務室を後にした。






 手軽に済ませましょうと言う修一郎にせっつかれ、仕方なしに露店で昼食を摂ったソーンリヴは、商業地区の西にある、通称“職人通り”の一角にやって来ていた。

 目の前の小さな木造の建物には、レベックの工房と書かれた木製の看板が吊り下げられている。


「なんだ。レベックさんのところじゃないか。

 ライターのことで何かあったのか?」


 現在、レベックの工房で最も生産に力を入れているのがライターであり、ライターへの刻印と購入者の口コミの効果があったのか、マリボー商店でもライター本体、消耗品共に入荷後即完売という状況で、本体に至っては二週間先まで予約で埋まっている。

 そういった理由から、レベックの工房へと連れて来られたソーンリヴは、ライターに関して何か新たな事務手続きが発生したのかと考えたのだが、修一郎は逆に不思議そうな表情で訊き返してくる。


「いえ。ライターに関しては順調すぎるくらい順調で何も問題ありませんよ?

 今日、ここに来てもらったのはそれとは全くの別件です」


 にこやかに工房へと入っていく修一郎に、首をかしげながらもソーンリヴが続く。

 工房の中は、金属加工用の炉が炊かれているためか、外よりも暖かかった。

 鉄を打ちつける鎚の音が室内に響き、その合間を縫うように木材を加工するノミの音が小さく聞こえてくる。

 工房は、修一郎たちの職場である事務室と変わらない程度の広さで、奥には職人たちの休憩用と思われる扉のない小部屋が見えた。

 板張りの床には、大小様々な形の木片や、石の欠片が落ちており、今日も早くから作業を行っていたであろうことが容易に想像できる。

 工房内で働く職人は、レベックを含めて五人ほどで、うち三人がノーム族、一人が人間族、一人がドワーフ族で、全員が男性であった。

 ライター製作に合わせて雇った者というのは、ドワーフ族の男性のことだろう、今正に炉の傍で一心不乱に鎚を振るっている。

 皆、麻のシャツに麻のズボンといった簡素な服装で、背中や首周りや脇の下を汗で濡らして各々の作業に集中しているようだ。

 工房の入口に立つ修一郎に気づいたノーム族の中年らしき男が、話しかけてくる。

 髭を生やしていなかったことと、その声から中年と判断したのだが、もしかしたら修一郎より若いのかも知れない。

 獣人族ほどではないが、妖精族も外見から年齢を知るのは容易ではなかった。


「よお、シュウイチロウ。親方なら奥に居るぞ」


 工房奥の小部屋を親指で指した男は、そちらに向かって声を張り上げた。


「親方!シュウイチロウたちが来たぞ!」


「おう、待っておったぞ。二人ともこっちへ来い」


 小部屋から顔を出したレベックは、手の甲を上にして上下に振り、手招きの仕草をする。

 こちらの世界では、人を呼ぶときの仕草は欧米式ではなく日本式なんだなと思いつつ、修一郎は作業の邪魔にならないよう、職人たちの間をゆっくりと通り抜けながら小部屋へと向かった。

 小部屋に入ると、予想通りそこは職人たちの休憩所であった。

 簡素だが作りのしっかりしたテーブルの横には、蓋をされた大きな水がめと柄杓が置いてあり、職人が自由に水を飲めるようになっている。

 アーセナクトを含め、王国内の主要都市には上下水道が敷設されているのだが、レベックの工房は住居兼用ではないためか、水道は通ってないようだ。

 部屋の入口から見て左側は、一段高くなっており、板張りの床に草で編まれた茣蓙のような敷物が敷いてあった。

 おそらくそこで横になって休憩したりするのだろうが、今は余計な物は壁際に纏められ、小さな木製の箱と奇妙な形に曲げられた針金が数本、拡げられた布の上に置いてある。

 休憩室に入ってきた修一郎に、レベックの声がかけられる。


「今回は前にも増して厄介な依頼じゃったわい。

 ウチはお前さん専属の工房ではないんじゃがのぅ」


 ぎろりと修一郎を睨むと、レベックは小箱の蓋を開けた。

 小箱の中は、中央を薄い木板で仕切られ、左右それぞれに透明な薄い板が十枚ずつ収められている。

 その透明な板も、互いに擦れ合って傷が付かないように、木板で一枚一枚仕切られているようだ。

 修一郎に遅れて休憩室に入ってきたソーンリヴは、それらの正体に見当がつかないらしく、黙って見つめている。


「それに関しては、本当にお礼を言うほかありません。

 ですが、ある意味“私たち”にとってはライターより必要なものなんですよ」


 そう言って頭を下げる修一郎に、「まあええわい」と呟くと、レベックは準備に取り掛かった。


「それじゃあ、まずはシュウイチロウからじゃな。

 コイツに一番から十番まで番号がふってある板を填め込んで、向こうの壁の文字を読んでみてくれ」


 奇妙な形をした針金の一つを修一郎に渡しながら、小箱を目の前に置く。

 良く見ると、透明な板の隅には一から十までの番号が小さく書き込まれており、それぞれが微妙に厚みの違うガラスで出来ているようだ。


「コイツは飽くまでも試着用じゃから、基本的な形にしか作っておらん。

 ガラス板は上から差し込めば、簡単に固定できるじゃろうから、早速試してみてくれ」


 コイツと呼ばれた太めの針金は、修一郎の国で使われる片仮名のコの字型に近いが、“コ”の上辺と下辺が長い柄のようになっている。

 “コ”の縦辺には、下弦の月の外側だけを模ったような窪みが横に二つ並んでおり、針金の窪んだ部分には溝が彫られていて、ガラス板を填めることが出来そうだ。

 修一郎は一つ頷くと、一番と書かれたガラス板を針金の二つの窪みに填め込んで、針金を顔に装着する。

 長い柄のように伸びた部分を左右の耳の上に乗せると、上手い具合に固定されたようで、ガラス板が左右の目の直ぐ前に来る形になった。

 そのまま修一郎は、少し離れた壁に掛けられた木板に書いてある文字を読む。


「うーん……」


 ガラス板の填まった針金を顔から外したり、顔の目の前に持ってきて前後に動かしたりしている。


「これはちょっと違いますね」


 そう言って、一番のガラス板を針金から抜き取り、今度は二番と書かれたガラス板を針金に填めて、同じように壁の文字を見る。


「これは結構良いかも知れませんが、少しばかり度が強いかな」


 そして次は、三番、それも合わなかったようで四番と、順番に試していき、六番目で今までと違う口調で修一郎は声を出した。


「うん!これですね。

 視界の歪みもないですし、視点を移動させてもすぐに視界の修正が効きますし」


 満足そうに笑う修一郎を見ながら、レベックが手許に持った木板に、“シュウイチロウ 六番”と書き込んでいく。


「では、次はそっちの嬢ちゃんじゃ。シュウイチロウと同じように一番から試してくれ」


 修一郎の行動に気を取られていたソーンリヴが、素っ頓狂な声を上げる。


「な、何!?私もやるのか!?」


「当たり前じゃろうが。今回の依頼はシュウイチロウとお前さんの“メガネ”を作ることが目的なんじゃからの」


「メガネ?何だ、それは!?」


 無理もないことであるが、未だ状況を理解しきれていないソーンリヴに、修一郎は説明する。

 これは修一郎の世界で使われていた、悪化若しくは低下した視力を補助するための装着品であること。

 この世界にある拡大鏡を顔に固定するようなもので、常に適度な視力を確保するためのものであること。

 ただし、視力の悪化の度合いは人それぞれであるため、ガラス板の凹凸に微妙に変化をつけながら複数枚用意し、その人に合ったものを使わなければ、さらに視力が悪化する恐れがあること。

 当然、常に装着している必要はなく、裸眼で問題ない場合は眼鏡を外していてもいいこと。

 拡大鏡と違い、使用中は片手が塞がる事が無く、作業や普段の生活に支障を来たさないことなど。

 説明が終わる頃には、ソーンリヴの顔にも理解の表情が浮かんでおり、早速試着用の針金に一番のガラスを填め込んで、様々な角度から壁の文字を見ていた。

 結局、ソーンリヴが選んだガラス板は九番と書かれたものであったが、それが最善ではなく、若干の修正が必要であった。

 ソーンリヴがそれをレベックに伝えると、老齢のノーム族は了解した旨の返事をし、工房の隅にある宝石等を加工するための作業台に向かった。

 少し手を加えてからそのガラス板を室内の照明にかざし、また手を加える。

 それを何度か繰り返して、乾いた綺麗な布でガラス板を丁寧に拭くと、再びソーンリヴの元に戻ってくる。


「これで、嬢ちゃんが望んだ具合になっとるはずじゃ。

 もう一度、コイツで確かめてくれ」


 言われたとおり、修正されたガラス板を針金に填めて、壁の文字を見たソーンリヴは感嘆の声を上げる。

 今まで裸眼ではぼやけてまともに見えなかった文字が、数年前のように鮮明に見えた。

 その様子に満足したのか、レベックは手許の木板に、“ソーンリヴ 九番 ただし手直しを要す”と書き込んだ。

 その後、ガラス板……レンズの形状はどうするのか、外枠の針金……フレームはどうするのかといった話が遣り取りされ、二人の眼鏡の完成は一週間後になると告げられた。




 レベックや職人たちに挨拶をして工房を辞した二人は、並んで職人通りを歩いていた。

 もうじき昼の休憩時間が終わるのだろう、若い職人が二人の横を大急ぎで走っていく。

 既に午後の作業を開始している工房もあるようで、木を削る音、金槌で何かを叩く音、先輩職人が若い職人見習いを怒鳴りつける声などが、いくつかの建物の中から聞こえてくる。


「しかし……いいのか?シュウイチロウ。

 あの“メガネ”とか言うものは、製作にかなり手間が掛かるようだが……」


 ソーンリヴが気にしているのは、二人分の眼鏡試作費用を修一郎が全額負担すると言ったことについてだ。

 それには先ほど使った、調整用メガネの費用も含まれている。


「構いませんよ。

 私も元々目が悪かったんです。あちらの世界でも眼鏡はしていましたからね。

 こちらの世界に来てからは、一つの街に長く滞在することがありませんでしたし、今のような一日中書類に向き合うような仕事もしていませんでしたから、それほど必要性を感じていなかったのですが……」


 苦笑ともとれる笑いを薄く浮かべて、修一郎は続ける。


「流石に、あの充分に明るいとは言えない事務室で目を酷使する仕事をしていると、やはりメガネが欲しいと思いまして。

 それでレベックさんに依頼していたんですよ。

 あのガラス板をレンズと言うんですが、レンズは拡大鏡と同じくガラス板に凹凸を持たせて、使用者が見え易くする仕組みなんです。

 ただ、拡大鏡とは違って顔に固定する物ですから、先ほども言ったように、使う人によってレンズの凹凸を変えてやらないと意味がないんです。

 そうなると予め何種類かのレンズを用意しておかなければ、すぐに対応できません。

 それを用意するのに若干手間がかかるだけで、基本は拡大鏡のレンズに少し手を加える程度ですよ」


 丁寧に説明してくれる修一郎だったが、ソーンリヴの言いたかったことに気付いていないようで、先輩事務員はため息を吐く。


「そうじゃなくてだな……。

 拡大鏡自体がかなり高価なシロモノなんだぞ?

 それ以上に手間が掛かるメガネを買えるような金を、私は持ってないと言いたいんだ」


 ソーンリヴの言っていることは至極当然のことであった。

 現在、この世界……少なくともこの大陸で使われている拡大鏡は、一般市民の四人家族が優に一月暮らせるだけの価値がある。

 使っているのは、年老いた王族や貴族、高齢の市庁舎職員、豪商などの裕福な者くらいで、庶民には到底手が出せるような金額ではない。

 アルベロテス大陸で、ガラスが作られるようになって凡そ八十年が経つと言われている。

 ここ二十年で漸く透明で綺麗なガラスが量産され始めているらしいが、ガラスはまだまだ高級素材扱いなのだ。

 そして、衝撃に弱く割れやすいガラスを加工する技術を持つ者は、各都市に数名居るか居ないかといった程度である。

 この世界……修一郎にとってはこの大陸しか知らないのだが、それでも見聞きしてきたこの大陸の文化レベルや技術レベルから考えると、ガラスの出現がやけに遅く思われたが、それが事実であり現実であるため、深く考えないことにしていた。

 修一郎としては、メガネが自分や自分の周囲の人々の役に立つのであれば、それでいいと思っている。

 別に修一郎は、この世界で成り上がろうとか、世界全体をより良くしようといった野望を抱いているわけでもない。

 ただ、自分がこの世界で暮らしていくにあたって、極度に不便であると感じた事象を改善すべく行動しているだけだ。

 自己中心的な考えなのかも知れないが、その行動の結果が、多少なりとも周囲の人々に利をもたらすことであれば、それで構わないと割り切ることにしたのだった。


「ああ、そのことですか。

 気にしないでください……と言うのもアレですが、普段からソーンリヴさんにはお世話になってますから、そのお礼と思っていただければ。

 出納板とか『施錠』とか、魔法が使えない私はどうしてもソーンリヴさんにお願いするしかありませんからね。

 これからもお手数をおかけするお詫びも含めて、ということで納得していただけると有難いのですが」


「それにしたってだな、限度というものがあるだろうが」


「まあまあ、いいじゃないですか。

 レベックさんもライターの件で、それなりに繁盛しているようで、今回もかなりおまけしてくれるみたいですし」


「そこまで言うならもうこの話はしないが、いいか?シュウイチロウ。

 メガネに関する費用は、私には決して話すなよ?

 とてもじゃないが、恐ろしくてまともで居られそうもない」


 そう言って、突然の寒気に襲われたように両腕で自らの体を抱きしめる仕草で、珍しくおどけてみせるソーンリヴに、笑いながら「分かりました」と答える修一郎だった。




 そうやって話しながら歩いていた二人は、広場まで戻ってきていた。

 もうじき午後一時を示す親鐘三つと子鐘一つが鳴る頃なのだろう、昼向けの軽食を売っていた露店のいくつかは店をたたみ始めている。

 それに代わるように、砂糖菓子や干した果物といったおやつに摘める類の商品を売る露店が、開店準備を始めており、広場の喧騒は正午頃と然程変わらない。


「おやつか……。

 ソーンリヴさん、お茶休憩用に何か一つ買って帰りますか?」


 露店を眺めながら、隣を歩く女性に声をかける。


「いや、私は甘いものはあまり好きじゃないんだ。

 シュウイチロウが食べたいなら買っても構わんが、私は食べないぞ?」


「そうですか。

 でもまあ、折角ですし何か買って帰りますよ」


 そう言って、修一郎は近くの砂糖菓子の販売を始めたばかりの露店に足を向ける。

 その店は、砂糖と胡桃に似た木の実を粉にしたものを練り合わせ乾燥させた、落雁に近いものを売っていた。

 「お一ついかがですか?」と、売り物を四半分に割った試食用の菓子を、ハーフリング族の若い女性が勧めて来る。

 香ばしい匂いのする菓子は、やや甘すぎるように感じたが、茶と一緒に食べれば丁度良いだろうと思えた。

 一袋十個入りのそれを買うと、修一郎はソーンリヴの元に戻り、マリボー商店へと戻っていった。






 レベックの言ったとおり、修一郎たちが試作眼鏡の調整をした日から丁度一週間後、二人分の眼鏡が完成したと、連絡があった。

 正確に言うなら、レベック本人が完成品を携えて事務室を訪れたのだ。

 フレームは、さすがにチタンはこの世界では発見されていないようで、鉄を焼入れ・焼き戻しした鋼で作られていた。

 レンズを固定するのに容易であったため、アンダーリムタイプのフレームに、鼻が接触するパッドの部分には薄い皮の張られた小さな木片が取り付けられ、耳に引っ掛けるモダンの部分は軽い木材を細い筒状にして被せてある。

 レンズは、修一郎が所謂スクエアタイプと呼ばれる四角形、ソーンリヴはラウンドタイプに近い楕円形となっていた。

 修一郎の世界での眼鏡のように、軽量で耐衝撃性に優れているわけでもなく、パッドやモダン部分が幾分野暮ったく見えるものの、実用には充分であり、早速着用した二人は文字通り見違えた世界に、驚きと喜びの声を上げた後、感謝の声をレベックに浴びせる。

 あまりの嬉しさに修一郎が、眼鏡をかけたソーンリヴを見て「可愛く見えますね」とうっかり思ったことをそのまま口にしてしまい、


「今まではそうではなかったと言いたいわけか?」


 と、詰め寄られて平謝りする場面も見られた。

 そんな二人の反応に満足したレベックは、上機嫌で工房へと帰ろうとしたが、あることに思い当たったようで、修一郎に声をかける。


「シュウイチロウ。

 この後、まず間違いなく起こることについてじゃがな、メガネの製作はウチではやらず、バランダのとこに任せようと思うとる」


 突然の言葉に老細工師の真意を測りかねたのか、怪訝な表情を浮かべる修一郎に、レベックが説明する。


「お前さんとこのマリボーのことじゃ。

 どうせ“それ”も商品として取り扱わせろと言い出すじゃろう。

 じゃが、ウチの工房は従来の仕事に加えて、ライターの製作も始めておるので、とてもじゃないが人手が足らん。

 新たに雇おうにも、工房が狭うてこれ以上はどうにもならんしの。

 その点、バランダの奴は腕も確かじゃし、何より金属の扱いに長けたドワーフ族だけでやっておる工房じゃ。

 あそこなら、充分満足のいく品を作ることができるじゃろう。

 あ奴はガラスの加工方法も習得しとるしの。

 わしからも言うておくが、シュウイチロウ、お前もマリボーが動く前に、顔見せして説明しておくんじゃな。

 バランダは、ちぃとばかし偏屈じゃからのう」


 笑いながらそう言うと、レベックは「また飯でも食おう」と言い残し去っていった。

 確かに、ライターに比べると眼鏡の需要は相当数あるように思われる。

 怪我や病気で一時的に悪化した視力は、医術士や調薬士で治療・回復は可能だ。

 しかし、普段の生活の中で徐々に悪化或いは低下していった視力は、魔法でも薬でも回復できない。

 精々が目を酷使しないように努め、目に良い食生活を送ることで僅かに回復させるか、それ以上の悪化を防ぐくらいだ。

 また、眼鏡自体がこの大陸では未だ作られておらず、尚且つ実用的な品物であれば、目新しい物好きのマリボーが飛び付かないわけがない。

 それについては予想していた修一郎ではあったが、レベックが製作を辞退することには思い至っていなかった。


「レベックさんの言うとおりだな。これ以上あのヒトに負担をかけるわけにもいかないだろう。

 バランダというドワーフとは面識はないが、工房の場所は知っている。

 後で場所を教えてやるから、昼の休憩時間にでも行って来い」


 幸い、マリボーは今朝から商人組合の会合で、商館に出向いており、店に戻るのは夕方だと告げられていた。

 商館はロントラールとも呼ばれ、商人組合が経営する商工会議所のような施設である。

 大中小三つの会議室があり、アーセナクトの商人が話し合いをする際に利用されている。

 他に、客の希望する商人の紹介や、営業許可証・露店許可証の発行、開業に関する様々なサポート業務なども行っている。

 修一郎の世界で使われている“商館”とは意味合いも機能も違う。


「そうですね……。

 バランダさんという方が、どのような人物かは知りませんが、なんとか交渉してきます」


 もしかしなくても、既に事務員というより仕入れの職掌ではないだろうかと思いつつ、修一郎はため息を吐いた。






 結果から言うと、修一郎の交渉はなんとか上手く進めることができた。


 商業地区の職人通りから少し外れた場所に、バランダの工房はある。

 全体的に黒く煤けたようなレンガ造りの一軒家は、レベックの工房の倍ほどある大きさだった。

 入口の上には、鎧と剣を象った看板が打ち付けられ、壁際には水で満たされた巨大な樽が四つほど置かれている。

 専門的に火を扱う工房に義務付けられた消火用の水だ。

 少し屈まなければ頭をぶつけてしまいそうな入口の扉を開けると、中から熱気が勢い良く吹き付けてくる。

 それと共に、金属を鎚で叩く音が、修一郎の鼓膜を容赦なく攻め立てた。

 開けられた扉の向こうに、人影があるのに気付いたドワーフ族の壮年の男性が、ぶっきらぼうな声を投げかける。


「なんだ、オメェは」


 焦げ茶色の髪に、同じ色の瞳。

 太い眉毛の下にある大きな目から、相手を値踏みするような視線が修一郎に突き刺さる。

 鼻はレベックほどではないが人間族にくらべると大きく、所謂団子鼻で、鼻の下には立派な髭を蓄えていた。

 修一郎の三分の二程度しかない身長だが、体の厚みは修一郎の倍はありそうだ。

 着ている服は、厚手の木綿で作られたくすんだ白の上下一体型の作業着で、飛び散る火花によって所々に小さな焦げ穴が開いていた。

 手には分厚い皮製の手袋をはめており、右手には大ぶりな金槌を持ったままだ。


「お仕事中、失礼します。

 私は、マリボー商店に勤めているシュウイチロウ・ヤスキという者です。

 レベックさんの紹介で、こちらに伺ったのですが、バランダさんはどちらにいらっしゃいますか」


 出来るだけ丁寧に喋る修一郎に、目の前のドワーフ族が声を上げる。


「俺がそのバランダだ。

 レベックのジジイから話は聞いてる。

 なんでも新しいモンを作れってことらしいな」


「はい。拡大鏡を改良した物で、“メガネ”という、身に付けて使う品物です。

 目の悪い方や、視力が低下した方を補助するための道具なのですが、それを作っていただきたいのです」


 真剣な表情で説明する修一郎に、耳を傾けていたバランダが言葉を発する。


「確かに俺は、ガラスを弄くる方法は知ってる。だが、それは俺の本業じゃねぇ。

 俺の本業は、見てのとおり武器と鎧の製作だ。

 修理もやるがな」


 言われて室内を見回してみると、壁際に完成したばかりであろう、剣や斧が置かれており、その横には見事な板金鎧が、腕のない木製人形に着せかけられていた。

 バランダの背後では、ドワーフ族の職人が真っ赤に灼けた鉄を金槌で叩いて剣の形に延ばしている。


「そのようですね。

 私どもが必要としているのは、硬さと弾力性双方を持ち合わせた鋼製の枠棒を自在に加工できる技術と、ガラス板に凹凸の変化を付けることが出来る技術を持つ職人です。

 レベックさんからは、貴方がそうであると聞いています。

 不躾なお願いであることは承知しています。

 ですが、どうか引き受けていただけませんでしょうか」


「……ふん。その“メガネ”とやらは持ってきてるのか」


 修一郎の言葉に暫し考えて、バランダが現物を見せろと要求した。


「はい。こちらにあります」


 修一郎から手渡された眼鏡を細部にわたって確認しながら、バランダが口を開いた。


「枠棒に関しちゃまだまだだ。ま、あのジジイは木や石が専門だからな。

 だが、このガラス板の加工は俺でも難しいかも知れん」


 現物を見て、即座にそれが難しいと分かる程度には、このドワーフ族は知識も技術も習得しているのだろう。


「……無理でしょうか?」


 恐る恐る訊ねる修一郎に、バランダの太い眉が跳ね上がる。


「無理だと?

 オメェ、誰に向かって口きいてやがんだ!

 俺は難しいと言っただけで、無理とは一言も言ってねぇぞ」


 元々、ドワーフ族は嘘や怠惰を嫌い、技術の吸収に貪欲であり、労働に美徳を感じる種族である。

 また、頑固であったり偏屈な性格の者も多い。

 そして、それ以上に負けず嫌いでもあった。

 ドワーフ族全体が、バランダのような職人であるわけではない。

 なかには、探鉱者や警護団で生計を立てている者もおり、戦いの場に身を置く者も居る。

 そういった者は、自らの技術を磨き、日々錬成に明け暮れ、戦いに勝利することに喜びを覚える。

 ドワーフ族の性格を意識して言ったわけではないのだが、修一郎の言葉に、バランダの職人としての負けず嫌いの性質が刺激されたらしい。


「いいだろう!やってやろうじゃねぇか。

 ただし、俺の本業は飽くまでも武具製造だ。

 コイツの製作は片手間ってことになるが、それでもいいんだな?」


「週にいくつ作ることができますか?」


「二つ……いや、一つだな」


「最低五つは確保していただきたいのですが」


「あぁん?オメェ、俺の話を聞いてなかったのか!?

 こっちは片手間でしか作らねぇと言ったんだ!」


「いえ、ちゃんとお聞きしていました。

 技術的なことに関しては、私は門外漢ですから、こちらの要求する仕様を満たしていただければ、何も言うことはありません。

 しかし、バランダさんは先ほど、やると仰いました。

 ならば、これ以降は取引の話になります。

 商売に携わる者として、お互いの利益に関することですから、こちらも妥協するわけには参りません」


 ついさっきまでの、低姿勢とも取れる態度を一変させ、修一郎はバランダの目を見て決然とした口調で告げる。


「……俺の気が変わって、断られるとは考えねぇのか」


 バランダの声が低くなった。


「勿論考慮したうえです。

 ですが、バランダさんの考えが変わるとも思えません。

 メガネは私が発明したものではありませんが、私の居た世界では非常に多くの人が、メガネがあることで日々の生活に支障をきたすことなく暮らせていました。

 世界は違いますが、こちらでも多くの人が視力の悪化や低下に悩まされています。

 現に、私や私の知人にもそういう方が居ます。

 別に慈善活動を行って欲しいと言っているわけではありません。

 それだけの需要があれば、相当の利益が見込めるということですから」


 一気にそこまで言って、修一郎は口を噤む。

 跳ね上げた眉はそのままで、黙って修一郎の言葉を聴いていたバランダが、暫くして口を開く。


「オメェが異世界人だって話は、どうやら本当のことらしいな。

 本来のメガネは、こんな粗末なモンじゃねぇんだろ?

 オメェの世界は、相当技術が進んだとこなんだな……」


 手にしていたメガネを修一郎に戻すと、バランダは観念したように大きく息を吐いた。


「分かった。週五つで引き受けよう。

 どうせ卸し価格やら何やらに関しては、マリボーの野郎が出張って来やがるんだろう?

 マリボーの野郎もオメェもいけ好かねぇが、適当に話付けといてやる」


「そうですか。ありがとうございます。

 これで安心して店に戻れますよ」


 肩の荷が下りたとばかりに、気の抜けたような表情を浮かべる修一郎に、バランダが口ひげを震わせながら笑う。


「そういう顔は、相手が居ないところでするもんだ。

 ところで、メガネについてだが、こっちでも色々研究させてもらうが、構わんな?

 オメェの世界のメガネとまでは行かないだろうが、まだまだ改良の余地はありそうだ」


「ええ。それは構いませんよ。

 それどころか、こちらからお願いしたいくらいです。

 ただ、仕様の変更があった場合には、こちらに知らせてください」


「当たり前だ。

 それと、これからはこういったモンを作ろうとする時は、真っ先に俺んとこに来い。

 レベックのジジイに先を越されちまったのが、どうにも面白くねぇ」


 バランダの機嫌が悪かったのは、それが一因でもあるのだろう。

 知識を含めた技術の習得に貪欲なドワーフ族らしい反応だ。

 工房の主人は、作業着の尻ポケットから半ば潰れた葉巻を取り出して咥えると、近くの炉に突っ込んであった火掻棒で火をつけた。




 翌日、バランダと盛大な罵りあいと呼んでもよい交渉をしながらも、なんとか商談を成立させたマリボーは、上機嫌で店頭の陳列棚に並べられた見本のメガネを眺めていた。

 ウチの店に、目玉商品が一つ増えたと言いながら。




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