8.無限への境界
僕とヒカルは並んで「祭りの広場」を歩いていた。二人とも、着ている服装を浴衣に変えている。
「祭りの広場」は、いつでも祭りをやっている『場』だ。
世界中の祭りが、何『単位日』毎に、内容を変えつつ行われているのだ。今日はちょうど「日本の夏祭り」だった。
両側に夜店が並んでいるかなり混雑した道を、二人で進んでゆく。
「ユウって日系でしょ? だから、今日ならたしかって思ったんだ」
ヒカルが大声で言う。喧噪の中なので、音量が大きくないと『聞こえない』ように調整されているのだ。
僕は舐めていた焼きリンゴを、右手に持ち換えた。
「僕は完全に日系だね。そういうヒカルはどうなんだい?」
「ボクも、祖父の系統は日本だよ。あとカルカッタとアイルランドと……」
指を折って数え出すヒカル。
「なるほど、二十一世紀の文化混交時代のせいだね」
「ボクの家系って、マダガスカル軌道エレベーター市出身だから、って『構造』で調べたコトがあるんだ。でもでもっ、このお祭りって、なんか妙に懐かしいような気がする」
「うーん、多分、うまく祭りらしさを出すようにアレンジしているんだろうね」
僕は、周囲を眺めた。浴衣を着た人々がゆっくり道を進んでいる。お面を被っている子供や親子連れは大抵、『実存体』の群衆だ。
どこからか盆踊りのメロディーに合わせて、タイコ・ドラムの音も聞こえてくる。
本当に、二十世紀の記録映像で見た「夏祭り」風だなあと感じる。
でも、この「日本の夏祭り」は、なんというか「日本的な夏祭り」のエッセンスを抽出したようなものらしい。
当時の日本人なら「どこでもやってそうな祭りだ」と感じるかもしれない。昔は京都や仙台など、日本の地方ごとに違った祭りがあったそうだから。
ヒカルはいつの間にかワタアメを手に持っていた。一口かじって、美味しそうに飲み込むと、僕の方を見て笑った。
「ユウ、口の周りにアメ、ついてるよ」
「え? そう」
僕は、思わず唇を内側に向けて、舌を出す。本当は、そんなことをしなくても『消す』ことは出来るのだけど。
その僕の表情を見て、ヒカルはキャハハと笑って、言った。
「ボクが舐めてあげよっか?」
左手の中指からかけたビニール袋の先にぶら下がっている金魚の『実存体』が、一瞬飛び跳ねたのが分かった。
ヒカルは僕をじっと見つめると、身体すり寄せてきた。僕は胸の鼓動が高まってゆくのが分かった。
「こんばんは、ユウ」
いきなり横から声を掛けられた。ヒカルが、明るい声で、
「あっ、アイリーンだ。やあっ!」
と挨拶をする。
僕は、唇の周りに残った飴に『消えろ』と念じた。なんかいいトコロだったかもしれないのに、と一瞬、思った。まだ胸がどきどきしているのが分かる。
アイリーンはヒカルを見て怪訝な表情をした。
僕の隣に立っている女の子は、天使の笑みを浮かべつつ、その様子を眺めていた。
「こんにちは。おや、ヒカルは一緒ではないのですか?」
後ろから八神が顔を出した。
アイリーンは突然悟ったようだった。
「あ、あなた。ヒカルなのね!」
そう大声で叫んで絶句する。周りにいたヒトが何人か、ちらりと振り返った。
八神も気がついたようで、顔面全体に驚きの表情を浮かべた。
「ボク、べつに隠してたんじゃないけどっ。女の子だよ」
一言、八神がつぶやいた。
「キレイです……」
アイリーンは、そんな彼にヤキモチを焼くことさえ忘れて、大きな声で言った。
「愛の力、ですわね! すばらしいですわ!」
僕は、顔面に血が昇ってゆくのを感じた。
「と、ところで、加藤はどうした、の?」
うわずった声が出ているのが分かった。
「あ、えーとですね。加藤も、近くに、いると思いますよ」
八神は、動揺を抑えようとしたのか、胸に手を当てて一言づつ区切って言った。
「お、おそらく、まだ。踊りながら、ナンパしている、のではないでしょうか」
「そ、そう。八神も踊ってたの?」
「はい、そうです」
アイリーンも相づちを打った。彼女もまだ内心の動揺を抑えきれないでいるようだ。
「”チャンチキ花笠、バリ風ヴァージョン”という盆ダンスをやっておりますのよ。なかなかよろしくって、エキサイティングでしたわ。ホホホ」
平静さを装おうとしているようだったが、こちらは早口だった。
「ねぇ、ボク達も行こうか?」
ヒカル本人だけが平静な顔をしている。僕はとりあえず頷いた。
「うん」
「じゃ、また後で!」
アイリーンは僕の方を見つめつつ、裏声で言った。
「ユウ、がんばりなさい、ですわ!」
「な、なにを……」
「では、また会いましょう」
手を振って別れる。八神は、名残惜しそうに後ろを振り返り、アイリーンに何か言われた。
「ボン・ダンス」の『場』は歩いてすぐそこだった。
これは映像で見た正統的な「盆踊り」なんてものよりも、大昔のダンス・クラブに雰囲気が近いように、僕には思える。もちろんその伝統的な踊りが行われる日もあるらしいが。
ミラーボールやLED風の照明がリズムに合わせて明滅している中、櫓のようなステージでバンドのヒト達が演奏していた。
太鼓ドラムと、エスニックな打楽器の響きに合わせて皆、体全体を大きく動かしている。
僕とヒカルも踊りの輪の中に入ろうとした。途中、加藤とすれ違った。
「よっ、ユウ。お、やりやがったじゃん!」
加藤は、何を勘違いしたのか、笑って僕の背中を叩いてきた。
「オレは、ナンパまだなんパ」
腰に手を当てて、ガハハと豪快に笑った。僕は顔をしかめてみせる。
「君といっしょにしないでくれよ。ヒカルだよ」
「こんにちわっ! 加藤っ!」
片手を挙げて、ヒカルがにかっと笑う。その反対に加藤の顔は驚愕のためか凍りついた。
踊っている他のヒトに当たって倒れそうになりながら、加藤は一言。
「こりゃまたタマゲタ。たまたま、下駄が脱げて、う」
なんとか例のつまらないギャグを考えようとしたらしいが、動揺のせいか黙り込んでしまった。そのまま人混みに紛れて流されてゆく。
「じゃ、バイバイっ!」
ヒカルは、笑顔で手を振った。
バンドのヒトが、さらにドラムを派手に打ち鳴らし始めて、周りのヒト達が、ノリにノッていた。
僕たちも、全身を上下左右に振り、飛び跳ねた。
バンドのヴォーカルのヒトが二十一世紀初頭に流行った日本のポップスを歌い出す。
「サイコー!」
ヒカルが歓声をあげる。僕も同じ気分だった。
やがて曲が終わり、一端休憩となった。
本当に踊り疲れた『感覚』があったのは「ボン・ダンス」の『場』では身体的な疲労も感じるような調整がしてあったせいなのかもしれない。
僕たちは、河原の『場』へ『移動』することにした。
「ホントによかったねっ!」
「うん」
ヒカルの額には、うっすらと汗の球がにじんでいた。並んで歩いているヒカルからは、少し牛乳に似た甘いような薫りが漂ってくるように感じられた。
僕は思わず空を見上げた。
満天の銀河が見えた。この銀河は『外』の地球にある天文台の映像が、『深淵部』から『パイプ』を通してリアルタイムで送られてきているものだ。
その星空に花火が上がっていくのが見えた。
大きな真球の光点が広がった。
オレンジ掛かった黄色い光に照らされて、その前に打ち上がった時に残ったらしい煙も、ほんの少しだけ輝いた。
ほんの少しだけ遅れて、ドーンという音と低音の振動が伝わってきた。僕は思わず、
「たまやー!」
と、叫んでいた。
大輪の光の花が消えかかった後から、青や赤の閃光がばちばちと音をたてて落ちてゆく。
ヒカルは一言、
「きれいね……」
と呟いた。
そのまま川沿いに少しばかり歩く。
「あのね、ユウ。考えてみるとさ、不思議なことだ、よね」
「何?」
僕は、『視線』をヒカルの顔に向けた。
今度は、深紅の花火が上がって、ヒカルの顔を半分照らした。音も伝わってくる。
「『ここ』ができたのってさ、百年くらい前、でしょ?」
「うん」
「そのさ、百年前からたった二、三十年でこんなにも『大きさ』が増えて、あとは『単位素子』は増やしてない、って」
なぜヒカルがそんな話題を出したのか分からなかったが、僕は頷いた。
「そういえば、『講義』でオジサンも、そんなことを話していたような」
ヒカルはくるりと背を向けた。
「ここでは、時間の流れが止まってる、ような気がするんだ。でも、いつまで、なのかな?」
「えーっとさ、どうしたんだい、ヒカル」
「ボク。いや、わたし、怖いんだ。なんだか、あんまり幸せすぎて」
後ろを向いていても、ヒカルの目から涙が一滴流れていくのが『感じ』られた。
僕は何も言わずにヒカルの肩に手を置いた。
そして無言のまま、歩いてゆく。
花火がちかちかと明滅する合間の夜空に、流れ星が一つ落ちて行くのが見えた。
天の河を見分けられる間もなく、また花火が上がる。
ヒカルの体の熱が感じられた。夜のそよ風が、肌に心地よい。
「ユウ」
「うん?」
ヒカルは僕の方に身体を向けて、僕を見上げてきた。
涼しげな瞳は、澄んだ青色だった。まだ涙に濡れていたけど。
甘く、切ない想いが、胸の奥からこみ上げてくる。僕は無意識にヒカルを抱き寄せていた。
その瞬間、だった。
〈ヴッ……〉
声にならない叫びをあげ、ヒカルは身体をのけぞらせた。
これは普通の状態ではない、と僕は『感じた』。
ヒカルは腰に手を当て、苦しみ始めた。
「どうしたんだ、おい。しっかりして!」
背中から抱きかかえる。ヒカルの苦しみが『感じ』られてくる。彼女は苦しみのあまりもがき続けた。
「だれか、誰かきて!」
僕は、緊急信号を発した。一『単位秒』も経たないうちに、ヒトが何人かが集まってきた。
必死になってヒカルを押さえる。人々が何十人も集まってくる。その中に、アイリーンの顔が見えたような気がした。
最初に来た数人が、こちらの方へ駆けつけて来た。
〈ウォッッッウウーー〉
その一人の顔に見覚えがあった。尋ねる間もなく、その女の子は叫んだ。
「しっかり押さえてて!」
すでに『祭り』の『場』は取り払われ、遊園地の風景が見えていた。僕は、わけが分からず、ただヒカルを抱くことしか、できなかった。
ヒカルは、激しく身体を痙攣させていた。
「まだ、ボク、行きたくないんだ。行きたくないのに……」
弱々しく、そう呟いたように聞こえた。
「どうしたんだ? どうしたんだよ、ヒカル!」
叫んでいた。
そのとき、発作が止んだ。反射的にヒカルが後ろを向いて、ぐったりとした。
「どう……」
僕は叫びかけたまま、凍り付いた。
振り返ったのは、ヒカルではなかった。
ゾンビ?
いや、そんなものではない。
これは、鬼だ、と感じた。
角や牙を生やした伝説上の怪物のことではない。
激情にかられた時、ヒトが無意識に表情に出すように『感じ』られる何かのことだ。
『ここ』でヒトが怒ることは滅多にないのだが、僕はヒトの『精神』の奥深くに潜むその何かを「鬼」と、密かに呼んでいた。
そんなものを『感じ』るのは僕だけかもしれない。あるいは単なる気のせいか、とこれまでは考えていたのだったけど。
まるで無表情なヒカルの顔に、はっきりと「鬼」が出ているのが『感じ』られた。
そのヒカルだったものは、僕を振り解こうとした。僕は逆にしっかりと押さえ込もうとする。
しかし、そいつはものすごい力で僕をふりほどいて、光の矢のように飛び出していった――混沌の光満つる『深淵部』の方へ。
一切の物音が消えたような静寂の中、周りに来ていた八神が、革ひもがすり切れたような声を出した。
「どうしたのでしょう。ヒカルの『精神』の一部が、ごっそり裂けたように『感じ』ました」
それは、僕も感じていた。なんと応えたらよいのか分からず、僕は黙ったままだった。
加えて僕は、ヒカルの存在が『ここ』に感じられなくなったことも、なぜか『感じて』いた。
重々しい沈黙を破って、『講義』の後で追いかけていた長い黒髪の女の子が、何かのモニター『実存体』から顔を上げて話し始めた。
「彼女、死んだわ。正確には『精神』の仮死状態だけど」
たぶん、すでに数万人単位で集まってきていた群衆から驚きのどよめきが伝わってきた。僕は心の中で何かがはじけたのを感じていた。
八神と一緒に僕の横に来ていたアイリーンが話しかけてきた。
「わたくしのモニターだと、ヒカルの『外』の身体は大丈夫ですわ。ただ、脳電位の規則性が非常に高くなっている。昏睡状態ですわね」
僕は、説明を求めようと、黒髪の女の子の方を見た。
「ちょっと待って。あれは『ここ』にいる全員に関係あることだから、話す」
ようやっと、謎の少女がでてきました!




