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88 小さな約束


 夜になると、すっかり体調はよくなった。

 身体がばらばらになってしまいそうな痛みは去り、お腹も空いて、お夕飯は自室でだけれど食べることができた。


「すみません、アグネスさん。お夕飯も運んでいただいて」

「何をお言いですか。食べれるようになってよかったですよ!」


 アグネスさんはいつものように朗らかに笑った。


「これでクラウド様も一安心なさいます。クラウド様ったらそれはもう心配して、昨日なんてアベル様やルイス様に『役立たずは寝ろ』って言われるまでずっと部屋の外でうろうろしていたんですからね。これじゃ、エステル様が赤ちゃんをお産みになるときは大騒ぎですよ」

「あ、赤ちゃん……」


 わたしとクラウド様の赤ちゃん。

 想像しただけでうれしいけれど、なんだか恥ずかしくて顔がぼっと熱くなる。

 恥ずかしさをごまかすように、わたしは聞いた。


「あの、クラウド様は」

「それが、なんだかお忙しいみたいですよ。図書室でずっと、アベル様とルイス様と一緒に調べ物をなさっています」

「調べ物?」

「ええ。どこかへ出かけて、夕方帰ってこられたと思ったら図書室へこもりきりです。お夕飯もそちらで摂られるというので、さっきお運びしたんですけどねえ」

「そうだったんですね」


 なんだか申しわけない。

 わたしが寝込んでいる間にも、クラウド様はがんばっている。

 何かわたしにも手伝えることは、役に立てることはないだろうか。


「アグネスさん。わたし、たぶんもう起き上がれるので、今夜は就寝前のお茶を淹れても大丈夫でしょうか。クラウド様のお邪魔になるようならやめますけど……」

「邪魔だなんてそんなことあるはずないですよ! ぜっっったい喜ばれます! クラウド様にお伝えしてきますから!」


 アグネスさんは急いで出ていった。





 夫婦の居間でポットにお湯を入れていると、扉が勢いよく開いた。


「エステル!」

「クラウド様、あの、御心配おかけして申し訳ありま――」


 言葉はクラウド様の胸に吸いこまれた。広い胸にすっぽりと包まれ、ぎゅうと抱きしめられる。石鹸の香りと湯殿から上がりたての熱気に、心臓がどくんと跳ね上がる。


「だいぶ体調が良くなったと聞いたが」

「はい。なので、御一緒にお茶を、と思いまして。でも、お忙しかったのでは……?」

「問題無い。必要なことは調べられた」


 わたしの髪に顔をうずめるようにしてクラウド様がささやく。

「エステル。頼みがあるのだが」

「な、なんでしょうか?」

「すっかり体調が良くなったら、一緒に行ってほしい場所がある」


 髪に感じる息遣いにどきどきしながら、わたしは頷いた。


「クラウド様が行きたい場所なら、どこへでも一緒に行きます」

「よし。では約束のしるしに」


 クラウド様が腕をゆるめ、わたしの額に軽く口づけた。


「わ、わ、わたし、おおお茶を」

 ちょうどよいタイミングで茶葉が開いたので、わたしはあわててクラウド様から離れる。

 わたしたちはテーブルで、静かにカップに口をつけた。


「……美味いな」

「疲労回復のローズマリーに、ジンジャーとアルファルファ、ハチミツを少し加えています」

「これも母上の『魔導書』に記されていたものなのか?」

「はい、基本は。わたしがアレンジを加えることもありますけど」


 クラウド様が感心したようにカップをのぞきこむ。


「魔女の薬学というのはすごいな。国が魔女を拘束し、研究機関を作るのもわかる気がする」

 だが、とクラウド様はわたしを見つめた。

「エステルを王都の研究機関などに行かせはしない。無論、国外追放も有り得ない」

「クラウド様……」


 不安で胸がざわつく。

 クラウド様の気持ちはうれいしいけれど、それは国王様に、法に、背くことになる。


「俺は今まで魔物と戦ってきたが、今度はあのタヌキジ……国王と戦うことになりそうだ」

「おやめください。せっかく、クラウド様はこの素晴らしい領地に落ち着いたというのに」

「問題無い。俺には従ってくれる仲間や領民たちもいる。それに……エステルがそばにいてくれれば、どんな困難にも勝ってみせる」


 テーブル越しにそっとわたしの手を握ってくれる大きな手はとても温かい。


「そのためにも、一緒に行こう。約束の場所へ」





 クラウド様の言う『その場所』がどこなのか教えてもらえないまま、わたしの体調はすっかり普段通りになった。


 支度を整えて馬寄せに出ると、クラウド様が漆黒の愛馬を引いてくる。


「少し遠い場所だから、今回はエステルの馬は置いてシュヴァルツに乗っていく。大丈夫か?」

「はい、わたしは大丈夫ですが、シュヴァルツは……わたしが乗ったら、重いのでは」

「問題無い。これは強い馬だ。エステルがあと三人乗っても大丈夫だろう」

「そ、そんなことは!」


 わたしはそっとシュヴァルツに近付いて、その鼻面に顔を寄せた。

「ごめんね、わたしが乗ったら重いかもしれないけれど、よろしくね」

 エステルに身体をすり寄せるように、シュヴァルツが身じろぎする。

 それを見てクラウドは柔らかな笑みを浮かべた。


「シュヴァルツはエステルがとても好きなようだ」

「主と一緒だな」

「そうですね」

 見ればルイス様とアベル様が後ろからニヤニヤと近付いてきた。

 途端にクラウド様の白皙の顔に朱が差す。


「お、おまえら、何してんだ! こんな朝早く」

「ご領主様のお見送りに決まってんだろ。エステル様、気を付けてくださいね。こいつずっとエステル様のこと心配して会いたい会いたい言ってたから、二人きりになったら襲われて……って襲ってもいいのか、夫婦だし!」

「会いたいなどと言ってない!!」


 豪快に笑うルイス様にクラウド様は肘を繰り出したけれど、ルイス様は身軽によけてしまう。

 それを見て笑っていたアベル様が、片眼鏡モノクルに手を当てた。


「でも本当に、気を付けてくださいね。あの場所は、いまだに瘴気が……あ、でも魔女のエステル様に言うことじゃないですね」

「……?」


 どうやらルイス様とアベル様は、クラウド様が行こうとしている場所を知っているようだ。


「夕方には帰る。留守を頼んだ」

「おう」

「お任せください」


 手をふり、頭を垂れるお二人に、わたしも大きく手を振った。


 シュヴァルツがなめらかに、力強く走り出した。





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