82 国王・グレゴリオ三世の話
「いやー、さっきはすまなかったねえ」
クラウドとエステルが部屋に入るなり、王は満面の笑みで迎えた。
髭面でマッチョのわりに柔和な笑顔で親しみやすい。
国王・グレゴリオ三世は民衆からそういう評価を受ける希代の王だ。
「いやほら、わしも、こんな可憐な女性が悪い魔女だとは思わんよ? イザベラ・リヴィエール公爵夫人を魔女として捕らえたからさ、トレンメル辺境伯夫人だけ見逃すっていうのも、ねえ? 場の空気としてどうかなと思ってねえ」
(しらじらしい)
クラウドは内心舌打ちしつつ、努めて平静に言った。
「それで、御召しの御用件とは」
「またまたぁ、わかってるんだろう? 魔石鉱泉のことだよ!」
王は笑顔をエステルに向ける。
「貴女はリヴィエール公爵令嬢のエステル・リヴィエール殿だよね? ああ、何も言わなくていい、あの女狐の正体が分かった今、貴女は可哀そうな被害者だったことが明らかになった! あの魔女のせいで貴女は不遇な少女時代を送り、意に染まぬ結婚を強いられた。こんなに美しいのに勿体ない――」
エステルを舐めるように見る王の視線を遮るように、クラウドが身を乗り出す。
「王、お言葉ですが、リヴィエール公爵に私との婚姻を勧めたのは王ではないのですか? 新たな魔石鉱泉の利益が御目に留まったからだと理解しておりますが」
「おおっ、さすが! 幾多の修羅場をくぐりぬけてきただけあってトレンメル辺境伯は話が早い!」
何が楽しいのかひとしきり笑い、王は真面目な顔で言った。
「――ついては、来年の春先には採掘が始まると思われる魔石鉱泉、その利益七割を王家へ納めよ。もしくはトレンメル辺境伯夫人の身柄を王都へ留め置き、魔女として国の研究機関で研究を行ってもらう。どちらがよいか、選べ」
(利益七割なんて……ひどい)
エステルは絶句する。北の山脈に近い寒冷なトレンメル領は、農作物には厳しい環境だ。魔石鉱泉は領地の収入源として期待されている。
その利益を七割没収とは、あまりの仕打ちだ。
(そんなことになるなら、わたしが国の研究機関に入ったほうがマシだわ)
トレンメル領を離れるのは辛いが、領民やクラウドのためなら、と思える。
「さっきは皆の前で御夫人を捕らえたうえで、こうやって話し合いの席を設けるつもりだったんだ。だけど御夫人もトレンメル辺境伯もなんだか急いで帰っちゃったからさ? 領地に戻る前にしておいてあげた方がいい話かなーと思ってね。わしの一存で決めちゃうのは民主主義に反するだろう?」
「なぜその二択なのですか?」
(何が民主主義だこのタヌキジジイ。ほぼ自分の命令を押し付けているだけだろうが)
クラウドからは抑えた怒気がにじむが、王はまったく意に介していない。
「トレンメル伯には隠してもしょうがないな。もちろん、どちらもわしにとって益があるからだよ」
「益? エステルを研究機関に入れることが、ですか?」
「そうだよ。だって彼女は北の魔女の系譜だからねえ」
北の魔女。
それはかつて、南の魔女と戦い、この国を守ったとされる一族。
この国でいわゆる『良い魔女』というのは北の魔女のことを指し、国に登録し研究機関で研究する魔女の多くは北の魔女の系譜と言われる。かつて北の魔女は王家と婚姻関係を結んだこともあり、王家にしばしば高い魔力を持つ者が生まれるのはそのためだ。
北の魔女は良い魔女だが、南の魔女は悪い魔女。
それが、この国で魔女の立場が何かと問題になる理由だった。
(このタヌキジジイ……すべてわかった上で言っているな)
おそらく、エステルの母のこともしっかり調査していたのだろう。
(エステルの母は北の魔女の系譜だったのか。ではイザベラのことも、王はすべて知った上で様子を見ていたのだな)
それもそうか、と思えなくもない。リヴィエール公爵家は三大公爵家の一つだ。その動向を常に王家が見張っていて当然だ。
しかしすべてわかっていて、エステルの酷い境遇に手を差しのべなかった目の前の王に、クラウドは激しい殺意を覚える。そんな態度は少しも見せないが。
王は髭を撫でながら続ける。
「魔石鉱泉の利益も魅力的だけど、北の魔女が研究機関に増えるのも魅力的だ。なにしろ、薬の研究ができる魔女が年々減っているしねえ。その上、若くて美しいともなれば、王家との婚姻を考えてその血を残すことにも貢献してもらえるし……ねえ、エステル殿?」
王の視線がエステルを硬直させた。
(こんな目をした人は初めて見るわ……!)
怖ろしい、とエステルは思った。
喜びと悲しみ、愛欲と憎悪。様々なものが入り混じる混沌とした目。
「考えさせていただきたい!!」
勝手なことを言うな、という言葉をクラウドはやっとのことでそう変換した。
「今夜は王もお疲れでしょう。妻も疲れております。魔石鉱泉の稼働は来年の春。まだ時間はあるかと存じます。それまでの返答でご容赦願えないでしょうか」
(俺からエステルを奪うつもりか。そうはさせない)
クラウドは絶対にエステルを手放さなない。
しかし利益七割とは、領民のことを考ればとても呑めない条件だ。
ひとまずここは、時間を稼いで策を考えるべきだろう。
巨大な水晶のテーブル越しに、クラウドと王の視線がかち合う。
しばし見合った後、王が破顔した。
「たしかに! 可憐な御夫人を疲れさせてはいかんな。もちろん、返事はあとでけっこう。そう――今年の終わり、12の月が終わるまでには返事をもらおうか」
「かしこまりました。――エステル、行こう」
立ち上がりかけた二人に、王が「ああそうそう!」と声をかける。
「エステル殿、まだ王都にいるなら御実家に寄られてはいかがかな? あの女狐がいなくなれば、リヴィエール公爵も正気を取り戻すだろうからねえ。貴女に会いたがるだろう」
「お心遣いありがとうございます、陛下」
エステルは隣で深く頭を下げたが、クラウドは内心苦々しい思いがする。
(このタヌキジジイが親切でこんなことを言うまい。何かウラがある)
そうは思うが、今後のためにもリヴィエール公爵家には挨拶に行ったほうがいいとも思う。酷い仕打ちを受けたとはいえ、エステルの実家なのだ。きちんと区切りをつけた方がエステルも安心してトレンメル領に落ち着けるだろう。
「数日、王都に滞在します。出立時にはまた御挨拶に参りますので、これにて失礼いたします」
「おおっ、ぜひそうするがいい。王都はいいぞぉ。大神殿や王都広場の噴水、大跳ね橋、美術館に歌劇場! 見どころが満載だ。美味い物もたくさんあるし、酒も美味い。美しい女性も多いし……ってこれはトレンメル伯には必要ないな! わはははは!」
辞去する背を下世話な笑いが追ってきて、クラウドの不快度数は最高潮に達した。




