表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
街の事務員の日常  作者: 滝田TE
街の事務員の日常
4/39

第四話 友人の想い


 フォーンロシェを伴って従業員用出入口から店の裏手に出た修一郎は、店のレンガ壁に背中をもたせかけて大きく息を吐いた。

 既に昼の休憩時間は終わっており、目の前の石畳を、荷を積んだ馬車が大きな音をたてて通り過ぎていく。

 太陽は中天にあるが、陽射しは夏のように照り付けるものではなく、控え目に降り注ぐといった表現が適切に思えた。


 アルタスリーア王国は、アルベロテス大陸の南東部を占める大陸中二番目に大きな国だ。

 北は大陸一の国土を有するバンルーガ王国に接し、西は『遺跡の国』の別名を持つルザル王国に接している。

 南西部には大陸中最も狭い国土のウヴェンナッハ王国がある。

 国土の形状としては、北に長く南が短い、少し歪なひし形をしていた。

 北西の長辺の大半をバンルーガ、残りの長辺と南西の短辺の一部をルザル、残りをウヴェンナッハと、大陸に存在する他三国全てと国境を持っている形になる。

 それ以外の方角は海に面しており、北東、東、南東に広がる海を東大海、南に広がる海を南大海と呼ぶ。

 修一郎の世界で言う緯度で比較すると、日本よりはやや北に位置する。

 フランス北部やオーストリアあたりが近いが、二つの大海に流れる海流の影響によって、アルタスリーアは日本に近い気候になっている。

 春には花が咲き緑が芽吹き、夏には強い陽射しで草木が青々と茂り、秋には広葉樹が山を赤に黄に染め、そして冬には雪が国土の大半に白い化粧を施す。

 今は、秋から冬に移りかけの季節だ。

 日中はやや涼しすぎるきらいがあるものの過ごしやすく、夜は冬になったかのように寒い。


 修一郎の昼食を強奪して、その胃に収めたフォーンロシェは満足そうな顔で「ごちそーさまでした」と手を合わせる。

 修一郎から教わった向こうの世界の風習だ。

 猛抗議を上げる自らの腹の虫を気にしないようにしながら、いつもより深い笑顔で修一郎は旧知の女性に話し掛ける。


「しかし驚きましたよ、ロシェ。この街に来ているなんて。

 三年ぶりですか?」


「直前に受けてた依頼が、ティタデラ城砦までの隊商護衛だったからね。

 アーセナクトに修一郎がいるって噂は聞いてたから、会いたくなってついでに寄ってみたの。

 って、もう三年経つんだっけ?はっやいなー」


 サンドイッチを包んでいた緑の葉を綺麗に折り畳んで、腰のポーチに入れていたフォーンロシェが答える。


「ついでと言うには、結構離れてませんか?

 ここへは馬車で?」


 ティタデラ城砦は、かつてこの大陸で起こった“大戦”時に築かれた砦である。

 周囲を二重の城壁と広く深い堀に囲まれた、正確には城塞都市であり、アーセナクトから馬車で五日、国境都市ゴステーアから馬車で二日の距離にある。

 アーセナクトとゴステーアの中間というには、ゴステーア寄りだが、それでも一般的にはアーセナクトとゴステーアを結ぶ公路の中継地点という認識は強い。


「ううん。徒歩で来たわよ?

 途中、お金になりそうな物も色々手に入れながらね」


 そう言って、軽くウィンクするフォーンロシェは、やはりどこか幼く見えた。

 ティタデラ城砦から徒歩でここまで来たとなると、二十五日前後は要しているはずだ。

 ついでに寄ってみたと軽く言える距離ではない。

 となれば、アーセナクトに何かしらの用事があったということなのだろう。

 或いは本当に修一郎に会いに来たのか。


「そう言って貰えるのは嬉しいのですが、本当の用件は別にあるのでしょう?」


 何とはなしに石畳を見つめていた視線をフォーンロシェに移して、尋ねる。


「う……」


 あっさりと真意を見抜かれて、言葉に詰まるフォーンロシェに心の中で苦笑しながらも、修一郎は


「でも、嬉しかったですよ」


 と、柔らかな笑顔で告げた。

 どうやら店の荷卸し場では、王都アーオノシュよりさらに東に位置する、農業都市ナダルヌから届いた香油や香木の搬入が始まったようである。

 ゼリガが部下に指示する大きな声が、ここまで響いていた。


「で、でも。まさか修一郎がこんな所で働いてたなんて思わなかったわ。

 てっきり、小さい商店でも構えて上手くやってるだろうとばかり……」


 傍目で見ても強引と分かるほど話題を変えながら、フォーンロシェは修一郎の現状に言及する。


「慣れない者が店を持ったところで、上手くやっていけませんよ。

 行商人と違って、地に足をつけた商売をしなければなりませんし、周囲の競争店との商売上の駆け引きもあります。

 子供の頃から修行を積んだ生粋の商人相手には、私のような付け焼刃では到底太刀打ちできません」


 自分の店を持つ商人も、各地を廻る行商人も、商売における基本的スタンスは同じである。

 客が求めているものを的確に判断し、仕入れ、販売する。その仕入先とも交渉し、少しでも仕入価格を下げさせたり自分に有利な条件を飲ませることに腐心する。商売敵の動向を探りその先手を打つ。もちろん、それをやり過ぎれば表に裏に制裁を食らう羽目になる。

 そういったことは変わらないのだが、店を持った商人は、拠点となる“店”があることで、他人を雇うことができる。

 他人を雇えば、それまでほぼ一人で行っていた情報収集や仕入れ交渉、決まった流通ルートの確保、接客、売上金の管理などを分担させることができるのだ。

 比べて行商人は、大半が一人ないし二人程度で行動し、行く先々で商品の売買はもちろん、仕入れ交渉や情報収集を行わなければならない。

 流通ルートの確保に関しては、そもそも行商人自らが赴くことが当たり前なので問題はないのだが、とある都市で仕入れた品物が、次の街に到着するまでに価値の変動が起こり原価割れを起すといったリスクがある。

 簡単に言うなら、単に自分よりも早く他の行商人が目的の街に到着し、同じ商品を売り捌いて、自分が街に着いた頃には、客に見向きもされなかったり、安く買い叩かれる場合もあるということだ。

 特定の仕入先と販売先を確保した行商人が、その有利さを生かすために都市や町に店を構えるようになることがままあるのは、そういったリスクを嫌ってのことが多い。


「修一郎なら、そのあたりも上手くやっていけそうな気もするんだけどなぁ」


 それでも何やら言いたそうなフォーンロシェに、修一郎は笑みを消さないまま続けた。


「この世界に来る前も、同じような所で事務員をやってましたからね。

 多少の違いがあるとは言え、以前やってた仕事ですし、すぐに慣れることができましたから結果的にはこの仕事で良かったと思っていますよ。

 ……コタールさんからも色々叩き込まれましたし」


 その名前に、フォーンロシェは僅かに眉を顰めて修一郎の顔を見るが、修一郎の表情は変わっていない。ように見える。

 だが、女冒険者はその変化に気づいていた。

 冬が終わる直前の陽射しのように、頼りなげなそれでいて柔らかい、修一郎の特徴とも言える微笑が、強引に顔に貼り付けたように見えて、彼の内心を覆い隠しているように感じられる。

 やはり言うしかないのか、そう心の中で大きくため息を吐いたフォーンロシェは、暫し逡巡した後、その一言を告げた。

 口調も今までとは違うものになっている。


「ティタデラ城砦に行く前にね、王都に寄ったの」


 その言葉に、修一郎の表情が僅かに揺れる。


「そうですか」


 その一言を発すると、雲一つない秋の空を見上げる修一郎。

 また一台、修一郎たちの目の前を積荷を満載した荷馬車が通り過ぎていく。


「そういえば、ロシェはこの街にしばらく居るんですか?

 ロシェが居るということは“彼”も居るのでしょう?」


 いつもの笑顔に戻って明るい声で、今度は向こうから話題を変えてきた修一郎に、彼女も乗ることにしたようだ。


「そうね。それなりにお金も貯まったし、一週間くらいは滞在するつもり。

 ここに来る道中、売れる物もそこそこ手に入ったしね。

 今はそれを“アイツ”に売りに行かせてるのよ」


 そう言って、修一郎の横に並び、同じように壁に背中をもたせかけるフォーンロシェ。

 短い沈黙が二人の間を流れるが、フォーンロシェがそれを破る。


「それで、どう?今の生活は楽しい?」


 言われて横を見ると、修一郎を案じている色を浮かべた瞳が目に飛び込んでくる。

 お互い不自然なまでの話題の転換に加え、先ほどと同じような質問なのだが、修一郎は素直に答えることにした。


「ええ。毎日楽しくやってますよ。

 この店の先輩方や街の方々にも親切にしてもらってますし」


「そうみたいね」


 笑って答える修一郎の表情に、嘘はないのだろうと感じたフォーンロシェは、安心したような、寂しいような複雑な表情を見せた。


「この街に、永住する気なの?」


 何の気なしにという体を装って発したそれは、先ほどはぼかしていた質問を直截的にしたものであり、フォーンロシェが二番目に訊きたかった質問。

 かつて、修一郎が属する隊商を護衛しながら大陸中を旅したことは、フォーンロシェに取って忘れられない思い出となっている。

 楽しくて苦い、そんな思い出である。


「……まだ、決めかねています。

 けれど、ここに腰を落ち着けてもいいかも知れない、とも思っています」


 それが修一郎の隠さない本音だった。

 先ほど作ったばかりの笑顔は消えている。

 フォーンロシェも笑顔を消して、ぽつりと呟く。


「……王都で、クレルミロン夫人に会ったよ」


「……いつ頃ですか?」


「ん。半年前」


「ハーベラさんは?」


「幸せそうだった」


「お子さんは?」


「四人とも元気だったよ。上の三人は成人して、騎士と警護団員と医術士になってた。四人目は学校に通ってるって」


「そうですか……」


 フォーンロシェは、修一郎が安堵の息を漏らした音を確かに聴いた。


「会いに……行ってあげないの?」


 躊躇いながらも発したその言葉こそ、彼女が一番訊きたかった問いだった。

 それは以前にも修一郎に投げ掛けた問いであったが、その時の答えはいつも拒絶だった。

 訊ねるたびに、修一郎の顔から表情が消える。いや、微かに表情は読み取れる。

 しかし、それは後悔や怒り、悲しみといった負の感情が、極々僅かに分かるだけで、前向きな感情が表に出ることはなかった。

 そんな表情を見るのが嫌で、その問いを修一郎に投げつけることに、フォーンロシェは少なからぬ勇気を必要とした。

 だが、彼女たちがアーセナクトを訪れたのは、このことを告げるのが目的だったのだ。


「彼女も会いたいって」


 それが、クレルミロン夫人の依頼。

 旧姓ハーベラ・アペンツェル、コタール・アペンツェルの妻であった女性だ。

 ハーベラ・クレルミロン夫人の依頼は、修一郎に自分の現状と、再会したい旨の伝言、そしてそれに対する返答を持ち帰ること。

 期限は決められていなかった。

 依頼の半分を果たしたフォーンロシェは、黙って修一郎の返答を待つ。


「そうですね……。できれば、もう少し時間をいただきたいところです」


 いつもの口調に戻った修一郎の表情は、笑顔こそなかったものの固さは消えていた。


「ですが、そう遠くないうちに会いに行きますよ」


「え……?」


 半ば色よい返事を諦めていたフォーンロシェは、驚きを込めて修一郎を見つめる。


「もちろん、今すぐというわけにはいきません。

 この仕事に就いてまだ二ヶ月しか経っていませんし、漸く街での生活にも慣れてきたところですから。

 ですが……そうですね、来年の春あたりに時間が取れれば、王都に遊びに行きますよ」


「……本当?」


「ええ」


「その場凌ぎの返事とかじゃない?」


「誓ってもいいですよ」


「ありがとう、修一郎!」


 目尻に涙を光らせながら礼を言うフォーンロシェに、修一郎は慈しみを込めた笑顔で告げる。


「お礼を言うのはこちらですよ、ロシェ。

 ありがとう。ハーベラさんや私を気遣ってくれて」


「ううん!そんなことない!本当に嬉しいんだよ、私!」


 修一郎に向き直り、両の拳を胸の前で握り締めて喜びを力説するフォーンロシェは、今にも修一郎に抱き付きそうだ。


「では、ハーベラさんにはそのように伝えておいてください。

 そろそろ私は仕事に戻らなくてはいけません。

 怖い先輩が牙を研いで待ち受けているでしょうからね」


 少しおどけて言う修一郎に、小さく笑い返しながら「あの人怖そうだもんね」とフォーンロシェは応じた。

 今までの張り詰めた雰囲気はなく、事務室で再会した時のように幼さを感じさせる言動に戻っている。


「一週間ほどこの街にいるなら、また夜にでも一緒に食事をしましょう。

 もちろん“彼”も交えてね」


 そう言いながら、逗留する宿の名前をフォーンロシェから教えて貰うと、修一郎は店の中へと入っていった。

 依頼としても、個人的感情からしても、最高に近い結果を得られた黒髪の女冒険者は跳ねる様な足取りで、パートナーの待つ広場へと消えて行く。

 そして、事務室に戻った修一郎が見たのは、今まさにサンドイッチの最後の一片を食べようと口を開けたソーンリヴの姿だった。






 フォーンロシェが修一郎を訪ねてから三日。

 いつもの通り仕事を終え、いつもの面子でプレルの店に来ていた修一郎は、フォーンロシェの襲撃を受けた。

 店にやってきたその女冒険者は既に出来上がっているようで、初対面のはずのゼリガやクローフルテに、古くからの友人のように馴れ馴れしく接し、二人の目を白黒させている様は、正しく襲撃という言葉が相応しい。

 あまり騒がしくすると店を追い出されるかも知れないな、と考えながら、修一郎は彼女の連れに一応確認しておく。


「ロシェにお酒を飲ませたんですか?」


 問われた相手は、疲れた口調で謝罪を口にした。


「すまん。いつの間にか勝手に注文されていたのだ」


「はぁ……。ロシェを止めるのは貴方の仕事でしょう?グラナ」


「返す言葉もない」


 そう言って大きな体を小さくしているのは、狼人族の男性だった。

 青みのかかった灰色の毛皮に包まれた体は、同席しているゼリガより一回り大きく、腕などはちょっとした丸太のような太さがある。

 体つきは犬人族や猫人族同様、人間族と同じだが、首の上には狼の頭部があり、耳は正に叱られている犬のように伏せられていた。

 武器こそ佩いてないものの、上半身は部分部分を鋼板で補強された皮鎧を着込み、下半身は冒険者が愛用する厚手の皮のズボンに鉄靴を履いている。

 皮のズボンの尻には穴が開けられており、そこから尻尾が覗いているのだが、今は耳同様に小さく萎れたままである。

 彼の座る椅子の横には円形の盾と背嚢が置かれており、冒険者の完全武装に近い状態だ。


「とりあえず。ロシェは、これ以上、お酒を飲んでは、いけませんからね?」


 一言一言噛み締めるように言う修一郎に、当の本人は「はーい」などと呑気に答えている。


「すみません、ゼリガさん、クローフルテ・マイヤックさん。

 この二人は、私の古い友人なんです。

 彼女のほうは、ちょっとお酒が入っていて騒がしくなるかも知れませんが、大目に見てあげてください」


 そう言って謝る修一郎に合わせて、グラナも頭を下げる。


「迷惑をかける」


 そんな二人を見て、ゼリガとクローフルテは慌てていた。

 特に狼人族に頭を下げられた犬人族のゼリガの慌て様は、普段見たことがないものだった。


「いえ。私は気にしていませんので、お気になさらず」


「あ、ああ!お、俺も気にしちゃいね……していませんから、頭を上げてくれ……ください」


「ゼリガ殿。俺は狼人族の中でも変わり者と呼ばれている。種族間の因習は気にしなくていい」


 ゼリガとグラナの遣り取りは、この世界では珍しいものと言える。

 数ある獣人族において、その中に上位種族と呼ばれる者たちがいる。

 犬人族に対して狼人族がそうであり、猫人族に対して虎人族がそうであるように。

 獅子人族に関しては、滅多に都市や街といった雑多な種族が暮らす場所に姿を現すことがないため、他種族との関係は良く分かっていないが、上位種族に位置することだけは確かなようだ。

 そして、その上位種族は自らの下位種族に対して、服従に近い態度を要求することで知られている。

 他種族に対しても、あまり変わらず友好的と言うよりも尊大な態度で接する者も多い。

 一般的には、今回のように犬人族と狼人族が同じテーブルにつくことはなく、もしそのような事態になった時は、犬人族が席を譲るのが常であった。

 クローフルテもそれを知っているので、グラナの態度にかなり驚いている。

 表情は然程変わってはいなかったが。


「わ、わかった。とにかく頭を上げてくれ。

 あと、俺のことは呼び捨てで構わねぇからよ、グラナ……さん」


「そうか。では、俺のことも呼び捨てで構わん。

 それに、俺は冒険者だ。堅苦しい会話は苦手だ」


 そう言うグラナの口調自体、ゼリガや修一郎からすると堅苦しいと感じられるのだが、これは本人の普段の言葉遣いであった。

 だが、同僚にイルーという、似たような喋り方をする者がいるため、彼と接する時と同じようにすればいいかとゼリガは思うことにした。


「そぉよぉー。あたしたちはぁ、ぼーけんしゃなんだからー。

 もぉっと気楽に喋ればいいのよー」


 ゼリガとグラナの会話を聞いていたフォーンロシェが、やや呂律の怪しくなった口調で割り込んでくる。


「だぁーいたい、そぉんなこと言ってたらぁー、あたしなんてぇ人間族とぉ狼人族とぉー、おまけにエルフ族の混血ぅーなんだしー。

 誰に対してぇ、態度を変えるとかー、めーんどくさくてぇ、いちいち考えてらんないわよぉー」


 その言葉に、再びクローフルテとゼリガが驚愕する。


「えっ……!?」


「何ぃ!?」


 ゼリガのほぼ正面に座っているグラナが、隣に座る酔っ払った相方の後頭部を軽く叩く。


「馬鹿者。酔った勢いで自らの素性を簡単に明かすなと何度言えば分かる」


「いったぁーいっ!なぁにすんのよぉー」


 フォーンロシェの抗議を無視して、グラナはそれとなく周囲のテーブルを見渡す。

 修一郎たちは、今日は個室ではなくホールにある円テーブルに陣取っていた。当然、周囲には他の客も居る。

 しばらく観察して、こちらを窺うような客がいないことに安心すると、狼人族の冒険者は、再度三種族混血の女冒険者の頭を小突いた。

 長い鼻の先に少しだけ皺を寄せた渋い表情の狼人族と、「だぁってぇー」などとぼやいている人間族・狼人族・エルフ族の血を持つ外見は成人女性の、二人の旧友に顔を綻ばせる修一郎だった。




 この世界には様々な種族が居る。

 今でこそ、複数の種族が一つの都市や町、村といった共同体に属して暮らしているが、七百年前まではそういった事例は見られなかったことだ。

 人間族は人間族だけで集まって町を作り国を作り、犬人族は犬人族だけの集落で暮らす。

 それが当たり前であった。

 そして、それらの共同体の間では経済的、文化的な交流も皆無に近い状態であった。

 結果、当然のように相互理解の不足による偏見や差別意識が生まれ、小さな諍いが頻発していた。

 ある時、能力的には突出したものがないが、数で他種族を圧倒する人間族が、とある妖精族に対し戦いを仕掛けた。

 レプラコーンと呼ばれる大地と貴金属の妖精族で、そこそこの魔力を持つものの、種族全体での個体数も然程多くなく、戦闘に長けた種族でもなかったため、瞬く間に彼らは滅ぼされた。

 一説には、レプラコーンの固有技能である『金脈探知』に目をつけたある国の王が、欲に目を眩ませ兵を動かしたとも言われている。

 これが元になったのか、それ以降、大陸各地で決して小さくない戦闘が繰り広げられることとなった。

 種族間戦争。当初はそう呼ばれていた。

 しかし、その戦いは、当時アルベロテス大陸に存在していた人間族の国家間戦争へと発展する。

 自らよりも下位の存在であると思っている他種族への対応と、同族である人間族の他国家への対応。

 各々の国が、各々の国土に存在する獣人族や妖精族との戦と、隣接する人間族の国々との戦を同時に行うという、まともな思考を持っている者なら、まず選ばないであろう戦略を、何故か各国が採り続けており、泥沼状態であった。

 それに関与していたのが、今でも一部の心無い者が使う“異種混血”或いは単に“混血”と呼ばれる人々であった、と記録には書かれている。

 どのように関与していたのかは、各国の王族が保管している書物にしか残されていないため詳細は不明である。

 噂では様々なことが言われているが、現在まで真相は明らかにされていないし、今後もされることはないだろう。

 ともあれ、二十年に亘って続いた種族間戦争と国家間戦争によって、二つの人間族の国が消滅し、三種族の獣人族、五種族の妖精族が滅ぼされた。

 そして、長く続いた戦に疲弊した人々の意識が、戦争終結に向きはじめた頃、新たな火種が投下された。

 公にはそれまで沈黙して殆ど動きを見せなかった“教会”が、『聖戦』の大義名分を掲げ、異種族に攻撃を始めたのだ。

 “教会”によれば、この戦争を引き起こしたのは、獣人族や妖精族であり、彼らは人間族に害悪をもたらす存在でしかない。即ち、それは人間族を慈しみ護ってくださる神の敵であり、討ち滅ぼすべし。というものであった。

 一部の国では、既に異種族に対し和平を結ぶ準備を行っているところもあり、同様に隣国との終戦協定の下地を整えつつあるところもあった。

 既に、国が抱える兵の半数近くが戦争によって失われ、戦火によって国土が荒れ、国を支える一次産業、二次産業に従事する国民の数も激減している。

 そんな状態で、今更獣人族や妖精族と戦争を続けることは愚策でしかなく、到底許容できない。

 そう言って翻意を促す各国の王に、以前より力を付けてきていた“教会”は、頑なに継戦を主張した。

 当時の“教会”は、大陸全土の人間族に対して多大な影響力を有しており、王族ですら、“教会”からして見れば、多少力のある一信者でしかなかった。

 それまでも、その影響力で国政にまで口を出してきていた“教会”であったが、この戦を機に、さらに己が影響力を強めようと考えていることは、国王だけでなく、一般の国民ですら理解できた。

 統治者、民共に厭戦意識が高まっている中、狂った猿のように、獣人族を滅ぼせ!妖精族を消し去れ!と口角泡を飛ばして喚いていた、アルタスリーア国にいた司教が、“教会”の保有する兵を率いて王都から少し離れた森の中あった犬人族の集落を襲い、殺戮と略奪を行った。

 結果は、その集落の全滅であった。

 その集落には、既に国王の名前で和平を申し入れる旨の書簡が届けられており、族長からそれに応じる旨の返答を得た矢先の出来事だった。

 王に断りも入れず、独自に兵を動かし、首脳部が進めていた計画を台無しにした司教は、凱旋と称し王都に戻ると、自らの行いを神が望んだことだと声高に叫んだ。

 その司教を見て、当時のアルタスリーア王は、遂にある決断をした。

 大陸に存在する、大小七つに及ぶ人間族の国王、そして五十を超える獣人族と妖精族への統治者へ向けて、“教会”こそがこの戦争を拡大させた張本人であり、“教会”を打ち倒し大陸に平和をもたらすことが最優先であり、アルタスリーアはその尖兵となると、伝えたのだ。

 それが行き渡ると同時に、アルタスリーア王は自らが先頭に立ち、教会の最高位者である教皇を処刑した。

 教皇を補佐していた大司教や司教は捕縛し、抵抗する“教会”関係者はその場で斬り伏せ、国内の教会の無力化を一晩のうちにやり遂げることで、他の国家や種族へ行動を持って示し、“教会”に対しての宣戦布告とした。

 加えて、“教会”の教皇私室にて彼が不当に溜め込んでいた私財を押収・公表し、隠匿されていた過去十数年の資料から、“異種混血”を用いて、戦争の長期化を図っていたことも突き止め、これを国内に限らず大陸中の国家や各種族に公表した。

 これにより、各国及び各種族は、一つの敵のために手を結ぶことになり、執拗な抵抗を受けたものの、“教会”関係者は悉く死罪もしくは投獄されることになった。

 そして、捕縛した“教会”関係者を尋問していた兵士から、驚くべき事実がバンルーガ王の下に届けられた。

 “教会”が計画していたのは、二段階に分けられたもので、第一段階が、布教活動による人心の誘導、各国国内の有力者である信徒への協力依頼、獣人族や妖精族へ対する敵意の醸成といったものであり、第二段階が、いざ戦闘になった際には、戦場に魔獣を召喚し、さらに戦線の混乱を誘発させ、それを獣人族や妖精族が行ったことに仕立て上げるというものだった。

 魔獣とは魔力に負けて凶暴化した野生生物や、人工的に作られた生物、神話の時代から存在し周囲の者に被害をもたらす存在の総称だ。

 これを知ったバンルーガ王は、激怒し、国内の“教会”関係者全員を斬首刑とした。

 その後、バンルーガ王は、アルタスリーア王に対し、彼の意思に賛同する旨を伝え、彼と同じく国内の他種族の代表者へ向けて書簡を届けさせた。

 そうして、アルタスリーア、バンルーガと拡がっていった“教会”打倒の気運は大陸中に及び、終には彼らを滅ぼすことに表向きは成功した。

 ここに至るまで、実に四十年以上という長い年月を要したことに、戦いに加わった者たちは様々な感情を抱いた。

 “教会”が大陸中に広く深く根を拡げていたことに対する恐怖、一つの組織を壊滅させるのに要した時間に対する驚き、他種族が引き起こした戦で同族を失うことになった者たちの怒り、そして、未だどこかに“教会”関係者が潜んでいるのではないかという不安。

 ああいった輩は、どんなに虱潰しにしても必ず少数は生き残る。

 そういった者が起す行動は大体二つに一つだ。

 組織の再興を諦めるか、地下に潜って力を蓄えつつ再起の機会を窺うか。

 まず後者であろう、というのが戦後処理のためにウヴェンナッハの王城に集まった、各国の王と各種族の代表者・統治者の意見であった。

 そこでウヴェンナッハ王の提案がなされる。

 人々の心の拠り所として、神は……教会は必要である。

 だが、今回のようにまた力をつけられ国政に口出しされては困る。

 そこで、敬う神を変えることなく新しい教会を設立し、一切特別な権限を与えず、人々に奉仕させることにすればどうか。

 同時に、魔法院の機能を拡張し、それまで教会が一手に引き受けていた『明かり』や『発火』といった極初歩の魔法の指導や、医術に関する知識と技術、それに類する治癒魔法を、国と魔法院で共同管理してはどうかと。

 つまり、新しい教会の権限を最低限に止め、国の監視下に置いて迂闊な行動を起させないようにすれば良いのではないかと言うものだった。

 信仰の対象のみの教会であればよい。

 力を求めるのはかつての教会関係者のような輩であって、それ以外の者にとっては神を敬うための教会であればいいのだから。

 ウヴェンナッハ王の案に賛成したのは、その場に居た全員であったと伝えられている。

 そうして、様々な意味を込めて『大戦』と呼ばれる六十年に亘る、戦は終結を迎えた。

 その後、それぞれの代表が集まり、互いの共同体での人的遣り取りや交易、文化交流を頻繁に行うことに同意がなされることとなった。

 滅ぼされていない種族で、その場に出席していなかった種族には、『伝達』で予め説明し、後日各国の王が直接現地に赴き、改めて内容を伝えるという形をとった。

 ただ、大本の戦は、人間族側が一方的にレプラコーン族を虐殺したことが引き金であり、それが口火となって戦火が拡大することになったのも事実であるため、人間族から獣人族と妖精族へ正式に謝罪することとなった。

 また、“教会”に利用された立場の“異種混血”者に対し、戦争責任を問うことはせず、人間族を含めた他種族と同等に扱うことも定められた。

 そういった様々な事項を纏めて文章化されたものが“大陸憲章”と呼ばれ、当時の国王、各種族の代表者・統治者へと渡された。


 それから凡そ六百四十年。

 いくつかの国が平和的に統合され、いくつかの種族は大陸憲章に従うと誓約しつつ、他者の目を嫌うように森の奥深くや高山地域に移っていった。

 アルベロテス大陸には四国家しか残っていないが、その憲章は未だ守られ続けている。

 六百年以上の長い年月により、人々の意識は変化し、種族間のわだかまりはほぼ無くなったと言っていい。

 多くの都市や町、村に獣人族や妖精族が居を構え、ある者は商人に、ある者は警護団に、ある者は職人にと、様々な職業に就き、暮らしている。

 一般的な人々は、種族の違いなど殆ど気にしなくなり、中にはフォーンロシェの先祖のように異種族間で結ばれる者たちも居る。

 ただ、陽の下で普通に暮らしていても、地に落ちる影は消せないのと同様に、極稀に、“混血”に忌避感を持つ者が居ることは確かだ。

 一度は終結しかけた戦争を、さらに拡げる原因となった“混血”者というレッテルは、そう簡単に消せるものではないのかも知れない。

 それが、実は裏で旧“教会”が仕組んだことであり、“混血”者自身も被害者であるという事実を理解したうえでも、だ。

 単なる興味で見られるだけなら構わないが、酔いに任せて絡んで来たり、口にするのも憚られる言葉でいきなり斬りかかって来る者も居ないわけでもない。

 グラナが心配したのはそういった輩だった。


「大丈夫ですよ、グラナ。

 この食堂では、プレルさんが絶対者なんです。

 おかしな真似をする人は、即刻叩き出されてしまいますから」


 旧友を少しでも安心させようと、笑顔を浮かべたまま言う修一郎に、ゼリガが追従する。


「そうそう。ここじゃ盗賊だろうが冒険者だろうが騎士様だろうが、鬼のプレルに敵う奴ぁ居やしねぇからな!

 それにシューの友人なら俺の友人でもあるってことだ。

 いざとなりゃ盾くらいにゃなってやるさ!」


 そう言って豪快に笑うゼリガの横では、クローフルテも頷いている。


「頼もしいな。助かる」


 厳しい表情だったグラナが、緊張を解いたように相好を崩す。

 その直後、この食堂のヌシである猫人族の声が修一郎たちに投げかけられた。


「だぁれが絶対者で鬼だって?

 お望みどおり叩き出してあげようか?んん?」


 その言葉に、修一郎やゼリガはおろか、酔っ払っていたはずのフォーンロシェも背筋を伸ばし硬直した。

 心なしかグラナの姿勢も正されているように見える。

 ただ一人、いつもと変わらぬ無表情のクローフルテだけが、自分のコップに注がれたザクロのジュースを口に運んでいた。






「では、グラナ、ロシェ。

 ハーベラさん……クレルミロン夫人への伝言、お願いしますね」


 今、修一郎たちはアーセナクトの東口にある、路線馬車の停留所に居た。

 アルタスリーアの先々代国王の時代から計画・施工されてきた公路の整備と、各都市を結ぶ路線馬車の設置は、冒険者や行商人といった旅行者にとって非常に助かるものである。

 石畳で舗装された公路は、大雨が降っても通行可能であるよう排水にも配慮されたうえに、馬車の一日当たりの移動距離に合わせた地点には、修一郎の世界で言うところの宿場町のような集落が設けられ、王国が出資した宿屋と数軒の商店があって、路線馬車を利用すれば野宿や夜を徹して馬車を走らせる必要もない。

 徒歩で移動する者には、路線馬車と同様に、徒歩で一日辺り移動可能な距離ごとに、石造りの休憩施設が建てられ、徒歩の旅行者がそこまで辿り着ければ夜露をしのげるように考慮されていた。

 フォーンロシェたちが移動に路線馬車を選んだのは、一日でも早くクレルミロン夫人に、修一郎の返事を伝えるためであり、修一郎から依頼された仕事をこなすためでもあった。


「任せといて!ちゃんと伝えるから!」


 そう言って、やや小ぶりな胸をそらすフォーンロシェの横では、グラナが修一郎の依頼について確認している。


「ナダルヌで情報を集めて、可能であればそこで仕入れる。

 ナダルヌになければ、ダリンからイレ・マバル諸島に渡って、同様に情報収集。

 これで間違いないか?」


「はい。特徴は既にお伝えした通りですが、もし農産物商に訊いて該当するものがない時は、念のため街の調薬士や周辺の農家にも確認してみてください。

 流通には乗らず、現地で消費されている可能性もなくはないですから。

 それで見当たらないようでしたら、その地域にはないということでしょう。

 それと、イレ・マバル行きは無理しなくていいですからね?

 渡航費用もバカになりませんし、危険も伴うでしょうし」


「分かっている。無理はするつもりはない」


 穏やかな、それでいてしっかりとした意思を感じさせる眼差しで答える狼人族に、黒髪の相方が後からおぶさるように飛び付いて答える。

 正午を少し過ぎた、気持ちの良い青空の下、その長い黒髪が陽光を反射してきらきらと輝く。


「そっちも任せといてよ!しっかり見つけて来るからね!」


「ええ、期待してますよ」


 いつもの笑顔で旧友と言葉を交わしているうちに、路線馬車の御者が出発時刻であることを告げる。


「それでは、また」


「ああ、またな」


「それじゃあ修一郎、またね!」


 冒険者の別れの挨拶である「また会おう」という言葉で、三人は別れた。

 アーセナクトから王都アーオノシュまでは馬車で二日。

 アーオノシュに二、三日滞在して、アーオノシュから農業都市ナダルヌまで馬車で四日。

 ナダルヌで修一郎が探すモノが見つからなければ、アーオノシュまで戻ってダリン直行の馬車で三日半。

 ナダルヌで調査する日程を二日程度と考えれば、イレ・マバル諸島まで行かないと仮定して、二人がアーセナクトに戻ってくるまでは二十日前後かかるだろう。

 ダリンから出ている船でイレ・マバルまで渡って戻ってくるとなると、二ヶ月以上はかかるかも知れない。

 次に会うのは年明けになるかも知れないな、などと考えながら、修一郎は自分の職場であるマリボー商店へと戻っていった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ