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70 クラウドの祈り


「少し話をしないか?」


 そう言われれば振り切れず、エステルはおずおずとクラウドの向かいのソファに座り直した。


 話をすればするほど苦しくなるのはわかっている。

 ましてや先刻、クラウドがエステルをとても大切に思ってくれていることがわかったばかりだ。

 けれど。


(イザベラお母様のたくらみに対抗するには、離婚宣言を成功させることが最善だから……ここでわたしが崩れるわけにはいかないわ)


 クラウドを、このトレンメル領の人々を守る。

 きっと、ひとりぼっちだって悪くない。

 元々、ひとりぼっちには慣れている。トレンメル領での日々が特別だったのだ。


 そう自分に言い聞かせてぐっと膝の上で拳を握りしめていると、クラウドが静かに口を開いた。


「このところ西の森に入っていることが多いと聞くが、体調は大丈夫なのか?」

「は、はい」


 エステルは下を向いたまま頷く。薬草を摘み、お茶や薬を煎じている指先がいつの間にか赤く荒れていることを思い出して指先を包み隠した。


「いつもお茶をありがとう。夜、エステルの淹れてくれたお茶があるから、どんなに疲れていても次の日には回復できる」

「ほんとうですか? よかった……」


 思わず手を胸の前で合わせると、その表情を見てクラウドが微笑んだ。


「エステルは可愛いな」

「えっ……」

「俺のためにお茶の葉をたくさん摘んでくれているとプルロットから聞いている。様々なシチュエーションに合わせたお茶を作ってくれていると。俺のことを気遣ってくれていると思うと、うれしい」


 真っすぐな言葉にエステルは顔が熱くなる。


(わたしも何か言わなくちゃ)

 いつもなら恥ずかしさで黙りこんでしまうが、もうすぐクラウドに言葉を伝えることができなくなると思えば勇気もわいてくる。


「わ、わたしも、クラウド様に喜んでもらえてうれしいです!」


 そう言ってクラウドを見れば、紫色の双眸が切なげに揺れている。


「クラウド様……?」

 どこか憂い気なその双眸が、優しく笑んだ。



「エステル。がんばらなくていい。ありのままのエステルが、俺にとってはかけがえのない存在だ。ただ傍にいてくれるだけでいいんだ」



 その甘く優しい言葉は、しかしエステルの胸に鋭く刺さり、目の奥を熱くする。

(これ以上ここにいては取り乱してしまうわ……!)

「そ、そんなことおっしゃらないでくださいっ……」

 あわてて立ち上がるとエステルは深く頭を下げた。

「明日の朝は早いので、これで失礼します! おやすみさなさいませ!」

 扉へ向かって小走りする。早くこの部屋から出ないと――。



「エステル!」

 ふいに後ろから抱きしめられる。その拍子に、こらえていた熱いものがエステルの頬を伝った。



「泣いているのか?」

「…………っ」

「それは、エステルも俺と同じ気持ちだと思っていいということか?」

 エステルを抱く力は強く、耳元でささやく声は温かく心地よい。

(それを今おっしゃるなんて……残酷です!)

 激流のような思いが身体中をかけめぐり、自分でもどうしてと思うような力でクラウドの腕を振りほどいた。

「もうこれ以上、優しくしないでください!」

 泣き顔を隠そうともせず叫ぶと、エステルは部屋を飛び出した。






 エステルが行ってしまうと、クラウドはエステルの温もりを確認するように呆然と手のひらを見る。

 いつも穏やかなエステルがあんなに激しい感情を見せるとは。

「俺の気持ちが伝わったということだろうか」



 少し前からエステルの強い意志を感じていた。舞踏会で何かをしようとしていることは確かだ。


 エステルは儚げに見えて芯が強い。やろうと思ったことはなんとしてでもやり抜いてしまう。

 エステルは何も話さない。

 だから、予想できる限りの手は打ったつもりだ。

 あとは、クラウドの気持ちをエステルに伝えておきたかった。


「エステルが自分の意志で俺のところに留まってくれることを祈るが……」


 無理強いはしたくない。

 けれど、もしエステルが振り返らなかったとき――力づくでも連れ戻してしまいそうな自分にクラウドは戸惑っていた。


「こういうのを溺愛というのだろうか……まいったな」

 夫婦の居間で一人、クラウドは朱に染まった白皙の美貌を両手で覆った。




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