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72 王都到着


 夢を見ていた。


 エステルは母のスカートの裾に隠れ、しゃんと伸びた背筋を見上げている。

 スカートを握りしめる小さな手は震えていた。


 怖かった。

 いつも穏やかな母が大きな声を出していることが。

 耳障りな高笑いが。

 そして、体中を圧迫するような魔力が。


 そう、エステルは知っていた。これは魔力だ。


 空気のように目に見えず、しかしぴりぴりと肌を刺す圧倒的な何か。

 自分の内にもあるそれが、母のものとも違うそれが、悪意を持ってこちらに向けられていることが怖かった。


「消えろ」と恐ろしい声が言った。

 同時に空気に溶けた魔力が牙を剥く。エステルにはわかっていた。自分の内にある同じ力を解放すれば、この牙に勝てる。


 しかし、エステルにはできなかった。

 恐ろしさのあまりエステルの心は外へ向かわず内へ向いた。


「エステル!」

 抱きしめてくれる腕に力がこもる。

 やがて高笑いが去った後、温かい腕はエステルから崩れ落ちた。


――おまえが魔力を解放していれば母は助かった。


 誰かが頭の隅で呟く。


――おまえが殺した。


 エステルは母にすがった。しかし、声を出そうとしても出てこない。


 この一言を。この一言をどうしても伝えたいのに――。




「――エステル!」

 目を開く。誰かがのぞきこんでいる。

「大丈夫か? だいぶうなされていたが」


 声がクラウドのものだとわかって、エステルの意識は現実へ戻ってきた。


 舞踏会のため、王都へ出発したのだ。

 馬車に乗り、クラウドに膝枕をしてもらって――。


「!!!」

 エステルはがばっと起き上がった。


「わ、わたしったら、申し訳ございません! クラウド様のお膝で寝てしまうなんて!!」


 馬車が動き出してからの記憶がまったく無い。ということは、ここに至るまでずっとクラウドの膝で寝ていたということだ。


「ここはどこですか?! わたしはどれくらい失礼を――」

「問題ない。もう王都に着いたぞ」

「え?」

「降りよう」


 クラウドは先に馬車を降り、エステルに手を差し出す。


「舞踏会の始まりだ」





「本当にひどいもんです! まるでお化け屋敷じゃないですか! こんな所に泊まれだなんて!」


 アンはぷりぷり怒っている。


「大丈夫よアン。それに、アンも皆さんも、一生懸命片付けてくれたおかげでとても綺麗になったわ」


 エステルは部屋を見回す。さっきまでの状態が嘘のように片付いている。

 部屋やカーテンの埃も天井の蜘蛛の巣も、すべて取り除かれてみれば、古いが感じの良い瀟洒な屋敷だ。


 早朝から半日馬車を走らせ、到着したのは王都の外れ、西大門に最も近い屋敷だった。

 おそらく昔は貴族の別宅だったのだろうが、手入れもされずに荒れ放題。

 そこへクラウドの討伐隊の部下だった者たちが到着し、アンと一緒に片付けてくれたのだった。


 皆に止められたが、エステルも片付けに精を出した。

 馬車の中でずっと寝ていたのだ。ここで働かなくては申しわけない。


「くうぅ、エステル様に片付けを手伝っていただくなんてエマさんやアグネス様に叱られちゃいますよ……でもエステル様は片付けが上手すぎて、つい! つい頼ってしまいましたっ!!」

「いいのよアン、わたし、片付けは嫌いじゃないもの」

 元メイド扱いのエステルにとって、家の片付けは手慣れたものだ。


「本当だな。エステルは片付けが上手い」


 クラウドが部屋へ入ってくるとアンはさらに縮こまった。


「申し訳ございませんっ。エステル様に家事労働をさせるなど……」

「問題ない。エステルがやりたがっていたのだろうし、俺は家事をする妻を誇りに思うからな」

 クラウドがエステルに歩み寄る。

「テーブルに花を飾ってくれたのもエステルだろう?」

「は、はい」

「そういう気配りができるエステルがとても素敵だ」


 クラウドはエステルの頭に手をのせた。


「わたしなど、そんな……」

 エステルは真っ赤になってうつむく。


 そんな二人を見て、

「はうぅうっ、美男美女が互いを思いやる姿が尊すぎるわっ……」

 アンは倒れそうになっていた。



 しかしうつむいたエステルは罪悪感に唇をかむ。

(お花を摘んだのは、この屋敷の周囲を観察するためだったのです……)


 きっとイザベラは、舞踏会でエステルが魔女だと叫ぶだろう。

 そこですかさず離婚宣言をして舞踏会を抜け出す。

 トレンメル家に累が及ばないよう、すぐにこの屋敷から出る経路を確認していたのだ。

 エステルとクラウドの居室となったこの部屋は一階で、バルコニーもある。

 バルコニーから入り、着替え、革鞄を持ってまたバルコニーから出れば、屋敷の誰にも気付かれないだろう。幸い西大門まではすぐだ。

 王都から出てしまえば、イザベラもクラウドまで巻きこむことはできないだろう。


 そんなことを考えつつ庭を回っていたら、可憐な花が咲いていたので小さな花瓶に活けたのだ。

(こんなわたしをクラウド様は気遣ってくださる)

 変わらない、むしろ日に日に増していくクラウドの優しさがエステルの胸に沁みた。





 古いが、道具や設備は揃っている湯殿で、身を浄める。


 テンプルトンが丹精込めて仕上げてくれたドレスに身を包むと、なんだか自分がまるで違う人間になったような気がした。



「とてもお綺麗ですよ、エステル様っ……!」

 アンは髪を結い上げつつうっとりしてる。

「オウ! わたくしの予想通り、いえ、予想以上でございます! やはり! エステル様は完璧です!!」

 テンプルトンは最終チェックに余念がない。


 扉をノックする音に、エステルは振り向いた。


「クラウド様……」


 部屋へ入ってきたクラウドを見て、それきり息を呑む。

 言葉が出てこなかった。

 初めて衣装合わせをしたときも目を奪われたが、今はそれ以上だ。

 すらりと、しかし鍛えられた身体に、テンプルトンが軍服風にアレンジした黒いスーツがよく似合っている。

 王都凱旋記念に王から贈られたという緋色のマントがさらに華を添えていた。

 それらすべてが、クラウドの端整な容姿を引き立てている。


 一方のクラウドもエステルの姿を見て目を瞠ったきり、黙りこんでしまった。


「あ、あのう、クラウド様? エステル様?」

 たまりかねたアンが声をかけるまで、時間が止まったようだった。


「エステル」


 クラウドがエステルに手を差し出し、微笑んだ。


「俺は、王都中の男に嫉妬されてしまうな」

「わ、わたしこそ……」


 こんなに優しく、素敵な人の隣に立てるなんて。


「世界一幸せな女です」


 心からそう思う。

 この人のためなら、どんな苦しいことにも耐えられる。


(たとえそれが、この人から離れることであっても……この人を守るためならば)


 その時は近い。

 恥じらいより戦い前の高揚感が勝って、エステルは赤くなった頬を隠しもせずにクラウドを見上げる。

 そして、その大きな手の上にそっと手を重ねた。




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