第三話 昼飯と旧友
「ふーん……。で、その“ライター”を売るっていうのか?」
ソーンリヴが作業の手を止めて、修一郎の持つ金属の箱を見つめる。
「ええ。社長が意外にもというか案の定というか、乗り気でして」
心の中で思っていることを表に出すことはなく、いつもの柔和な笑みを浮かべて、修一郎はお茶の準備をしている。
マリボー商店で売っている高級品ではなく、街の市場で買ってきた庶民が飲んでいる茶だ。
「あの人は新しいモノ好きだからな」
やれやれといった表情と口調で、深い藍色をした髪の女性事務員は小さく頭を振った。
「それで?販売価格や仕入方法といった取り決めはどうなったんだ?」
新しいモノだろうが珍しいモノだろうが、それを店で売るとなると実務が発生する。
仕入れに伴う流通・在庫管理各部門への周知、運搬に係る人足の確保に伴う経費の支払い、出納板への新規登録、販売部門への商品の概要説明及び販売価格の周知といった手続きは、事務員であるソーンリヴと修一郎の業務となるのだ。
仕事の顔つきになったソーンリヴが修一郎に問い質したのは当然のことであった。
「はい。それらについては先ほど社長と話したのですが……」
ソーンリヴと自分のカップにお茶を注ぎながら、修一郎は説明を始めた。
「ヤスキ。お前、何やら面白いものを手に入れたそうじゃないか」
マリボーの個室に呼び出された修一郎に、部屋の主が開口一番そう言った。
修一郎の世界で言うと、横6メートル、奥行き5メートル、高さ2メートルの、事務室の倍はありそうな広い部屋の床には濃い緑色の絨毯が敷き詰められ、部屋の中央には小ぶりのソファーとローテーブル、奥にはマリボーの執務用机が置かれている。
入口から見て左側の壁には、華美に過ぎない程度に装飾が施されたキャビネットが置かれており、中には高級そうな酒瓶やら彫刻品といったものが並べられていた。
右側の壁には、アーセナクト商人組合の組合旗が掛けられ、その隣には、羊皮紙製の書物が十冊程度と、ルザル王国製の壷が一つ収められた小さな書棚が据え付けられている。
入口の正面の壁は、事務室の窓とは違い、透き通ったガラスの填められた大きな窓が、晩秋の控え目な陽射しを室内に招き入れている。
その窓の前には、マリボーのお気に入りだという、豪華さよりも機能性を重視しつつ、それでもある程度の威厳を感じさせる机が鎮座していた。
部屋の主のマリボーは、ソファーに腰掛けて、修一郎に対し笑みを浮かべているが、それは商売の話をする時の笑みであることを修一郎は知っている。
相変わらず耳聡い人だなと思いつつも、修一郎はいつもの頼りなさげな笑みを浮かべて答えた。
「王都から戻られたばかりなのに良くご存知ですね、社長」
ソファーの傍までやってきた修一郎に、「まあ座れ」と勧めながら、マリボーが口を開く。
修一郎が“社長”と呼ぶことに関しては、あちらの世界での意味を説明するといたく気に入ったようで、言い直させたり咎めたりすることはない。
むしろ、この店の中ではそう呼ぶようにと、マリボーから半ば命令に近い指示を受けているくらいだ。
「商人なら当たり前だ。
で、その“ライター”とか言うのはどういうものだ?今も持っているのだろう?」
問われた修一郎は、素直にポケットからライターを取り出して、二日前にゼリガたちに説明したことをマリボーにも話す。
「……と、いったモノで、魔力のない私は非常に助かっています。
ただ、こちらの世界の人にはあまり必要とはされないと思いますが」
修一郎の説明を黙って聞いていたマリボーは、ライターから視線を外すことなく、矢継ぎ早に質問を重ねる。
「なるほどな。
それで、消耗品の補充はどうするつもりなんだ?
ライターの製作にかかる日数は?
日に、あるいは週にいくつ製作可能だ?」
「基本的な消耗品は、火打石と油になりますが、これはレベックさんの工房で生産できます。
それ以外の消耗品、綿やランプの芯ですが、これは既存のものを流用可能にしています。
製作日数は、コレは飽くまでも試作品ですので、一週間……五日程度かかっています。
このまま量産を行うとしても、外側の器、内部の筒に関しては打ち出しで一つ一つ製作していますので、工房を全稼動させても一日二個が限度だろうとのことです。
それ以外の部品については、試作品の鋳型が保管されているとのことでしたので、それほど時間は掛からないと思われます。
これらのことから、仮に量産化を依頼した場合、最高で一日二個、一週間で八~十個程度でしょうか」
質問内容を予測していたのであろう、修一郎は淀みなく答えた。
「ふむ……」
マリボーは口ひげを指で弄びながら思案している。
マリボーは人間族の五十になったばかりの男で、恰幅の良い体つきに、砂色の髪に砂色の目をしている商人だ。
髪の毛は、今は七三分けに近い髪型をしているものの、日によっては五分分けになったりと納まりが悪いようだが、あまり頓着している様子もない。
髪と同じ色の立派な口ひげを生やしており、本人のちょっとした自慢でもある。
普段は温和な中年男性といった風貌で、性格も善良と呼んでいいのだが、商売の話となるとあからさまに表情が変わる。
同業者からは、飢えた狼のようだと揶揄されることもあるが、ぎりぎりの線で上手く立ち回って敵を作るような真似はしない。
そういった強かさがなければ、この商業都市でマリボー商店をそこそこ名の売れた店にまで大きくすることなどできなかったのであろうが、あまりの豹変ぶりに慣れない従業員がいるのも確かである。
ソーンリヴが「悪い人ではないんだが……」と言葉を濁したのもこのあたりに関することを言いたかったのだろう。
「ヤスキ。お前はどう考える?」
修一郎の対応に、既にこの新入事務員が何やら腹案を用意していることに気付いたマリボーは、値踏みをするような視線と言葉で発言を促す。
「はい。確実に売れる商品とは言えないでしょうが、多少の需要は見込めるのではないかと思います。
基本的に、この世界は魔法を中心に成り立っていますが、ほくち箱のように魔力を使わずに火をおこすための道具も現に存在していますし。
行商人や冒険者、探鉱者の中には予備として欲しがるお客様もいらっしゃるでしょう。
それでも週に二~三個売れれば良いといった程度でしょうか」
そう答える修一郎に、「あと一歩だな」と評価を下し、マリボーが付け加える。
「それに、貴族様や好事家も考慮に入れないとだめだ。
彼らは新しい物、珍しい物にはほぼ無条件で飛びつくからな。
例えそれが、実生活で使えない・使わない物でも、だ。
俺の考えだと、週に五~六は売れる」
マリボーの口調から、ライターは既に新商品として販売することが決定したようだった。
ならばここからだと、修一郎は姿勢を正す。
「それは、当店で取り扱うということでしょうか」
「ああ。目玉商品と行かないまでも、それなりにお客を呼ぶ材料にはなるだろう」
「分かりました。では、それを踏まえたうえで、お願いがあるのですが」
「なんだね?叶えるかどうかは別にして、要望があるのなら聞こうじゃないか」
これも予測していたのか、マリボーは僅かに笑って口調を少しだけ柔らかくすると、修一郎の顔を見つめる。
「まず一つ。
レベックさんの工房は、本来は木工品や石細工の製作を主に扱っている所です。金属加工は飽くまでも装飾の補佐として行っているに過ぎません。
ですから、一週間あたりの仕入れ数は四個を限度にしていただきたいのです。
これはレベックさん本人の要望でもあります」
「……いいだろう。数量を限定して希少価値を高めることも狙えそうだしな」
寸時の黙考の後、マリボーは了承した。
「では二つめ。
専用の消耗品……火打石と油ですが、販売開始から暫くの間はレベックさんの工房から当店が全て買い取る形を取り、ライター本体がある程度広まった段階で、他店にも卸すことを認めてください。
これは、下手に当店が独占すると、模造品や粗悪品が出回る可能性が高まり、ライター自体の評価が落ちることを避けるためです。
火打石は見る者が見ればどの種類かはすぐに分かるでしょうが、油は今のところレベックさんの工房でしか精製できない物で、他の油を使った場合、火付きが悪くなったり下手をすると爆発する恐れもあります」
尤もそこまで心配するほど売れる商品かどうかは分かりませんが、と修一郎は苦笑しながら付け加える。
「うちの店で継続的に一括仕入れするわけにはいかないのかね?」
修一郎の“他店に卸す”との言葉に、一瞬眉を動かしたマリボーが諮るように問い掛ける。
「商売ですから、自らの利益を第一に考えるべきであることは理解しています。
しかし、先ほども申し上げたとおり、当店以外で手に入らないとなると、ほぼ間違いなく類似品を作ろうとする者が出てくるでしょう。
そしてそれを使ったお客様が、充分に機能しないライターに使えないという烙印を押し、それが口伝えで広まるのは色々と拙いと思います。
後は、これは余計な心配かも知れませんが、全てを当店に集中させて、下手に同業者の悪感情を買うようなことを避けたほうがいいのではないかとの考えもあります」
答える修一郎の顔は、いつもの柔和でそれでいてどことなく頼りなさそうな表情ではなく、一端の商人のそれになっている。
修一郎がこの街にやってくるまでの経緯を知っているマリボーは、満足そうな笑みを浮かべると、「分かった」と頷いた。
「それでは最後に、これは要望というよりも提案なのですが。
当店でライターを販売する際、外側の器のこの辺り……に、レベックさんの工房の名前と当店の名前、それに通し番号を彫り込んではどうでしょうか。
そうすることで、両者の存在をアピール……当店やレベックさんの工房を知らないお客様に知らしめるといった意味ですが、ことができますし、このライターが元祖であるということも主張できるのではないかと思います。
また、通し番号を入れることにより、正規品と模造品の区別が容易になります」
そう言いながら、修一郎は自分のライターのケース下部を指でなぞる。
「ほう!面白いな。
そんなことをやっている店は見たことがない。いいじゃないか」
マリボーは一つ膝を叩くと、目を輝かせた。
この世界に、未だ広告という概念は殆どない。精々が店の看板と口コミ、後は店先での呼び込みくらいだ。
また、個人の所有物に名前を刻むという行為は、一部の冒険者や騎士が己の武具に施す程度で、市井で生活している人々には縁のないことであった。
製造・販売元を明確にすることと、それを所有している者の周囲の興味を惹くことを兼ねた、こういった手法は、修一郎の世界では極々当たり前に行われていることなのだが、こちらの世界では未だ誰も取り入れていない。
仮に、本当に仮にだが、ライターがそれなりに世間に受け入れられ売れた場合、当然起こり得るだろう模造品の出現は、下手をすると元祖の評価を落とすことになりかねない。
マリボーには言っていないが、単に同品質の競争相手なら現れてくれても構わないと修一郎は考えている。
困るのは、見た目を似せただけのような粗悪な模造品を作られて、元祖ライターの、ひいてはそれを製作したレベックの工房や、それを販売するマリボー商店の評判を落とされるような事態になることだ。
色々とマリボーに要求したのは、その一点を案じているからに他ならない。
元々は修一郎が日常生活を送るうえで、利便性の向上を目的として個人的に作って貰った品である。
マリボーの予想に反して売れなくても、それはそれで仕方ないし、問題ないと思っている。
既に試作品の製作費用と手数料は、依頼の段階でレベックに渡してあるのだ。
例えライター数個と消耗品が不良在庫となっても、いざとなれば修一郎が買い取ればいい。
修一郎にとっては、非常に助かる物であることは事実だし、今後も使い続けることになるのだから。
「ちょっと貸してみろ」
マリボーは修一郎からライターを受け取ると、火をつけた。
手の中にある鉄の箱から立ち上る小さな炎を暫く見つめたあと、蓋をして修一郎に返す。
「よし。仕入れ価格や方法については、俺が直接レベック爺さんに話をしよう。
爺さんの所とは今までも何度か取引しているからな。
向こうの負担にも損にもならないようにするから心配するな」
今までの修一郎の態度から、もっともらしい理由を付けながら、その実レベックを気遣う心情に気付いていたマリボーは、口の端を上げて告げる。
「お願いします、社長。
上手く行けば、もう二~三商品化できるモノがあるので、レベックさんとは良い関係を築いたほうが良いと思います」
既に依頼している物が一つ、材料が揃えば依頼したい物が二つあると言う異世界から来た男に、マリボーは笑みを深くして「まかせておけ」と応じた。
「なるほどねぇ。あの人相手に駆け引き紛いのことをするとは……。
シュウイチロウ、お前ここに来る以前は何をやってたんだ?」
修一郎の淹れたお茶を飲みながら、ソーンリヴが探るように睨む。
「別におかしなことはしてませんよ。
行商人の真似事みたいなものを数年やっていた程度です」
苦笑を浮かべて答える修一郎に、まだ何か言いたげなソーンリヴであったが、鼻を一つ鳴らして、再びカップを口に運ぶ。
マリボーは早速レベックの工房へと出かけて行ったので、今日中には仕入価格や販売価格が決まるだろう。
商品を実際に仕入れるのは明日以降であろうから、とりあず出納板に登録しておけばいいか。
そう結論付けると、目つきの悪い事務員は仕事に戻ることにしたのだった。
ライターの販売が始まって三日経った。
売れ行きは、初日は売れず、二日目に二つ、三日目に一つ売れている。今日はまだ売れていない。
三日で三個。品物が品物だけに上々の売れ行きと言えるだろう。
販売価格も、マリボーが上手く交渉したのか、従来のほくち箱とまではいかないにしろ、庶民でもちょっと無理をすれば買える程度に納まった。
その“ちょっと”がどこまでの金額を指すのかは、人によって意見が分かれるところだろうが。
予想通り一般市民はまず必要としないためか、陳列されているライターを珍しそうに眺めはするものの、手に取る者はおらず、購入したのは冒険者が二人、貴族が一人であった。
レベックの工房では、新たに人を雇ったらしく、ライター専門の製造ラインが作られたそうである。
それでもケースの強度を損なうことなく店名等を彫金する技術を持つ者は、工房の主であるレベックしかおらず、生産ペースは一日一個に落ちてしまったようだ。
とりあえず現状は、大きな問題もなく好調と言えるだろう。
「じゃあ、私は食事に行ってきます」
大鐘の音が三つ響いたところで、修一郎が席を立った。
「ああ、シュウイチロウ。すまないが、何か適当に食べられるものを買ってきてくれないか。
ちょっと昼を食べに外に出る余裕がなさそうだ」
未だ自分の机に向かっていたソーンリヴが、顔を上げてそう告げる。
「まだ仕事が残ってるんですか?でしたら私も手伝いますよ」
「手伝ってもらえるならそうしたいところなんだがな。
出納板の設定に手違いがあったようなんだ。今週分の出納板を一から確認し直してるんだが……。
お前、できるか?」
そう言って人の悪い笑みを浮かべたソーンリヴは、制服のポケットから財布を取り出す。
魔法が使えない修一郎では、出納板の再設定や調整はできない。
「そうそう、別にすぐじゃなくていいぞ。お前の食事を済ませてから帰りに買ってきてくれて構わないからな」
仕方なくソーンリヴから昼食代を受け取る修一郎に、先輩事務員はそう付け加えた。
従業員出入口から外に出て見上げると、雲ひとつない晩秋の青空が広がっていた。
通りを吹く風は、日中でも僅かに寒さを感じさせるが、充分な外光が取り込まれていない薄暗い事務室にいた修一郎には、それでも爽快に感じられる。
風がなければ、外で食事をしても良いと思えるほどだ。
通りを見ると、同じように昼食に向かう他店の制服を来た店員らしき人々が、思い思いの場所へ向かって歩いている。
アーセナクトの中央には市庁舎があり、その周りを一周するように大きな街路が敷かれ、その周囲に幅約750メートルの街路の延長のような円状の広場が設けられている。
ドーナツ状の広場の市庁舎通り側の半分は緑地帯になっており、丈の低い広葉樹や芝生が植えられ、所々にはベンチもある。
残りの半分には、様々な露店が軒を連ねていた。
上空から市庁舎を中心に見ると、市庁舎の周りに街路があり、その街路を囲むように緑地帯があり、その緑地帯の外円部に露店が並ぶ広場があり、市庁舎を三重の円が囲んでいる形になる。
昼時ということもあって、露店では様々な軽食が売られていた。
串焼きにされた肉や、干しブドウや木の実を練りこんで焼いたパン、程よい焼き目と照りのついた鳥の腿肉、リンゴに良く似た果物をバターと砂糖で焼いたもの、ナズ河で獲れる川魚を香辛料と塩で焼いたものと、空腹を刺激する匂いがそこかしこから漂ってくる。
緑地帯のベンチに目を遣ると、そこに腰掛けて露店で買った軽食を食べている者も居るようだ。
ソーンリヴに買っていくのはこれらの中から選ぼうと決めた修一郎は、まずは自分の食事を済ませることにして、石畳の街路を歩きながらプレルの店に向かった。
修一郎がプレルの店に入ると、そこは軽い修羅場と化していた。
ホール内に十脚あるテーブルは全て埋まっており、僅かにあるカウンター席も満席状態だ。
「うわ……。こりゃあ、今日は無理かな」
そう思い、踵を返そうとした修一郎に、プレルの声が飛んでくる。
「ああ、シューイチロー!ちょうど良かった!
悪いけど厨房手伝ってくれない?お願い!」
ホール内を一人で飛び回っていたプレルが、修一郎の姿を見つけて小走りに近寄ってくる。
「ええっ!?私は今日は非番でもなんでもないんですよ!?」
慌てて声を上げる修一郎だったが、プレルの押しは強い。
「子鐘半分……、いえ、ラローズが戻ってくるまででいいから!ね?頼むよ!」
そんなことを言われても、現在修一郎は店の制服を着ているし、早めに食べてソーンリヴの昼食も買って帰らないといけない。
事情を説明しようとした修一郎だったが、その相手はテーブルの客に呼ばれたため、既に目の前にいなかった。
「まいったなあ……」
仕方なくカウンターへ向かうと、両手に水の入ったコップを持ったクリュが居た。
「あー!しゅーちろーだー!」
嬉しそうに両手を振って修一郎を迎えてくれたが、勢い良く手を振ったためにコップの水が周囲に飛び散る。
「わぷっ!」
ついでにクリュにもかかったようで、慌てて袖で顔についた水を拭っている。
「こんにちは、クリュちゃん。ラローズさんいないんだって?」
いつものように長身を屈めてクリュに話しかける修一郎に、クリュは元気良く答えた。
「うん!カブリスさんのところからにもつがとどいてなくて、ラローズにいちゃんがおとうさんにおこられて、そしたらしょくざいがたらなくなりそうだから、おかあさんがいそがしくなって、カブリスさんのところにラローズにいちゃんがはしっていったの!」
必死に説明してくれているのだが、今一つ要領を得ないため、少しばかり考え込む修一郎。
だが、大体のころは察することができた。
要は、今日カブリスという卸業者から仕入れる予定だった食材が、何らかの手違いで未だ配達されておらず、急遽ラローズが食材を受け取りに向かったのだろう。
で、厨房兼ホール担当のラローズが抜けたことで、プレルも、プレルの夫であり店主であり調理長であるパノーバもてんてこ舞いと相成ったというわけだ。
「わかった。じゃあ、クリュちゃんはそのコップにおみずをいれなおして、おきゃくさんにもっていってくれるかな?」
修一郎は笑いながら、クリュの頭を二回ほど撫でる。
くすぐったそうに目を細めながら、「わかった!」と言うと、幼い猫人族は厨房へと走っていった。
その姿を微笑ましく思いながら、修一郎もカウンターをくぐり厨房へと入る。
厨房の中では、修一郎よりも頭一つ低い、灰色一色の体毛を纏った猫人族の男性が忙しく立ち働いていた。
猫人族にしては逞しい体躯に、白い長袖の上着、白いズボン、頭には同じく白いつばのないシルクハットのような帽子を被り、しきりに竈の火力や、鍋の中身を確認しつつも、その間の僅かな時間で食材を刻んでいる。
あの帽子はやっぱりコック帽なんだろうかと思いながら、修一郎はすぐ傍の流しで念入りに手を洗う。
「パノーバさん、手伝います。このエプロン借りますね」
近くにあった、おそらくはラローズのものであろうエプロンを手早くつけながら、調理台へと近づく修一郎。
「すまんな。こんなに立て込むとは予想してなかった。
おまけに発注に手違いがあってな」
そう言いながらも、パノーバは修一郎に振り返ることなく、手を動かし続けている。
「いえ。いつもお世話になってますから、少しくらいは……」
そう言い掛けたところで、クリュが再びコップに水を注ぎ終えたのだろう
「いってきまーす!」
と、元気良く駆け出して行った。
「ころばないようにね」
彼女の小さな背中に一言投げかけると、パノーバに顔を向けて確認する。
「私は何をすればいいですか?」
「ああ、とりあえずチーズのティエルミを五つ作ってくれ!あと、トルマーバを六皿、それが済んだら干しブドウパンを三人分ほど切って軽く火で炙っておいてくれ!」
チーズのティエルミとは、先日修一郎たちがここで食事をした際に追加注文した、水で戻して柔らかくしたドライトマトとタマネギとチーズをオーブンで焼いたものだ。
トルマーバとは、同じく修一郎たちが注文した、塩味の川魚のスープをベースとして、香辛料を加えた少し辛目のスープである。
「分かりました」
食器棚からオーブン料理用の深皿を五つ取り出し、調理台に並べると、次に水で戻されたドライトマトとタマネギをまな板に載せる。
ドライトマトは適当な大きさに切り、タマネギは薄く輪切りにして、深皿にタマネギ、ドライトマトの順に盛り付けていく。
その後はそれらに軽く塩・胡椒を振り、バジルに似たハーブを散らして、最後にチーズを包丁で薄く切り、深皿の上に被せるように乗せる。
一連の行程が終わったら、五つの深皿をオーブンに入れて、今度はスープ用の皿を食器棚から持ち出す。
まるで自分の家の台所のように、手際よく仕事をこなす修一郎を横目に見ながら、「やはり惜しいな……」と呟いた猫人族の店主の声は、作業に集中する人間族の耳には届かなかった。
その後もパノーバから指示を受けて忙しく動き回っていた修一郎であったが、客の数が減ったのか厨房内もなんとか落ち着いてきたようだ。
「正直助かった。ここまで忙しいのは滅多にないんだがな。
……ったく、ラローズの野郎戻ってきたら少しばかりきつく言っておかんとな」
「まあまあ。初めてならばそこまできつく叱らなくてもいいんじゃないですか。
二度目なら……まあ、そこはパノーバさんにお任せします」
鼻の頭に皺を寄せて怒っているパノーバを宥めながら、修一郎が苦笑する。
そんな遣り取りをしていると、店の裏口から当事者の声が聞こえてきた。
「すいません!戻りました!」
息を切らせながら戻ったラローズの手には大きな木箱が抱えられている。
「バカヤロウ!お前が確認を怠ったおかげでこっちは大変だったんだ!
そのせいで昼に出せるはずだった料理は出せなくなるわ、配膳に手間取るわ、おまけにシュウイチロウにまで手伝わせるはめになっちまった。
食堂やってる者なら、お客を待たせるような真似は絶対にやっちゃいけねぇんだ!」
どうやら修一郎のフォローは効果がなかったらしく、戻ってきたばかりのラローズの頭上に大きな雷が落ちた。
「す、すいません……」
項垂れるラローズに何か声を掛けようかと迷っていた修一郎だったが、カウンター越しのプレルから、今度はパノーバに向かって叱責が飛ぶ。
「店にはまだお客さんがいるんだよ!怒鳴るならお客さんがいなくなってからにしてちょうだい!」
然して大きくもない声だったが、効果は覿面だったようで、今まで威勢の良かったパノーバはぴんと立てていた耳を寝かせて「すまん……」と小さく呟くのだった。
項垂れる二人を見て、再び苦笑する修一郎だったが、ソーンリヴと自分の昼食のことを思い出して慌て始める。
「あ、拙い!昼飯買って帰らないと」
突然声を上げた修一郎に、パノーバが不思議そうな表情で尋ねる。
「なんだ?シュウイチロウ。もしかしてお前まだ昼飯食ってないのか?」
「食ってないも何も、昼飯食べようとここに来たらプレルさんに捕まったんですよ。
拙いなあ……。今から食べてたら休憩終わってしまうだろうし……」
「す、すいません、シュウイチロウさん。僕のせいでご迷惑をおかけしてしまったようで……」
何やら考え込んでいる修一郎に、ラローズがさらに項垂れて謝罪する。
「手っ取り早く食えるモノといったら、燻製肉とトルマーバの残りとパンくらいしかないが……。
持ち帰りとなると、トルマーバは難しいな。あとは」
同じように考え込んでいたパノーバが、現状を口にしようとした時、修一郎がいきなり顔を上げた。
「パノーバさん。厨房お借りしてもいいですか?」
「あ、ああ。それは構わんが。
料理に使える食材なんて殆ど残ってないぞ?」
「いえ、なんとかなると思います」
パノーバの許可を得た修一郎は、早速調理に取り掛かる。
余っていた干しブドウ入りのパンを、先ほどよりさらに薄く四枚ほど切り分け、片側の表面を軽く焦げ目がつく程度に炙る。
燻製肉とチーズも同様に薄くスライスし、干しブドウパンの焦がした面の上に燻製肉、チーズの順に重ねていく。
チーズの上に軽く胡椒を振り、半分干した状態でオリーブオイルに漬けてあったトマトを乗せ、塩を振る。
そうしたパンと片側を焦がしただけのパンを一つの金属トレイに乗せ、オーブンに入れる。
その間に、生で食べることの出来るサニーレタスに良く似た葉物野菜を水洗いして、パンと同じ大きさになるように数枚手で千切り、オレンジを二周りほど小さくした柑橘系の果物を半分に切って、絞った汁をその上に振り掛ける。
ちょうど頃合になったのか、オーブンからトレイを取り出し、チーズが熱でとろりと溶けたのを確認すると、その上に先ほどの野菜を乗せ、キツネ色に焼けたもう一枚のパンをその上に乗せる。
「これでいいかな」
ふぅと一息吐いた修一郎を、パノーバとプレルは、さも面白そうに、ラローズは呆気に取られた表情で見つめていた。
「すみません、パノーバさん。かなり好き勝手に食材使わせていただきました」
つけていたエプロンを外しながら、修一郎が申し訳なさそうに言う。
「なぁに、手伝ってもらった上に、また面白いモンまで見せて貰ったんだ。礼を言うのはこっちだよ。
で?“コイツ”は何て料理なんだ?」
既に何度か、少なくとも一回は修一郎がこの世界にはない料理を作る場面を見ているのだろう、パノーバは修一郎の作ったモノを興味深げに見ながら訊ねてきた。
「これは“サンドイッチ”と言います。
パンで食材を挟むだけなので、比較的短時間で作ることが出来ますし、色々な食材を挟むことで味の変化が楽しめますよ。
あと、片手で食べることが出来るのも利点としてありますね」
「へぇ、そりゃ面白そうだ。
なあ、シュウイチロウ。“コイツ”をウチの店で出してみたいんだがどうだろう?」
「え?それは構いませんけど……。
そうだ。だったら」
パノーバの申し入れに何か思いついたのか、修一郎が口を開きかけたとき、市庁舎の親鐘が三つ鳴り響き、遅れて教会の子鐘が一つ鳴った。
「あ!いかん、休憩時間が!
パノーバさん、これの代金なんですが……」
言いかけた修一郎にパノーバが笑って答える。
「ああ、いらんいらん。
さっきも言ったように、手伝ってもらったし、新しい料理も教えてもらったしな。
それからほれ、それを裸のまま持ち帰るわけにもいかんだろう?これを使え」
そう言って、調理台の横に積まれていた箱から、バナナの葉のような大きな植物の葉を二枚取り出した。
魚の蒸し焼きに使われる葉で、サンドイッチ程度なら充分包むことができる大きさだ。
「ありがとうございます!お言葉に甘えさせてもらいますね」
手際よくサンドイッチを包んだ修一郎は、厨房を後にしようとして、振り返った。
「そのサンドイッチのことですが、ちょっと私に考えがあるので、今夜にでも話しましょう」
それだけ言うと、その長い足をもつれさせるように走って店を出て行った。
「また、何か面白そうなことでも思いついたみたいね。
あの子が来るようになってから、ウチの店は世話になりっぱなしだわ」
そんな修一郎を微笑ましい眼差しで見ていたプレルは、楽しそうに呟いた。
「まったくだ」
既に別の調理を始めるため調理台に向かっていたパノーバは、背中越しに答える。
「え?あの、シュウイチロウさんって一体……」
未だ状況が掴めていないラローズに、詳しく話そうとプレルが口を開きかけたその時。
「おかあさんもラローズにいちゃんも、なまけてたらだめじゃない!」
厨房の入口で、腰に両手を充ててご立腹のクリュの姿があった。
修一郎が事務室に戻ったとき、ソーンリヴは様々な理由で機嫌が悪かった。
一つ、休憩時間が終わったというのになかなか帰ってこなかった修一郎に対して。
一つ、今日に限って朝食を抜いてしまって空腹が限界に近かったことに対して。
一つ、漸く戻ってきた修一郎が持ってきた昼食に、嫌いなチーズが入っていたことに対して。
一つ、休憩時間が終わる直前、修一郎の知人だと名乗る女冒険者が事務室を訪れ、やたら偉そうな態度を取っていることに対して。
一つ、その冒険者の容姿が、どう控え目に見ても自分とは比べ物にならないくらいに美しかったことに対して。
そういったことから、事務室に戻ってきた修一郎が一喝されるのはある意味必然だったのだろう。
最後の事柄については、八つ当たり以外の何ものでもないのだが。
「シュウイチロウ!お前はどれだけ昼食に時間をかければ気が済むんだ!
頼んだ物も、どこまで行って買ってきたのか知らんが、私は適当でいいと言っただろう!」
「すみません」
どんな理由であれ、遅れたのは間違いない。ソーンリヴの叱責は甘んじて受けるつもりの修一郎であった。
そこに第三者の声が割って入る。
事務室を訪れていた冒険者だ。
「そこまで怒る必要はないでしょう!?修一郎にも遅れる理由があったのかも知れないじゃない!
そもそも修一郎は、余程のことがない限り時間は守る人よ!」
興奮しているのか若干高くなってはいるが、良く透る鈴のような声だった。
「え?」
ソーンリヴの剣幕のせいで今の今まで気付かなかったのか、修一郎が間の抜けた声を上げる。
「やっ、修一郎!」
事務室入口から横にずれた場所で立っていた女冒険者に漸く気付いた修一郎が、声のした方向……右斜め後方に向くと、相手は笑顔で片手を上げて軽い調子で挨拶した。
腰上まで伸ばした流れるような黒い髪は、上質の絹糸を黒く染め上げたようで、この薄暗い事務室においても殆どその光沢を失っていないように見えた。
その黒い髪から少しだけ飛び出ている耳は、人間族の耳ともエルフ族の耳とも僅かに違っており、やや尖った形状は犬人族の耳に似ているが体毛は生えていない。
髪と同じ黒い瞳と吊り目がちの目、卵型の顔に、適度に高い鼻と小ぶりな唇といった造形は、大多数の者が美しいと感じることだろう。
歳の頃は二十歳前後くらいだろうか。そのままであればもう少し年上にも見えるだろうが、彼女の幼さの残る言動が年齢の特定を難しくしているようだ。
細身の体は、修一郎より若干低い程度で、人間族の女性であれば充分に長身だと言える。
ソーンリヴより幾分かは大きめな胸、くびれた腰、大きすぎない臀部に、女性らしさを残しつつ引き締まった体を覆う皮鎧と皮の篭手は、夏の草色に染められ、部分的に露出している小麦色にやけた肌は傷一つなく滑らかだった。
足には同じく夏草色の皮の脛当てと、冒険者が愛用する靴底・つま先・踵部分を鉄で補強したショートブーツを履いている。
本来なら腰に何らかの得物を差しているのだろうが、基本的に街中では冒険者や探鉱者の武器携行が禁止されているため、今は何もつけていないようだ。
旧知の顔を見た嬉しさからか、先ほどまで発していた挑発的な雰囲気は消え失せていた。
「……フォーンロシェさん?」
「もう!ロシェでいいって言ったでしょ!」
「うわっ!?」
嬉しさを全身で表して、両手を広げて修一郎に飛びついてくる。
その様子を横目で見ていたソーンリヴが、真冬の吹きすさぶ風のような温度を伴った声で、ぽつりと呟いた。
「シュウイチロウ……。ここは職場だぞ……」
先輩事務員の纏う怒気と冷気に気付いた修一郎は、とりあえず場所を移すことにする。
「ソーンリヴさん……。
あの、時間に遅れておいて申し訳ないんですけど、少しの間だけ席を外させてもらっていいでしょうか……?」
おずおずと訊ねる修一郎に、眉間に皺を寄せたソーンリヴは、纏う雰囲気と声の温度をさらに低くした。
「とっくの昔に午後の就業時間なんだがな?」
今、この部屋で思い切り息を吐いたら、その息は白く染まるかも知れないなと心中で苦笑しながら、修一郎は言葉を重ねる。
「すぐ済ませますから。このままだと彼女、素直に帰ってくれそうもありませんし」
修一郎とほぼ変わらない身長の癖に、修一郎の首にぶらさがるように抱きついていたフォーンロシェが、急に何かに気付いたように声を上げる。
「ん?んん?」
形の良い小さな鼻をひくひくと動かしながら、修一郎が未だ手に持っていた濃い緑の葉に包まれた物に視線を動かした。
「修一郎が持ってるモノ、もしかしてアレ?」
そう言ってソーンリヴの机の上に広げられた、包みの中身を指差す。
中身とは、勿論修一郎がプレルの店で作ってきたサンドイッチだ。
「ええ、そうですけど……」
修一郎がそう答えると、フォーンロシェの笑顔が一層輝きを増した。
「やった!あたし、まだお昼ご飯食べてなかったのよねー!」
言うなり、修一郎から葉の包みを奪い取ると、早速開け始める。
「あ、そ、それは私の……」
「いーのいーの。固いこと言いっこなしよ!」
瞬く間に包みを開いたフォーンロシェは、躊躇うことなくサンドイッチに齧り付いた。
「ん~!やっぱり修一郎の作った料理はおいしーねー!」
長い黒髪から覗く尖り気味の耳をぴくぴくと動かしながら、小さな口を精一杯開いてサンドイッチを頬張っている。
美しいというより、可愛いらしい仕草で食事をしているフォーンロシェを、やれやれとばかりに苦笑しつつ見ていた修一郎に先輩事務員から言葉が飛ぶ。
「お前たちの仲が良いのは分かったから、さっさと行って来い。
事務室でじゃれ付かれても仕事の邪魔になるだけだ」
怒るのも馬鹿らしくなったと言わんばかりの呆れ顔で、ソーンリヴは外に出て話せと促した。
「何よぉ!感動の再会を邪魔してんのはそっちでしょう!?
別に子鐘一つほど話し込もうってわけでもないんだからいいじゃないの!
だいたい客人に茶も出さないなんて、どういう」
ソーンリヴの言葉に、サンドイッチを食べるのを中断し、再び柳眉を吊り上げて反論しようとしたフォーンロシェの耳に、修一郎の固い声が聞こえてくる。
「ロシェ。やめてください」
「あ……。ごめん、修一郎……」
見る間にしょげ返るフォーンロシェの後ろに回り込むと、彼女の両肩に手を置いて、事務室の入口へと押しやりながら、修一郎は殊更申し訳なさそうにソーンリヴに告げた。
「すみません。それでは、少しだけ外に出てきます。すぐに戻りますから」
フォーンロシェに何か言い返そうと口を開きかけていたソーンリヴは、ため息を一つ吐くと「ああ」とだけ応えた。
扉を開け、通路に出て行こうとした修一郎は、あることに思い当たったように振り返る。
「あ、あとその食べ物ですが、できるだけ温かいうちに食べちゃってください。
チーズが入ってますが、炙って溶かしてありますので、それほど歯触りは気にならないと思いますよ」
そう言い残すと、今度こそ本当に修一郎はフォーンロシェを押して店の外へと向かった。




