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街の事務員の日常  作者: 滝田TE
街の事務員の日常
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第十一話 新たな我が家と、オレができること


 修一郎が購入した家の、引渡しが行われる当日。

 修繕箇所と改修がなされた台所、増築された風呂場部分の最終的な確認が、修一郎、コスラボリ、クータンの三者立会いの下、行われていた。

 竣工検査と言えば大袈裟になるが、修繕部分のチェックと、修一郎が依頼した台所の改修、増築された風呂場、それらが、修一郎の要求したとおりのものとなっているかを、引渡し前に確認することは、当然である。

 クータンを先頭にして、修繕箇所を見て回った三人は、台所に移動した。

 改修前は、修一郎が今現在住んでいる長屋と同じように、仕切りなしで居間から一段下がって台所に繋がる形となっていたが、改修後は、居間と台所の床面は同じ高さに揃えられ、仕切りとなるように、修一郎の腰くらいの高さのカウンターが新たに設置されている。

 カウンターは、居間と台所を完全に仕切った訳ではなく、片側は壁面に据え付けられていたが、反対側は人二人が横に並べる程度の空間が確保されていた。

 所謂、キッチンカウンターである。

 台所内部は、奥の壁に取り付けられた、タイル張りのシンクの上に任意で水が出せるような機巧のある水道管が引かれ、シンクの底には、屋外の地下に埋設された下水道管に直結する配水管が取り付けられている。

 シンクは、上面の高さが同じ調理台へと続き、そこから少し低くなった三炉式の連結竈へと繋がっており、一昔前の日本の家庭にあるようなシステムキッチンの体を成していた。

 調理台の下には、扉こそないものの、鍋ややかんを置くことができるほどの広さがある収納スペースも確保されている。

 さすがに、こちらの世界では、ステンレスのような耐食性に優れた合金は発明されていないため、レンガで基礎を組み、その上を、白いセメントに似た耐水性のある接着剤を使って、陶器製のタイルで覆ってあった。

 この辺りは、修一郎も詳しくないので、水漏れやタイルの剥離が起こらないことを確認するに止めた。

 竈は一体型で、煙を外に排出する煙突も一本であるが、それぞれの炉は内部で仕切られており、三つある竈口は独立していて、各々火力の調整が出来るようになっている。


「料理人でもないのに、台所にここまで凝る奴はアンタが初めてだよ、兄さん」


 一つ一つ確認しながら、満足そうな笑みを浮かべている修一郎を、クータンが呆れ半分、感心半分といった顔で眺めている。


「料理が趣味なんですよ。今、住んでいる長屋は台所が小さくて、まともな料理ができませんからね。

 この際ですから、とことん拘ってみようかと思いまして」


「なるほどねぇ。でも、この一体型の調理台はいいねぇ。

 今度、家を作るときは、これで行ってみるかねぇ」


 ちらりとコスラボリに目を遣って、クータンは独り言のように口を開いた。

 コスラボリは、黙って頷く。


「どうでしょうね?私は、こちらのほうが使い易いと思ったから、お願いしたまでですから。

 他の方は、今までのように流しは流し、調理台は調理台と分かれているほうを選ばれるかも知れませんよ」


「気に入られなければ戻すまでさぁ。俺は良さそうだと思うけどねぇ」


「機会があれば、私どもからお客様にご提案させていただく、ということで良いのではないですか」


 コスラボリはクータンに向かってそう言うと、先を促すように続けた。


「そうだなぁ、それについちゃあコスラボリの旦那に任せるさぁ。で、兄さん。

 次は、“フロ”を見てくれよ。あっちはここ以上の自信作だぜぇ」


 台所を出て、居間を通って廊下に出ると、先ほどと同じくクータンが先に立ち案内する。

 二階に上がる階段の前を通り過ぎ、便所の横に新たに作られた扉の前に立つと、ここだぁ、とブラウニー族の男が胸を張った。

 どうやら彼にとっても、かなりの自信作となったのだろう、背の低い妖精族が仰々しく扉を開く。


「ほぉ……」


 コスラボリも完成後の現場は初めて見たらしく、修一郎が口を開く前に、感嘆の声を上げる。

 スペースと給排水上の問題から、脱衣所こそ作られなかったものの、修一郎が待ち望んだ光景がそこにあった。


「……うん!いいですね!」


 目の前にあるのは、五畳ほどの広さの浴室で、床と壁は一面陶器製のタイル張りである。

 床は、白と水色と薄緑のタイルがランダム、壁が、白一色のタイルだった。

 入口正面の壁には、照明用のランプをかけるための金具が二箇所と、採光と排気を兼ねた小さめの跳ね上げ窓が取り付けられており、窓枠には曇りガラスが填め込まれていた。

 その窓の下には、青と緑のタイルが貼られた浴槽が設えてある。

 大きさは、修一郎が横になって浸かっても充分な余裕があり、もう一人くらい入っても問題なさそうだ。

 浴槽は、かつての日本でよく見かけたバランス式ともバランス釜とも呼ばれるものを参考にしており、浴槽の底に近い側面には、縁が銀色の穴が少し間を空けて縦に二つ並んでいる。

 その穴は、浴槽から風呂場の壁を通って、外へと続いていた。

 風呂場入口扉から見て、右側の壁面に、もう一つ小さめの扉が設けられており、そこから屋外に出ることができるようだ。

 その扉から、外を覗いて見ると、丁度浴槽の穴が伸びて来ていると思われる場所に、小さな竈が作られていた。

 竈の中には、風呂場から伸びてきている銀色のU字型の管があり、これを熱することで、浴槽の水を加熱することが出来るようになっている。

 この世界にはガス湯沸かし器などないため、バランス式と五右衛門風呂を併せたような湯沸し方式にしたのだった。

 竈の上には、雨よけ用の庇が伸びていて、一応雨天時に竈が濡れることを防ぐようになっている。

 術石を使えば、火の魔法を封入して加熱器代わりにしても良いのだろうが、魔法が使えない修一郎は、この方法しか思い浮かばなかった。

 風呂場には、台所と同じ機巧が取り付けられた水道管が浴槽に向かって伸びており、浴槽の底には木栓の填められた排水用の穴もある。

 要望どおり、風呂場の床は僅かな傾斜が付けられ、排水口に水が集まるようになっていた。

 洗い場の広さも充分で、修一郎の想像していた風呂場とほぼ変わらないどころか、それ以上の仕上がりに、修一郎は満足の吐息を漏らした。


「でもよぉ、兄さん。この湯を沸かすための管は、“硬銀”を使っているとは言え、何年かに一度は交換しないといけねぇぜぇ?

 ま、俺んトコに言ってもらえりゃ、すぐに対応するけどなぁ」


 硬銀とは、この世界でも数少ない合金の一つらしく、銀と、修一郎が発音するには少しばかり難しい聞いたことのない金属を、魔法を使って作成するらしい。

 耐熱性と耐食性に優れているが、金属の配合比率が難しいことに加えて、魔法を使わなければ合成できないため、量産はされておらず、王族や一部の貴族が調理器具として使っている程度だ、とはクータンの言である。


「ええ。その時はまたお願いしますね、クータンさん」


 一瞬、バランダならば作ることができるかも知れないと思いはしたが、ここはクータンの言うとおりにしたほうが良いと判断する。

 コスラボリがクータンと懇意にしているように、クータンも懇意にしている職人が居るのだろう。

 法外な金額を取られでもしない限り、多少なりとも利益が広く分配されるのであれば、それに越したことはない。

 この街に腰を据えるならば、様々な方面に伝を作っておくことは、決してマイナスではないからだ。

 その後、地下貯蔵庫の壁面に小さな亀裂が入っていたのに気付いたクータンが、事前に確認した事項に入ってないのにも拘らず、独断で補修した旨が伝えられた。

 料金のことを訊ねた修一郎に、


「ああ、それはいらねぇよぉ。俺が勝手にやったことだしなぁ。

 それに、久々に遣り甲斐のある仕事だったからよぉ。

 兄さんには、これもおまけしてやらぁ」


 そう言って笑うと、クータンは、コスラボリの手からこの家の鍵を二つ受け取り、それぞれに『施錠』の魔法をかけた。

 ブラウニー族は、街の妖精族と呼ばれるとおり、自らが住み着く街や家に関してのエキスパートで、街全体の上下水道の埋設配管や、建物の傷んだ箇所を、実際に見ることなく探り当てる固有能力がある。

 市庁舎内の都市整備部門にも数人のブラウニー族がいると聞いたことがあるし、クータンのように家の建築や改修業務を生業としているブラウニー族も少なくない。

 そして、今や国中に広まった『施錠』という魔法も、元はブラウニー族の編み出したものである。

 金庫や扉単体にかける『施錠』は、対象物に直接術処理を行う単純なものだが、修一郎が住んでいる長屋の鍵にかけられているような『施錠』は、少し複雑な術であった。

 鍵を用いて行う『施錠』は、まず建物に『施錠』用の術式陣を施す。陣と言っても、修一郎の世界のファンタジーや漫画等に登場するような仰々しい魔法陣ではなく、一定の長さの文章であったり、描いた者にしか分からない複数の図形であったりと、決まった形はない。

 当然、一目で分かるような場所に術式陣を書いてしまうと、それを破壊されれば『施錠』が発動しなくなるため、壁の中や、屋根裏、床下といった普段目にすることのないような場所に、埋め込んだり書き込まれる。

 そうした後で、施した『施錠』の術式陣に反応する魔法を、鍵に対してかけるのである。

 『施錠』のかけられた鍵で、文字通り施錠すると、術式陣が発動し、マリボー商店の建物にかけられている『施錠』と同等の効果を発揮する。

 術式陣を用いているため、修一郎のように魔法が使えない、若しくは何らかの理由で魔法が使えなくなった者でも、自らの魔力の有無に関係なく『施錠』の魔法が使えるのだ。

 この鍵で閉められた扉は、例え形状が全く同じ鍵でも開くことはなく、盗賊が使うようなピッキングツールを用いても決して開けることは出来ない。

 さすがに、扉全体を破壊すれば侵入は可能だが、そうなると警護団にすぐさま連絡が入り、たちまち追い回されるはめになる。

 修一郎が現在住んでいる長屋の、鍵式『施錠』は、長屋全体に施された簡易版とも呼べるもので、それぞれの部屋に形の違う鍵をあてがっているが、かけられている『施錠』は一種類のみで、対象も扉と窓に限られている。

 極端な話をすれば、どこかの誰かが修一郎の部屋の鍵をそっくりそのまま複製して、長屋に施された術式陣に反応する魔法をかければ、本当の鍵でなくても『施錠』を解除することができる。

 或いは、隣人が自分の部屋から壁をぶち抜いて、修一郎の部屋に侵入しても、扉と窓に触っていなければ、『施錠』の術は発動しない。

 ちなみに、普通の鍵は、ピッキングツールは勿論、『開錠』という魔法を使えば、簡単に開いてしまうものなので、街中で見かけることは、まずない。

 なお、『施錠』の魔法を『開錠』で打ち消すことは、不可能に近い。何故なら、『施錠』の魔法を用いる際には、術者が何らかのキーワードを術に盛り込むからだ。

 そのキーワードが偶然合致した場合は、『開錠』で『施錠』を打ち消すことが可能であるが、そういったことは千に一つ、万に一つである。

 クータンがこの家の鍵にかけた『施錠』の魔法は、この家のどこかに仕込まれた術式陣にのみ反応する魔法で、これでこの鍵以外では扉を開けることが出来なくなった。


「とりあえず二本にかけといたけどよぉ。ほいほいと無くさないでくれよなぁ、兄さん。

 今回はおまけだが、次からはしっかりと代金をいただくぜぇ」


「ありがとうございます。無くさないように注意しますよ」


 礼を述べる修一郎に、いいってことさぁ、と笑い、後はアンタの仕事だと言わんばかりに、コスラボリに手を振ると、クータンは自分の店にさっさと帰ってしまった。


「それでは、ヤスキ様。

 家の代金と増築等の諸費用をお支払いいただきますので、市庁舎までご同行いただけますか?」


 無事に引渡しが完了したことに安心すると、コスラボリは今後の手続きのための説明を行う。


「全ての代金をお支払いいただいた後、家屋所持証明を市庁舎にて発行してもらうことになります。

 その証明をもって、この家は完全にヤスキ様の所有となったと市に認められます。

 なお、家屋所持証明の手続きに関する手数料は、当方が負担させていただきますので、ご安心ください。

 ただし、その証明を紛失された場合、再発行に係る費用は、ヤスキ様にご負担いただくことになりますので、家の鍵同様に、無くされないよう、ご注意願います」


「分かりました。どのみち、支払いは資産保管局で行うつもりでしたので、何も問題ありません。

 では、行きましょうか」


「はい」


 二人の人間族は、市庁舎に向けて歩き出した。

 途中、修一郎は一度だけ振り向いて、新たな我が家となる家を眩しそうに見つめると、再び市庁舎へと足を向けた。






「これはヤスキ様。いつもご利用ありがとうございます」


 資産保管局に到着した二人を迎えたのは、窓口近くに立っていた身なりの良い老年の局長補佐であった。

 真っ白な白髪頭を綺麗に撫でつけ、市庁舎の職員が着る制服とは違った、上等な生地で作られたスーツに身を包んだ人間族の老人は、まるでどこかの貴族に仕える執事のように見事な礼を見せた。

 初めて見る局長補佐のその態度に、コスラボリは目を丸くしている。


「お世話になっています、リバーロさん」


 修一郎はいつもの笑顔で、局長補佐に対していた。


「今日は、お店の入金で?」


「いえ、個人的な用件です。この度、家を買いまして。

 その代金の支払いをしようかと」


「おお!それはおめでとうございます。

 それで、官庁地区のどの辺りに住まわれるのですか?」


「官庁地区なんて、とてもじゃないですが無理ですよ。

 居住地区の北の大通りに近い場所です」


 二人がにこやかに会話している横で、コスラボリは事態についていけない様子であった。

 普段であれば、部屋の奥に構える自分の机で真剣な表情をして書類を見ているか、偶に保管局の表に出てきても、事務的な笑顔で一言二言会話するくらい程度だった、その局長補佐が今見せている態度は、コスラボリにとっては信じられない光景であった。

 老人が一礼して離れていき、修一郎が手続きのために窓口に向かう後を付いていきながら、コスラボリは疑問を口にした。


「や、ヤスキ様……。貴方は、本当に貴族の方ではないのですか?」


 コスラボリの言わんとしていることを察した修一郎は、苦笑を浮かべる。


「リバーロさんのことですか?

 あれは、お店のお金を出し入れする担当が私で、ちょくちょくここに来ているから顔見知りになったのです。

 あと、私個人が少しばかり資産を預かっていただいているだけですよ」


 “少しばかり”で局長補佐が、あのような態度をするわけがない。

 それなりに資産を預けているコスラボリでさえ、ああいった対応をされたことなど一度もないのだ。


「そ、そうですか……」


 どのようにして、その“少しばかり”の資産を得たのか知りたい誘惑に駆られたコスラボリであったが、これ以上は、客と商売人の立場で話す内容ではないと思い直し、口を噤むことにしたのであった。




 修繕費用等含めた家の代金を、修一郎から受け取ったコスラボリは、金額を確認すると、そのまま自分の店の口座に預け入れた。

 おいそれと持ち歩ける金額ではない。この中から、後ほどクータンに対する支払いが行われるのだが、今は家屋所持証明の手続きが先だ。

 同じ階の、別の窓口に二人は移動し、そこで修一郎にあの家を引き渡したこと、家の代金が滞りなく支払われたことを告げて、発行手続き依頼を申し出る。

 子鐘半分ほど経った頃に、窓口から二人の名前が呼ばれ、薄い水晶板に挟まれた銅製の板が手渡された。

 それには、あの家の所有者が修一郎であること、その家を販売したのはコスラボリであること、アーセナクト市長がそれらを確認したこと、家の所有者は年に一定の家屋税を払う義務があることなどが彫りこまれていた。

 窓口担当者から、その板を屋内のどこかに掲示しておくように告げられて、手続きは全て完了した。


「これで取引は完了でございます。

 これをもちまして、あの家はヤスキ様の所有するところとなりました。

 ヤスキ様、この度は当店でのお買い上げ、誠にありがとうございました」


 市庁舎を出たところで、コスラボリは深々と頭を下げた。


「いえいえ、こちらこそお世話になりました。

 色々と無理を聞いていただき、感謝しています。

 また、何かありましたらお伺いすることもあると思いますが、その時は宜しくお願いします」


「はい。私どもも、この件で色々と勉強させていただきました。

 今後は、それを踏まえて、ヤスキ様により良いご提案ができると思います。

 マリボーさんにも、良い取引が出来ました、とお伝えください」


 市庁舎前でお辞儀をし合う人間族の男二人の姿が、市庁舎に入ろうとしていた鳥人族の目に入ったようで、その鳥人族は不思議なモノを見るような顔をしたまま通り過ぎていった。






「シュウイチロー、これはどうするんだ?」


 ルキドゥが、台所の収納棚を指差す。


「それは、後で店の誰かに欲しい人が居るか訊いて、居ないようなら売ります」


 居間に積んであった木箱に、クローゼットから持ってきた衣類を詰め込みながら、修一郎が答える。

 引っ越しを明日に控えた今は、親鐘四つに子鐘三つ(午後九時)を過ぎたあたりだ。

 ルキドゥは、服や修一郎に買ってもらった三冊の本など、自分の持ち物は、新たに買ってもらった皮製の背嚢に詰め終えており、修一郎の手伝いをしている。

 月が変わり、決算月となったため、徐々に帰りが遅くなり始めた修一郎に代わり、ルキドゥによって家の物はあらかた整理されていて、後は主の判断を仰ぐだけであるので、それほど慌しいというわけではない。

 引っ越しに際して、修一郎は殆どの家具を何らかの形で処分することにしていた。

 新しい家には、新たに購入した家具を、明日の午前中に届けてもらうように手配してある。

 明日は、マリボー商店の定休日で、本当にゼリガが声を掛けたのか、店の従業員から、ゼリガ、ソーンリヴ、イルー、クローフルテ、流通部門でゼリガの部下であるルードという人間族の男性が手伝いに来てくれることになっていた。

 また、どうやらレベックとバランダも来るらしい。プレルも後で顔を出すとも言っていた。

 随分と大人数になってしまったため、引っ越し作業は一瞬で終わりそうな気がしなくもなかったが、手伝いと言うより、新居への引っ越し祝いが目的らしいので、修一郎は有難く申し入れを受けた。


「分かった。あと、これは……うわっ!なんだこの臭い!」


 台所の隅の、しかも一番奥まったところに置いてあった、蓋がされた二つの壷を見つけたルキドゥが、近づいて鼻を押さえる。

 蓋を開けて中を確認しようとするルキドゥを見るや、修一郎が慌ててそれを止める。


「待ってください、ルキドゥ!それを開けてはいけません」


 初めて聞く、修一郎の悲鳴に近い叫び声に、びくんと尻尾を伸ばし、毛を逆立ててルキドゥの動きが止まった。

 ルキドゥが修一郎のことを名前で呼ぶようになり、暫く経った頃から、修一郎もルキドゥのことを呼び捨てにするようになっている。


「それは、この家の中で一番大切な物なんです。私が運びますから、君は別の物を見てください」


 早足で台所までやってきた修一郎は、愛おしそうに壷を抱えると、居間へと運ぶ。

 そんな修一郎を見て、殊更に壷の中身が気になったルキドゥであったが、言葉どおり臭いモノには近づかないことに決めて、鍋ややかんを運搬用の木箱に詰め込むのだった。


 大体の荷造りが終わったのは、もうじき大鐘一つが鳴ろうとする深夜であった。

 いつものように、修一郎と一緒のベッドで横になったルキドゥが訊ねる。


「なあ、シュウイチロー。新しい家ってどんな感じなんだ?」


 引っ越すと決めてから、虎人族の少年は事ある毎に、その質問を繰り返していた。


「明日になれば分かりますよ」


 それに対する修一郎の返事も、いつも同じである。


「ちょっとくらい教えてくれてもいいじゃないか……」


 背中から聞こえてくる、少年の拗ねたような口調に、小さく笑いを漏らしながら、これまた同じ言葉を返す。


「言葉で説明するよりも、実際に見たほうがいいでしょう?楽しみにしていてください」


 それに、と続ける。


「明日は朝から忙しいですよ。もう夜も遅いのですから、早く寝てしまいましょう」


 寝る体勢にするためか、一度体を動かすと、修一郎はそれ以上喋るのをやめたようだ。


「ちぇ……」


 ルキドゥは、修一郎の背中に自分の背中を少しだけくっ付けるように寝返りを打つと、目を閉じた。






 翌日、修一郎の言葉どおり朝から二人は忙しかった。

 大鐘一つに子鐘五つ(午前五時)が鳴る前に、二人は起きだして、手早く朝食を摂ると、早速作業に取り掛かる。

 修一郎が、マリボー商店から借りてきた荷車まで荷物を運び、ルキドゥと二人で積み込んでいく。

 大鐘二つに子鐘一つ(午前七時)を過ぎた頃には、ゼリガとイルーが長屋までやってきて、四人で荷車を押しながら、新居に向かった。

 四人が家が見える場所までやって来ると、既に新しい家の前には、ソーンリヴとクローフルテの姿があった。

 初めて見る家に、驚きと喜びの声を上げるルキドゥと、それぞれが感心するような声を漏らす獣人族の男性二人を横に、修一郎は女性陣二人に頭を下げる。


「今日はすみません、ソーンリヴさん、クローフルテさん」


「何、構わんさ。どうせ暇だったし、たまには体を動かさんと、鈍ってしまって仕方がない。

 それに、お前の新居とやらを拝んでおきたかったのもある。

 なかなか良さそうな家じゃないか」

「クローフルテ・マイヤックです。おはようございます、シュウイチロウ・ヤスキさん。

 素敵なお家のようですね」


 一方は人の悪い笑みを浮かべながら、もう一方は無表情で修一郎の言葉を訂正しながら、それぞれが修一郎に祝いの言葉を述べた。


「ありがとうございます。

 長屋から持ってきた荷物はこれだけですので、折角来ていただいたお二人には申し訳ないのですが、もう暫くは何もすることがないと思いますよ」


 荷車には、大小幾つかの木箱と、収納棚、衣類を詰めた布袋、布団に巻かれた修一郎が大切にしている壷二つなどが積まれている。

 ちなみに、ベッドと寝室のクローゼットは長屋の備品であるので、簡単に拭き掃除をしてそのまま置いてきている。

 新たに購入した家財は、大鐘三つまでにこちらに届く予定である旨を、その場に居る全員に告げると、修一郎はズボンのポケットから新居の鍵を取り出した。

 鍵を玄関の扉の鍵穴に差し込んで回すと、軽い金属音とともに、一瞬扉の取っ手が淡く青い光を放つ。

 これが『施錠』が解除された印であった。


「とりあえず、荷物は居間に運んでしまいましょう」


 扉を開けながら、修一郎は同僚たちと小さな同居人に微笑んだ。




 大鐘二つに子鐘四つ(午前十時)になる頃には、ルード、レベック、バランダもやって来た。

 ルードとは何度か店でも顔を合わせていたが、まともに言葉を交わすのは今日が初めてであった。


「あまり力になれそうもないが、宜しくな。ヤスキ」


 上司のゼリガや、体格の良いイルー、力では誰にも負けそうもないバランダらを見渡して、苦笑するルードだった。

 金髪を短く刈った、碧眼の中年男性で、身長は修一郎の肩あたりと一般的な人間族にしては少し背が低いが、流通部門の従業員だけあってか、体つきは修一郎よりも遥かに逞しい。


「とんでもない。来ていただいただけでも嬉しいですよ」


 笑顔で修一郎が返したとき、丁度家具が届いたようで、家の前の通りに出ていたゼリガが声を上げた。


「さて、それじゃあ少しでも働いてくるか」


 腕まくりをする仕草で、表に出て行くルードであったが、それを何気なさを装って見ていたバランダは、何やら言いたそうな表情でレベックを見る。

 レベックも、何か思うところがあったようで、声を出すことなく頷く。

 ルードに続いて、届いた荷物へと歩いて行く修一郎は、そんな二人に気付くことはなかった。


 二階の寝室に置くベッドが二つ、一階の客室に置くベッドが一つ、それぞれの部屋に置く衣類用収納棚が三つ、台所に置く食器棚が一つに、収納棚が二つ。

 レベックに紹介してもらった店で購入した家具が、それぞれの部屋に運び込まれて据え付けられる。

 運んできた人足だけでは時間がかかるため、男性陣総出で運んでいる。

 女性陣は、雑巾と手桶を持って、部屋中を拭いて周っていた。

 後は、居間に置く椅子とテーブルと、それらの下に敷く絨毯が届いていないのだが、それももうじき届くだろう。

 忙しく行き来している大人を他所に、虎人族の少年は居間に一人で立っていた。

 手伝いに来ている者は、修一郎がそれぞれ紹介してくれたのだが、少年から話しかけるには躊躇われる。

 かと言って、自分一人が何もしないで遊んでいて平気なほど子供でもなかったルキドゥは、どうすべきか悩んでいた。

 台所で新しい水に汲みなおした手桶を持ったソーンリヴが、居間を通り過ぎようとして、ルキドゥに気付く。


「どうした?ええと……、確かルキドゥとかいったな少年。

 手伝いは終わったのか?」


「いや……オレは」


 言い淀むルキドゥに、一瞬眉を動かしたソーンリヴだったが、すぐに二階に続く階段の下まで行くと、上階へ向かって声を上げた。


「おい、シュウイチロウ!ちょっといいか?」


 返事があって、暫くすると、修一郎が首に巻いたタオルで汗を拭きながら降りてくる。

 暦上は冬の四の月で、翌月は春の一の月となるのだが、実際の春が訪れるには少し遠いようで、外の風は未だ肌を刺す冷気を伴っている。

 それでも、室内で作業をしていれば、さすがに汗もかくようであった。


「どうかしましたか、ソーンリヴさん」


 降りてきた修一郎の目を見た後に、ルキドゥに視線を向けるように、顔を動かす。

 ソーンリヴの言いたいことが伝わったのか、修一郎が、ああ、と声を漏らした。

 そんな二人の遣り取りを、当のルキドゥは居心地悪そうにして見ている。


「ルキドゥ。すみませんが、買い物に行ってきてくれませんか。

 頼んでいた家具も、全部届いてはいませんから、私がここを離れるわけにはいきません。

 食料も、今朝の朝飯で使い切ってしまいましたから、今晩の晩飯の材料がないのです。

 それに、石鹸やランプも必要です。今から書き上げますので、それらを買ってきてください」


 修一郎は、居間の隅に積まれた、長屋から持ってきていた荷物を解いて、中から小さな羊皮紙の切れ端を取り出す。

 それに木炭で色々と書き込みながら、思い出したように付け加えた。


「ああ、それと。昼飯はプレルさんから差し入れがあるようです。

 プレルさんはこの家の詳しい場所を知らないはずですから、君が案内して連れてきてください」


「えっ……」


 突然の言葉に驚くルキドゥを気に留めるでもなく、修一郎は当たり前のように言う。


「君も見て分かるように、私たちは忙しくて、プレルさんの所に行く暇がありません。

 それに、どうせ買い物で商業地区まで行くのですから、ついでに寄るくらい問題ないでしょう?」


「で、でも、オレは」


 何かを言いかけたルキドゥに、修一郎は、いつもの柔和な笑みを浮かべて、諭すように言葉を紡ぐ。


「これは、君にしか出来ないことですよ。

 私でもなく、他の誰でもない、君にしか出来ないことです。

 以前、どうすればいいか考えなさいと言いましたよね?

 君は、もう答えを出しているのでしょう?でしたら、それを行動に表せばいいだけですよ」


「…………」


 黙りこんでしまった虎人族の少年の肩に、羊皮紙のメモと金の入った小袋を渡す修一郎の手が置かれる。


「お願いしますね。頼りにしてますよ、ルキドゥ」


 そう言うと、修一郎の手の置かれた少年の肩を、玄関に向かって軽く押す。


「分かった。行ってくる」


 顔を上げたルキドゥは、吹っ切れた様子で、駆け出していった。


「ふふ……。まるで本当の親子みたいだな」


 そんな二人の遣り取りを黙って見ていたソーンリヴが、澄んだ笑顔で笑う。


「そうですか?

 でも、私は、かつての私を拾ってくれた人の、真似をしているに過ぎませんよ」


 荷物を運び入れるために開け放たれた玄関越しに、走り去っていくルキドゥの小さな後姿を見送る修一郎は、その表情に微量の寂しさを含ませた。


「いいんじゃないか?

 それがあの子のためになるなら、真似でも何でも」


 床に下ろしていた手桶を持ち直すと、ソーンリヴはそう言い残して居間を後にした。

 二階から修一郎を呼ぶ声が聞こえる。

 長身の人間族の男は、収まりの悪い頭を一つ掻くと、二階へと続く階段を上がっていった。



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