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83 思い描いていた風景


 国王・グレゴリオ三世との奇妙な会見の翌日。

 午後、クラウドとエステルはテンプルトンを伴って馬車を走らせていた。


 向かっているのはベルジェ伯爵という、王都の南に有名なワインの産地を持っている富裕な伯爵の屋敷だ。


「クラウド様、あの」

 エステルはためらいがちに言った。

「恥ずかしながらわたしは社交界に出たことがありません。ベルジェ伯爵を存じ上げないのですが、そんなわたしが一緒に行っても大丈夫なのですか?」


 人付き合いが得意ではない様子のクラウドがわざわざ訪問する相手だ。よほど大事な知人なのだろう。

 舞踏会で魔女と公言したこともあり、エステルは自分が一緒で大丈夫なのか不安だった。


 しかしそんなエステルの不安を吹き飛ばすようにクラウドが笑む。


「問題ない。俺もベルジェ伯爵は初対面だからな」

「え?! そうなのですか?」

 ではなぜ、という言葉をエステルは飲みこむ。馬車はベルジェ伯爵の屋敷に着いたようだ。



「ようこそお越しくださいました、トレンメル辺境伯。いや、竜退治の英雄とお呼びした方がよろしいですかな!」


 ベルジェ伯爵は人当たりの好い初老の人物で、にこやかにエステルたちを迎えてくれた。

 エステルが魔女だということを気にしている様子もなく、明るい応接室へ通してくれる。

「アニエス、お見えになったよ」

「まあ……!」


 応接室のソファから、美しい壮年の女性が立ち上がる。

 その顔が見る間にくしゃりとゆがみ、こちらへ歩み寄ってきた。

「よく来てくれたわ――テンプルトン!」

「アニエス様もよくぞご無事で!」


 固く手を取り合う二人に、エステルは呆気にとられた。

「いやあ、驚かれるのも無理はない」

 ベルジェ伯爵が朗らかに笑った。

「私も昨日の舞踏会でトレンメル辺境伯の話を聞いて驚きました。あの大火事で妻や妻の兄弟の他に生き残れた者がいたとは」

「え、では」

「エステル様、こちらのアニエス様はシャロン侯爵家の御令嬢なのです。今は、ベルジェ伯爵夫人ですが」

「そうだったのね……!」


 テンプルトンのつらい過去を聞いたので、かつて親交のあった人物と再会できたのはよかった、と思う。

(でもなぜクラウド様やわたしを伴ってくれたのかしら?)

 内心首を傾げていると、ベルジェ伯爵が優しい目をエステルに向けていることに気付いた。


「あの……?」

「いや、不躾で申し訳ない。亡きリヴィエール公爵夫人、ヒルデ様によく似ておられると思いましてね」

「母を御存じなのですか?!」

「ええ。まだリヴィエール公爵がヒルデ様と御結婚して間もない頃、お茶会でお会いしたことがあります。それはそれはお美しい方で、お茶会の花でしたよ。あの方の御令嬢がこんなに立派になられているとは……」

「ク、クラウド様、あの」


 ベルジェ伯爵は感慨深そうだが、エステルは動揺した。エステルがリヴィエール公爵家令嬢でクラウドに嫁いでいることは公には秘密になっているはずだからだ。


「問題ない。ベルジェ伯爵はすべてご存じなんだ」

「え……?」

「その上でエステルを養子にしてくださると言ってくれている」

「ええ?! 養子?!」

 突然の話にエステルは理解が追いつかない。

「はっはっは、テンプルトンの手紙にもあったように、エステル様は本当に純粋で可憐な方だ。まあ立ち話もなんですから、こちらへお座りください。テンプルトン殿も遠慮せずに、さあ」


 ベルジェ伯爵が皆にソファを勧めると、メイドが数人、お茶のワゴンを持って入ってくるところだった。





 クラウドはリヴィエール公爵のエステルに対する扱いに納得がいっていなかった。

 もっと言えば、あまりの仕打ちに怒っていた。

 だから今後のことも考え、エステルをしかるべき貴族の家に養子縁組させ、そこから嫁いできたことにしようと考えたのだ。


 そこで浮上したのが、シャロン侯爵家の生き残った子弟たちだ。


 テンプルトンから話を聞き、アベルに調べさせたところ、シャロン侯爵家の長兄は爵位を継いで家再建のために力を尽くして順調に事業を展開しており、次兄は長兄の領地経営を助けており、末の令嬢はワイン王ベルジェ伯爵に見初められて嫁いでいるとのことだった。

 そこで、かつてシャロン侯爵家内でテンプルトンによくなついていた末の令嬢・アニエス嬢に手紙を出し、エステルの養子縁組のことを打診してみたのだった。

 突然の申し出にも関わらず、ベルジェ伯爵夫妻は何度かの書簡のやり取りの末、快く引き受けてくれたのだという。


「実は我が家にとっても渡りに舟というか、将来の心配がなくなる話でもあったのでね」

 ひとしきりお茶を飲んだ後、ベルジェ伯爵は言った。


「私とアニエスの間には、娘が一人しかおりません。いずれ婿を取るつもりですが、うちの事業のことを考えるとよほどしっかしりした男でないと心もとない。ですから、娘夫婦に良き相談相手がいたらどれほど安心か知れないのです」

 ベルジェ伯爵はエステルに微笑む。

「今日お会いして、ますますこの話をお受けする気になりましたよ。舞踏会でもお見受けした通り、貴女は素晴らしいレディだ。私共は貴女が公爵令嬢だからでも、魔女だからでもなく、貴女が素晴らしいお人柄だとお見受けするからこそ、養子のお話をお受けするのですよ」

「そうですわ」

 アニエス夫人も大きく頷く。

「ゆくゆくはリシェルの相談相手になってくだされば、これほど心強いことはありませんわ」

「……お二人は、こう仰ってくださっている。エステルに異存がなければこのまま話を進めてもいいだろうか?」

「は、はい!」


 異存などあるはずない。

 クラウドがそこまでエステルのことを考えてくれていたことにも感激したし、養子縁組を快く引き受けてくれたベルジェ伯爵夫妻にも感謝があるばかりだ。


「本当に、ありがとうございます」

 エステルが頭を下げると、ベルジェ伯爵がいたずらっぽく片目をつぶった。

「感謝するのはまだ早いよ、エステル殿。貴女の継父としてまだ何もしてあげてないからね。それに、私には下心がある。トレンメル辺境伯の領地にあると噂の魔石鉱泉はとても魅力的だからね。トレンメル辺境伯と縁を結べるのは願ってもないことだ」

「もちろん、魔石鉱泉の利益は義実家にしっかり還元いたします、義父上ちちうえ


 クラウドも珍しく冗談で混ぜ返すと、皆笑った。


「では、エステルと呼ばせてもらっていいかな。娘なのに殿はおかしいからな」

「は、はい、もちろんです、お気に召すままに」

「本当にエステルは可愛らしいわ。わたくし何もしてないのに、こんな素敵に成長した娘ができて何だかとても得した気分だわ」

 アニエス夫人がうっとりとエステルの手を握る。

「わたくしのことを本当の母と思って、これからは頼りにしてくださいませ。イザベラ様のことを考えると……嫁がれるときは、さぞ心細かったことでしょう」

 優しく手を握られて、エステルは胸がいっぱいになった。

「あ、ありがとうございます」

 そう言うのが精いっぱいだ。

「お礼なんていいから、着るものとか屋敷の内装のこととか、他にも内向きのことでわからないことがあったらぜひ相談してね。家格も同じ伯爵家だから、力になれると思うの」

「はい……!」


 そのとき、ノックの音がして、扉の影から可愛らしい女の子がぴょこん、とのぞいた。


「ああ、ちょうどよかった。リシェル、こちらに来なさい」

 ベルジェ伯爵が呼ぶと、白いワンピース姿の女の子は緊張した面持ちでベルジェ伯爵のところへ歩いてきた。


「紹介しよう。娘のリシェルだ。五つになる」

「リシェルです。よろしくおねがいしましゅ」


(緊張して噛んでる……か、かわいい! 天使みたい!)

 エステルは感激して思わずリシェルをじっと見つめた。アニエス夫人に似て絹のような金髪に青い目の美少女だ。愛らしい瞳が、エステルを見返す。


「このきれいなおねえさまは、だあれ?」

「このお姉様はね、エステルといって、リシェルのお姉様になる方ですよ」

 アニエス夫人が言うと、リシェルはぱあっと笑った。

「ほんとう? リシェルのおねえさまになってくれるの?」

「うん、よろしくね、リシェルちゃん」

 エステルが微笑むと、リシェルはちょこん、とエステルの傍に寄り添った。

(なんて可愛いのかしら!)

 思わずぎゅっと抱きしめると、リシェルも「エステルおねえさまだいすき!」と抱きついてくる。

「素敵なお姉様でよかったな、リシェル。これからはリシェルとエステルがこのベルジェ家の娘だよ」

「わあい」


 隣を見上げれば、クラウドが優しい眼差しでエステルを見ている。

「勝手なことをしたと思ったが……よかっただろうか」

「もちろんです。うれしくて、わたし……」


 優しい両親がいて、可愛らしく天使のような妹がいて。

 思い描いていた風景がここにある。自分がその中にいる。

 つらい思い出しかなかった王都で、こんなに夢のような時間が過ごせるなんて。


 目の奥が熱くなって、笑んだ瞳から思わず涙がこぼれ落ちた。


「あっ、エステルおねえさまがないてる!」

 すかさずリシェルが可愛い手にレースのハンカチを握って拭いてくれる。

「おにいさん、エステルおねえさまをなかしたらダメよ! リシェルがやっつけちゃうから!」

 さすがのクラウドも小さい天使には敵わず、苦笑する。部屋中に笑いが溢れた。




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