いつから私が最後の魔女だと思っていた?
今日も“魔女の嘆き”が、谷の向こうから聞こえてくる。
絶望に打ちひしがれた、世界を呪う嘆きの声が。
ヴオオォォォォォォォォォォォォ…
遠く聞こえるあの不気味な音が“魔女の嘆き”であるとはじめて教わったのは、いつの頃だっただろうか。地を揺らし、世界を揺らす、低くて不気味で不快な音。村の中では誰もが知る話で、祖母はいつも私に語って聞かせた。
魔女はこの村から遠く離れた谷の向こう、石の塔に一人寂しく暮らしている。
魔女は世界のすべてを憎んでいる。人も、花も、動物も、海も山も。すべてが壊れればいいと日々願っている。その願いが、呪いが、恐ろしい音ととなって聞こえてくる。それが“魔女の嘆き”だと。
この世のすべての悪いことは、あの“魔女の嘆き”が引き起こしている。
隣の家の旦那さんが死んだのも、作物の育ちが悪いのも、全部あの魔女のせい。
あの魔女さえいなくなれば、世界は平和で満たされる。
だけど魔女には寿命がない。魔力に呪われていて、自分で死ぬこともできない。
だから、あの呪いの声が聞こえなくなった時…つまり、魔女の力が弱まった時には、村から勇者を送り出し、魔女を倒さねばならないのだと。
“魔女の嘆き”を怖がる幼い私に、祖母は決まって「怖くないよ」「大丈夫だよ」と手を握ってくれた。だから不気味な低い音が響く日は、決まって祖母の部屋に逃げ込んだものだった。そして歴代の勇者の冒険譚を、何度も何度も教えてもらった。赤髪の勇者の仲間を引き連れての楽しい冒険。単身乗り込んだ青髪の勇者の、道中での心温まるエピソード。そして銀髪の勇者が繰り広げたという、魔女との激しい戦い。はじめは怖がっていた私も、いつしか世界を救った英雄たちの姿にあこがれを抱くようになっていた。
時は流れ、私は15歳になった。
そのころになると、“魔女の嘆き”は日に二回から、一日一回、七日に一回、ひと月に一回と、聞こえる回数が減ってきていた。明らかに魔女の力が弱まっている。
いよいよ、魔女を倒す時が来たのだ。
この日のために、私は日夜訓練に明け暮れていた。村の仕事をする傍ら、剣を学び、武術を修めた。今では近所に出没する熊の一頭くらいは倒せるようになった。私はもう、何もできない頃の幼い私ではないのだ。この村を、祖母を、この暗い世界から救いたいと、心から願っていたから。
「私が魔女を倒す」と名乗りを上げると、村中の人が喜んでくれた。七日七晩の宴を催して、盛大に送り出してくれた。村は決して裕福なわけではない。それなのに、だ。
「まだ倒してもいないのに、気が早いなぁ」なんて思ったけど、それだけの期待を背負っているのだと背筋が伸びる思いがした。
出発の日の朝、村人の全員が見送ってくれた。
「達者でな」「気をつけてね」と口々に声をかける中、祖母だけは悲しそうな顔をして「ごめんね、ごめんね」と繰り返していた。
私はいつか祖母がしてくれたように、しわしわの手を握りながら「大丈夫だよ」「すぐ帰ってくるよ」と答えた。けれど、祖母の表情は変わることはなかった。
声援を背に受けて、私は歩き出す。
山を越え川を越え、遠く石の塔を目指した。
道中は苦難の連続だった。
魔物の群れに襲われたり。食べられるものが見つからず三日ほど水だけで過ごしたり。雨がやまず洞窟で何日も足止めされたり。
一番困ったのは、ぬかるみに足を取られ、山の斜面を滑落してしまったときだ。
荷物の入ったバッグだけが上に取り残され、私は斜面を転げ落ちてしまった。その時に足首をくじいたようで、思うように立ち上がることもできない。
落ちてから数時間。山はじきに暗くなるだろう。
どうしたものかと思ったその時、頭上から「大丈夫かー!?」と声が聞こえた。若い男の声である。
必死で助けを求めると、彼はすぐさま助けに来てくれた。聞けば彼は、近くの村の住人で山菜取りにやってきたのだという。
荷物と私を背負って、やすやすと山を下りてくれた。
そのまま村にある家へ連れて行ってもらい、怪我の手当てから食事の世話まで厄介になった。
「動けるようになるまでいればいい」と言ってくれたので、ありがたくそうすることにした。
栗色の髪を持つ彼はいろいろ話してくれた。
早くに親を亡くして、一人この家で暮らしていること。
山菜を探していたら、たまたま私の荷物を見つけて滑落に気づいてくれたこと。
木彫りが趣味で、小さな置物を作っては飾っていること。
将来は大家族を作って、楽しくにぎやかに過ごすのが夢であること。
そんな話を聞いて、なぜだかふと、漠然と、私もその中のひとりに入りたいと思った。
彼の作る大家族のひとりに。
傷を癒す日々を重ねるうちに、漠然としていたその気持ちはだんだんと明確な意思になった。彼の素朴な人柄を、すっかり好きになってしまっていた。
大きな手で支えられる度、胸の高鳴りが抑えきれなかった。
優しい笑顔が向けられる度、嬉しくて仕方がなかった。
彼の方も顔から火が出そうなほど赤くなっていた。あの時の私たちは、きっと両想いだったと思う。もしそうなら、とても素敵だ。
半月もすれば傷は癒え、とうとう私は彼のもとから旅立つことになった。
そこで初めて私は「自分はこれから魔女を倒しに行くのだ」と説明し、重ねて「もし私が無事に帰ってこれたら、ここに戻ってきてもいいか」と尋ねた。
彼は目を見開いて驚き、「そうか」と一言呟いた。それから、小さな木の人形をポケットから取り出して、紐で腰のベルトに括りつけてくれた。彼の村に伝わる“お守り”なのだという。彼の手には、もうひとつお揃いのお守りがあった。
「きっと、また会えるよ。それまでこれが君を守る。どうか元気で」
私は力強く頷いて、歩き出した。
一歩一歩踏み出す足取りに、自信がみなぎっていた。
しばらく歩いてふと振り返ると、彼はまだ私を見送ってくれていた。見えなくなるまで見送ってくれるつもりなのだろう。
誇らしい気持ちがあふれてくる。
絶対に生きて帰らなくては。
私は決意を新たにして、そして、彼が悲しげな表情を浮かべていることに気が付かなかった。
それからの道中は、あまり覚えていない。
大型の魔物に襲われたり、盗賊の一団に出くわしたりといろいろあった気がしたけど、もうそんなことは些細な問題だった。
一刻も早く魔女を倒す。
私を突き動かすのは、その感情だけだった。
祖母に、彼に、平穏なときを与えなくては。安心して生活できるようにしなくては。
それができるのは、私だけなのだから。
無我夢中でたどり着いた石の塔は、想像していたより美しく、静謐な雰囲気をまとっていた。壁の石には溝が縦横無尽に伸びていて、そこに何かがびっしりと埋まり、怪しげな光を放っている。きっと魔女の魔力だろう。光は弱弱しく明滅を繰り返している。“魔女の嘆き”は聞こえてこない。魔女の力が本当に尽きかけているのだ。絶好の機会だ。確実に仕留めなくてはと、緊張が走る。
扉は簡単に開いた。施錠はされていなかったのだ。
目の前の階段を駆け上がり、最上階の部屋をまっすぐ目指す。そして駆け上がった勢いそのままに、私は部屋に飛び込んだ。
「魔女め!これで終わりだ!」
銀の髪をした魔女は、椅子にもたれて窓の外をぼんやり眺めていた。視線だけをゆっくりとこちらに向けて、あまり興味なさそうに呟いた。
「…可哀想に、あなたもなのね」
「たわごとをッ…!」
訳の分からないことを言ってかく乱させるつもりだろうと判断し、私は即座に切りかかった。魔女は特に抵抗するそぶりは見せない。私の剣が魔女に振り下ろされようとしたとき、魔女はもう一度呟くように言った。
「ねぇ、あなた。いつから私が最後の魔女だと思っていたの?」
「…え?」
私の記憶は、そこからしばらく途切れている。
次に目が醒めた時には、最後に飛び込んだ部屋に一人横たわっていた。
なぜか私の髪は伸びていて、自分で踏んでしまいそうだった。
ボーっとする頭で、懸命に思い出す。なぜ私はここにいるのだろうかと。
確か、村を出て、彼に会って、魔女を倒しにここまで来て…
そこまで思い出して、私は自分の中に“魔力”が宿っているのに気づいた。同時に、その魔力はこの世界そのものと繋がっていて、ありとあらゆる不幸が魔力を伝ってこの身に受けることもわかった。今まさに、世界のどこかで誰かが病に苦しんでいて、その痛みが直接伝わってきている。
痛い、苦しい、助けて。
私の感情ではないはずなのに、まるで私が感じているかのようにこの身を駆け巡る。
何だ、これは…
愕然としていた私は、とにかくここを出ようと考えた。魔女の姿もいなくなっていたし、こんな薄気味悪いところすぐにでも立ち去りたかった。きっとこの変な感情も、魔女の仕業なのだろうから。
でも、できなかった。
壁の溝に埋まった魔力が強烈に光って、弾かれる。私が外に出ようとするのを拒絶するのだ。まるで呪いだった。私をここに閉じ込める呪い。
扉からも、窓からも外に出られない。目に見えない力が…魔力が、私が外に出ようとすることを許さない。
混乱した。
何でこんなことになっている!?
なぜ私がこんなところに閉じ込められねばならない!?
祖母が…彼が…待っているのに。帰らなくちゃいけないのに!
外へ出る手掛かりを探そうと、私は必死で部屋の中をひっくり返した。
その中で、ひとつの手紙を見つけた。
内容はたった一文、こう書かれていた。
「すべての災厄をその身に受けし新たな贄たる魔女に、祝福があらんことを」
は、
はは…
はははは…
はははははははは…
騙された!
騙された騙された騙された騙されタ騙されタ騙されタ騙されタ騙されタ騙されタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙さレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタ騙サレタッ!!!!!!!!!
嘘だったんだ…魔女が災厄を引き起こしてるんじゃなかったんだ…
誰一人…誰一人として私のことを引き留めてくれなかった…
知っていたのに、誰も教えてくれなかった…!
祖母も、彼も、村のみんなも…みんな、みんな私を犠牲にして平和を手に入れることを選んだんだッ!!
私はッ……、私は何のために…何ノ…タメ、ニ……ッ!!!!!!!
ヴオオォォォォォォォォォォォォ!!!!
ヴオオォォォオオオオオオオオオオォォォォォォォォォ!!!!!
声を上げて泣きながら、私はようやく気が付いた。
幼いころ聞いた“魔女の嘆き”は、銀の髪の魔女の…否、銀の髪の勇者の、絶望の叫びだったのだと。
それから、どのくらい時がたったのだろう。
魔力の巡る身体では、ただの人間だった頃のように時間を感じることができない。四六時中誰かの痛みや悲しみが身体を駆け巡って、とても平静ではいられない。
毎日泣いた気がするし、そうじゃなかったかもしれない。記憶は常にあいまいだ。ここには時計もないし、そもそも時を数えるのも馬鹿馬鹿しい。魔女は誰かが殺さなければ死ねない。死ぬまで世界の不幸を一身に受けるだけ。ただそれだけの装置なのだ。何年たったかなんて、数えるだけ無駄だった。心の傷を増やすだけだから。
でも最近は、声を上げて泣くことも少なくなった気がする。身体が悲しみに慣れ、麻痺してきている。痛みを感じなくなった。いや、引き受けられなくなったのかもしれない。
終わりのときが近づいていた。
いつだったかの魔女がそうしていたように、私は窓辺に座り遠くの空を見ていた。無気力に、ただ、何も願うことなく。
すると、階段を駆け上がる人の足音がして、突然扉が開かれた。入ってきたのは一人の少女だった。艶やかな栗色の髪が美しい少女だ。
「魔女め!これで終わりだ!」
遠い昔に、同じことを言った少女がいた気がした。懐かしい気持ちになって視線を彼女へ向けると、ふとベルトに下がった何かが目に入った。
私はあれをよく知っている。
私の腰にも同じものがぶら下がっているからだ。まったく同じ大きさの、まったく同じ木彫りのお守りが。
「ハハ、ハハハハハハハハハハ」
「なっ何がおかしい!?」
突然笑い出した私に、少女が驚いて叫ぶ。しかし私は、これだけ答えた。
「お前、いつから私が最後の魔女だと思っていた?」
お読みいただきありがとうございました。
ハッピーエンドにもバッドエンドにも読めるように書きました。
あなたはどちらだと思いましたか?もしよろしければ感想欄で教えていただけると嬉しいです。




