第三十一話 修一郎の抵抗
マリボー商店の二階にある応接室に、十人の人影があった。
人間族、エルフ族、犬人族、鳥人族と多種族が一室に集まっているのだが、その半数のうち何人かは拘束されて絨毯の敷かれた床に転がされており、意識を失っている者もいる。
その中で、縄で縛られておらず、意識も失っていない者の一人が口を開いた。
「さてさて。色々とお忙しいところ、皆さんに集まっていただいたのは、他でもありません。
一つ、お願いを聞いていただこうと思いましてね」
応接室に居る者の注目を集めるように、軽く手を打ち鳴らした男が気軽な口調で話し始める。
「聞くところによりますと、こちらの店主マリボーさんは私どもの申し出を拒否されたとか」
そこで一旦言葉を切って、リバロは大袈裟な仕草で首を振る。
「いけませんねぇ。実に、宜しくない」
演技だと分かっていても、我慢ならなかったのだろう。
後ろ手に縛られたマリボーが口を開いた。
「ふん!白々しい。何が申し出だ。
自分たちの言いなりになれと脅すのを、マゴール商店では申し出と言うのか」
交渉役として来ていた男を一睨みすると、マリボーはその視線を自店の従業員である人間族の男へと向ける。
「お前もロフォルの野郎の手先だったとはな。
奴からも俺からも給金を受け取って、さぞかしカネが貯まっただろう」
この店の主であるマリボーは今や縄で縛られ、客が座る二人掛けのソファーに修一郎と共に座らされている。 対して、本来店側の者が座るはずの一人掛けのアームチェア二脚には、相変わらず薄笑いを浮かべたままのリバロと、素性を隠してマリボー商店に潜入していた人間族の男が座っていた。
雇用者であるマリボーが皮肉を飛ばしたのは、被雇用者であったそのルードに対してである。
「まあ、それなりに」
答えるルードの声は殆ど抑揚のない平坦なものであり、そこからは強者の余裕や嘲りなどといった感情は窺えない。事実を淡々と述べているように感じられた。
隣に座るリバロと比べると、対照的と言って良い態度である。
「脅す、とはまた人聞きの悪いことを。こちらは合理的な提案をさせていただいただけですよ。
私どもの伝を使えば、今より安く品物を仕入れることも可能です。それに、明日取り交わされる魔法院との契約に関しても、我らが主の一声をもってすれば、医術士たちに渡す手数料を半分にまで落とさせることも出来る。
商売に携わる者にとって、これほど魅力的な提案はないと思いますがねぇ」
「その見返りに、売り上げの三分の一をマゴール商店に納めろという条件がなければな。
三分の一も取られれば、こちらの儲けはおろか、商品の仕入先にも負担を強いることになる。
生産者側に利益が行かないとなれば、取引に応じてくれる生産者なぞ居るはずなかろう。商人だけが利益を上げることを、商売とは言わん。
作り手、売り手、買い手の三者それぞれが満足できるように尽力するのが、真っ当な商売人の姿だ。
そこの男に、ついさっき教えてやったばかりだがな」
大袈裟な仕草と押し付けがましい物言いで、“申し出”の内容を語るリバロに対し、マリボーは己の信条をきっぱりと言い切ると、客として来ていた男を一瞥した。
「そのような理想論を馬鹿正直に実践しようとするから、マリボー商店はいつまで経っても中堅どまりなのさ」
交渉と、それが決裂した際には会談を引き延ばし、マリボー商店側の隙を作る役目を兼任していた人間族の中年男が、横から口を挟む。その口調は、明らかにマリボーを見下している者のそれであった。
「あぁ、貴方は黙っていてください。今は私とマリボーさんが話しているのですからねぇ」
リバロは仲間であるはずのその男に、冷たい視線を投げかけると、再びマリボーへと向き直って続ける。
「便宜を図る代わりに、代価を得る。商売として何らおかしいことはないと思いますがねぇ。
ですが、ご高説は確かに承りました。しかし、我らが主は、貴方とは違う考えをお持ちのようでしてね。
どうでしょう?もう一度、考え直していただくわけにはいきませんかねぇ」
「くどい。そんな一方的な条件が飲めるはずなかろう」
にべも無い態度で断るマリボーの眼光は、険しい。
「ふむ……。では、もう一つの提案はいかがです?」
「もう一つの提案だと?」
「ええ。我らが主は、交渉が決裂に終わることを見越して、代替案を用意しておりましてね。
ヤスキさん。貴方、この店からマゴール商店に移るつもりはありませんか?
無論、このような小さな店よりも遥かに厚遇することを約束する、と申しておりましたよ」
前半はマリボーに向かって、後半はマリボーの隣に座らされている修一郎に向かって、リバロが語り掛ける。
「…………」
口を噤んだまま何も喋らない修一郎に、ダメ押しとばかりにリバロは、さらに続けた。
「貴方が快く引き受けていただけたなら、ここにいらっしゃる方の何人かは無事解放して差し上げることもできるのですがねぇ」
その言葉を聞いて、修一郎の顔色が変わる。
「……なんですって?」
リバロの言っていることは、裏を返せばそれ以外の者の命は保障しないことを意味しているのだ。
現状、マリボーと修一郎を除けば、クローフルテとイルーはタオルで猿轡を噛まされ、両腕は身体の後ろで縛られて床に座らされている状態である。
『昏睡』の魔法にかかったソーンリヴとゼリガは、意識を失ったまま二人まとめで縛り上げられて床の上に転がされていた。
「この話を“運悪く聞いてしまった”エルフと鳥人間、それにマリボーさんは残念ながらこの店と命運を共ににしていただかなければなりません。
ですが、そちらの女性と犬はこの状況を知ることなく、お休みになられていますからねぇ。
そのお二人については、元の生活に戻っていただくことも可能ですよ?
どうです?大切なお仲間の命を二つも救うことが出来るのです。悪い話ではないでしょう?」
他人の命を物扱いするその言い草に、修一郎の表情はより険しさを増した。
仮に修一郎がリバロの提案を受け入れたとしても、確実に三人の命は失われるのだ。断れば、三人が六人に変わるだけのことだろう。
無論、その時は六人の中に修一郎自身の命も含まれているはずだ。だからと言って、クローフルテたちを見殺しにするわけにもいかない。
まさに、最悪の二択を迫られている修一郎であった。
「シュウイチロー遅いなぁ……」
教会の子鐘二つを耳にしながら、ルキーテが呟く。
昼間、一度帰宅した修一郎から、今日の大鐘四つに子鐘一つ(午後七時)にプレルの店に来るようにと言われ、虎人族の少女はその言いつけに従って夜の食堂に足を運んでいた。
何やら今日はめでたいことがあるらしく、内輪で集まってささやかなお祝いを開くから、と彼女の保護者は笑顔と共に教えてくれたのだ。
しかし、子鐘一つが鳴っても修一郎は現れず、待ちわびたルキーテは食堂の入口から通りの先を窺っていた。
「ルキーテ、まだシューイチローは来ないのかい?」
他の客に料理を配り終えたプレルが、店内のホールから少女に問い掛ける。先ほどから同じような遣り取りを、片手の指の数を疾うに超えるほど繰り返しているのだ。
「うん…………あっ」
食堂の名前と同じ猫人族の女性に応じようとした虎人族の少女が、通りの向こうからやって来る見知った顔に気付いた。
「おう、ルキーテ。なんだ?まだ誰か来てねぇ奴がいるのか?」
少女とほぼ同じ身長と、少女の三倍近い体重を持つ壮年のドワーフ族が、声をかけてくる。
「バランダかい。そうなんだよ。
マリボーさんとこの面子がまだ来てなくてねぇ。主役のエルフの嬢ちゃんも、ね」
ルキーテに代わり、プレルが答えた。
「あぁん?子鐘一つに来いと言ったのは、シュウイチロウの野郎だぞ?
アイツも来てねぇのか?」
自分は子鐘一つ分余裕で遅れてやって来たのに悪びれる様子もなく、バランダは片眉を跳ね上げる。
「う、うん。シュウイチローもゼリガさんたちも、まだなんだ」
機嫌の悪くなったドワーフ族の雰囲気にたじろぎながらも、ルキーテが説明する。
「…………おい、レベックのジジイは来てんのか」
暫し何やら考え込んでいたバランダが、ノーム族の老細工師の名前を挙げた。
「ああ、レベック爺さんなら、もう既に出来上がってるよ」
苦笑を浮かべて、親指で背後の個室を指差すプレル。
どうやら、招待されている参加者のうちこの場に居る者は、レベックとバランダ、それにルキーテの三人だけらしい。
「……ちっ、あのジジイ何やってやがんだ」
一つ舌打ちすると、バランダはその樽のような身体を揺すりながら、店内に入ってくる。
「それと、プレル。悪ぃが、ブラウニーのクータンって野郎を呼んできてくれ。急いでだ。
ちっとばかし良くねぇことが起きてるかも知れん」
個室へと足を向けながら、バランダは食堂の女将に向かって指示を飛ばした。
「ちょ、ちょっと!そのクータンってヒトはどこに居るのさ!」
いきなりのことに慌てるプレルに、ルキーテが横から口を挟む。
「あ、それならわたし知ってる。一度、工房に行ったことあるから」
一週間前に、風呂場に脱衣所を増設できないか相談するために、彼女は修一郎と共にクータンの下へと出かけていたのだ。
「そうか、じゃあルキーテ頼む。プレルは俺と一緒に来てくれ」
そう言うと、バランダは歩を早めて個室へと向かって行った。
「なるほどねぇ~。で、様子のおかしいマリボー商店を探るために、例のアレを使おうってことかい?」
子鐘半分(約三十分)もしないうちに、ルキーテはクータンを連れてプレルの食堂まで戻ってきていた。
今は、個室にバランダ、レベック、プレル、ラローズ、クータン、ルキーテの六人が揃っている。
バランダの説明を聞いたクータンが、あまり危機感を感じさせない口調で問うた。
「うむ。それで何もなければ、わしが皆を代表して謝るわい。
マリボーはともかく、他の連中はこのことは知らされておらんはずじゃからのう」
どのような方法を採ったのかは分からないが、先ほどまで鱈腹呑んでいた酒精を完全に醒ましたレベックが、素面に戻った顔をブラウニー族へと向ける。
個室に集まった他の面子は、三人の妖精族の会話を黙って聴いていた。
「マゴールの店に出入りするルードの姿を、以前何度か見かけてな。
ちょいと気になった俺はレベックのジジイと、あいつの動向を探ってたんだが……」
ドワーフ族のバランダは、あれから一度己の工房へ戻ったのか、腰に愛用の大金槌を提げていた。服装も、普段着とはいささか趣の異なる黒一色の皮製のジャケットと木綿のズボンに着替え、手には大金槌と同じく愛用の皮手袋を填めている。
「ジジイは余計じゃ!
とにかく、わしらもルードとマゴール商店の関係については、職人仲間を通じて色々と調べておったんじゃがのぅ。
決定的な証拠を掴む前に、先に動かれてしもうたのかも知れんのじゃ。
王都でマリボーの店の者が事故に遭うた話は、わしらも聞かされておる。事が事だけに、確認はすべきだと判断したわけじゃ」
自分のことを老人扱いするバランダをひと睨みしてから、ノーム族のレベックは他の面子を見渡しながら告げた。
「ま、いいさぁ。俺もあの兄さんからは、色々と面白いモンを教えてもらったからなぁ。
それに、近いうちにまた一仕事ありそうだしよぉ」
ブラウニー族のクータンはルキーテをちらりと見遣ると、姿に似合わぬ悪戯小僧のような笑みを浮かべる。
今から彼らが行おうとしていることは、バランダの言うとおりアルタスリーア王国の定めた法に触れる行為である。
もし、これが魔法院に知られれば、間違いなく彼らは捕縛され何らかの咎めを受けることになるだろう。
しかし、今日の集まりは修一郎自らが発起人となって計画したものであるのに、予定の時刻を子鐘一つ半(約一時間半)過ぎても何の連絡も寄越さないというのは、どう考えてもおかしい。
仮に取引や仕入れで問題が発生したとしても、販売担当であり本日の主役の一人でもあるクローフルテまで店に残る必要はないはずだ。
何らかの非常事態が発生したとしか思えなかった。
「まさか、こんなに早く使う破目になるとはねぇ~」
そう言いながら、クータンが懐から一枚の金属板を取り出す。
大きさは伝達板とほぼ同じであったが、金属板に刻まれている術式陣は伝達板とは全く違うものであった。
「これが、その機巧かい?」
ブラウニー族の手許を覗き込んだプレルが、興味津々といった様子で口を開いた。
「そうさぁ」
「うむ。調べれば調べるほどルードの行動に、不審な点が判明しておったからのう。
こやつらと相談し、あの店の数箇所に『遠見』の術式陣を施すことにしたんじゃ。
先にも言うたが、マリボーの了解はとってある」
「俺としちゃあ、声も聴くことが出来るようにするべきだと言ったんだがよ。
マリボーの野郎、商売上の守秘義務とやらがあるってんで、それは突っ撥ねやがった。
おかげで、室内の光景を無音で見ることしか出来ねぇけどな」
この件でマリボーと遣り合ったことを思い出したのだろう、バランダが不満気に鼻を鳴らした。
「まあ、声は聞こえずとも様子が分かるだけでも、状況を把握するには充分じゃからの。
それに、『遠見』と『伝達』の複合術式陣をあの店に仕込むには時間が足らなんだ。
クータンがおらねば、店の者に気づかれることなく術式陣を敷くことも出来なんだじゃろうて」
「ま、どっちにしても魔法院にバレちゃ拙いんだけどよぉ」
実行犯とも呼べるクータンは、相変わらず呑気な口調だが、妖精族の職人たちが行ったことはかなり危ない橋を渡るものだった。
伝達板の使用に関して、あれだけ制限を付けている状態なのだ。それより遥かに高度な魔法を、魔法院の許可を得ずに行使しようと言うのである。
「いざって時の言い訳は、レベック爺さんに任せるさぁ。
それより、事は急ぐんだろぉ?そろそろ、“発動”させるぜぇ」
そう言ったクータンが、レベックとバランダに対し目で合図を送る。
ドワーフ族とノーム族は、それに対して軽く頷くと、それぞれ金属板に右手をかざした。
それから五百を数えないうちに、個室の扉が開かれ、中に居た者たちがそれぞれの目的地へと向かって散っていった。
一番最初に個室から飛び出したルキーテは、脇目も振らずマリボー商店へと駆け出した。
プレルは夫のパノーバに事情を説明し、今居る客が帰ったら店を閉めるように言うと、ラローズを連れて店を出て行った。
レベックは、クータンと共に警護団詰め所へと向かった。
バランダは、その体型に似合わぬ速さでルキーテの後を追った。
バランダとレベックの危惧した事態が、マリボー商店で起こっていることが判明し、それに対応すべく皆が行動に移したのだ。
そして、幸いなことに、彼らの中に危険を冒すことを躊躇う者は居なかったのである。
ルキーテたちがマリボー商店の危機に対して行動を起した頃、応接室ではリバロと修一郎の駆け引きが続いていた。
尤も、絶対的優位の立場に居る者が提示した内容を、受け入れるか否かの答えを引き延ばすことを駆け引きと呼べるのであれば、であったが。
「それも無理ですねぇ。
ここまで内情を“知られて”しまっては、こちらとしても見逃して差し上げることはできないのですよ」
相変わらず不快に粘つくような口調で言葉を発したのは、リバロである。
修一郎が要求した、保証人をマリボーからロフォル・マゴールに変更し彼の下で働くことを受け入れる代わりに、この場に居る者は全員アルタスリーア王国から離れることを条件に身の安全を保障してもらいたい、という内容に対する答えがそれであった。
修一郎としては、自分が犠牲になることで仲間の命が護られるのであれば、リバロの提案を受け入れても構わないと考えていた。
しかも、アルタスリーア国内から退去し、今回の騒動に関することを一切口外しないことを約束させる旨の、最大限の譲歩案付きで、である。
横に座るマリボーは、何やら言いたそうではあったが、この場の主役は飽くまで修一郎とリバロであるため、黙って二人の遣り取りを聞くことにしたようだ。
「知られるも何も、貴方がたが勝手に乗り込んできて、一方的に話し始めたんじゃないですか!」
落ち着かなければならないのに、こちらの申し出は悉く跳ね除けられ、なお且つ神経を逆撫でするような相手の態度に、つい修一郎の語調も荒くなる。
しかし、現状を考えればそれも無理もない。業務提携を断られた段階で、リバロたちが踏み込む手筈となっていたとしか思えないのである。
つまり向こうは、最初からこうなることを予想していたのだ。今さら修一郎が色々と策を弄そうと足掻いたところで、答えは決まっているのだろう。
ふと、かつてコタール率いる隊商を襲った野盗との戦いが思い出された。
今回の状況は、それに酷似していた。
予め内部に仲間を潜入させ、会談を長引かせるという方法で店に残る従業員の数を減らし、外部から本隊とも呼べる集団が奇襲を仕掛ける。
あの時と違うのは、場所がバンルーガの雪の積もった森からアーセナクトのマリボー商店に変わったことと、魔獣が居ないくらいだ。
「それは誤解ですよ。私どもが話をしようとした場所に、偶然彼らが居た。
これは不幸な事故と言うものです」
いけしゃあしゃあとはこのようなことを言うのだろうか。
リバロはあたかも、偶然マリボーたちが彼らの計画を聞いてしまったかのような物言いをした。
「ですからね、ヤスキさん。
貴方の雇い主であり保証人であるマリボーさんが当初の提案を飲んでいただけていれば、このような結果にはならなかったのですよ」
まるで聞き分けのない子供を諭すように、リバロが首を横に振りながら大袈裟にため息を吐く。
この遣り取りも、既に何度も交わされているのだが、リバロの声には相変わらず余裕がたっぷりと含まれており、自分たちの優位が揺るいでいないことを裏付けているようであった。
修一郎が交渉の引き延ばしを図り、自分たちの隙を誘発させようと考えているのは、リバロも勘付いている。
本音を言えば、交渉の余地なしと、この場に居る全員を殺して終わりにしてしまいたいところなのだが、彼の雇い主であるロフォル・マゴールからは、修一郎の身柄は可能な限り確保するようにと厳命されていた。
他人には大っぴらには言えぬ裏方仕事で生計を立ててきたリバロは、何気なしに相方である男へと視線を動かす。
頑強な体躯の持ち主は、クローフルテたちを縛り上げた後、応接室の入口に立って階下の様子を警戒しているようだ。
一応、店の従業員出入口の外には万が一のために仲間を配置しているが、それでもこの男は用心を怠るような真似はしない。
リバロの視線に気付いているはずなのに、男はこちらを向こうともしない。お前はお前の仕事を全うしろ、と言わんばかりの態度であった。
相方の性格をそれなりに把握しているつもりのリバロは、内心で苦笑を浮かべると、修一郎を正面に見据えて最後通告とも言える言葉を口にする。
「さて、ヤスキさん。そろそろ返答をいただきたいのですがね。我々もそれほど暇ではないのです。
マゴール商店に移るか、それとも……」
後に続く台詞は、子供でもない限り言うまでもないだろう。
しかし、修一郎も抵抗をやめることは出来ない。
「……ひとつ窺いたいことがあります」
「悪あがきはみっともないですよ。もう時間切れです」
修一郎の発言を抑えるように、リバロがぴしゃりと言い放つが、尚も異世界から来た男は食い下がった。
「仮に……。仮に、貴方がたの提案を受け入れたとして、私がロフォルさんを新たな保証人とし、その方の下で働くこととなったとします。
保証人の立場と、私が関係した商品の優先的販売権を得た後、ロフォルさんが私に対して手を下さないという保障はあるのですか?
このような脅迫を行い、マリボーさんたちを害することを命じるような方が、私をそのまま生かしておくとは思えません」
「…………」
これには、流石のリバロも即答できなかった。
いや、実のところ彼自身、修一郎の言うとおりの展開を予想していたのである。
事が明るみに出れば、ロフォル・マゴールの立場が危うくなるどころか間違いなく警護団に捕まり、国から何らかの裁きを受けることになるだろう。
必要なモノを手に入れたロフォルは、必ずこの異世界人の始末をリバロたちに命じるはずであった。
「それは私が答えられる内容ではありませんね。我らが主が何を考えているのかは、ご本人にお訊ねいただくのが一番でしょう」
表情を取り繕ったまま、そう返したリバロに、それまで殆ど言葉を発しなかったルードが答える。
「ま、ヤスキの予想どおりになるだろうな。どの道、お前さんはそう長くは生きられんってことさ」
「ルード、貴様……!」
ここにきて初めてリバロの表情に亀裂が入った。口調も今までのような余裕さが消え失せ、リバロという男の素顔が僅かに姿を見せる。
「事実だろ、兄貴。初めからこの計画には無理があったんだ。
ロフォルさんには悪いが、全員殺すしか方法はないんだよ。全てを手に入れるなんてことは、所詮は不可能なのさ」
「俺を兄と呼ぶなと言っただろう!そもそも、貴様とは生まれが……!
いや、この場で言うことではない。貴様は黙って俺の言うことに従っていればいい、分かったな?」
冷めた口調のルードに対し、リバロからは炎熱の如き声が絞り出される。
「何だと?」
「兄……ですって!?」
ルードが口にした衝撃の事実に、マリボーと修一郎の二人は驚きを隠せなかった。
「貴方たちは、兄弟だったのですか?」
修一郎が思わず問い質すが、返ってきたのは思いも寄らぬリバロの反応であった。
「それを貴方が知る必要はない」
僅かに顰めた顔を修一郎へ向け、抑揚のない声で応えるその姿は、それまでのリバロからは想像も出来ないものだ。
修一郎は、これを切っ掛けにして、彼らの間に何とか隙を作れないものかと思案を巡らせるが、それを制するようにリバロが言葉を続けた。
「とにかく。今は“仕事”に集中する時だ。いいな、ルード?」
激昂しかけた感情をなんとか落ち着かせると、リバロはルードに向かって押し殺した声で言い放ち、修一郎へと視線を移した。
「……お見苦しいところをお見せしましたね。
で、ヤスキさん。貴方の答えをお聞かせ願えますか?」
喋り方だけを見れば先ほどまでのリバロに戻ったようだが、その瞳には青白い炎が灯っているように修一郎には感じられた。
「どうあっても、マリボーさんたちを見逃してはいただけないのですか?」
「無理ですね」
「それは貴方の判断ですか?それとも、貴方を雇ったロフォルさんの指示ですか?」
「両方、とお答えしておきましょうか」
修一郎とリバロの駆け引きは続く。
「私が直接、ロフォルさんに頼むことはできませんか」
「それも無理ですね。雇い主からはこの場で、全てを片付けて来るように、と命令されておりますから。
さあ、もう良いでしょう?答えを」
「……お断りします」
半瞬の間、言い淀んだものの、修一郎は決意に満ちた表情で答える。
「そうですか。残念ですよ、ヤスキさん。
私は血を見るのが好きではないと申し上げたはずですが、貴方がそう決められたのならば仕方ありませんね」
不気味な光を放つ瞳で修一郎を見つめたまま、リバロの声色が低くなった。
軽く息を吐き出すと、相方の男と交渉役の男に対し、視線で指示を出す。
応接室の入口に寄りかかるように腕組みをして立っていた筋肉質の男が、無言のままゆっくりとその両腕を解いた。
リバロの斜め後ろに控えていた交渉役の男は、縄で縛られたクローフルテを舐めるような目つきで見ながら、彼女へと足を向ける。
その時初めて、修一郎は交渉役の男をまじまじと見ることとなった。
応接室へと連れて来られた際は、強者の余裕を隠そうともせずに、修一郎たちを見下すような態度ではあったが、今のように欲望に目をぎらつかせてはいなかったはずだ。
それが変化したのは、クローフルテの姿を目にしてからか。
「どうせ殺すなら、その前にちょっと楽しませてもらいたいんだがいいかい?
エルフの女はまだ一度も味わったことがなくてよぉ……」
汚らしい劣情を剥き出しにした男に、マリボーが侮蔑を込めた言葉を投げかける。
「それがお前の本性か。飼い主と同じで、浅ましい奴だな。
それで良く交渉役が務まるものだ」
「馬鹿な真似はやめてください!彼女は関係ないでしょう!?」
修一郎も男の行為を止めようと、拘束されている我が身の危険を忘れ、ソファーから腰を浮かせる。
しかし、その行動はルードの手にした短剣が、目の前に突きつけられたことで中断せざるを得なかった。
その様を見て冷笑を浮かべた交渉役の男が反論しようとする前に、マリボーの目の前に座るリバロが口を開く。
「いやはや、重ね重ねお見苦しいところをお見せして申し訳ありません。その者には、後でしっかりと言い聞かせておきますので、ご容赦ください。
それから……。“そのような行為”がしたいなら娼館にでも行くのですね。我々は、仕事中であることを忘れてもらっては困りますねぇ」
前半はマリボーに対して人を食った態度で馬鹿丁寧に、後半は下衆な望みを口にした男に対して冷たく切り捨てるように。
ルードによって一時的にひび割れていた余裕は、交渉役の馬鹿げた行動が逆に災いしたのか、元通りとなっていた。
「さあ、そうと決まれば皆さん迅速に行動してくださいよ。あまり時間をかけていると、思わぬ所から邪魔が入らないとも限りませんからねぇ」
己の言動に、氷で作られた鋭利な釘を刺されて顔面蒼白となった交渉役の男には一瞥もくれず、リバロはアームチェアから立ち上がると、陽気な声で両手を打ち鳴らして仲間を急かした。
とりあえず、クローフルテが汚されることは回避できたようだが、その身に危険が迫っていることには変わりはない。
時間稼ぎもここまでか、と修一郎が内心で諦めかけたその時、階下から聴きなれた声が響いてきた。