78 悪い魔女はおまえだ
クラウドはエステルの手を引き、上座へ上がった。
呆然と広間を見渡していたイザベラが驚愕に目を見開く。
「まさか……トレンメル辺境伯?!」
「初めまして義母上――貴様を母と呼ぶなど汚らわしいがエステルの名誉のために言っておいてやる。最初で最後だがな」
「なっ」
怒りで顔を紅潮させたイザベラを無視し、クラウドは広間へ向かって叫んだ。
「皆さま! エステルの処遇について私は国王様の御判断を求めます!」
よく通る美声と上座に立った精悍な姿に、ざわめきが潮のように引いていく。
自分に集まった視線を見渡し、クラウドは訴えた。
「確かにエステルは魔女です」
人々は眉をひそめてざわめいたが、クラウドの凛とした眼差しにすぐに静まる。
「しかし悪い魔女ではありません。その知識と異能を領民のために使う、良い魔女です。先ほど彼女が言っていた薬草の件も、領民のために効能ある茶葉と新しい感染症対策の薬を作るため。領主の私はこれを搾取と認めません」
確かに、というような空気が人々の間に流れる。
しかし魔女という言葉に抵抗が強いのか、人々はどういう反応をするべきなのか困惑している様子だ。
「国王様にもぜひ事実を元に妻の処遇を決定していただくよう、奏上するつもりです。それまでエステルは私の妻。トレンメル辺境伯夫人として遇されることを、皆さまにはこの場をお借りして御承知おきいただきたい」
何か言おうとしたエステルを鋭い眼光で制し、クラウドは続ける。
「それに、本当の悪い魔女は別にいます。私の隣に」
人々はエステルを見る。
そしてもう一方の反対側に立つ、妖艶な美貌の淑女に視線を移した。
「そうです。イザベラ・リヴィエール公爵夫人、この方こそが罰せられるべき魔女だと私は考えます」
「いい加減なことをおっしゃらないで! 皆さま、トレンメル辺境伯は無茶苦茶ですわ。なにを根拠にいきなりそんなことを!」
「私が貴女のようにでっちあげで物を言うとでも?」
「なんですって?! 聞き捨てなりませんわ! 身の程をわきまえなさい! あたくしはリヴィエール公爵夫人なのですよ?!」
イザベラの金切声を無視し、クラウドは声を上げた。
「テンプルトン!」
広間の後方に姿を見せた仕立て屋が、さっそうと上座へやってくる。
人々はその奇抜な格好にあっけに取られて見入った。
白いブラウスに黒いズボン、とシンプルな衣装だが、ブラウスのカッティングはアシンメトリーにフリルが施された斬新なもので、黒いズボンはゆったりとしたシルエットで、動くたびに光が揺れる見たことのない素材だ。
クラウドが促し、テンプルトンは上座へ上がると一礼した。
「この者はテンプルトンという仕立て屋です。本日の私と妻の衣装を仕立てました」
おお、と感嘆の声が上がる。
あの素晴らしいドレスを、あの仕立てのよいスーツを、と羨望のまなざしとささやきがテンプルトンに向けられた。
「彼は我が領内で仕立て屋をしておりますが、かつて王都で仕立て屋を営んでいた。彼は不幸な事件をきっかけに王都を離れたのです。その事件とは……『シャロン侯爵家の悲劇』」
広間が一気にどよめいた。
「あのおかわいそうな出来事……」
「ほら、屋敷が全焼したという」
「妾が原因だったとか」
「とても良心的な御夫婦だったのにねえ」
昔を知る大人たちがささやく。
その反応を見てクラウドは言った。
「皆さま、御存じでしたでしょうか。あの不幸な大火事は事故ではなく、悪質な放火によるものだと」
「なんだって?!」
驚愕の声が次々と上がる。
「放火など大罪だ!」
「ええ、大罪です。テンプルトンによれば、屋敷に火を放ったのはその後姿をくらましたシャロン侯爵の愛妾だそうです。しかし、テンプルトンは身分の低い自分の言うことなど役所は信じないだろうと絶望し、その秘密を抱えたまま王都を離れたのです」
「なんと!」
「放火など許せませんわ!」
『シャロン侯爵家の悲劇』を知る者も知らない者も、口々に怒りの声をあげた。
「テンプルトンはシャロン侯爵家お抱えの仕立て屋でした。当然、シャロン侯爵が囲っていた愛妾とも面識があります」
「お久しぶりです、イザベラ様」
テンプルトンが恭しく頭を垂れた。――クラウドの隣で蒼白になっているイザベラに。
「な……なんの話かまったくわかりませんわ! 一体、何を言っているのこの仕立て屋は! 衛兵! この卑しい仕立て屋を外へ出しておしまい!」
イザベラは後方に控えていた衛兵に早口でまくしたてた。
「し、しかし奥様」
「無理です!」
衛兵たちはクラウドの鋭い眼光に気圧されて上座に近付くことができなかったのだ。
「テンプルトン、リヴィエール公爵夫人はかつてシャロン侯爵の愛妾だった女に違いないか?」
「はい。まったく同一人物とお見受けします。むしろ二十年以上も経っているのに変わらないのが不気味なほどですが」
イザベラに広間中の疑惑の目が向けられる。
イザベラは泡を飛ばして怒鳴り散らした。
「トレンメル辺境伯! こんなことをして無事で済むと思うのか! これは大変な侮辱罪だ! 英雄だかなんだか知らないが貴殿のような成り上がりにあたくしが侮辱されるなど、斬首刑は覚悟しているのでしょうね?!」
目を血走らせるイザベラにかまわず、クラウドは淡々と言った。
「テンプルトン、《《あれ》》はあるか?」
「オウ、もちろんこちらに!」
テンプルトンが恭しく差し出した物を、クラウドは高く掲げた。
少し煤けたその奇妙な品々に、紳士淑女の視線が集中する。
「これは当時の衣装合わせの確認書と靴型です。屋敷が燃える中、テンプルトンが必死に持ち出した私物の中に入っていた物。当時最も衣装を注文した顧客――シャロン侯爵家の愛妾の直筆サインと靴型です」
クラウドはイザベラを睥睨した。
「貴女に非が無いというのなら、あなたの直筆と靴型をこれらの品々と照合することに当然同意してくださいますよね?」
「冗談じゃないわ!!」
イザベラはクラウドにつかみかからんばかりに迫った。眼球が飛び出し、人相が変わっている。
「成り上がり者のくせに何の権利があってあたくしに物を言っている?! その愛妾と同じ名だからといってあたくしを疑うなんて大馬鹿者もいいことろだわ!!」
「同じ名前?」
クラウドが口の端を上げた。
「その愛妾はイザベラという名だったのですか? 私は知りませんでした。貴女はなぜ愛妾がイザベラをいう名だと御存じで?」
イザベラはハッとする。
「テンプルトンは《《イザベラ・リヴィエール公爵夫人となられた知人に》》『お久しぶりです、イザベラ様』と言っただけなのでは?」
「貴様……!」
すると、広間から声が上がった。
「トレンメル辺境伯! それが証拠ならぜひ照合してくれ! わしはシャロン侯爵と親しく、あの事件はずっと心残りだったのだ!」
「私もだ!」
「照合すればすっきりするぞ!」
次々と広間から声が上がる。
「おのれ……おのれ!!」
わなわなと震えるイザベラに、
「おまえ……今の話は本当なのか?!」
上座の脇からよろよろを寄ってきたのは、呆然としたリヴィエール公爵。
そしてその後ろから、奇妙なマスカレードマスクの紳士が現れた。




