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階段  作者: KURO
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はじまり

私は働くのが好きだ。

正確に言うなら、働くのが「好きだった」。


でもいまの私は、職場にいない。

すでにこの1年半以上という長い日を、私は職場から離れている。


どこにでもある小さな企業の、事務員だった。

仕事は楽しかったしやりがいもあった。同じ業務のルーティンワーク。

最初の3年こそ覚えることに多変だったが、5年目もすぎればそれもルーティンワークとなり、

難易度は下がった。簡単といえば簡単だが、人間相手という分だけ、クレーム対応がやっかいだった。

ひっきりなしに鳴る電話。容赦なく送られてくるメール達。

大抵電話の場合は急な案件で、急ぎでの対応が必要なことが多かった。

一日の考えていたスケジューリングがずれていく。


最初の新人の頃は、間違えても笑って許された。

真面目だった私は、自分でも同じ間違えは繰り返さないように、ノートに書いて、必死に覚えた。

仕事に関してだけは、一生懸命に努力を重ねていた。


他にも、細かい確認や業務同士に密接な関わりがある同僚もいて、

チームワークや、円滑なコミュニケーション、対人力が必要だった。

職場の先輩達も様々な人がいたが、概ね優しい人が多かったように思う。

10年も経てばもう、独り立ちして自分で仕事をまわせるようにならなくてはいけなかった。

次第に、業務内容も変わっていった。


お給料はさして、上がるわけではなかった。

上がったら、上がった分だけ税金が高くなる。

手取りに換算すれば、たいして変わりはなかった。

それでも、それなりにやりがいはあった。

お客様にありがとう、と言われた時。難しいクレームを無事に処理できた時、

誰かのサポートをすることができた時。

そんなささやかな日常で起きる出来事の一つ一つが、自分にとっての「やりがい」だった。


そんなやりがいも、10年が経つ頃には、当たり前のように感じるようになっていた。

気が付けば、いつ頃からははっきり覚えていないが、身体に異常を感じていた。

最初は小さな、なんだか頭が重い・・・という感覚からだった。

頭痛とは違う鉛が頭の中に入ったような重さ。


みんなと話して、笑っていても、そんな時、頭の重さがずしんとなるのを感じた。

入社して10年あまり、気が付けば、中堅と言われる立場になっていた。

それが、「当たり前」だと思っていた。

30歳を過ぎると、もう笑っては済まされなくなる。

自分が周りにも気を遣い、フォローできるようにならないといけない。


気が付けば、仕事は恐ろしいスピードでどんどん増えていた。

なんとか対応をすればするほど、仕事というのは集中して集まってくるから不思議だった。


私は目の前の仕事に必死でこなす毎日だった。

新人頃に教えてくれた歳の近い先輩は私が入社して1年もせずに、結婚で辞めてしまっていた。

他の先輩とは歳が離れていた。

そして自分の担当は、前の先輩しか知らない業務が多かった。

先輩から口頭で教わったマニュアルだけが、私のとっての命綱だった。


こちらのそんな事情などお構いなしに、引き継ぎが終わった途端に、

周囲は一人前のように仕事について指示を出してくる。

ついていくのに精いっぱいだった。

時々、指示の内容の理解を間違えたり、お互いのコミュニケーション不足で、

ミスをしてしまうことがあった。

当時は、頭ごなしにばかやろうなんて、怒鳴りつけられることも普通にあった。


だから新人の頃、いつもにこにこしていた。

場の空気を読んで、できるだけ明るく、振る舞うようにしていた。

電話も率先して取った。仕事でまた半人前ですらない自分は、せめて電話対応くらいはこなそうと、頑張っていた。

そして当時は「セクハラ」なんて言葉はそもそも認知されてなかったから、

新人でいつもにこにこしている私は、なめられていたのだろう、

よくセクハラ発言をされていた。


「元気してる?」といって背後からいきなり肩をもまれる。

コピー機の前に立っていると「〇〇ちゃんのお尻が理想的だな、でもすこしO脚だよね」なんて、

まわりの営業の年配の人たちから笑われていた。

同じ女性社員の先輩も聞いている前で平然とそんな言葉を投げかけられる。

内心は本当に嫌だった。

それでも、私は笑っていた。場の空気を乱したくなかった。


同期で飲んだ時、海外留学経験のある男子がいた。

「セクハラがひどすぎる」と彼はよく怒っていた。

私は「セクハラ」なんて言葉は知らなった。

当時はスマホもなくて、ネットにも疎かった私は「セクハラ」が何を指すのか、

具体的なイメージが湧かなかった。

難しい言葉を知っている人だなぁ、なんて関心しながら、ただそんなものだよ、と笑って流していた。

というよりも、それ以外に方法なんて思いつかなかった。


自分より20歳も30歳も年上の先輩に、文句や態度に出すなんて、

新人がしてよい行動だとは思えなかった。

ただ笑って受け流すことが、私が会社で居場所をつくるための処世術だった。

いま思えば馬鹿だったと思う。


2025年6月

人生で行き詰まりを感じた時、ひとはどの道を選択するだろうか。

怖くて先に進めずに、その場でうずくまってしまう。

将来を悲観して、同じくその現状を嘆き続ける。

あるいは、自分を変えて、人生を先に進ませる。

選択肢はそのくらいだろうか。

私はいま、自分の現実を悲観して、うずくまってしまっている。

選択肢をいくつか提示されているのに、そのどれもが選べないでいる。

変わるのが怖くて、選べなくなってしまっている。

周りの近しい人たちの人生はまるでドラマのように、早いスピードで季節が移り替わっていく。私だけが同じ場所で、ただ過去の傷を抱え込んで、うずくまっている。

こんな人生を想像しただろうか。

精一杯生きてきたつもりだ。誠実に真面目に生きてきたつもりだ。

それなのに、私は何も持っていない。

分かるのが怖くて、動くことができないでいる。

最近、メンタルの低下が起きている。病院の先生から思考をめぐらせすぎないように、と言われた。

自分の選択に、どこか納得がいっていなくて、怒りの感情がくすぶっているからだ。

過去への執着にとらわれている。


あったことをなかったことにはできない。結果として、今の服薬をしている自分がいるのだから。

気持ちが低下していくのを、少しずつ感じている。

いま、自分がやっていることのすべてが、無駄なことのように感じる。

消えてしまいたい、とそう感じる。薬をどのくらい飲めばいいのか、考えてしまう。

悪い考えだと、頭の片隅では分かっている。現実的な話ではないことも理解している。

でも、何ひとつ前向きな心がない。

心のどす黒い沼に沈んでいくようだ。本当にこの繰り返しにはもううんざりしている。





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