表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
街の事務員の日常  作者: 滝田TE
街の事務員の日常
30/39

第三十話 予期せぬ好意と用意された悪意


 終業時刻である大鐘四つ(午後六時)を過ぎても、マリボー商店の中は騒がしいままであった。

 販売部門……つまり店頭は既に灯りを落とし、客もいないのだが、流通と在庫管理、そして事務は予期せぬ事態に混乱の一歩手前といった状況であったのだ。

 先日、大口注文のあったアーラドル製の銀食器の卸し先が、今日になって突然取引の中止を申し出てきた。

 また、今日搬入されたアーオノシュからの羊皮紙、ナダルヌの茶葉の数量が納品板と違っており、流通部門ではゼリガとルードが、在庫管理部門ではイルーが、それぞれ事態の確認と収拾を図るべく動き回っている。


「ゼリガ。やはり今回の納品数は発注数と違っているようだ。明らかに納品数のほうが多い」


 ソーンリヴが納品板を片手に、搬入されてきた商品の数と納品板に記載された数量の確認を行いながら、流通部門の責任者である犬人族に声をかける。


「どうなってんだ、まったく……。二階うえの客はまだ帰らねぇのか」


 その長い鼻先に小さな皺を作りながら、苛立ちを隠そうともしないゼリガが大きく息を吐き出した。

 取引中止の申し出に関する判断もそうだが、発注の差異についても、店主であり仕入れ担当でもあるマリボーに訊かなければ、現場としては動きようがないのだ。

 しかし、大鐘三つに子鐘五つ(午後五時)過ぎに、マリボーの下を訪れた客は未だ階上の応接室に居座っているらしい。そのため、流通部門と在庫管理部門、そして事務部門もこうして待機している状態であった。

 無論、ただ単にぼうっとしているわけではない。

 実際に搬入された品物と納品板とを何度も照らし合わせて確認し、在庫管理責任者のイルーとも不良在庫になりかねない銀製食器の処置について検討をするなど、現状で成し得ることは全て行っている。

 だが、いずれにせよ最終的にはマリボーの判断を仰がねばならず、居残った従業員たちは“客”が帰るのを今か今かと待っているのだ。

 なお、店の全従業員が残っていても仕方がないと判断したソーンリヴは、二度目の茶を持って行った際にマリボーに簡単な事情を説明し、該当部門の責任者以外を帰宅させる旨の承諾を得ていた。

 事実確認が出来たとしても、対処は翌日にずれ込むであろうことはまず間違いない。

 今は王都アーオノシュ支店の店主となったブルソーを除けば、自身に次いで店の業務内容に精通しているソーンリヴの判断に、マリボーも信頼を置いているのだろう。

 販売部門に関しては、閉店時間を迎え接客する必要もないことから、全員帰宅させても構わないと指示が出され、レナヴィルとジスは素直にその指示に従って帰宅していた。

 しかし、クローフルテだけは何故か未だ事務室に残っている。そして、その事務室には修一郎も待機しているのだ。

 自分の居ない事務室に、お互いを名前で呼び合うようになった二人が居る。

 そのことが小さな棘となってソーンリヴの心に僅かな痛みをもたらしていたが、今や古株とも呼べる立場の女性事務員は意識的にその事実を思い出さないようにして、目の前の仕事に集中していた。


「この場で焦っていても仕方あるまい。私たちは今出来得ることを行うのみだ。

 アーラドル製の銀製食器は、とりあえず別の保管場所に移しておいた。間違えて、他の商品と共に店頭に並べてしまうわけにはいかないからな」


 生真面目な性格である鳥人族のイルーが、生真面目な表情のまま、犬人族のゼリガの肩に手を置く。


「そりゃあ、分かってるけどよぉ……」


 なおもゼリガの機嫌は治まらないようである。


「まあ、もうじき“お客様”もお帰りになると思うから落ち着くんだな。既に大鐘四つは過ぎているんだ。

 これ以上長引くようなら、ロントラール(商館)なり、バールなりに場を移すだろうさ」


 ソーンリヴも納品板を近くの荷物の上に置いて、ゼリガを宥めた。

 バールとは、所謂カフェ・バーのように、茶や酒精を楽しみつつ談笑する店の総称である。

 一般的な食堂や酒場のようなホールはなく、全て個室となっており、主に中堅以上の商店の店主や騎士団員、魔法院中級職員などの、それなりに所得のある者が利用する場所として知られていた。


「そうあって欲しいぜ。折角、今晩はシューとプレルんとこに行くことになってんだからよ」


「……ちょっと待て。今晩だと?それはシュウイチロウから……」


 ゼリガのぼやきを、ソーンリヴが聞き咎める。

 問い質そうと言葉を続けようとしたところに、ルードの声が重なった。


「それじゃあ旦那、俺は搬入口を閉めてくるぜ。どっちにしても、今日はもう用はないだろう?」


「ああ、頼んだ。ルード」


 一瞬ソーンリヴに視線を移した後、ゼリガはズボンのポケットから鍵を取り出すと、部下に向かって放る。

 店の裏にある荷卸し場の搬入口は、従業員用出入口とは違って馬車が出入りするため、広く大きい。その搬入口の巨大な引き戸を、ルードは手慣れたもので軽々と閉めていく。

 最後に、建物と引き戸を繋ぐ金具に錠前を通して、鍵をかけた。


「……では、私は一旦事務室に戻るぞ。

 “お客様”が帰ったら、すぐにマリボーさんにここに来てもらうようにする。だから、それまでは適当に休憩していてくれ」


 ゼリガとの会話を邪魔される形となったソーンリヴは、ルードが施錠するのを確認した後、気持ちを切り替えるように口を開いた。

 この場で出来ることは全て終わってしまったのだ。本来の、自分の仕事に取り掛からねばならない。

 明日は月締めである。取引中止についても、発注或いは納品間違いか未だ定かではないが今日の納品分についても、どちらにしても帳簿上の処理や出納板の書き換え等が必要となるのは間違いないだろう。それに速やかに対応出来るように、事務方も準備しておく必要があった。


「それじゃあ、俺は茶でもご馳走になりに行くか」


 荷卸し場から事務室へ続く通路へと足を向けたソーンリヴに、ゼリガが続く。

 暇を見つけては事務室へ入り浸っているあたり、この犬人族は、黒髪長身の異世界人を相当気に入っているようだ。


「ルードとイルーもどうだ?」


 部下である人間族と、在庫管理責任者の鳥人族に対してゼリガが誘う。


「狭い事務室に大勢押しかけるのもなんだし、俺は遠慮しとくよ」

「私も遠慮しておこう。ソーンリヴやヤスキの仕事を邪魔したくはないからな」


 しかし、返ってきたのは辞退の言葉であったため、ゼリガは「じゃあ、後でな」と言い残し通路へと消えていった。




 ソーンリヴが先に立ち、陽も落ちてさらに暗くなった狭い通路を進む。


「なあ、ソーンリヴよう……」


 後ろを歩くゼリガが、両手を頭の後ろで組んだまま、歩きながら何気ない口調で言葉を発した。


「なんだ?」


「悩むくらいなら、さっさと打ち明けちまったほうがいいと思うぜ?」


「……何の話だ?」


 僅かに間があったものの、質問を返す人間族に、日頃快活な犬人族らしくない小さな声が答える。


「そりゃあ……、お前さん自身が分かってることだと思うんだがな」


「…………」


 内に秘めていたつもりであった心情を、他者から告げられて、ソーンリヴの顔が赤く染まる。

 せめてもの救いは、この場が暗い通路で、彼女が赤面したところを他者に見られなかったことくらいであろうか。

 ソーンリヴは与り知らぬことであったが、偶然にも殆ど同じタイミングで、修一郎もクローフルテから同様のことを告げられていた。

 そして、これまた同じように、ゼリガが続ける。


「ま、俺からシューに言うつもりはねぇけどよ。

 それに、他のモンにも話したりはしねぇから、安心してくれ」


 結果的に、クローフルテとゼリガは他言はしないとの約束を守っていないとも言えるのだが、当事者二人とゼリガたち四人以外の者には喋っていないので、微妙なところであった。

 暫し無言のまま歩いていた二人は、事務室の前までたどり着く。


「考えておくよ」


 扉の前に立ち、ゼリガへと顔を向けたソーンリヴは、そう短く答えて扉のノブに手を伸ばした。






 市庁舎の大鐘に続いて、教会の子鐘が一つ、高く透き通る音を響かせる。


「それにしても、長いですねぇ……」


 既に黒一色となってしまった明り取りの窓を見上げて、修一郎が嘆息した。

 未だ、客は帰る様子がない。

 昼間、マリボーに呼ばれた際に、その客とはマゴール商店の関係者であると知らされている。関係者と言っていたので、ロフォル・マゴール本人ではないのだろうが、それでも会談がここまで長引いているということは、マゴール商店の中でもある程度地位のある者が寄越されているのだろう。

 会談の内容は明かさなかったものの、修一郎には凡その見当が付いている。業務提携か、或いはそれに類することだ。来客があることを告げた際に見せた、マリボーの渋面がそれを物語っていた。

 その会談に折り合いが付かないのか、それとも組合の中での地位を利用して無理難題を吹っ掛けてきているのか……。

 いずれにせよ、あまり歓迎できる状況ではなさそうだ。


「ったくよぉ……。さっさとバールにでも行ってくれりゃあいいのによ」


 人間族用の木製コップから器用に茶を啜って、犬人族が口を開いた。

 荷卸し場よりも事務室のほうが、二階の応接室との距離が近いため、愚痴るゼリガの声も幾分抑えめである。

 ソーンリヴと修一郎は、事務手続きの準備に取り掛かっているので、今飲んでいる茶はゼリガが自分で淹れたものであった。


「そうだな」


 一度は処理済みの木箱に入れていた納品板を取り出して、今後発生するであろう作業のために用意した木箱へと移しながら、ソーンリヴも短く相槌を打つ。


「…………」


 クローフルテはと言えば、ソーンリヴたちが事務室に戻ってきてからは殆ど言葉を発しておらず、無言を通していた。

 その沈黙が、余計に深藍色の髪の事務員にあらぬ疑念を抱かせることになっているのだが、銀髪のエルフ族はそれに気付いていない。

 この場に居合わせた面子の中で、修一郎の想いを知っているのはソーンリヴ以外の全員。ソーンリヴの想いを知っているのは、修一郎以外の全員。

 互いの想いを知らないのは、当人同士だけという、実に喜劇的な状態である。

 しかし、傍から見ていて喜劇的であっても、当事者たちは真剣そのものであり、深刻でもあった。

 それを僅かでも誤魔化そうと呟いたのが、先ほどの修一郎の言葉であるのだが、事務室に充満する妙な緊張感はなかなか消えそうにない。

 クローフルテも何か言わなければ、とは思っているようであったが、元々が饒舌というわけでもないために上手く切っ掛けとなる話題が見つけられず、今にいたっているのだった。

 ゼリガは、この場のおかしな雰囲気に気付いているようであるが、ソーンリヴが修一郎とクローフルテの仲を疑っていることは未だ知らないはずである。

 そこまで考えて、仕方なく修一郎はクローフルテに声をかけることにした。


「クローフルテさん。私たちはもう暫くかかりそうです。

 ですが、遅くとも子鐘三つまでにはプレルさんの店に向かいますから、貴女は一度家に戻られてはどうですか?」


 その提案は、あまりに消極的すぎるものであったが、とりあえずそれしか思いつかなかったのだ。

 それに、どうせプレルの店に皆が集まれば、ソーンリヴの疑念も晴れることになる。その間の僅かな時間だけ、凌げれば良い。


「……分かりました。それでは、失礼します」


 修一郎、ソーンリヴ、ゼリガの順に、視線を動かしたクローフルテは、無表情のまま頷く。

 どうやら、修一郎の意図するところに気付いたようであった。


「ま、ちょっとばかし“おあずけ”を食らっちまったけどよ、今夜は美味い酒と飯が食えるんだ。

 それまでの辛抱ってやつだな」


 いつもの調子で豪快に笑いながら、ゼリガがクローフルテに手の平を見せるように左手を上げる。アルタスリーア周辺地域で、「また後ほど会いましょう」という意味を持つ、種族の関係なしに使われている別れの挨拶の一つである。

 それを見たエルフ族の女性は、軽くお辞儀をすると事務室を出て行った。




 事務室を出たところで、クローフルテは従業員用出入口に二つの人影を認めた。どちらも人間族の男で、先に建物内に入ってきた男は、申し訳なさそうに彼女に向かって頭を下げている。

 長引く会談に、相手方が使いの者を寄越したのかも知れない。それとも、全くの別件での来客だろうか。

 後者であれば、今晩の予定は中止になるかも知れないと思いながらも、制服姿のままであったクローフルテは、マリボー商店の従業員として勤めを果たすべく、二人へと近づいた。


「何かご用でしょうか?」


 普段、店頭で接する時と同じ表情で用件を尋ねるエルフ族の女性に、前に立った人間族の男が口を開く。


「“お忙しいところ”申し訳ありません。実は、“マリボー商店に”用事がありまして……」


 奇妙な言い回しをした人間族の男は、それまでの表情を薄い笑いに変えながら、僅かに身体の位置をずらした。

 次の瞬間、その男の後ろに立っていたもう一人の男が突風のような速さで脇をすり抜け、クローフルテへ肉薄する。


「声を出せば殺す」


 誰何の声を上げようと開きかけた口を塞がれ、気付けば喉元に短剣を当てられたクローフルテの特徴的な長い耳に、低く押し殺した声が聞こえてきた。

 その足捌きといい、物音一つ立てない手口の鮮やかさといい、真っ当な職に就いている者の動きではないことは容易に推測できる。


「驚かせてしまったようで申し訳ありません。ですが、その男には従っておいたほうが賢明ですよ。

 彼はやると言ったことは本当にやりますからねぇ」


 慇懃無礼を絵に描いたような仕草で、目の前の男が一礼した。

 それまで驚愕に見開かれていたクローフルテの瞳が、次第に恐怖の色へと塗り替えられていく。

 白く透き通るような首筋に、冷たい鉄の感触が感じられ、死という現実を目の前に突きつけられたエルフ族は、二人の男たちの言葉に従うしかなかった。




「うん?誰か来たみたいだぜ」


 人間族より遥かに優れた聴覚を持つ犬人族のゼリガが、従業員出入口から微かに聞こえてきた会話に気付いた。


「上のお客様のお迎えですかね?」


 出納板を扱えない修一郎は、此度のトラブルに対する処理をソーンリヴに任せ、自分は通常業務である日締め作業と明日の月締めの準備を並行して行っている。

 本日の売上金及び過不足金の確認と記帳作業は終わり、後は売掛・買掛簿の記帳を残すのみとなったのだが、大口の銀食器の注文取り止めの件があるため、仮締めが出来ない状態であった。

 新たな来客に応対するべく立ち上がろうとした修一郎を、ゼリガが止める。


「マイヤックの嬢ちゃんと行き違いになったみたいだな。

 ああ、シューは仕事を続けてろって。俺が行ってきてやるよ」


 丁度、茶を飲み終えてコップを流しの横の洗い桶に入れたところであったゼリガは、そのまま事務室の扉へと向かう。

 気の良い犬人族の言葉に甘えて、修一郎は浮かしかけた腰を椅子に戻すと、机上の皮袋を手にしてソーンリヴへ金庫の開錠を頼んだ。


「ソーンリヴさん、ひと段落付いてからで結構ですから、金庫を開けていただけますか。

 売上金の確認は終わりましたから、現金を入れておきたいんです」


「分かった。ひと段落も何も、こちらは既に手続きは全て終わっている。後はマリボーさんの判断待ちだ。

 しかし、金庫の開錠くらいはどうにか出来ないのか?私は術石の代わりじゃないんだぞ」


 普段の小言めいたものではなく、いささか棘のある口調になってしまったのは、彼女の苛立ちから来るものだろうか。


「すみません。実は、私は術石を使っても……」

「お、お前ら!何のつもり……!」


 事情を説明しようとした修一郎の言葉を、ゼリガの叫びが打ち消す。

 その声にソーンリヴと修一郎が振り向くと、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる犬人族の姿が見えた。


「ゼリガさん!」

「ゼリガ!?」


 異口同音に同僚の名を呼ぶ二人の前に、通路から一人の男が姿を現した。


「『昏睡』」


 見覚えのある顔に修一郎が気付くより早く、その男は指輪をはめた右手を突き出して、大陸公用語で言葉を発する。対象とした一定範囲内に居る者を強制的に深い眠りに陥らせる、騎士団員や警護団員、一部の冒険者にしか使用を許可されていない攻撃魔法に類する呪文であった。

 本来であれば、短くない詠唱を必要とされるのだが、どうやらあの指輪に『昏睡』の魔法自体が封じ込めてあるらしい。

 男の一言で、ソーンリヴも椅子に座ったまま気を失った。


「いきなり何を!?」


「ふむ。どうやら、噂は本当でしたか。

 魔法が効かないとは、実に珍しい体質をお持ちのようだ。ヤスキさん?」


 声を上げる修一郎に対し、飽くまでも丁寧な言葉で話しかけてきたのは、以前アーオノシュ行きの際に馬車で相乗りとなった男であった。


「リバロさん、これはどういうことです!?」


「ああ、あまり騒がないほうが良いと思いますよ。貴方の大切な方々が傷つくことになりますからねぇ」


 修一郎の質問をわざと無視して、リバロと呼ばれた男は倒れ伏したゼリガを跨いで事務室内に入ってくる。

 その後ろから、リバロと一緒に馬車に乗っていた厳つい男が一人の女性を伴って姿を現した。


「クローフルテさん……」


 呆然と呟く修一郎に、リバロはまるで世間話をするような口調で続ける。


「そうそう、別のお仲間……鳥人間と店主のマリボーさんも、既に私の連れが丁重に“お相手”していることでしょう。

 ご心配には及びませんので、念のため」


 薄ら笑いを顔に貼り付けた闖入者は、修一郎に視線を固定したまま、鳥人族のイルーを侮蔑する台詞を吐いた。

 その瞳は、粘着質の暗い光を宿しているように感じられ、とてもではないがバラカの宿まで修一郎の後をつけて来たリバロと同一人物とは思えなかった。

 あの時は、ソーンリヴと二人して下手な演技だと馬鹿にしたものだが、今、目の前に居るリバロが本物であるならば、結局はまんまと騙されていたのかも知れない。


「……要求は何ですか」


 クローフルテには短剣が突きつけられ、リバロのすぐ傍にはゼリガが倒れている。『昏睡』の魔法に抗えなかったソーンリヴも、机に突っ伏したままぴくりとも動かない。


「しかし、狭い部屋ですねぇ。まあ、事務員が二人しか居ないのでは、この程度で充分といったところでしょうか」


 相変わらず質問には答えようともせず、マイペースを通すリバロ。


「リバロさん!」


 堪らず修一郎が再び声を荒げる。


「ああ、そのリバロというのは偽名というヤツでしてね。あっはっはっ……おっと、これは失礼」


 漸くまともに返ってきた答えには、修一郎を嘲る成分が過剰に盛り込まれており、明らかに挑発を意図したものであった。

 それを感じ取った修一郎は、逆に冷静になった。ここで激昂すれば、最悪の結果が待ち受けているのは分かりきったことだ。

 何とか相手の目的を探り出し、隙を見つけて皆を無事に救出しなければならない。

 しかし、リバロはそんな修一郎の考えを見通しているかのように、告げた。


「さて、こんな狭い部屋では落ち着いて話も出来ないでしょう。上の応接室にでも行こうじゃありませんか。

 勿論、店内に残っている皆さんとご一緒にね」


 修一郎から目を離すことなく、リバロが軽く顎をしゃくる仕草をすると、後ろに控えていた男はクローフルテを連れて事務室から出て行った。


「ヤスキさんは、この犬っころを担いでもらえますかね。

 おかしな気は起さないでくださいよ?私は血を見るのは、あまり好きではないのですから」


 またも差別的な言葉を口にする男を、険しい表情で一瞥した修一郎は、黙ってゼリガへと歩み寄る。

 一見してリバロは武器らしき物は所持していないようだが、何処かに隠し持っている可能性もあるため、迂闊な真似はできない。

 加えて、既にクローフルテは別の男の手の内にあり、ここで騒ぎを起せば彼女の身が危険に晒されてしまう。

 さらに、リバロの言い方からすると、イルーやマリボーも人質にされているようである。

 さらにさらに、最も重要で最も致命的であるのが、修一郎個人にはリバロたちに対抗できる力も技量も持ち合わせていないことだ。

 魔法が効かない体質であっても、剣で斬られれば普通に傷を負うし、血も出る。

 荒事は未経験というわけではないが、この世界にやって来てからこれまでの間、そういった場面においては、必ず周囲に戦い慣れた二人組みの冒険者が居た。

 しかし、その冒険者たちは現在、アーセナクトを離れており、外部からの助けも期待できない状況である。

 何処の誰がこの件を企てたのかは、察しが付いている。来客を迎え、二人で会談していたはずのマリボーが人質にされたのだ。ならば、相手はマゴール商店しか居ない。

 だが、それを口にしたところで現状では詮ない事であった。


「それが終わったら、あちらの机で眠っていらっしゃる……ええと、ソーンリヴさんでしたか。彼女も運んで差し上げてくださいね。

 お一人だけここに残しておくのも、可哀相と言うものでしょう」


 どこまでも人を食った台詞を、笑みの形に歪めた口許から吐き出しながら、リバロが言う。


「あまりのんびりしていると、折角の夜が勿体無いではありませんか。

 時間は金と等しく尊いと言いますからね。無駄な時間を過ごさないよう、お互い気をつけたいものですなあ」


 商人が好んで用いる諺であるのに、この男が口にすると全く別の意味のように感じられる。

 修一郎は無言のままゼリガを担ぎ上げ、二階へ続く階段へと足を向けた。






 もうじき大鐘四つに子鐘二つが鳴る時刻。

 それまで通りを行き交っていた、一日の仕事を終えた市民の姿も減りつつあり、家路を急ぐ者、酒場へ向かう者、未だ商売の最中なのか大きな荷物を持った行商人など、皆足早に各々目当ての場所へ消えていく。

 そんな街の喧騒を他所に、マリボー商店は内に嵐を抱え込んだまま、夜の闇の中に佇んでいた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ