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第4章:追放

聖女セレスティアの一件は、決定的な亀裂だった。

彼女は聖堂に引きこもり、誰とも会おうとしなくなった。奇跡の光は失せ、城塞都市ルミナスから「聖女」という物語の歯車がひとつ、欠落した。パーティーの雰囲気は、もはや修復不可能なまでに冷え切っていた。


天光快晴は、俺と一切口を利かなくなった。彼の視線は、壊れ物をいたわるような憐れみと、理解不能な化け物を見るような恐怖と、そして裏切られた子供のような怒りが、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。


アイリスは、あからさまな敵意を俺に向けていた。彼女にとって、俺は世界の秩序シナリオを乱すバグであり、一刻も早く駆除すべき対象なのだろう。


そして俺、古堂文人は、ただ沈黙していた。

自分の行動がもたらした結果を前に、俺は完全に自信を失っていた。俺の信じる「真実」は、本当に価値があるのか? 安寧な虚構の中で眠っている人々を無理やり叩き起こし、荒野に引きずり出す行為は、正義でもなんでもなく、ただの傲慢なエゴイズムではないのか?

前世で売れなかった俺の小説と同じだ。読者を不快にさせるだけの、独りよがりなマスターベーション。俺は、異世界に来てまで同じ過ちを繰り返している。


そんな凍てついた空気の中、俺たちは旅の目的地である「黒曜石の砦」に到着した。魔王軍の最前線基地であり、幹部の一人「虚無のゾルディア」が守る要害だ。


「ここを突破すれば、魔王城は目前です」

アイリスが、地図を広げながら淡々と説明する。その声には、俺をパーティーから排除する口実をようやく見つけたとでもいうような、わずかな安堵が滲んでいた。


作戦は、単純明快だった。

勇者が正面から突撃し、魔術師が後方から支援する。王女は祈りで勇者を鼓舞する。そして俺は――荷物持ちとして、邪魔にならないよう後ろに控えていること。


戦いは、予想通りに始まった。

砦の主、虚無のゾルディアは、漆黒の鎧に身を包んだ、テンプレート的な美形の悪役だった。彼は、芝居がかった口上で勇者を罵り、長大な魔剣を抜き放つ。


「来たな、光の勇者よ! この俺、ゾルディアがお前の旅をここで終わらせてやる!」

「黙れ、魔王の手先め! お前たちの好きにはさせない!」


茶番だ。

しかし、その茶番は、すぐに終わりを迎えるはずだった。

苦戦の末、仲間との友情パワーで勇者が覚醒し、逆転勝利を収める。そういうシナリオのはずだった。


だが、今のパーティーに「友情パワー」などという都合の良いものは存在しない。

快晴の剣には迷いがあり、アイリスの魔法には精彩がない。リリアーナの祈りは、もはや誰の心にも届かなかった。

ゾルディアの魔剣が、快晴の鎧を弾き飛ばし、彼の肩を浅く切り裂いた。


「ぐっ……!」

「どうした、勇者! その程度か!」

ゾルディアが高笑いする。だが、その笑みさえも、どこか退屈そうに見えた。


俺の【真眼】が、その虚無の正体を見抜いていた。


【対象】虚無のゾルディア

【本質】倦怠。役割への諦観。

【自己欺瞞】『我は魔王様に忠誠を誓う最強の騎士』。その実、彼は自らの結末を知っている。勇者の成長を促すための「中ボス」という役割を。派手に散り、物語を盛り上げるための、使い捨ての舞台装置。彼の虚無は、魔力によるものではない。それは、与えられた役割の終焉をただ待つ者の、底なしの退屈が生み出した深淵である。


――使い捨ての、舞台装置。


その言葉に、俺はゾルディアに奇妙な共感を覚えた。俺も同じだ。この物語の中で、滑稽な役割を与えられただけの、名もなき登場人物。


快晴が、再び斬りかかられる。もう庇う者はいない。このままでは、彼は死ぬ。

この世界の主人公が、こんな序盤で死ぬはずがない。きっと何か、ご都合主義的な奇跡が起こるのだろう。

そう、頭では分かっていた。

分かっていたのに、俺の体は、勝手に動いていた。


「やめろッ!!」


俺は、荷物袋から取り出した鉄製のフライパンを盾に、快晴の前に飛び出していた。

なぜ、フライパンだったのか。自分でも分からない。ただ、一番硬そうだったからだ。あまりに滑稽で、文学のかけらもない、無様極まりない行動だった。


キィンッ!

けたたましい金属音。

ゾルディアの魔剣が、俺の構えたフライパンに深々と突き刺さった。衝撃で腕が痺れ、全身が悲鳴を上げる。


「……何だ、貴様は?」

ゾルディアが、初めて心底から怪訝そうな顔で俺を見た。彼のシナリオに、記録係がフライパンで乱入してくるという展開はなかったのだろう。


「古堂さん!?」

快晴が、驚愕の声を上げる。


俺は、腕の痛みに耐えながら、ゾルディアを睨みつけた。

「お前……死にたいのか?」

「何を言う、下郎が」

「嘘をつけ。お前の目には、生への執着が欠片もない。ただ、役割を演じているだけだ。そんな空っぽな剣で、魂を燃やして戦っている人間に勝てると思うな!」


俺の言葉が、再び世界のことわりに干渉する。

【物語介入】。

ゾルディアの瞳が、大きく見開かれた。彼の完璧なポーカーフェイスが崩れ、そこに「個」としての動揺が浮かび上がる。

「……貴様、なぜそれを……」


彼が怯んだ、その一瞬。

それこそが、快晴が待っていた唯一の隙だった。

「うおおおおおっ!」

快晴の剣が、光を放ちながらゾルディアの鎧を貫いた。

聖女の癒やしでも、王女の祈りでもない。俺という異物が作り出した、ほんのわずかな「現実の隙間」。それだけが、この戦闘の決め手となった。


ゾルディアは、ゆっくりと崩れ落ちた。しかし、彼は光の粒子となって消えることはなかった。ただの人間のように、血を流し、苦悶の表情を浮かべていた。


戦いは終わった。

だが、誰も勝利を喜ぶ者はいなかった。

快晴は、俺の前に仁王立ちになると、震える声で言った。


「出ていけ」


静かで、しかし拒絶に満ちた声だった。


「お前は、疫病神だ。あんたがいると、何もかもがおかしくなる。聖女様も、俺の心も……魔物さえも、あんたはおかしくするんだ」

彼は、自分の手についたゾルディアの血を見つめ、吐き捨てるように続けた。

「これは、俺たちの物語だ。あんたみたいな部外者は、もういらない。出ていけッ!」


彼の言葉は、パーティー全員の総意だった。

アイリスは冷たく俺を見下ろし、リリアーナは悲しげに目を伏せている。誰も、俺を庇ってはくれない。


俺は、フライパンを取り落とした。

ああ、そうか。

これが、結末か。

異物を排除し、物語を正常な軌道に戻す。実に正しい判断だ。


雪が、降り始めていた。

前世で孤独死した日も、こんな雪の日だった、とぼんやり思い出す。


俺は、何も言わずに背を向けた。

食料も、防寒具も渡されない。これは追放というより、緩やかな処刑だ。

雪の降る荒野に向かって、俺は一人、歩き出した。


振り返ると、勇者一行の姿が小さく見えた。彼らは、俺がいたことなど最初からなかったかのように、再び彼らの「物語」を進めようとしている。

それでいい。それがいい。


俺は、孤独と寒さの中で、自嘲の笑みを浮かべた。

結局、俺はここでも、誰にも理解されない「売れない作家」のままだった。

世界を書き換えようなどと、思い上がったものだ。


意識が、遠のいていく。

雪の上に倒れ込みながら、俺はぼんやりと思った。


――なあ、ゾルディア。お前が感じていた虚無は、こんな気持ちだったのか?


役割を終えた登場人物の、あまりに静かで、みじめな退場。

それこそが、この第1部における、俺の物語の結末だった。

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