4.エウロパの妖女
MA-4989DAという『場所』は、『ここ』でもっともヒトの往来が激しいところの一つだ。なぜなら『バス』の『交差点』だから。
『ここ』つまり『実装空間』内ではどこかへ「行こう」と思いさえすれば、どんな『場所』でも瞬間的に行くことが出来る。
しかし特別に素早く進むことの出来る場所もあって、そこを『バス』と呼んでいる。これは大昔、創成期のコンピュータ用語が元になっているらしい。
誰でも移動する時には普通『バス』へ乗っている。それも最短『単位距離』を選んで、だ。あまりそのことを意識しているヒトは少ないけど。
『バス』の網は縦横無尽に張られているのだけど、特にたくさんの『バス』が重なっている『場所』があって、そこのことを『交差点』と呼んでいる。
別に『交差点』の風景そのものは他の『場所』とたいして変わらないけど、二つほど他と違っている点がある。
一つは『ここ』では一般的な、瀟洒な昔のネオンサインのように光っている様々な『構造体』が『交差点』には少ない、ということだ。まあ、少ないだけで無いわけではないのだけど。
もう一つは『バス』自体が、うっすらと光って『見える』こと。ごくつつましやかな『場』があって、『単位素子』の組み合わせ方を変えているのだ。これが『交差点』以外の場所だと、『バス』があることは感じられるけど、普通は『見え』ない。
で、僕は『交差点』MA-4989DAの光っている部分の少し内側に立って、『掲示板』を両手で抱えていた。
掲示板には、
「この女の子を知っているヒト求む」
の、文字と『感覚』『イメージ』を載せていた。
『掲示板』は、多くのヒトに注目してもらうための『掟』に従って創られた、特殊な『実存体』の一種だ。この『交差点』を通るヒトは多少にかかわらず『見て』くれると思う。
ただ持っているだけじゃなくて、何人かには声を掛けて尋ねる。
しかし数十『単位分』が過ぎても、
「さあ」
「知らない」
「どこかで見かけたら教えてあげる」
「ふーん、カワイイ子じゃない」
……といった反応以外は返ってこなかった。
やっぱりだめなのだろうかと思う。しかしまだ二三:四〇時までは時間があったので、頑張ろうと思い直した。けれど気分は重くなる。
(でも、僕、本当に何やってるんだろう)
頭を振った。その時、一瞬、ヒカルの笑顔が脳裏によぎった。思わずはっとする。
(あれ、なんでかな?)
僕が、その問題について考察しようとした時、目の前にヒトが立っていた。
「こんにちは。またお会いしましたわね」
しわがれた声で話しかけてきたのは、『講義』のオジサンと同じくらい「有名」なヒトだった。通称は「占いオネエサン」という。
本当はあのオジサンよりも年上で、どうやら二百数十歳らしいけど、『外見』は僕と同じくらいの年齢の少女風だ。
「その女の子を探しているのかい? だったらすぐわたしのところに来ればよかったのに」
確かに、少しその『外見』は、ほんの少しだけヒカルに似ていなくも無いような気もしないでもない……けど、何故ヒカルを思い出したのか分からない。
雰囲気はヒカルとは全然違っていて、このオバサンはイヤらしいというか何というか。とにかくヒカルのように素敵なカンジのする女のヒトじゃない。あ、ヒカルは男だっけ。いやまだ聞いてなかったかな……。
「どうしたんだい?」
「あ、いえ。ちょっと考え事を」
ふふん、とオバサンは鼻で笑った。こういったしぐさは少し『講義』のオジサンに似ている。
「ところでさ、あんたあれから信じる気になったかい? ヒマそうだから、もっと詳しく説明してあげるよ」
僕の脳裏に、オバサンとの悪夢のような記憶がよぎった。
慌てて制止しようとしたが、彼女はもうすっかりその気になって話し始めていた。
「神様は言ったんだよ”お前達が苦しい思いをするのは、お前達の精神を鍛えて大きな存在になってもらうための代償だ”とね」
「えーと、それって誰が神様から聞いた言葉なんですか?」
僕は、無視するわけにもいかないので、眉をしかめて応える。
すると彼女は「黙ってお聞き!」と僕を制止した。
僕の存在をまるで無視したような態度に、ちょっとむっとする。どうして年寄りは強引なのが多いのだろう、と思う。
「”だから耐えなさい。大きくなって戻って来たら、私の跡目を継いでもらうよ”とも言われた。そうして天国、あるいは楽園から二人を追い払ったのさ、着るものも何も無しで。ああ、そうそう、イチジクの葉を持って行くぐらいは許可したんだがね。決してリンゴだか知恵の実なんかを盗んだとか、ちっぽけな理由のせいじゃないね。知っているでしょう?」
「ずいぶん勝手な神様ですね」
僕は、適当に相槌を打った。しかし、彼女は嬉しそうに応えた。
「おお、いい点を突いているわな、あんた」
オバサンは、にっと白い歯を剥き出しにして笑った。皮膚の皮を通して、二百年の皺が浮き上がってくるように僕には思えた。
「実際な、”神様”なぞいなかったのだわさ。では何者がいたのか? それはなんと、化けの皮の面を着けた悪魔だったのさ。しかもその皮はヘビ革だったのさ」
「はあ」
「ねえ、あんた。どうしてヘビは二人を追っ払ったんだと思うね?」
「そんなの、ヘビの勝手でしょう!」
このオバサンは、数百年前に成立して一時はかなりの勢力を誇った新興宗教団体の最後の信者だった。機会があれば、こうやって辻説法をして信者を増やそうと努力しているようだ。けれど、今のところ彼女の教団がいずれ歴史の舞台から消え去る可能性は高まるばかりだ。
最初そういう事は知らず、ヒマつぶしのつもりで、クッキーやチョコレートとかのお菓子で出来たオバサンの「よく当たる占いの館」に行った僕は、えんえんと話を聞かされたのだった。
ま、『ここ』を存在させている諸法則が解明される過程で、人間の肉体と精神の二元性についての理屈が分かったこともあって、宗教という名で呼ばれた哲学はほとんど消えてしまっている。
「フフン違うな」
僕が物思いにふけっているのをどう解釈したのか、オバサンは鼻の穴を膨らましつつ僕の返答を待っていた。しょうがないので答える。
「リンゴを独占したかったから、じゃないんですか」
「いや、違うね。天国には、リンゴなどいくらでもあるんだわ」
オバサンはいかにも秘密を話している、という口調で続けた。
「……なぜならな、ヘビが狼だったんじゃ」
「はあ?」
「羊を群からおびき出して喰おうと思ったのだわさ! まったくずる賢い奴だわな」
何をこのオバサンは言おうとしているのだろうと、僕は眉を顰めた。
「楽園を出た二人はな、まんまと罠にはまったのさ。二人が大きくなった暁には、ヘビも成長して大きくなっておる。もちろんヘビの胃袋もな」
「そうなんですか」
僕はもうマトモに理解しようとする気力を失っていた。
「帰ってきたら、その大きくなった胃袋でパックリやるつもりだったんだわね。ヘビにとっても、動物性タンパクが必要じゃからな」
「エデンには他の動物はいなかったんですか?」
適当に僕は応える。もうどこかへ『逃げる』しようと足を伸ばしかけていた。
「いるとも! もちろんヘビがリンゴばかり喰っておるわけがなかろう」
しかしオバサンは一人満足げに頷いていた。ひょっとしたら、僕くらい話を聞いてくれるヒトもいないのかもしれないなと、一瞬思った。
「ただな、ヘビは食通なんだわ」
「はあー?」
「ヘビは二人を速成栽培容器の中に押し込めた。そして、丸々と太らせたのさ。脂肪のつきすぎたガチョウの肝臓を取るためにな」
なんか、元になってるはずの聖なる書の記述とはずいぶん離れてきたなあと思う。
「正確には、無理矢理速成で育てたのさ! その苦しさはいかほどのものだったか。そして二人は三月と経たぬうちに大人になったのだわよ。でな、気がついたら最後の審判が行われるところだった、というわけさ」
「えーっと」
支離滅裂な話になってきた。僕は頭を掻いた。しかしオバサンは、僕がしらけているのをまったく気にしている風もない。
「いったいヘビが欲していた”フォアグラ”とはなにか分かるかい? それはな……」
オバサンがもったいぶって言ったちょうどその時、連絡の『接続』があった。アイリーンからだった。
(ユウ、女の子を知っている、という方に会いましたの。すぐF23区の座標2-2=025まで来てくださらない?)
(分かった)
オバサンに聞こえないように『接触』した。
「すいません、この女の子の手がかりが見つかったみたいなので、僕、行きます」
と話しながら、看板を消して進み出していた。
オネエサンのような顔のオバサンは、叫んだ。
「前途に幸あれ! 神があなたともにありますようにな! 本当に、最後の審判は絶対にあるんじゃよ! 本当の神を味方につけねばならん。ところがそんな者はおらん。もう一度栽培容器の内に入って見つけて来なければならんのだわな。灰の中から自らの力で生き返らねばならん、自分の意志でな。流されてはいかん……」
すでに彼女との『接続』は切れているはずなのに、なぜか言葉が聞こえてきた。無意識的に僕が聞こうと思ったのだろうか。
ヒマな時は『ここ』に『適応不良』と呼ばれているヒトと話すのは、面白いこともある。けれど、今のはちょっとヘビーだったなあと感じる。
僕は一言、
「疲れた」
と、呟いていた。
その時にはもうF23区に着いていた。




