余話・其の三 とある首飾りの魔法(中編)
頭を掴まれ強引に振り回されたような平衡感覚の喪失と、安酒を呑みすぎたような酩酊感が治まると、徐々に視界も安定してくる。
商業都市アーセナクトにある修一郎宅の居間に集まっていたはずの七人は、気付くと深い闇と木々に囲まれた場所に座り込んでいた。
七人の体だけが、そこに存在している。
つい先ほどまで座っていた椅子も、テーブルも、絨毯もない。
幸運なことに、彼らが身に着けていた衣服はそのままであったが。
以前に同様の体験をした修一郎と、持ち前の身体能力の高さのおかげで逸早く回復したグラナが、他の者の安否を確認する。
「メルレア、ルキーテ、大丈夫ですか!?」
「ロシェ、クローフルテ、ラローズ、無事か?」
全員が無事であることが分かると、修一郎は辺りを見回した。
見上げると、生い茂った葉の隙間から、星空が目に入る。アーセナクトに居た時は、大鐘三つに子鐘二つ(午後二時)を過ぎたあたりであったので、時間的におよそ半日ほど経過、或いは遡っているといったところか。
視線を地上に戻すと、木々を通して遠くに灯火の大きな集まりが見えた。
周囲の風景が一変していることから、何処かしらに転移したのは間違いないであろうが、その場所が問題である。
「……空気が違うな」
同じように周囲を見渡していたグラナが、警戒を解くことなく声を発した。
「みたいね」
「確かに、なんかおかしな臭いがするね」
その場にいた面子の中でも、グラナに次いで嗅覚の鋭いフォーンロシェとルキーテが同意する。
「言われてみれば……」
「この臭いは、嗅いだことがありません」
「僕もだ。でも何だろう、敢えて言うならどこか饐えたような感じの臭いというか……」
暗闇に目が慣れたのか、顔を僅かに上げて鼻を動かしている混血者と虎人族を真似るように、辺りの空気を嗅ぎながらソーンリヴとクローフルテも、口を開いた。
ラローズも料理人を目指すだけあって、自らの記憶にない臭いに戸惑っているようだ。
「強いて言えば、工業都市のアーラドルと似ているが、アーラドルの近辺ではないな」
木々の合間にちらつく灯火を見遣っていた狼人族が、己の所見を言う。
「向こうに見える、明らかに自然のものじゃない灯りの集まりは、少なくともアルベロテスでは目にしたことがない規模だ。
数十を超える“移動する灯り”なんてものも、見たことがない」
「…………」
既に、修一郎もグラナと同じ結論に達しているのだろう。無言のまま頷くと、続きを促すように旧知の冒険者を見つめる。
「俺たちが置かれた現状は、まず間違いなく首飾りの魔法によって、“何処か”に転移させられたのだろう。
そして、その首飾りに彫られていた修一郎の世界の言葉……確か、『愛しき我が家』とかいった意味だったな。
それらを考えれば、凡その見当はつく。修一郎、ここはお前の居た世界ではないのか?」
「おそらくは」
その応えを聞いて驚きの声を発する周りの者を他所に、修一郎は以前に経験したことを思い出していた。
学生時代、一度だけ修一郎は海外旅行なるものを体験したことがある。仲の良かった友人が景品で引き当てた、シンガポール四泊五日の旅だった。
その際、旅行から日本へと戻ってきたときの、空港で抱いた印象が、今回のそれと酷似しているのだ。
その国の持つ匂いとでも言うのだろうか。
日本を発つ際は意識していなかったが、シンガポールから戻ってきて日本の空港に降り立った時、「ああ、向こうとは匂いが違うなあ」と感じたものだ。
今、修一郎が抱いている感想と全く一緒であった。
故国を離れ、十年が経過していても、どうやら修一郎の脳は“その匂い”を覚えていたようだ。
「ここは私の生まれた国、『日本』のようです。それに、この景色には見覚えがあります」
向こうの世界の基準で子鐘一つ(約一時間)が過ぎた頃、団地のはずれにある雑木林から、三つの人影が姿を現した。
物陰に隠れるように、アスファルト敷きの道路の端を歩き、何やら小声で会話を交わしている。
二人は黒髪、もう一人は深い藍色の髪をした三人連れは、蒸し風呂のような気温の夜道を、やや足早で進んでいる。
アーセナクトでは既に秋の気配が漂っていたのだが、修一郎たちが転移してきた日本では未だ夏の盛りであるようだ。
この世界では、異世界人となるソーンリヴとフォーンロシェが、道中目にしたモノに関して色々と質問し、修一郎はそれに一つ一つ丁寧に答える。そうしながらも、不自然にならない程度に周囲に視線を巡らせて警戒していた。
元々は自分の生まれ故郷なのに、これではまるで犯罪者だな、と心中で苦笑を浮かべつつ。
もし、三人とすれ違う者がいたら、彼らが外国人だと思うに違いない。
イタリア語にフランス語とオランダ語を混ぜたような、聞き慣れない言葉……つまり、向こうの世界の大陸公用語で会話しているのだから。
加えて、彼らの服装である。
熱帯夜の日本の団地を、長袖服を着て歩いているというだけでも珍しいのに、その服は芝居か何かに使われそうな奇妙なデザインをしているのだ。
巡邏中の警察官にでも遭遇しようものなら、間違いなく職務質問されていただろう。
しかし、幸いなことに三人は道中誰とも出会うことなく、少しばかり迷いながらも目的の場所へと到着することが出来た。
『周りの景色は結構変わっていますが、間違いありません。ここが、私の生まれた家です』
三人の目の前には、周囲の家と然程変わらない外見と大きさの一戸建てが、夏の闇の中にひっそりと佇んでいる。
あの首飾りの魔法によるものか、実に都合よく、修一郎は彼の暮らしていた実家のすぐ近くに転移していたようだ。
家の前面に設けられたガレージ横の門柱を見ると、郵便ポストを兼ねた表札が填められており、確かに日本語で『安来』と書かれている。
『あれ?もしかして出掛けてるのかな……』
ガレージに車がないことに気付きながら、修一郎は玄関へと足を向けた。
玄関灯が点いていないので、本当に出掛けているのかも知れなかったが、とりあえず壁のドアチャイムのボタンを押してみる。
これで修一郎の両親が不在となれば、また色々と面倒なことになるのだが、幸いなことに、暫くすると中で人の動く気配がした。
消えていた玄関灯が、黄色い光を発しながら灯る。
「はい」
ややあって、扉の向こうから中年女性のものと思われる声が聞こえてきた。
十年ぶりに聞くその声は、間違いなく修一郎の母のものである。
「……あの、修一郎……だけど……」
最早、自分の耳で聞くことはないだろうと思っていた母の声に、修一郎の中で一気に様々な感情がこみ上げてくる。
言葉が詰まりそうになりながらも、修一郎は己の名前を口にした。
「…………」
扉の向こうからは、何の反応も返ってこない。
「母さん……?修一郎だけ……」
不安を覚えた修一郎が再び名乗ろうとするが、言い終えるより早く、玄関の鍵が慌しく鳴り、扉が勢い良く開けられた。
『修ちゃん、それ、本気なの?』
座敷に敷かれた座布団に座った修一郎の母が、“アルベロテス大陸の公用語”で息子に訊ねる。
長方形の大きめな座卓には、修一郎をはじめ、合流を果たしたグラナやクローフルテたち六人も座っていた。
当初は物珍しげに周囲を見回していたルキーテも、今は緊張した面持ちで修一郎を見つめている。
『うん』
答える修一郎の声は、表情と同じように真剣である。
修一郎を挟んで、彼の母の反対側に座るソーンリヴの顔からは、何の感情も読み取れない。
十二畳の座敷を、沈黙が包んでいた。
あの後、混乱しつつも息子の帰宅を涙ながらに喜んだ母を落ち着かせ、修一郎は雑木林に残してきたグラナたちを呼び寄せた。
修一郎はともかくとして、他の者たちとは言葉が通じないため、フォーンロシェが『意思疎通』の魔法を修一郎の母に試みてみたところ、運良くと言うべきか、都合良くと言うべきか、ともかく魔法は効果を発揮した。
そうして、修一郎を含めた七人は、座敷へと通された。
互いに自己紹介を終えると、母は修一郎に事情の説明を要求した。
当然だろう。十年前にいきなり行方不明となった息子が、突然戻ってきたのだ。しかも、見たこともないような姿の者たちを引き連れて。
修一郎は、「信じてもらえるか分からないけど」と前置きし、彼が体験したことをありのまま、母に語って聞かせた。
気が付いたら異世界に居たこと。
その世界は、人間以外に獣人族や妖精族といった、御伽噺の中でしか現れない種族が共存している世界であったこと。
そこは、こちらの世界ほど科学は発達していない代わりに、魔法という、それこそ童話や物語かと思われるような“力”が実際に存在していたこと。
しかし、何故か修一郎には魔法が使えず、向こうの世界の行商人夫婦の世話になりながらも、言葉や商人としてのノウハウを覚えていったこと。
彼らと別れてからは各地を旅し、商業都市の雑貨屋に職を得たこと。
その長い間に、ここに居ない者も含めて大勢のヒトたちと知り合い、良い関係を築いていること。
ひょんなことから、虎人族の少女を保護することとなり、今では家族となっていること。
なんとかその世界に溶け込みながら、職場で生涯の伴侶となるべき女性を見つけたこと。
自分の窮地を何度も救ってくれた冒険者が見つけてきた、修一郎と同じような立場の人間が遺した首飾りの魔法によって、再びこの世界に戻ってきたこと。
それらを出来るだけ噛み砕きつつ、簡潔に説明していったのである。
その話を黙って聞いていた母は、真剣な表情で語る息子を暫く見つめた後、
『大変だったのね』
とだけ、口にした。
しかし、そこには様々な感情が込められているのが察せられるものだった。
そして今度は母から、自分が失踪して以降のこちらの世界での話を聞いて、修一郎は衝撃を受けることになった。
修一郎が行方不明になり六年が経った頃、車を運転中の父が交通事故に巻き込まれて他界したと告げられたのだ。
安来家には子供が修一郎しか居なかったため、今は、この家に母一人で住んでいるという。
『一時は、この家を売り払ってしまおうかとも考えたのだけどね。いつか、修ちゃんが戻って来た時、ここが知らない人の家だったらびっくりするかな、と思っちゃって』
座敷の隅にある仏壇に向かって手を合わせている修一郎の背中に、努めて明るく振舞おうとする母の声が染み込んだ。
『………………』
無言で父の位牌を見上げる修一郎を、ソーンリヴたちはただ静かに見守るしかなかった。
仏壇や位牌といった品物は、当然ながら向こうの世界には存在しないが、修一郎が死者を悼んでいることくらいは、その場に居る者全員が理解していた。
修一郎の父が死んだのは、不幸な事故である。だが、修一郎自身も不幸な事故によって、異世界へと放り出されたのではないか。
誰かを責めることなど出来ない。それは分かっている。
しかし、事情を知る周囲の者たちは、やりきれない想いを抱かずには居られなかった。
当事者である修一郎や、彼の母の心中を思えば、尚更だろう。
そんな沈んだ空気の中、最初に口を開いたのはフォーンロシェだった。
『ねぇ、修一郎。あたし、喉渇いちゃった』
『なっ……!?』
隣に居たソーンリヴが、思わず声を上げた。
非常識と言えばあまりに非常識な混血の冒険者の言葉に、ソーンリヴの形相は見る間に険しくなる。
それは、普段言い争いをしている時のような、生易しいものではない。本気で激怒しているのが、誰の目にも分かるほどであった。
『お前は、こんな時に何を暢気なことを!』
見れば、ルキーテもラローズも、フォーンロシェを明らかに非難するような視線を発言者に向けていた。最近ではそうでもないが、あまり感情を表に出さないクローフルテさえも、眉を顰めているくらいだ。
『だって、あたしは生きてるもの。生きてれば、喉だって渇くし、お腹も空くわよ』
ソーンリヴの怒声を聞いてなお、フォーンロシェは平然とした口調で応じた。
『亡くなってしまったヒトを悼むことが出来るのは、生者だけよ。当たり前よね。
死者は生き返らない。起こってしまったことは、元に戻すことは出来ない。これも、当たり前のことでしょ?
あたしたちは万能じゃないんだもん。だったら、現実を受け止めて、精一杯生きていくしかないじゃない?
生きるためには、食べて、寝て、笑って、泣いて、そして時には悩んだり、悔やんだり……。そういった全てのことをこなさなきゃならないのよ』
表情こそ変わらなかったが、話しているうちに次第にフォーンロシェの語調は真剣なものに変わっていった。
それは、冒険者として数々の“死”を間近に見てきた彼女が辿り着いた、彼女なりの結論なのだろう。
『だからと言って……!』
薄々、フォーンロシェの言わんとしていることを理解しながらも、さらにソーンリヴが言い募ろうとしたとき。
『言われてみれば、私ったらお客様にお茶もお出していなかったわね。いやねぇ。きっと驚きすぎちゃったせいね』
明るい声で割って入ってきたのは、修一郎の母であった。
『修ちゃん、座布団出してちょうだい。聞いたところだと、あちらの世界では、日本みたいな家は珍しいのでしょう?
ちょうどお座敷に揃ってることだし、ここで皆さんに寛いでもらったらどうかしら』
そう言い残すと、母は台所へと消えていった。
修一郎は立ち上がると、仏前から離れて、押入れへと足を向ける。
その直前、自分の後ろに立ち尽くしていた仲間たちに、「大丈夫ですよ」と短く告げた。
ソーンリヴとルキーテは、修一郎について行くようにその場から離れ、ラローズとクローフルテは修一郎の母を手伝うべく二人して座敷から出て行った。
後に残されたグラナは、表情を消したまま動こうとしないフォーンロシェの肩に手を置いて、軽く頷いて見せた。
敢えて自ら無神経と罵られるような発言をしてまで、大切な友人とその母親を元気付けようとした彼女の真意を、相方の狼人族は察していたのだ。
それから十分後、八人が座敷に置かれた座卓を囲み、大陸公用語で世間話をする光景がそこにあった。
と言っても、主に発言するのは修一郎の母で、向こうの世界のことについて色々と質問し、修一郎たちがそれに答えるといった内容であったのだが。
修一郎の母は、先日六十二歳の誕生日を迎えたばかりだと言っていたが、本人自慢の黒髪は健在だった。以前、修一郎が見た夢での姿は、やはり自分の想像が作り上げたそれであったのだろうと、修一郎は安堵にも似た感想を抱いたものだ。
ただ、十年という年月は、母の顔にいくつもの小さな皺を刻んでいた。息子の失踪に続いて夫の死という、心身ともに多大な負担を強いる出来事があったからかも知れない。
それでもこの老年の女性は、持ち前の明るさか、それとも息子が帰ってきた嬉しさからか、笑顔を絶やすことなく、異世界の客人の話を興味津々といった様子で聞き入っていた。
そして、これからどうするのか、というこの場に居る者にとって最も重要な案件に話が及ぶ。
『母さん。俺は、出来るなら向こうの世界に“戻りたい”と思っているんだ』
修一郎が、そう切り出したのだった。
『…………』
修一郎の返事を聞いても、母は何も言わない。
座敷部屋に充満した沈黙は、相変わらずそこに淀んだままだ。
いい加減、そんな状態に耐え切れなくなったルキーテが、口を開こうとしたその時。
玄関のチャイムが、その電子音を響かせた。
『ちょっと、ごめんなさいね』
修一郎の母が、そう言って立ち上がり、玄関へ向かう。
その機会を待っていたように、それまで殆ど会話に参加していなかったクローフルテが口を開いた。
『しゅういちろうさんの言われた、向こうの世界に戻ることについてですが……。
首飾りを見るに、どうやらこの宝石は自ら魔力を蓄積させていく仕組みになっているようです。
こちらに転移したばかりの時に比べ、現在は半分程度輝きが戻ってきているように思われます』
そう言って、濃緑色の上着のポケットから、例の首飾りを取り出す。
雑木林から出る際に、修一郎から詳しいことが分からないかと頼まれ、預かっていたのだ。
修一郎を除いた六人の中で、最も魔法に精通し、高い魔力を有するのがエルフ族のクローフルテであったためでもある。
『それって、つまりもう暫く経ったら、また魔法が使えるってことかい?』
ラローズが、座卓に置かれた首飾りとクローフルテの顔を交互にを見つめながら問う。
『はい、おそらくは。ただ、その発動条件や効果に関してまでは分かりません。
異世界人にしか使えないのか、我々“向こうの世界”の住人にも使えるのか。そして、発動させたとして、こちらの世界に転移するだけの限定的なものなのか、使用者の故郷に無条件で転移できるものなのか。
こればかりは、試してみないと……』
恋人である人間族の男に、いつもの口調で応じながら、エルフ族の女は頷いた。
『それについては、我々で実際に使ってみるほかないだろうな。
……だが、修一郎。お前は、本当に向こうの世界に“戻る”つもりなのか?あれほど望んでいた、自分の世界へ帰ることが出来たのだぞ?』
座卓の端で、座布団の上に胡坐をかいていたグラナが、腕組みをしたまま、長身黒髪の人間族へと顔を向ける。その横では、フォーンロシェが何か言いたげな表情で、相方と同じく修一郎を見つめていた。
『ええ。向こうの世界にも、大勢の知り合いが出来ましたし、お世話にもなっています。
私は一度は覚悟を決めたのです。あの世界で、生きて行こうと。
今さら、幸運にも帰ることが出来たからと言って、その覚悟をなかったことにするつもりはありません』
それに、と、修一郎は続ける。
『何より、私には、皆さんが無事に元の世界に帰ることが出来るようにしなければならない、責任がありますしね』
確かに、一同をこの世界に連れてきてしまったのは、魔法の発動キーとも呼べる例の英語で書かれた一節を、迂闊にも修一郎が口にしたせいなのだ。
その責任は取らねばならないと、修一郎は考えていた。
『でも、せっかくお母さんに再会できたんでしょ!?もし、シュウイチローがあっちの世界に戻ってしまったら、また会えなくなるんだよ?
もしかしたら、二度と……!』
首飾りの魔法が、どれだけ使えるのかは分からない。魔力は徐々に回復しているようだが、ひょっとしたら、発動は一度きりなのかも知れない。
己の保護者の服を掴んで激しく揺さぶるルキーテの頭に手を置いた修一郎は、見慣れた柔和な笑みを浮かべて、
『その時は、その時です。それに、私は母に一つ提案をしてみようと思っています』
そう言いながら、諭すように被保護者の頭を優しく撫でた。
そして、心の中で「尤も、母がその提案を飲んでくれるかは分かりませんけどね」と密かに付け加える。
『ソーンリヴ、あんたはどうなのよ?』
座卓に着いてから、一切言葉を発しなかった深藍色の髪をした人間族に、フォーンロシェの問い掛けが突き刺さる。
『……私は……』
口篭るソーンリヴ。
しかし、そんな彼女をフォローするように、修一郎は普段よりもさらに慈しみを込めた視線で愛する人の瞳を見つめながら、きっぱりと告げた。
『ソーンリヴさん……いえ、メルレア。私は、貴女から離れるつもりも、貴女を離すつもりもありませんよ。
貴女が私を拒否しない限り、常に一緒に居たいと思っています。
そして、ルキーテ、グラナ、ロシェ、クローフルテさん、ラローズさん。それは、貴方がたも同様です。
私にとっては、皆さんが大切なヒトなのです』
『それは、お前の母よりも、か?』
グラナが短く問う。
『母と皆さんを比べることは出来ません。どちらも、私にとって大切な存在であるのには変わりはありませんから。
ですが、母は分かってくれると思います』
『…………』
口を噤んだまま、修一郎の発言を聞いているソーンリヴであったが、本心は涙が出そうになるくらい嬉しい。
しかし、彼女もまた、最愛の人の幸せを願っていることに変わりはない。
修一郎の幸せは、向こうの世界か、それとも彼が生まれ育ったこの世界か、何処にあるのだろうか。
自分がこうして当事者になることで、ソーンリヴは初めて修一郎が今までに味わってきた苦悩を、本当の意味で理解できたような気がしていた。