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9 その瞳は魅入られそうに妖しく、鋭い


 お夕食はとても美味しそうだ。アグネスさんが言った通り、たくさんの御馳走が並んでいる。


 リヴィエール家の晩餐と同じくらい、いいえ、それ以上に素晴らしいと思う。


 わたしは、リヴィエール家の晩餐はほんの数回食べたことがある。お客様へ体裁を繕う必要があるときだけ、わたしは「病弱だけれどお客様のためにお顔を見せにきました」という態で食卓への列席を許された。

 いつも残飯ばかり食べていたわたしにとって、それはもちろん御馳走だし、とても贅沢で美味しかったけれど、そのどのときよりも今日の食卓は豪華に感じた。


 もしかしたら、辺境伯様とわたしの最初の晩餐だから、アグネスさんが気を使ってくれたのかもしれない。


 サラダやカプレーゼ、スープを食べた後は、数種類ものパンに野菜をふんだんに使ったゼリー寄せやお魚のパイ、そしてお肉のロースト。その他わたしが見たこともないような御馳走の数々がテーブルに並ぶ。


 でも、緊張しすぎて、ほとんど味がしなかった。


 ナイフやフォークを動かすたびに、お水を口に運ぶたびに、辺境伯様がわたしをじいっと見ているのがわかる。


 辺境伯様の瞳は宝石のように綺麗な紫色をしている。

 見ていると、吸いこまれそうになる不思議な瞳だ。

 でも、その魅入られそうな瞳はとても鋭く、見つめられると冷たい刃を突きつけられているように思えて、とても食事はできなかった。


「もう食べないのか」

 辺境伯様がわたしのお皿を一瞥した。

 メインのお肉のローストはまだたくさん残っていたのだけれど、わたしはフォークとナイフを置いていた。

「はい、あの、もうじゅうぶんいただきましたので……」

「――ま、あれだけパンを食べれば腹いっぱいだろうな」


 辺境伯様が何かボソッと呟いたけれど、聞こえない。失礼があってはいけないと、わたしはあわてて聞き返した。


「すみません、何とおっしゃったのですか?」

「なんでもない。グスタフ、ありがとう。もう片付けてくれ」

「かしこまりました」


 わたしが何かを言う間もなく、辺境伯様はさっと席を立つと部屋を出ていってしまった。


「何かお気に障ることをしてしまったかしら……」

 テーブルナプキンをぎゅっと握りしめているわたしに、グスタフさんが優しく言った。

「いいえ、そんなことはございませんよ。クラウド様は、むしろ感心していたのだと思います」

「えっ……感心?」

「はい。エステル様のテーブルマナーは完璧です。さすがは公爵令嬢でいらっしゃる。食べ方もお美しい。きっと、クラウド様は見惚れていらっしゃったのだと思いますよ」

「ま、まさか!」


 あんな綺麗な人がわたしのような貧相な娘に見惚れるなんてこと、あるはずがない。

 それに、公爵令嬢だなんて――わたしは、屋敷の隅に追いやられて生きてきた、みそぼらしい娘だというのに。

 親切にしてくれるグスタフさんを騙しているようで、とても申しわけない。


「あの、エステル様」

「はい?」


 俯いていたわたしに、グスタフさんが言いにくそうに言った。


「それから、おそらくクラウド様は湯殿に行かれたのだと思います。今夜はその……御夫婦で過ごされる最初の夜ですので。ですから、エステル様も御部屋の湯殿へご案内させていただきたいのですが……」


 わたしは、急速に顔が熱くなるのを感じた。





「黒真珠みたいですねえ。公爵令嬢の御髪を梳かすなんて、手が震えてしまいますよ」

 湯殿の後、わたしの髪を梳きながらアグネスさんが言った。


「私はね、ある伯爵家でメイド頭をやっていたんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。ですから、御令嬢がたの髪はたくさん見てきましたが、こんなに美しい御髪は見たことがありません。こうやってブラシを少しかけるだけで、こんな七色のツヤが出るなんて……さすがに高貴なお生まれの御方はちがいますねえ」


 アグネスさんはうっとりと呟いて、背中まであるわたしの髪を丁寧に梳いてくれる。


(ごめんなさい……)


 わたしはアグネスさんに心の中で謝った。

 わたしは、アグネスさんが思っているような、高貴な公爵令嬢ではないのです。

 いらない子として屋敷の隅に追いやられ、残飯を食べ、怪我や病の薬すら自分で作って生きてきた貧相な娘なのです。

 こんなふうに髪を梳いてもらったのだって、ほとんど思い出せないくらい昔のことなのです。


 もちろんわたしの心の声など聞こえるはずもなく、アグネスさんの手はゆっくりと丁寧にブラシをかけ続けている。

 屋敷ではブラシなんて持っていなかったから、きっと絡まってしまっているだろうに。


「ちょっと傷んでますけど、ちゃんとお手入れすればツヤのコシも素晴らしい髪になるでしょう。お世話のし甲斐があるってもんです」

「あの」


 たまらず、わたしは顔を上げた。


「あの、わたし……わたしはどうすればいいんでしょうか!」


 アグネスさんは鏡越しにきょとん、とわたしを見つめる。

 わたしの真っ赤に染まった頬を見て、アグネスさんは察したように笑った。


「ああ、そんなことはね、殿方にお任せすればいいんですよ」

「あのっ、でもっ……」

「それに、クラウド様はああ見えてとてもお優しい方ですから」

「そう、なんですか?」


 正直、綺麗な人だとは思ったけれど、優しそうには見えなかった。


「そうですよ。それにね――」

 言いかけて、アグネスさんは口をつぐんだ。

「? どうしたんですか?」

「いえ、なんでもないんですよ。さあ、ご案内しましょう」



 アグネスさんは何を言いかけたんだろう。

 それが気になったまま、わたしは寝室へ案内された。



 寝室は広くて、白い調度品が月夜の中に冴え冴えと映っている。



 ソファ、テーブル、鏡台、チェスト、すべてが白い中、ベッドもまた、白かった。大きな天蓋が付いていて、白いレースの布帛が開いている。

 サイドテーブルに小さな燭台が置いてあって、灯かりはそれきりだ。


 アグネスさんもいなくなってしまって、どうしたらいいのかわからなくて、でたらめに部屋の中を歩き回っていると――唐突に肩をつかまれた。


 悲鳴を何とか飲みこんで振り向けば、そこには夜着姿の辺境伯様が立っていた。




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