ストーブの音、テーブルを挟んで一対一。
「雪ってさ、なんで綺麗なんだと思う?」
「……先輩、雪は汚いですよ」
「君はロマンチズムに欠けるねぇ、後輩」
「先輩は逆に綺麗だと思うんですか? 空気中の塵やゴミを核にして大きくなる結晶の塊を」
「塵はともかく、ゴミを核にするってことはないんじゃない? 大きさ的にゴミより大きな雪の結晶が降ってくることはないじゃん?」
「どんなサイズのゴミを想定してるのか分かりませんが、言葉の綾です。雪の粒のなかには目に見えない汚い不純物が含まれていて、だから雪は汚いってことです」
「粒子レベルの理屈はそうだけどさ、私が言いたいのはそういうことじゃないんだよ」
「じゃあ、美しい雪の結晶の話がしたいと?」
「六花は確かに綺麗で美しい物の一つだけど、今はもっと大きいスケールについての議論を交わしたいんだよ。あと、雪の成り立ちを話した後だと、素直に六花をキレイだとも思えないじゃない」
「すみません、雪の結晶のことをロッカって言うんですか?」
「あれ、知らないんだ。君って賢そうなのに意外と学がないんだねぇ」
「……たまにいるんですよね。眼鏡をかけてるだけ、口数が少ないだけで、人のことを賢人だと思う馬鹿が。先輩、その偏見は恥ずかしいので他の人には言わないほうがいいですよ」
「私のことを馬鹿にしたような言い草だけど、君のその怒り方から察するに、自分の馬鹿を認めてるってことで良いんだよね」
「……」
「……。六花っていうのはね、雪の結晶が六角形で花びらのように見えることからついた雪の異称なんだよ」
「とても洒落た言い回しですね。先輩が好んで使うのも納得です」
「そんなに六花六花言ってないよ」
「それで、その六花の話をしたいわけでもないんですよね? もっと大きい物の話がしたいと」
「ふっ、最近知った言葉を使いたがる小学生かな?」
「言葉選びがクールな先輩に合わせたんですよ。あと、揚げ足とってないでサッサと話を進めてください」
「そうだねぇ。ほら、だからさ、微細な雪の生成過程だとか、雪の結晶がふつくしいね、って話じゃなくってさ。もっと、肉眼で見えるような雪の話だよ」
「雪の結晶は肉眼でも見えますよ」
「さっき揚げ足とんなって言ったの誰だっけ?」
「揚げ足じゃないです。事実です」
「事実を述べることと揚げ足を取ることは相反しないよ。同じ集合内に同居可能。……まあ、確かに雪の結晶はギリ肉眼で観察可能だけどさぁ、そういうんじゃないんだよ」
「そういうんじゃないんですか」
「もっと視野を広く持つべきだよ、後輩くん」
「視野を広く……雪が綺麗……あー、そういやそんな風に思ってる人もいるんでしたっけ」
「勿体ぶらないで教えてよ。本題はここじゃないんだから」
「雪の結晶に良い言葉だけかけ続けていると綺麗な形の結晶になり、逆に悪い言葉ばかり投げかけ続けると汚い形に固まってしまうという……」
「似非科学じゃないよ、私がしたい話は。視野広げすぎ、というか斜め上だよ」
「違うのか。てっきり先輩がひけらかすために仕入れた知識が陰謀論や御呪い程度の信ぴょう性しか持たない展開かと」
「君、さっきの今でよく馬鹿いじりしようと思ったね。豪胆というか本当に天然なの?」
「地頭は良いほうです」
「じゃあ、じゃん。……まぁ、ともかく、あらぬ方向に思考を偏らせるんじゃなくって、もっとちゃんと順当に雪のことを考えて」
「先輩、いつの間にクイズになったんですか」
「! 確かに。主題がズレて来てたよ。危ない危ない。——だからね、話を戻すと、私は雪景色の話をしたいわけ」
「要するに、汚い雪が降り積もって見える表面的には綺麗な雪の話をしたいと?」
「“要するに”の意味をあとで辞書で調べてマーカー引いてページに付箋を貼っといて欲しいけど、まあ、そう。そういうこと。綺麗そうに見える雪の話」
「言い方的に、先輩も根本ではロマンチックな思考してないですね」
「事実を知る自分と、幻想を抱く自分は区別して飼うものだよ。そして客観的な自分がそれらの自分をお世話してるのさ」
「先輩の、客観的な先輩はいつ旅から帰ってくるんですか? 帰りを待ってる間に、綺麗そうに見える雪の話がしたいならしましょうよ」
「ストップ、その言い方はやめよ。ここでは雪はもとより綺麗なものとして扱っちゃおう、ね?」
「分かりました。で、綺麗な雪が綺麗な理由でしたっけ?」
「うん。できることなら、美しい解答が欲しいなぁ」
「自分は美しい存在ではないので無駄な期待しないでください。……そうですね、白いから、じゃないですか?」
「白いから、とな?」
「はい。白色って汚れがあったら目立つじゃないですか。だから白い服を来てカレーうどんやスパゲッティを食すことは禁忌とされているわけですし、綺麗にしておきたい場所にはあえて白いカーペットを敷くなり白い大理石を張るなりしてすぐにゴミや埃に気づけるようにするわけです。物質的な話じゃなくとも、白色は他の色が混ざってしまえば柔軟にその色に染まってしまいます。他のものの影響が視覚的に顕著であることが白色の特徴です。
だからこそ、外部の影響をモロに受けるからこそ、白色は清廉潔白のシンボルカラーになっているわけです」
「ほほう、続けてくれ給え」
「言われなくとも。綺麗と一口に言っても色々意味はあると思いますが、一つは“整っていること”だと思っています。換言するなら、バランスが良い、ということです。先ほど説明した通り、白は他のものの影響を強く受けますから、バランスを取るのが難しい色だと言えるでしょう。しかしどうでしょう、バランスを取るのが難しい白色が単色でそこにあった場合、それはバランスが取れている状態だと言えますよね。つまりは、白色は白くあるだけで美しい状態を保っていると言い換えられるわけです。
ここで最初の主張に戻すとですね、雪は白くあるこそ美しい、雪に覆われた真っ白い風景が綺麗でないはずがないと、そう唱えることができるんですよ」
「——どうも、ご高説ありがとう」
「拍手までして、なんなんですかその労いの言葉」
「いや、普通に納得できる理論を唱えられたから、つい」
「先輩が聞いてきたんですよ」
「特に、清廉潔白ってところ? あそこ良いよねぇ」
「先輩は四字熟語が好きなだけでしょ」
「いやいやちゃんと話は聞いてたって。ウェディングドレスとか白無垢に白色が採用されてるのも、清廉潔白さの象徴や単純に綺麗に感じられる色だからなのかなぁって思ったり」
「それは清廉潔白ってものそうですけど、意味合いとしては処女性のほうが強いんじゃないですか?」
「あー、「何者にも染まっていない私を愛して、あなた色に染めて」ってこと? なんだい、君もロマンチックを理解してるじゃないか」
「先輩には及びませんよ。——で、自分の意見をまとめるとですね、白は調和が取れているから綺麗、そして雪は白い、よって雪は綺麗というわけです」
「Q.E.D.じゃないんだよ。君は全く、理系脳だなぁ。雑談ぐらい理論武装しないで会話しようよ。もっと脈絡ない雑然とした話し合いにしようぜ」
「さっきから言ってますし、これからも何度も言いますけど、質問してきたの先輩ですからね? それで、先輩の意見はどんなもんなんですか? まさか後輩に聞いて終わりじゃないでしょうよ」
「あるよ。あるある。雪景色ってさ、」
「急ですね。舵の切り方」
「君が振ったんじゃん」
「いや、話の腰を折ってしまってすみません。どうぞどうぞ」
「いい? 雪景色ってさ、よく、クリスマスシーズンの曲の歌詞で白銀の世界だとか、一面真っ白な街だとか言われてるイメージない? あれだよ」
「あれですか。ご低説ありがとうございます」
「説明文の短さにびっくりして存在しない言葉を吐いてんじゃないよ」
「いえ、これは自分がたった今作った低俗な説という意味の造語です」
「造語なら今までは存在しなかった言葉じゃん。しかもしれっと低俗とか言うなよ、人の話は最後まで聞きなっ」
「続きがあるなら言ってくださいよ。「あれだよ」はQ.E.D.とニアリーイコールなんですから。それじゃあ、続きをお願いします」
「言われずとも。歌に限らずさ、小説なんかでも“銀世界”というフレーズが頻繁に使われるじゃない。雪によって変装した街並みや原風景をオシャレに、かっこよく、着飾ったフレーズが。きっと、そのイメージが先行してて、だから雪景色を見た時に綺麗だって思ってしまうんじゃなかろうか。そう考えたわけだよ、後輩くん」
「その理屈でいくと、そもそもの、もともとの雪化粧した風景は美しくないってことになりませんか? 言葉によって“雪は美しい”という価値観が先に刷り込まれてるっていうことに」
「言いたいことはそこなんだ。実は雪化粧ってのは、なんら美しい事象ではなくって、最初に目にした時は「あぁ、雪がたくさん積もってるなぁ」程度に捉えていたはずだ。それが、周りの大人たちに促されるままに綺麗だなんだと認識するようになり、文学や音楽に触れる度に頭の中でソウゾウされる銀世界は美しいものに成り上がっていった。言葉によって脚色されて、脳内で完全に繋がった“雪”と“美しさ”は、いつしか感覚的、直感的、反射的にそう感ずるようになる。
ロマンチックというのは実は本能による形容ではなく、外圧によって染み馴染んだ社会的共通概念なんじゃないか、とそう私は結論づけた」
「——お、おぉ……おぉ?」
「あれ? 拍手は?」
「いや、ちょっと待ってください。学術論文っぽい言葉が並んで感嘆の息を漏らしちゃいましたが、論点がズレてます。今は雪が綺麗な理由を述べていたはずです。それがいつの間にか、綺麗と感じる気持ちの本質の話になってました」
「えっと、だから。ロジックとしてはね、“綺麗”というのはそもそも誰かがそう言ったからそう感じるものである、故に雪を綺麗だと思うのは誰かが雪を綺麗だと言ったから。ってこと」
「あー、理解しました。その雪を綺麗だと言った誰かっていうのが、小説家や作曲家というわけですね。でもじゃあ、その小説家や作曲家たちは誰に聞いたんでしょう? そもそも最初に雪を綺麗だと言った、否、思った人は誰なんでしょう? その人がいなきゃ雪が綺麗だというマインドは始まってないわけですから」
「んー、誰かは分からないけど、どんな人かだったら一考の余地ありじゃなぁい?」
「どんな人か……感受性が豊かな人とか、言語化に長けてる人とか、ですかね」
「あるいは、新しいことを始めたい人、なんでも良いから一番になりたい人、尖りたい人、尖った人だったのかもね。予測の域を出ない、確かめようのないことだけどさぁ、一応の答えにはなるでしょ」
「そうですねぇ。これ以上は不毛って気がします」
「私の主張をまとめると、雪は綺麗だというイメージが先行してるから、雪は綺麗だとされている、とまあ、こうなるね」
「なんつーか、答えになってなさそう感というのか、因果関係が滅茶苦茶になっているように錯覚してしまいますね。同じ言葉を繰り返して強調の意味合いを持たせるみたいな」
「確かに、リフレインめいたまとめだ」
「ていうか、やっぱり先輩はロマンチストじゃないですよ」
「なにおう」
「だって、雪が綺麗であるという根底を否定してるじゃないですか、その考え。逆説的に言えば、先行するイメージが無ければ雪は綺麗じゃないってことになりますから」
「本来、美しくないものも、美しいものとして捉えらることができる。それこそが本当のロマンチストだと思うんだよ」
「そんな見境のないロマンチストはウザったいだけです」
「えー、でも実際さーあ、本質的には美しくないって分かってても、美しいとされているものを素直に美しいと思えたりしない?」
「それは単に話を合わせる同調の意味ではなく?」
「意味ではなく。相反する二つの心情が反発することなく同居する瞬間って、割とそういう風に日常に溶け込んでると思うんだよねー」
「これは美しくねぇなぁと思う傍らで、わあ美しい! と心の底から思う時があるってことですか?」
「そう。だから、それを説明するための、美しさの刷り込みってこと」
「あー、なんか納得感がありますね。悔しいほどに」
「やりぃ! 一本取ったりぃ!」
「……先輩ってその感じなのに頭が良いですよね」
「なに? 馬鹿っぽいって?」
「言葉を選ばずに言えば」
「よく言われるよ。そしてよく驚かれる」
「知識が豊富なのもさることながら、考えて生きてんだなって感じがします」
「それ、馬鹿よりひどくない? 考えなしに、能天気に生きてると思われてたの?」
「遠い昔、最初の頃の話ですよ」
「何が遠い昔だよ。私だって悩み事の一つや二つ、六つや八つあるんだから。必死に生きてんだよーだっ。んべっ」
「舌をしまってください。犬じゃないんですから」
「体温を下げるためにパンティングしたわけじゃないって。てか、君のほうこそもっと考えて発言したら? 意図せず相手の地雷を踏むか、傷つけることになるよ?」
「よく言われてます」
「じゃあ直そうよ……」
「考えながら喋ると返事が遅くなるんですよね。しかも段々と会話のテンポについていけなくなっていって……遂には脳が爆発します」
「君は考え過ぎるか、全く考えないかしかできないのか。両極端だなぁ。
じゃあまあ、私と話す時は一切考えずに脊髄反射で会話してもらって構わないよ。テンポ感を大事にしていこう」
「よしきた」
「それでね、大きく逸れた話を戻すと。雪が綺麗だと思う心の裏側には、「雪は別に美しかねぇよな」っていう冷淡な心があるってこと」
「そんな話でしたね」
「そして、雪を綺麗だと言う心は音楽や文学、要は創作物によって育まれる——言ってしまうとさ、——」
「言ってしまうと?」
「雪が綺麗なのって、つまるところ、創作のなかだけだよね」
「先輩が、「雪が綺麗という前提で話を進めよう」って言い出したのに……元も子もない……なんだったんだここまでの時間……」
「現実の雪を綺麗じゃないとは言わないよ? ただね、食すのを注意される程度にはばっちいし、降り積もれば雪かきが面倒だし、あらゆる交通インフラが対応を余儀なくされるしで、綺麗であることを相殺してしまうほどに現実的な問題が付きまとうんだよ」
「だからそれを無視して美しい部分だけ切り取って見ようという前置きだったのでは」
「でも、無視できなかったんだよなぁ」
「リアルスノーはハードですね」
「そうだねぇ。その点、反復法になるけど、フィクションスノーは現実的な問題を無視して美しい部分だけを切り取って見せてるから、最初から最後までビュリフォーなんだぜ?」
「誰もクリスマスソングのなかで雪かきが重労働であることを歌ってませんもんね」
「そ。雪は雰囲気作りに使われてんの。冬であること、冷たいこと、静かなこと、覆い隠すこと、重いことetc..色んな意味を潜ませるか、もしくは単に端的に情景を伝える単語とするか、あるいはその両方か。して、その上でさらに、それらを美しく表現する手段として、雪は適当なんだよ」
「でも、全ての創作物のなかで良いように使われているのかと考えると、一概にそうだとは言い切れないかもですよ?」
「へー、便利ワードではないと?」
「ワードとしては先輩の仰る通り優秀なんでしょうけれど、こと映像系の創作においては厳しいものかもしれません。ほら、雪って白いじゃないですか」
「あーね、確かにね。絵が単調になる。それも圧巻の雪景色であればあるほど」
「一面真っ白な雪景色なんてのは、非常に幻想的な風景の代表格ですが、画面全部が眩しくなってしまいます。実写だろうとアニメだろうと、映像では大体そうなんじゃないですかね。自分は何も生み出したことがないですし映画マニアでもアニメオタクでもないので、専門的なことは何もわかりませんけど。ド素人の愚考的には、雪が画面映えする時間は一瞬だと思えます。あとまあ、映像系の創作と並べて良いのか判断しかねますが、漫画を描く人からは雪景色は好まれてそうですけど」
「線を書く手間が少ないからってこと? そうかなぁ、逆に少ない線で雪景色であることを伝えなきゃいけないから難しくなりそうだけど……。いやてか、漫画家は絵を描くのに消極的ってのは偏見だよ。確かに「漫画は手抜きしてなんぼ」みたいな言い方をされることもあるけど、だからって「雪描くの好きそう」は舐めてんじゃないかなぁ?」
「ふむ、なるほど。めちゃくちゃ絵が上手い漫画家もいますもんね。失敬。敬いを、リスペクトを失っていました」
「私はクリエイターじゃないんだけどね。話を戻すと、視覚に依った媒体では雪の白さによるデメリットがある。けど、視覚に依らない音楽や文章上の雪の白さは、想像しやすくて映える、と」
「前半はその通りですけど後半……あれ? 途中から先輩の主張に変わってません?」
「かもしれない。まぁ? 白色って身近で想像しやすいし? 光を反射してキラキラ輝く様子も想像に難くなく絢爛だし?」
「なんで急にギャルなんすか。なんで意見の口述を敢行してるんですか」
「まあまあ、君も雪を見習って頭を真っ白にして聞いてくれよ」
「白痴ってことですね。分かりまs」
「違うよ? 別に私がそう思ってるとかではないけど、なんとなく差別用語的でタブー視されてる風潮があるから、一旦その単語はやめよう」
「自分も侮辱や差別の意図はありませんよ。自分に使ったぐらいですから。もちろん自虐要素も含みません。なにより、自分ら以外の誰も聞いてないんだから過剰に反応することないと思いますけど」
「そうだけどさ、誰がどこで聞いてるか分からんよ? 壁に耳あり障子に目あり、テーブルの裏にレコーダーあり、窓の向こうにカメラあり。スマホが普及した現代、ある種の監視社会と言っても差し支えないじゃない」
「まさか、自分たちの会話を聞き耳立てて、文字起こししてる奴がいるとでも?」
「無いとも言い切れないよー?」
「仮にいたとしたら、とんでもない暇人じゃないですかそいつ。ラジオならともかく、一般人の私語を文字起こしって。世界の全てをやり尽くしたド級の暇人ですね」
「あるいは、世界の全てを放棄した生きた尸かもしれない」
「でもまあ、自分としては、普通の会話に出てきた放送禁止用語に対して過剰に反応する輩こそっていう気がしますけど——まぁ確かに、無神経なのも良くないですね。これからは気をつけます」
「そうしてくれると助かっちゃうな」
「さて、雪の話に戻りましょう」
「……私たちは何回この話し合いを脱線するんだろうね——脱線ついでにさ——」
「雑談なので、何回でもじゃないですか? そもそも、話を戻るってのも本来なら要らない行程のはずなんですけど。暇つぶしの会話に筋道なんてないものですし」
「ま、同感だねぇ。忙しなく過ぎゆく日々の安息、休息……今この対話そのものが人生というレールを外れた脱線なのかもねぇ」
「なんか良い感じに返しましたね。香炉峰の雪みたいです」
「白居易の? 雪の話に戻るにしては文脈を飛ばし過ぎじゃなくって?」
「清少納言の、ですよ。いや、確かに白居易の詩でもあるんですけど、ややこしいなぁ説明が」
「ごめんね、無知な先輩で」
「諸々含めて嫌味ですか? 簡潔に解説すると、清少納言が書いた枕草子の一節に『香炉峰の雪』っていう、清少納言が上司の質問に対してウィットに富んだ返しをしたお話があるんですよ。その時に参考元となったのが白居易の詠んだ『香炉峰下新〜〜』で始まる漢詩ということです」
「はぇー、にゃるほど。ってことは、つまりは、君は、私を機知に富んだ返答だと誉めそやしたわけだ」
「そうですよ。まさか知識人たる先輩が知らなくて通じないとは思いもしませんでしたが。逆にどうやって清少納言を通らずに白居易だけ知ったんですか」
「古文より漢文派なんだよね、私」
「変わってますねぇ、先輩は」
「それ、褒め言葉」
「古文好きだろうが漢文好きだろうが、現代文好きな自分としてはどっちも奇天烈な変人ですよ」
「褒め方が雑だなぁ。それはそうと、私の言った「雑談は人生の脱線である」という格言は、清さんほど上手なものだったの?」
「それは言っちゃいかんのです。あと、清少納言を呼ぶ時は大体、少納言です」
「勝ちたいな、少納言さんに」
「無茶ですよ、先輩。あっちは国語の教科書に載ってんですから。もうすでに死んでるし、あっちの格は上がるだけです」
「ぐっ、勝ち逃げか」
「何事も諦めが肝心です」
「もうちょっと挑戦心を持とうよ。なんでもかんでも諦めてたら出来ることが少なくなって顛末は八方塞がり、殻に閉じこもるしかなくなるよ……」
「間違えました。
時には諦めが肝要ですよ、先輩」
「だよね、たまに、“たまに”だったら良いよね。諦めることも」
「そこにアクセント入れられると、それを口癖にダラダラ諦め続けてる人になりますが……」
「うーん、“たまに”って時々な気分にさせてくれる魔法の言葉」
「気分だけで事実とは似ず非なるものですけれどね」
「“あと一回だけ”、も同じ使い方をする魔法の言葉よねぇ」
「……先輩。飽きてますね? 雪の話にももう戻ってないじゃないですか。戻る気もないじゃないですか」
「そんなことないけどなぁ。まだまだしたりないぜ? 雪が美しい話。氷柱とか、水源としての役割とか、雪崩とか、養分の運搬だとかetc..」
「一旦じゃあ、ここで区切りつけましょう。雑談だけをして人生終えるわけにもいかないんですから」
「えー、まだ話したーい」
「この話の続きはいつか聞きますよ。ただ、脱線した人生を送るつもりはないということです。休みはたまにあるから休みなのです。休息だけの人生は、休息をレールと呼ぶんです。その他の場合も然り」
「くっ、私の言葉を使って良いように言いやがって」
「さ、レールに戻りますよ。先輩。こういうまとめは上手いでしょう?」
「やめな? そうやってハードル上げるの」
「いじってんですよ」
「かわいげのない後輩だこと。
まぁ、今回は雪がキレイだって話だったわけだし——」
「一応はそんな体裁でしたね」
「——ふふっ」悪戯っぽく、アイロニカルに笑む。
「君の目には雪が降ってるね」
「何言ってんですか」
「そのまんまの意味だよ」
「じゃあ目ん玉のなかに雪が降ってるわけないじゃないですか」
「国語力」
「えーうざー…………ここまでの話を踏まえると、褒めてませんね、絶対に」
「踏まえなくとも褒めてないよー」
「せめて踏まえてくださいよ。マジで無駄な時間で終わっちゃったじゃないですか」
「君の目のなかに降ってるし、降り積もってるよ、ドカ雪だよ」
「隠喩で追い打ちかけんのはタチ悪いですって。何を喩えてんのか判然としないのに」
「なんだと思うー?」
「……冷酷とか、盲目とか、総じて死んだ目じゃないですかね」
「どーだか」
最後までお読みくださりありがとう存じます。
何かしらありましたら何かしらお願いいたします。
あらすじは、最初、ジャンルを純文学にしようかと思いながら書いていた名残りで、最後の最後でコメディっぽいオチがついてしまったので泣く泣くコメディになりました。