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街の事務員の日常  作者: 滝田TE
街の事務員の日常
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第十二話 帰ってきた冒険者と、わたしにできること


 ルキドゥがプレルを伴って戻ってきたのは、大鐘三つと子鐘一つ(午後一時)を少し過ぎた頃だった。

 ルキドゥはぱんぱんに膨れ上がった袋を背負い、加えて、両手で食料品の入った布袋を抱えている。

 プレルも、蔓で編まれた大きな手提げ式の篭を、両手に持っていた。


「ただいま」


 ルキドゥが玄関を潜り、廊下を歩いて居間に入ると、そこには既に新品のテーブルと椅子が運び込まれ、広げられた絨毯の上に置かれいた。

 テーブルは長方形で、椅子は六脚。短辺に一脚ずつ、長辺に二脚ずつセットされており、ゼリガたち手伝い組が座っている。

 家主である修一郎の姿を探して、見回していると、つい今しがた歩いてきた廊下から、その本人の声がかけられる。


「おかえり、ルキドゥ。大変だったでしょう?」


 振り返ると、まだ冬の季節だというのに、上着の長袖と長ズボンを捲り手桶を持った、風呂場から出てきた修一郎の姿があった。


「それでは、食料は台所に運んでください。他は居間の隅にでも置いてもらえればいいですから」


 少年を労いながら、長身の男は台所に向かう。

 言われたとおりに居間の入口横に、買ってきたランプや石鹸、新品の大きなタオルなどの入った背嚢を置くルキドゥに、テーブルについていた面々からも、ルキドゥに労いの言葉がかけられる。


「よお、帰ってきたかルキドゥ。ご苦労さん」

「なかなかに力があるようだな、ルキドゥ君。疲れただろう?荷物を台所に置いてきたら、少し休むといい」

「ちゃんとプレルさんを案内してきたようだな。少年」

「お疲れさまです、ルキドゥさん」

「偉いの。坊主」

「お疲れさん」


 ゼリガが、イルーが、ソーンリヴが、クローフルテが、レベックが、ルードが、それぞれがそれぞれの言葉で少年を迎えた。


「あ……。は、はい」


 何と応えて良いのか分からず、戸惑うルキドゥに、後から居間へ入ってきたプレルが椅子に座っている面々を睨む。


「ルキドゥ君はね、これだけ荷物があるのにも拘らず、あたしの篭まで持ってくれようとしたんだよ。

 呑気に座ってる男どもも、少しは見習ったらどうかしらね?」


「い、いや、だって重そうだったし……」


 すっかりとまではいかないのだろうが、ルキドゥもプレルもそこそこ打ち解けたようで、道中、少ないながらも会話をしつつ、ここまで来ている。


「そりゃねぇよ、プレル。俺たちゃ、ついさっきまでベッドやらテーブルやら運んで動き回ってたんだぜ」

「む……。私もルキドゥ君について行けば良かったのかも知れないな」

「わしゃ、手伝いじゃのうて祝いに来たようなもんじゃからの。大体、この背じゃたいした物も運べんわい」

「手厳しいねぇ」


 テーブルで一休みしつつ雑談していた男性陣が、首を竦める仕草でおどけてみせた。

 そんな男どもを見て苦笑しながら、ソーンリヴが援護に回る。


「まあまあ、プレルさん。確かに先ほどまで家具の移動や据え付けで、働いていたのは間違いないんだ。

 少しの休憩くらい大目にみてやってくれないか」


 注文していた居間に置く家具は、どうやら手違いがあったようで、大鐘三つ(正午)を過ぎても届かなかった。

 子鐘半分(三十分)を過ぎたあたりで、漸く届いたのだが、荷車を引っ張ってやって来たのは、人間族の男性一人だけだった。

 おかげで、各部屋のベッドと収納棚の設置を終えた男性陣は、そのままテーブルや椅子の運びいれをする羽目になったというわけだ。

 昼飯時を過ぎても、あれやこれやで力仕事を続けることになった者は、空腹を抱えたまま動き回っていたのだ。


「ふーん……。ならまあ、しょうがないか。

 じゃあみんな、シューイチロー直伝、プレル特製のサンドイッチの差し入れよ。

 さあさあ、食べたいなら手を洗って来なさい」


 居間に置かれたばかりのテーブルの上に、持っていた篭を置き、覆うように掛けられていた布を外す。

 中には、以前修一郎がソーンリヴのために作った時と同じく、緑色の大きな葉に包まれた塊がいくつも入っていた。

 歓声を上げる面々を他所に、ルキドゥとプレルは修一郎の後を追って台所に向かった。


「プレルさん、今日はわざわざすみません」


 台所に入るや否や、流しと調理台と竈が一体となった仕様に、驚きの声を上げているプレルへ、修一郎が捲った袖を戻しながら、振り向く。

 ルキドゥは、流しの横に置かれた収納棚に、早速買ってきた食料などを入れている。


「シューイチロー、これ、“料理が趣味”どころの話じゃないわよ!

 ウチの厨房と殆ど変わらないじゃないの」


「それは大袈裟でしょう。

 竈の炉の数も少ないですし、調理台もプレルさんの所ほど広くもないですよ」


「全く同じなら、ここで食堂開けるわよ……」


 腰に手を充てて呆れている猫人族の傍に、買ってきたものをしまい終えた小さな虎人族が並ぶ。


「シュウイチロー、お茶淹れるんだろ?これでいいか?」


 調理台の上には、今まで二人が使っていた木製のコップと、新たに購入した陶器製のカップと受け皿が八客、それにポットが用意されていた。

 ルキドゥは、今しがた買ってきた茶の入った袋を持っている。


「ええ。では、君はお湯を沸かしてくれますか?

 私は風呂に水を張ってきます」


「分かった」


 頷いて竈に向かうルキドゥを柔らかな眼差しで見つめながら、プレルが修一郎に問う。


「フロ?何、修一郎。

 また新しいモノでも作ったの?」


「ええ。長年の夢の一つが叶ったんですよ。

 お見せしますから、付いて来てください」


 まるで自分の宝物を見せびらかす少年のような顔つきで、修一郎は風呂場に案内するために、プレルを連れて台所を出て行った。

 竈に薪を入れ、『着火』の魔法で火をつけたルキドゥは、茶葉の入った袋を開けながら、小さく呟く。


「ほんとに、子供みたいだ」


 自然と浮かんだ笑顔は、修一郎に対してか、新しい家に一緒に住むことに喜んでいる自分の状況に対してか、それは少年自身にも明確な答えは出せなかった。




 プレルからの差し入れを食べ終え、一息ついたところで、ルードはこれから用事があるから、と言い残して帰っていった。

 レベックとバランダは、風呂用の竈に風除けが必要だということで、急遽、商業地区へと資材の買出しに出掛けている。

 どうやら、風除けを作ることで引っ越し祝いの代わりにするつもりらしい。

 イルーとゼリガは庭を掃除すると言って外に出ており、クローフルテとプレルは使った食器の片付けをしている。

 ルキドゥは、自分に充てがわれた部屋で、荷物の整理をしていた。

 居間には、何となく手の空いてしまった、修一郎とソーンリヴが残されていた。


「しかし、本当に家を買ってしまうとはな。

 別に、他人の行動にとやかく言うつもりはないが、お前も思い切ったことをしたもんだ」


「そうですねぇ……。いずれ何処かに腰を落ち着けるつもりではいましたし、丁度良い機会かと思いまして。

 それに、私はこの街も、そこに住む人たちも、好きですから」


 柔らかで、それでいてどこか頼りなさそうな、そんないつもの笑顔の修一郎を、ソーンリヴは黙って見つめている。

 彼女には話すわけにはいかないが、もう一つ大きな理由もある。だからと言って、今の言葉に嘘はない。


「そうか。私はこの街の出身だから、他所の街がどうかは伝聞でしか知らん。

 だが、王都やダリンもなかなかに住み良い街だとは聞くぞ?」


「確かに、王都も良い街だとは思います。けれど、あそこは私にとっては、少しばかり賑やかに過ぎますね。

 ダリンやナダルヌも考えなかったわけではないですが、向こうの世界で事務屋をやっていた私に、就ける仕事があるかどうか……。

 なんせ、魔法が使えないうえに非力ですから」


 右腕を曲げ、全く浮かび上がらない力瘤を見せるような仕草をして修一郎は自嘲するが、ダリンやナダルヌにも商店はあるし、事務を必要としている店はあるだろう。

 ただ、魔力がない修一郎にとっては、その事務すら満足にこなせないという事実は、能力的にではなく体質的な面で、確かにあった。

 マリボー商店のように、事務員が二人以上居るならば問題ない。ソーンリヴがやっているように、魔法を使う作業とそうでない作業に分かれれば済む話である。

 だが、一人だとそうはいかない。この国で広く使われている出納板の取り扱いが、修一郎では出来ないからだ。

 どうせ新たに雇うなら、魔法が使えない修一郎よりも、魔法を使える者を雇うほうが、遥かに役に立つ。

 そういった意味では、以前ソーンリヴが言った「何のつもりで、マリボーは修一郎を雇ったのか」という疑問は、尤もであった。


「これほどの家を買う余裕があるなら、術石くらい買えるはずだぞ?

 純粋な魔力だけを込めた術石なら、お前でも使えるだろうに」


 この家がいくらしたのか、ソーンリヴは知らない。だが、中古であっても、一般市民が住む家よりも大きく、その上購入にあたって改修や増築まで行っている。

 加えて、引っ越しに際して、新たに家具を相当数購入しているのだ。それらの総額を考えると、修一郎が一般貴族並みの資産を有していてもおかしくはない。

 おまけに、ライターやメガネの試作を職人に依頼するにも、それなりに金はかかっているはずだ。

 となると、修一郎が普段から、術石を買う金がない、と言っていることと矛盾してくる。


「ええと、それはですね……」


 言いかけた修一郎の声に被さるように、玄関からレベックの声が響く。


「シュウイチロウ、戻ったぞい!

 あと、客が来とるぞ!」


 修一郎が座っていた椅子から立ち上がると、レベックの横をすり抜け、廊下から居間へと駆け込んできた黒い影が、声と同時に修一郎に飛びついた。


「修一郎!帰ってきたよ!」


「うわっ、ろ、ロシェ!?」


 硬い皮鎧が胸に当たって少しばかり痛かったが、その影は一向にお構いなしである。

 再会の喜びを、体と顔と声を総動員して、いつかの様に修一郎の首にぶら下がっている。

 名前を呼ばれた黒髪の女冒険者は、ぶら下がったままで、眉根を寄せて口を尖らせた。


「店は閉まってるし、いつもの長屋に行ったら誰も居ないしで、探したんだからね!

 なぁんで引っ越したって教えてくんなかったのよぅ!」


「無茶を言わないでください、ロシェ。だいたい、引っ越したのは今日の今日ですよ」


 首に掛かる重さに、若干ふらつきながらも修一郎が弁明するが、フォーンロシェには通じなかった。


「そんなの関係なーい!私の“能力”がなかったら、街中探し回る破目になってたのよ!」


 修一郎の首にぶら下がったまま、体を左右に揺する混血者の少女の機嫌は治まりそうにない。


「グラナ、貴方からも言ってください」


 フォーンロシェに遅れて居間に入ってきた狼人族の冒険者に、修一郎が助けを求める。


「なかなか立派な家だ。まずは、おめでとう、と言うべきなのだろうな」


 ああなると、ちょっとやそっとじゃ治まらない相方の性格を知悉しているグラナは、じゃれ付かれて困惑している修一郎に、軽く礼をすると続けた。


「それで、修一郎。依頼の話だが、“それ”らしき物が見つかった。

 一つは生のまま凍らせ、一つは中の種だけ持ち帰った。確認して欲しい」


 マイペースを装って、巻き込まれるのを回避すべく事務的に話を進めるグラナに気付いた修一郎だが、同時に背後に漂う、不穏な空気も感じ取っている。

 顔を出来るだけ動かさず後ろを確認すると、椅子に座り、冷え切った視線でこちらを見つめるソーンリヴの姿があった。


「と、とにかく。ロシェも落ち着いてください。

 それで、グラナ。“それ”は今ここに?」


「無論だ。おい、ロシェ、荷物を出せ」


 未だに修一郎にぶら下がっているフォーンロシェを強引に引き剥がしながら、彼女が背負っている背嚢を叩くグラナ。


「分かったわよぉ。修一郎、一つ貸しだからね!」


 渋々といった態度で、言われたものを取り出すと、フォーンロシェは“それ”を修一郎に差し出した。


「はい、これ。修一郎が言ってたのって、これのことじゃないかなって思うんだけど……」


 一つは、そこら辺で見かけるような広葉樹よりも、幾分か分厚いの葉の付け根に、小さな赤い実が三~四個生っている枝を、そのまま『氷結』の魔法で氷漬けにしたもの。

 もう一つは、その実の種らしき薄い小麦色の小さな粒が入った麻袋である。

 枝のほうは、氷ごと麻の布で何重にも巻いて、その上におが屑で満たした皮袋の中に埋めてあった。


「ナダルヌ周辺にはなくってさ。結局、イレ・マバルまで渡っちゃったわよ。

 ま、そのおかげで見つけることが出来たんだけどねー」


「現地の者に訊くと、その実は食べることが出来るそうだが、果肉が少なく種が大きいためか、殆ど流通には乗らず、現地の子供たちが偶に食べる程度だそうだ。

 果肉が甘いというのも、修一郎の言っていた条件に合致する」


「種は食べても美味しくないらしくて、子供と一緒に実を食べまくって集めたのよ?

 こんな物、どうするつもりなの?」


「これが生っていたのは、イレ・マバルでもかなり南方の島だけだった。

 この辺りの風土では栽培は難しいと思われるが」


 二人の冒険者から交互に説明を受けながらも、修一郎は麻袋の中の種を手に持ち、間近で観察したり、匂いを嗅いだりしている。

 この世界でも流通している、大豆より一回り小さな豆のような形状の種で、その殆どは乾燥しており、薄皮に包まれているようである。

 その薄皮を丁寧に剥いてみると、薄い小麦色から黄色みのかかった乳白色の種に変わる。

 匂いからは判断できないが、氷漬けにされた枝とこの種から判断して、まずコーヒー豆で間違いないと思われた。


「いえ、栽培は考えていませんよ、グラナ。

 ところで、この種はこれだけですか?」


 修一郎の世界の度量衡で言えば、大体500グラム程度の豆が入った麻袋を見る。


「ううん。あたしたちが集めてたら、村の子供たちも協力してくれてね?

 沢山持って帰って来ちゃった」


 そう言いながらフォーンロシェが背嚢から、先ほど出した麻袋と同じ大きさの袋を三つ追加した。

 修一郎は、元の世界ではコーヒー中毒者に近い状態であり、実のところ、この九年間、なんとかしてコーヒーを飲むことが出来ないかと探し回っていたのだ。

 元の世界でも試したことがなかったのに、タンポポの根を煎じればコーヒーのような味がするという、真偽の定かでない話の記憶を元に、この世界のタンポポに酷似した植物の根を煎じたこともある。

 結果は、激しい腹痛に襲われ、調薬士の世話になってしまったが、それでもコーヒーの味を諦めきれない修一郎だった。

 これだけあれば、多少失敗しても暫くは楽しめそうだ、と判断した修一郎は、二人に対して勢い良く頭を下げた。


「“これ”で間違いないと思いますよ。

 いやあ、この世界に来てから望んでいたことが、一日に二つも叶うことになるとは、思ってもいませんでした。

 グラナ、ロシェ、本当にありがとうございます!」


「では、これで依頼達成ということで問題ないな」


「ええ。後できちんと報酬は支払いますよ。

 とりあえず、お茶を淹れますから、二人もそこに座っていてください」


 完全に浮かれてしまっている修一郎は、ソーンリヴの冷たい視線にも、そんな修一郎を初めて目にして唖然としているフォーンロシェにも構わず、台所へとスキップするかのような足取りで消えていった。


「な、なんか……あんな修一郎見たの初めてかも……」


「俺もだ。余程、“あれ”が嬉しかったのだろうな」


「…………」


 テーブルを挟んで向かいに座った二人の冒険者に対して、ソーンリヴは友好的とは言えない視線を向けて黙っている。

 フォーンロシェとの初対面時の印象が、拭いきれないのだろう。

 そんなソーンリヴの視線に気付いたグラナが、向かいの人間族の女性に向き直り、言葉を発する。


「む?ああ、俺とは初めてだったな。

 俺は、グラナ。冒険者をやっている狼人族だ。

 隣に座っているのは、知っているだろうがフォーンロシェという。俺の相方だ。

 俺とロシェは、以前、隊商護衛の仕事で修一郎と知り合って、それ以来の付き合いになる」


 修一郎とグラナ、フォーンロシェの正確な関係を把握していなかったソーンリヴに、あっさりと全てを明かしたパートナーに向かって、フォーンロシェが再び口を尖らせた。


「なんで全部言っちゃうのよ!もうちょっと楽しめるかと思ってたのに」


「……楽しめるとは、どういう意味だ?小娘」


 フォーンロシェの一言に、柳眉を跳ね上げて臨戦態勢を整えるソーンリヴ。


「べっつに~。分かってるんじゃないの?」


「私と修一郎は、職場の上司と部下という関係だ。下衆な勘繰りはやめてもたいらいものだな」


「……下衆とは言ってくれるじゃないの」


 向き合う女二人の間で、言葉という名の弓の射掛け合いが始まるかに見えたが、自分の部屋の整理を終えて、階下に降りてきたルキドゥの言葉で、それは中断される形となった。


「シュウイチロー、また誰か来てるのか?」


 居間へと入ってきた小さな虎人族の姿を見て、フォーンロシェとグラナが表情を変える。


「え?え?何?この子誰?」


「む……。虎人族か」


 冒険者という稼業をやっていれば、何度か虎人族にも出会っているが、子供で、しかも修一郎に対し砕けた口調であったので、二人の興味を惹いたようだ。


「ああ、ルキドゥ。彼らはな、シュウイチロウの旧い知人だそうだ。

 こちらの狼人族がグラナ。で、そっちの黒髪『の』がフォーンロシェ」


 目線だけで二人を紹介すると、フォーンロシェが何か言い返そうとする前に、ソーンリヴは椅子から立ち上がると、台所へと足を向けた。


「は、初めまして……。ルキドゥと言います。

 シュウイチローと一緒に暮らしています」


 ルキドゥはルキドゥで、この日何度目かの自己紹介にすっかり慣れてしまい、普段とは違った余所行きの口調で喋っている。


「あ、こ、これはどうもご丁寧に……」


 可愛くお辞儀をする少年に、フォーンロシェも先ほどまでの怒気が霧散したのか、間の抜けた返事をしてしまう。


「こちらこそ宜しくな、ルキドゥ」


 そんな相方とは対照的に、グラナは落ち着いた様子で応じていた。


「少年、シュウイチロウは台所に居るぞ。お茶を淹れるそうだから手伝ってやってくれ」


「分かった」


 頷いて台所へと向かうルキドゥを見送ると、肩を竦めつつ、台所のカウンター前に立って、ソーンリヴは二人に説明する。


「まあ、そういう訳で、この度の引っ越しとなったわけだ。

 他にも思う所はあるようだが、どうやらこの街に腰を落ち着けるつもりらしいな、シュウイチロウは」


 その言葉を聞いた、フォーンロシェとグラナは、それぞれの表情で、それぞれの思考の森の中に入り込んで行ったようであった。






 レベックとバランダが、風呂場の竈用にと作った風除けは、半ば部屋とも言える設えとなった。

 雨除けの庇に合わせる形で、四方に木の壁が作られ、換気用兼燃料の薪を搬入するための扉まで新たに取り付けられている。

 竈部屋とも呼べる室内には、竈用の薪を置く場所も作られ、レベックの工房で余った木切れなども既に運び込まれていた。

 その二人は、修一郎からの夕食の誘いを断り、既に帰ってしまっている。

 家族第一であるゼリガと、実は近々子供が生まれることが判明したイルーも、既に自宅へと戻っていて、この場には居ない。

 ソーンリヴは、久々に酒が呑みたいと言い出して、応とも否とも言わなかったクローフルテを連れて、食堂通りへと消えていった。

 今日、この街に戻ってきて、その足で修一郎の家にやってきたフォーンロシェとグラナは、期せずして、新たなヤスキ家の第一号の客人となった。

 夕食を食べ終え、茶を啜りながら寛いでいる冒険者二人に、家主である修一郎が告げる。


「グラナ、ロシェ。風呂が沸いたようです。

 どうです?入ってみませんか?」


 既に、風呂についての説明を修一郎から聞いていた、二人のうちの一人は、その提案に有難く乗ることにした。


「入る入る!体が浸かるほどのお湯って体験したことないのよねー。

 グラナは当然入るとし」

「待て。俺は入るつもりはないぞ。別に汚れてもいないし、タオルで拭けば充分だ」


 フォーンロシェの言葉を遮るように言い切ったグラナは、コップに残った茶を飲み干した。


「では、修一郎。済まんが、俺は先に部屋へ行かせてもらう。

 装備の手入れをしておきたいのでな。

 後で、手桶に湯を貰えると助かる」


「分かりました。タオルも用意しましょうか?」


「いや、タオルは自前の物があるので必要ない。部屋は二階の一番奥で良かったか?」


 なんでよーだの、汚くしてると嫌いになるぞだのと、ぼやいている相方を無視して、グラナは階段へと向かう。


「はい。客用の布団がまだ一式しか揃ってないので、ロシェと同室になりますが、良かったですよね?」


「寝られれば、俺はどこでも構わんさ」


 本当は相方である黒髪の混血者と恋仲なのだが、それをおくびにも出さず淡々とした口調で、狼人族は二階へと上がって行った。


「もう!仕方ないなあ。

 じゃあ、ルキドゥ君!お姉さんと一緒に入ろ?」


 連れを説得するのを早々に諦めたロシェは、次の目標をルキドゥに定めたようだ。


「え!?お、オレはいいよ……」


「照れない照れない。こーんな綺麗で優しいおねーさんと一緒なんだよ?

 遠慮してないで、来・る・の!」


 強引に少年の腕を引っ張って風呂場に向かうフォーンロシェに、綺麗はともかく優しいはどうなんだろう、と思った修一郎であったが、口に出すような馬鹿な真似はせずに、一つ苦笑を漏らすと、居間のテーブルの片付けを始めたのだった。






「…………それ、修一郎には言ってるの?」


 真面目な声音で、フォーンロシェがルキドゥに訊ねる。

 適温に調整された湯に浸かり、傷一つない滑らかな肢体を伸ばして寛いでいるように見えるものの、顔は真剣そのものである。

 日本の風呂場のように、残響音で普段の彼女の声とは微妙に違って聞こえるが、今はそんなことを気にする時ではない。


「…………言ってない」


 訊かれたルキドゥも、湯船に浸かったまま、俯き加減に答える。


「じゃあ、ずっと隠すの?」


 二人の間と言わず、風呂場の中には湯気が充満している。

 天井から落ちた水滴が、湯面に当たって小さな音を立てる。

 壁にかけられたランプの光が、白いタイルに反射して風呂場の中は思いの外明るく、互いの表情も分かる。


「そんなことは……!ない、けど……」


 消え入りそうに答えるルキドゥの声が、浴室に響く。


「一つだけ、確認させて」


「うん……」


「修一郎を、騙すつもりなの?」


 そう口にしたフォーンロシェの瞳には、苛烈な炎が宿っている気がした。

 ルキドゥは慌てて、だがきっぱりと否定する。


「騙したつもりなんかない!ただ、成り行きでそうなっただけで!」


「そっか。なら、いいや」


 先ほどまでの態度を一変させて、黒髪の少女は身体を更に湯の中へ沈める。

 修一郎をどのような形であれ害する者は、絶対に許すわけにはいかない。

 そうでないのなら、後は修一郎が判断することだ。そして彼は、重要な判断を誤るようなことはしない人間だ。

 恋愛感情はグラナに向いているが、異世界から来た人間族の男は、フォーンロシェの大切な人であることは間違いない。

 短くない修一郎との付き合いの中で、あの男をそこまで信じることが出来るようになっていたからこそ言えた台詞であった。


「どうすればいいと思う?」


 フォーンロシェと並んで浸かりながら、ルキドゥは迷っている。


「あなたの好きにすればいいわよ。決めるのはあなただもの。

 修一郎なら、どんな事実であれ、受け止めてくれるとは思うけどね」


「そうかな……」


 修一郎と付き合いの長い女冒険者の言うことであるから、信じてもいいのかも知れない。

 それでも、ルキドゥの迷いは完全には消えない。

 本当のことを話して、修一郎に拒絶されたらどうすればいいのか。

 数ヶ月前であれば、今までの生活に戻ればいいだけだ、と鼻で笑うことも出来たが、彼との生活を過ごすうちに、そんな考えは既に浮かばなくなって久しい。


「そうよ。自分のことは自分自身で決めるものだもの。

 あなたのことは、あなたにしか決めることはできないし、そうじゃなきゃ生きてる意味ないでしょ?」


 混血者である自分が辿ってきた人生は、全部が全部自らが決めたことではないが、重要な場面で他者に判断を委ねた経験は、フォーンロシェにはない。

 助言を請うたり、判断材料を要求したことはあれど、最終的な決定は全て自分でやってきたことだ。


「オレに……」


 そう言えば、昼間、修一郎に同じようなことを言われたな。

 どうやら、アイツの周囲に集まる者は、他人に対して、必要以上にあれやこれやと口を出すような輩はいないらしい。

 これも、あの頼りなさそうな人間族の男の人柄のせいなのだろうか。


「わたしにできること……」


 呟いた声は湯気の中へと響きながら消えていき、それを耳にしたフォーンロシェは満足そうな表情で、“フロ”を存分に堪能することにした。




後書きという名の言い訳

 風邪ひいてました。

 あと、書き溜めていた話は今回で完全に尽きました。

 大まかな流れをつらつらとメモってはいますが、今後は週に一、二度くらいの更新ペースとなると思います。

 他の作家さんの作品を読まれる合間に、「そういやあれどうなったかな」程度に読んでいただけると幸いです。

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