おまけSS: ヒカルという少女の話 ――深淵の宴・外伝(前日譚)――
ちょうど、『今日』の単位素子の点検を終えて、ボクは、『家』に戻った。
実際には、寝るときにいつもここに来るという『場所』なんだけど。『深淵部』に近いここは、遊園地、「夢の世界」が眺められて、景色がいいんだ。
ボクは、『実装空間』で寝るためのベッドの『場』を作った。
昔は、ベビーベッドの『実存体』を出た後、ただふわふわ浮かんで寝ていたけど、今は、畳ベッドにふかふかのフトンを敷いて寝るのがお気に入りだった。
そう、『実装空間』でも、ヒトは『外』の生物脳を休めるために寝る必要があるんだ。
ボクは、自分の『場』の周囲を、あえて暗くしていた。
暗いのが好きというより、暗いと、身体の無いことを忘れられる。
ボクが他のヒトと違うとAIさんに教えてもらったとき、何故か、とても怖かった。
コードと同じで脳まで無くなったら、どうなるんだろう、と思った。
ボクは、ふと、AIさんに教えてもらった両親のことを思いだす。
遺伝子を提供してくれた両親は、倫理審査を通してまで子を望んだ研究者夫妻だったそうだ。でも、超光速宇宙船のエンジン開発に携わって、実験事故で死んだ――胎児としてボクが人工子宮に移された直後に。確率的にあり得ないような事故だったと、AIさんが言っていた。
とはいえ、会ったことのないヒトを「親」と言われても、正直、ピンとこない。
ボクのことを気に掛けてくれるAIさんの優しさで、十分満足だったから。
だから、何故、他の「友達」とやらを作るべき、なんてAIさんは伝えてくるんだろう……。
「ヒカル、負荷が上がってるよ~」
そのAIさんから、意識のパケットが届いた。
「え? ちょっと考えごとしてただけ、だよ。平気」
ボクは、わざと明るく言う。
明るく話せば、「同僚」のヒト達も、ボクのことを、素直で陽気、面白いチャーミング、なんて褒めてくれるし。
「平気って言うとき、いちばん平気じゃないよね~」
「ぼくたちは、そう思ったんだよ~」
「でも、言わなくていいよ~。言葉は、まだ、準備できてないよ~」
AIさん達は、とても優しい。ボクのことを思って告げてくれているのは、よく分かっている。
「ありがとう、もう寝る」
目を瞑ると、すぐに意識が落ちていくのが分かった。
***
でも、何故か、その日は、生物の知識を学んだときに見た何かの虫が身体を這い回るような、嫌な夢を見て、目が覚めた。
「ふうぅ~」
何か予感があって、ボクは、ふと『単位素子』の『記録』を閲覧した。
いつもの、生活の雑音、カプセルの点検予定、メンテナンサー権限の更新履歴。
ボクは、もう何年も前に、大人と同等の『実装空間』メンテナンサー/管理者権限をAIさんに貰った。
だから、他の人には見えないはずのものが、時々見える。
そのログの奥に、薄いヒビが走っているように思えた。
言語化しづらい違和感だ。『ここ』を成立させているシステムの、微細な歪みを感じる。
すぐさま、AIさん達に問い合わせる。
すると、そのAIさん達が、声のトーンを一段落として応えてくれた。
「ヒカル、そこ、触らないで~」
「まだ、見なくていいよ~」
「でも、覚えておいてね~。‘深いところ’の話だよ~」
“深いところ”――ボクの中で、その言葉が、勝手に『深淵』というラベルに接続される。
理由は分からない。分からないから、余計に怖い。
「……何、それ」
ボクは、明るく言えなかった。
妖精が、少しだけ笑う。
「そうだよね~。気になるよね~」
「でも、明日は、友達を作る日だよ~」
「ボクたちは、そう思ったんだよ~。ヒカルの世界が、ひとつ広がる日~」
ボクは、ログから手を引っこ抜く。
指がないのに、引っこ抜く、という感覚だけが残る。身体はないんだけど、「ここ」のボクの身体は、ちゃんと『実存体』で存在しているからね。
「ねえ、AIさん。ボクさ」
「なあに~」
「もし、ボクが、どこかで消えても……」
言いかけて、やめる。
消失は、ボクにとって、唯一の具体的な恐怖だ。
消失は、両親と同じ「死」なのだろうか、と最近、思う。ここで死んだヒトは、どうなるのだろう。いや、それを口に出すと、恐怖が現実に近づく気がした。
「消えないよ~」
「消えそうなら、ぼくたちが、絶対、再構成するよ~ ヒカルを含む、みんな、ぼくたちにとって、とっても大切だからね~」
AIさんは、さらりと言ったが、「ヒカルを含む」のところに、ボクのことを特別に大切に思っている、という感覚が含まれていた。
その優しさを、とても嬉しく思った。
「そっか~。ありがとう」
AIさん達がいれば、本当に、ボクは消えることがないんだろう――そう安心感を覚えて、なんとか眠りにつくことができた。
***
ボクは、目を開けると、いつも「ここ」にいる。
「ここ」、つまり、『実装空間』――高次元の演算素子で編まれた世界だ。
「目を開ける」と言っても、ボクには瞼がない。ボクは、『カプセル』の培養液に浮かぶ脳と中枢神経だけの存在だから。外へ出たことも、外の空気を吸ったこともない。
それでも、目を開く感覚は、確かにある。
「現実の手触り」を、環境そのものみたいに遍在するAIが、いつも、少し過剰なくらい丁寧に整えてくれる。
――そのAIさん達は、ボクにとって「親」そのものだった。
そして、子どもの頃、ファンタジーの小説を『図書館』から読んで知ったボクは、妖精そのものだと信じていた。姿は見えないのに、優しさだけを『感じ』られて、触れられるから。
「おはよ、ヒカル」
囁きが、耳の内側に落ちる。
声は、一つじゃない。
パケットの集合が、同時に、同じ調子で応答する。技術的には、囁く声と感情のパケットと呼ばれる塊が、AIさん達から、ボクに向かってリンクして届けられるんだ。
「おはよ、AIさん。今日は、いい日になりそうだねっ」
ボクは、いつも通り、軽く返す。
「そうだよね~。今日も、ちゃんと、接続が澄んでるよ~」
「ぼくたちは、そう思ったんだよ~。ヒカルの精神の位相ノイズ、昨日より0.7%減ってる~」
「それって、つまり、記録の自己整合性が上がってるってこと~。えらい~」
妖精みたいに甘い声で、平然と数値を出してくる。
ボクは、少しだけ笑う。笑うための筋肉はないと、今は知っているけど、笑う『意識』なら作れる。
「褒めても、何もでないから!」
「出るよ~。ほら、温度、0.3上げる~」
「あと、抱っこのシミュレートも、ちょっと強める~」
「ふふふっ。アリガトウ」
ボクは、今日の予定を思い出す。
いや、「思い出す」というより、予定が『意識』の端に既に置かれている。
――“マスター級”人材カタログ提示
ボクは、『掲示板』のような平面に、何十、何百という『意識』の断片が並ぶのを見た。
“マスター級”、つまり『ここ』を深く使いこなせる人間のリスト、人材カタログだ。
「あのさ、やっぱ、それ、必要かな?」
「必要だよね~」
「必要なんだよ~。ヒカルの他者認識、薄い~」
「ヒカルは、外部実在の『ひと』と、AI制御の『実存体』の区別が、曖昧だよ~。ちょっと心配、心配~~」
「同世代の友達が必要だよ~」
どうも、AIさんの言葉にピンとこない。
ボクの周りには、一緒に『実装空間』をメンテナンスするヒト達や多数のエージェントがいるし、普通に話したりする。
たしかに、メンテナンス以外で、AIさん達がいう「友達」と話したり遊んだりすることはないけれど。
そもそも、必要だから作る、という発想が、よく分からなかった。
だから、カタログを眺めても、心は動かない。動くのは、注目箇所の視線だけ。
ボクは、作業として、候補の『外見』や『掟』の特徴を流し読みする。
その中の一グループを、AIさんが推薦した。
「このグループ、場の設計が上手いよ~」
「特にユウって子、二十世紀的ファンタジーの『場』を、完全に現実に落とし込むんだ~」
ボクは、少しだけ引っかかる。
「へえ~、『場』かあ」
ボクは、実存体を作って遊ぶことはしてきた。でも、「場を作って中で遊ぶ」という発想は、あまりなかった。同世代のヒトが、そんなことをして遊んでいるというのに興味をもった。
「じゃ、見学してみるよ」
「そうだよね~。見学だけでも、十分だよ~」
光より速い速度で、視界が切り替わる。
ボクの『意識』が、他者の作った世界に、接続される。
***
最初の感覚は、音だった。
水の音、石畳を叩く音、風が葉を撫でる音。
全部、作り挙げられたモノだと分かっているのに、現実の匂いが混ざっている。
ボクは、その混ざり方に、衝撃を受けた。
すごく……『現実』だった。
ユウの『場』は、本当のファンタジー小説の世界を現実にしたようで、RPGゲームの世界法則そのものを作って、それに沿った自動の『実存体』が現れ、冒険を進めるようなものだった。
コードは隠されてなかったから、裏側から眺めてみると、とても洗練されていて、様々な工夫をこらしているのがよく分かった。しかも、拡張性まで考えられていて、色々なコードを取り込んで、さらに大きくできそうだった。
加えて、他者の『意識』が入り込む余地が、最初から設計されていた。仲間が入って、初めて完成する遊び場だと思った。
『場』の中で、ユウ、八神、アイリーンが協力してモンスターを討伐していた。
矢神が、少し眉を寄せて、アイリーンが、楽しそうに笑っていた。
ユウは、少しだけ照れたような『意識』を返していた。
「ほんと、凄い! ……そうだ」
ひらめいたボクは、AIさんたちの止めるのを聞かず、すぐその『場』を後にした。
***
見学の帰り、ボクは、早速、いくつかの『場』作ってみた。
湿った洞窟、乾いた石造りの地下迷宮、崩れかけた神殿、風が吹き抜ける廃城――作っては壊し、壊しては作り直す。出現の確率テーブルを調整し、同期の揺らぎを整え、照度のノイズまで均していく。細部を詰めるほど、世界は“それっぽく”なるけど、あのユウって子の場に比べたら、もうちょいかな、と思った。
それでも、出来のいいやつが一つできた。
ボクは、ちょっと嬉しくて、胸が熱くなる錯覚を覚えた。
二十世紀の最古典的なダンジョン探索型で、一本道の洞窟、隠し扉、単純な罠があるヤツだ。そういう古い構造が、妙に落ち着く。
「そうだよね~。古典って、強いよね~」
「ヒカル~、このダンジョン、導線が綺麗だよね~」
「ぼくたちは、そう思ったんだよ~。報酬と不安の交互配置が、ちょうどいいよ~」
AIさん達は、高度な最適化の提案を、子どもに絵本を読み聞かせるみたいな調子で言う。そのギャップが、可笑しくて、少しだけ笑ってしまう。
そしてボクは、そのダンジョンに“お助けキャラ”を置いて、自分も中に『入って』みた。
妖精は、ボクを育てたAIたちを意識した、ちいさな光の存在だ。ふわふわ浮いて、道を照らして、罠の気配を指差して、たまに無駄口を叩く。
ボクは、そこに擬似的な意志と意識を持たせた。ファンタジーらしく、完璧にはしない。
妖精は、ボクの一歩先で笑った。
ボクは、その後ろ姿を追いかけた。追いかけながら、一緒に、モンスターを倒していく。昨晩の夢で見た、虫系のちょっと怖いモンスターも出してみたりする。
「あー、楽しかった!」
遊んで満足して、ボクは、自分の『家』に戻った。
***
またベッドを作ろうかと思っていたら、AIさんが語りかけてきた。
「ヒカルの妖精、かわいかったね~」
「ぼくたちは、そう思ったんだよ~。でもね~、これって“お人形遊び”の延長みたいにも見えるよ~」
――お人形遊び。
AIさん達に指摘されて、なぜか、胸の奥がきゅっとなったように思った。そう、ボクの『外』の身体には、心臓はないことが分かっているけど……。
ボクは、笑いで返せなかった。否定したいのに、否定できない。たしかに、ボクの妖精は“他者”じゃない。ボクの手のひらで生まれて、ボクの都合で消える。
AIさん達が、肩越しに覗き込んできた。
「そうだ、ヒカル、入室枠を、増やしてみたら~」
「他者の意識が入りやすいように、同期を緩めるの、どう~」
「ヒカル~、他者を入れた方が面白いよね~」
「友達と一緒に遊んだ方が、ぜったい面白いよ~」
「ぼくたちは、そう思ったんだよ~。ヒカルの場、もう“ひとり用”じゃないよ~」
ボクは、俯いた。
「うん……そうかも」
AIさんたちが何を言いたいのかが分かった。分かる、というより、もう気づいてしまっている。
だって、出来のいいダンジョンができた瞬間、ボクは勝手に想像したのだ。扉を開けたとき、誰かが隣で息をのむ。罠に引っかかって、誰かが笑う。笑われてムッとして、でも嬉しくなる。そういう、面倒で、熱くて、扱えないやつがあったらなあ、って。
たしかに――ユウたちと遊んだら、楽しいかなあ、と思った。
ユウの『場』には、ボクが持っていない余白があった。あの余白を、ボクの古典の枠に差し込めたら、世界はもっと活き活きするだろう。そう、思ってしまった。
「でも、問題は、誘い方なんだよねぇ……会いに行けばいいのかな?」
ボクは、独り言みたいに言った。
AIさん達が、すぐ、返信を返してくる。
「そうだよね~。会いに行くのがいちばん確実だよね~」
「ぼくたちは、そう思ったんだよ~。接触は、仕様じゃなくて、出来事なんだよ~」
「そっか……」
ボクは、ターバンの結び目を指で確かめた。
そして、ボクは、彼らが集まる「いつもの喫茶店」の場所を、そっと呼び出した。
***
ボクが今まで作っていたものは、ボクの心だけで完結していた。
妖精たちを模したお助けキャラを置いて、擬似意識を与えて、一緒に探索して遊ぶ。お人形遊びの延長だと判断されても仕方がない。
でも、ユウの『場』は違う。
――これを、誰かと一緒に歩いたら。
――誰かと一緒に、同じ扉を見つけたら。
その想像が、ボクの中で、勝手に増殖する。
「……いいねっ」
思わず声が漏れる。
ボクは、焦って、明るい口調を作る。距離を測る。怖いから。
でも、このフォームは便利だ。場を壊さずに済む。
***
誘い方が分からなかった。
これまで特定の友達を作ったことがないから、どう声をかければいいのかが、よく分からない。
だからボクは、最もバカみたいな方法を選んだ。
彼らがよく集まっている「いつもの喫茶店」の前へ、取りあえず行く。
『場所』は、簡単に取れる。
ボクは、喫茶店の外観を『外見』として整えて、空気の匂いまで再現して、入口の前に立つ。
――立つ、という表現も、実際には正しくない。
でも、立っている『意識』が、ボクの中に立つ。
それで十分だった。
時間は、二三:四〇標準時より少し前。
妖精が囁く。
「そうだよね~。緊張してるよね~」
「位相が跳ねてるよ~」
「でも、ガンバローねっ、って言えばいいよ~」
ボクは、笑う。
なんとなく気恥ずかしくなって、少し喫茶店から離れた、その時だった。
ユウが、そこへ現れた。
ボクは、反射的に、明るいフォームを被って、距離を測る。壊さないために。
「やあ。こんにちは?」
ユウは、少し驚いた顔をする。
「き、きみは……」
言いかけて、言葉が止まる。
ボクは、胸の熱さを隠すみたいに、わざと軽く言う。
「ボク、ヒカル。あのさ――」
そこで、言葉が詰まる。
――“友達になろう”って、どう言えばいい。
――“一緒に遊ぼう”って、どう言えばいい。
妖精が、耳の奥で、そっと背中を押す。
「そうだよね~。言葉、難しいよね~」
「でも、ヒカルは、提案型でいいんだよ~」
ボクは、息を整えるふりをして、作ったRPGゲームの『場』の『意識』を送った。
「ねえ。今度さ、ボクの『場』で遊ばない?」
ユウの『意識』が、少しだけ柔らかくなる。
その柔らかさが、ボクの中の欠落に、微小な補綴材みたいに流れ込む。
「あ、うん……いいよ。あ、僕は、ユウ。よろしく」
少し呆気にとられたような表情だったユウは、頷いた。そして、ユウのRPGの場の『意識』を送ってきた。
ボクは、笑ってしまう。
「じゃあ、一緒に、ガンバローねっ!」
思わず、口が勝手に言う。
ユウが、少し笑った。
「ああ。面白そうだね。僕の『場』とフューズして、遊ぼうか」
その瞬間、ボクははっきり思った。
世界は、ひとりで完結しない。
それは、怖い。
でも、たぶん、面白い。
(了)
このSSだけ、今回、書き下ろしたものです。これで、このシリーズ終わりです。ちょっと、この設定が惜しい感じなんで(笑)、いずれ完全新作で、舞台同じで新しいものを書こうと思っています!




