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7 エステル・リヴィエールは何かを隠している  


 城に帰ると玄関には誰もいなかった。


「グスタフはともかく、見習いのいずれかは玄関に残れと言ってあるんだが……おおい、ヨン! トム! ロニー! サボってんじゃねえ!」


 ルイスがどかどかと玄関ホールを横切っていると、グスタフが慌てた様子で出てきて一礼する。


「おかえりなさいませ、クラウド様、アベル殿、ルイス殿」

「エプロンなんかしてどうしたんです? アグネスの手伝いですか、グスタフ殿」

「いえ、アベル殿、それが……エステル様が少し前に御到着されておりまして」

「公爵令嬢エステル・リヴィエール様、無事に御到着されたんですね! 出迎えありがとうございました、グスタフ殿」

「グスタフ、それでなぜおまえがエプロンを付けている?」


 俺が問うと、グスタフは少し困惑したように笑んだ。


「ただ今、エステル様にお食事をさしあげているところでして」

「食事? 夕飯にはまだ早いだろう」

「それが……エステル様はひどくお腹を空かせていらっしゃるようでしたので」


 アベルとルイスと目が合う。

 アベルはわずかに目を細め、ルイスは面白いことを聞いたというふうにニヤニヤしている。


「で、エステル嬢はどこに?」

「食堂です」


 俺たちはすぐに食堂へ向かった。


 足音をしのばせ、半分開いた食堂の扉の影から部屋の中をそっとのぞくと――。


 広いテーブルに、小柄な少女がぽつん、と座っていた。


 漆黒の髪が萌えいずる若葉のような大きな双眸を際立たせている。

 陶器のような白い肌に薄い若葉色のワンピースがよく似合っていた。

 ひどく痩せているが姿勢が良い。

 食べ方も流れるような所作が綺麗で――だからうっかり見過ごしそうになった。


 エステル嬢の前に置かれたパンの皿に、三人分はあるであろうバゲットが積まれ、それが小鳥のような口にあっという間に消えていくのを。


「すげー、オレとパン食い競争で張り合えるかな」

 ルイスは声を殺して笑っている。

「アベル。エステル・リヴィエールは病弱だと言ったな?」

「はい。契約時に公爵からそのような話があり、秘かに調べた情報とも合致しておりますが」

「では、あの娘はなんだ?」

「はい。見たところ、食欲はありそうですね」

「はは、もしかしてニセモノだったりして」

「くだらないことを言わないでください、ルイス」


 二人の応酬を耳に入れつつ、俺の頭の中でさまざな可能性が交錯する。

「……気に入らない」


 ここから見る限りエステル嬢は痩せているが病弱には見えない。

 病弱な人間はあんなに生き生きとした目の輝きをしていない。

 つまり、リヴィエール家から提供された情報には偽りがあり、こちらが派遣した調査員も偽りの情報をつかまされたということだ。


 エステル・リヴィエールは何かを隠している。 

 それだけは確実だ。


「実に気に入らない」

 もう一度呟いたとき、廊下の向こうからヒソヒソと話し声が近付いてきた。


「ちっ、ヨンとトムとロニーだな。あいつら、何やってんだ」

「ここで彼らと鉢合わせると我々がここで盗み見をしていたことがエステル様に知れてしまいます」

「ひとまず行くぞ」


 俺たちはそっとその場から立ち去った。





 通された部屋で、わたしはびっくりして立ち尽くした。


「す、すごい……ここがわたしの部屋……」


 見渡すような広さの部屋には、ソファセットと書き物机、本棚、そして大きな窓際には天蓋付きのベッドがある。

 マリアンヌの部屋に似ているけれど、部屋の広さも置いてある調度品も、こちらの方がはるかに素敵だと思った。


 マントルピースの上には装飾品が置いてあったけれど、食堂にあったような雄々しいレイピアではなく、壺や絵画などの芸術品ばかりで、その一つ一つがシンプルで落ち着いていた。


「お気に召したようですね?」

 アグネスさんがマントルピースの前で火を入れる準備をしながら笑った。

「ええ、とっても」

「それはよかったです」


 ふと、室内の壁に扉を見つけて、わたしは首を傾げる。


「アグネスさん、この扉はなんですか?」

「ああ、それは御夫婦の寝室へ通じる扉ですよ」

「ごっ……って、あの、ごほっ……」


 わたしは真っ赤になってうまく言葉が出てこないけれど、アグネスさんは流れるように説明してくれた。


「その向こう側には御夫婦の居間、その向こうはクラウド様のお部屋になっているんですよ」


 つまり、クラウド・フォン・トレンメル辺境伯とは、部屋が並びにある。

 夫婦だから当たり前よね、とわかっていても心臓が勝手に大きな音を立てる。


「あの、辺境伯様は――」


 どんな方ですか、と問おうとしたとき、扉をノックしてグスタフさんが入ってきた。


「アグネス、少し前にクラウド様たちがお帰りなのだ。お茶を淹れてもらってもいいかね」

「はいはい、ただいま行きますよ」


 クラウド様――辺境伯だ。

 心臓が、どきりと跳ね上がる。


「お夕飯になったら、お呼びしますからね。それまでここでゆっくりしていてください」


 アグネスさんとグスタフさんが行ってしまうと、急に心細くなった。


 そして、わたしがここにやってきた理由を思い出す。


『辺境伯に逆らわず、従順に、たぶらかして虜にするのだ。辺境伯の家をおまえが牛耳るくらいの気持ちでいるのよ。それが役立たずのおまえにできるリヴィエール家への恩返しなのですからね!』

 イザベラお母様に言われたことがまた脳裏をよぎる。


「逆らわず、従順に」


 自分に言い聞かせる。

 辺境伯様は竜殺し、血みどろ伯爵、冷酷辺境伯、と言われる方だ。

 気に入らないことがあれば、わたしを殺すかもしれない。

 リヴィエール家へ送り返すかもしれない。

「それだけはダメ。少なくとも、記憶の花を見つけるまでは」


 そう、記憶の花を見つけるまでは、ここに置いてもらわなくてはならない。

 記憶の花を見つけて、お母様ともう一度お話するまでは、わたしは死ぬわけにはいかないのだから。


 でも、わたしがここにいることで辺境伯様が搾取されることには心が痛む。

 だから。

 記憶の花が見つかった後なら、辺境伯様のお好きなようにしていただこう。


 それが、悪女のわたしが騙そうとしている辺境伯様やグスタフさん、アグネスさんたちへの、せめてもの罪滅ぼしだ。







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