67 そしてエステルは星に誓う
「ふう、美味しい」
夜。
エステルは自室で一人、ハーブティーを飲んでいた。
同じお茶をクラウドにも準備してきた。今頃、飲んでくれているかもしれない。そう思うと心が温かくなった。
「今日は夢のようなひとときだったわ……」
大広間でのダンスの予行。
ダンスの練習を始めて以来、今日ほど緊張した日はなかった。
そして、今日ほど心躍った日も。
もともとダンスは嫌いではないが、あんなに素晴らしいものだとは。
「そう思えたのは、クラウド様のおかげね」
クラウドのリードに合わせて、軽やかに自在に身体が動くことに驚いた。それはエステルにとって新しい発見だった。楽しかった。ずっと踊っていたい、このまま時が止まればいいとさえ思った。
「御相手が、クラウド様だったからだわ」
アベルも上手だった。テクニック的にはクラウドと同等であっただろうと思う。
きっと、同じくらいダンスが上手な殿方は、世の中にたくさんいるだろう。
でも、その誰でもない。クラウドがいい。
エステルにとってはクラウドが一番であり、唯一の殿方だ。
『記憶の花』を探すため、言われるまま喜んで嫁いできた。
最初はクラウドが怖かった。
けれどクラウドは冷酷辺境伯などではなかった。英雄らしく周囲すべてに気配りと思いやりを持つゆえに誤解されやすい人なのだと、エステルは知った。
そんなクラウドはエステルのことも理解しようとしてくれた。
いまだ、お互いに知らないことも多い。エステルは『記憶の花』についての全容をついにクラウドに言わなかった。
クラウドにも何か隠していることがあるようだ。
けれど、その互いの秘密すらも抱えたまま、共に夫婦として在ろうとクラウドは手を差しのべてくれた。
今では、片時も離れたくないほどに大切な人。
銀色に輝く髪も、紫水晶のような瞳も。エステルに触れる優しい手も。
いつしかカップを置いて、バルコニーへ開かれた窓から夜空の星々を見上げていた。
きっと、国外に出ても星空は変わらない。
トレンメル領の人々と、クラウドと、同じ空を見られると思うと、少しだけ心が慰められた。
「トレンメル辺境伯の妻として、領地領民を守るため、『離婚宣言』を必ずや成功させてみせるわ」
エステルは部屋へ戻り、寝台の下から古い革のトランクを引っぱり出す。リヴィエール公爵家から嫁いでくるときに唯一持参した荷物だ。
中の荷造りはもう終えている。
舞踏会が終わったら、これを持って王都を出るのだ。
リヴィエール公爵令嬢でもなく、トレンメル辺境伯夫人でもない、ただのエステルとなって国を出る。
「お母様、ごめんなさい。『記憶の花』は、他国の地で引き続き探しますから」
エステルは革鞄の中に入っている魔導書に告げる。魔導書は、母の唯一の形見だ。
『記憶の花』を探して、禁を破って西の森に侵入したことを思い出し、エステルは思わず苦笑した。
短い間だったが、いろんなことがあった。初めて残飯じゃない美味しい食事をたくさん食べたこと、クラウドと馬に乗ったこと、図書館に感動したこと。ガレアの町や町の人々の温かさに触れてうれしかったこと。
そして、クラウドがエステルに触れてくれたこと。
すべてが波のように押し寄せては引き、また押し寄せて、エステルの心を乱す。いつまでもここにいたいと思ってしまう。
しかし。
ここに留まるわけにはいかない。
イザベラの魔手からクラウドとクラウドの領地領民を救えるのは、エステルしかいないのだ。
「全部、一生忘れません。クラウド様はわたしにとっての導星。いつまでもどこにいても、わたしはクラウド様を想っています……!」
再び星空を見上げて、エステルは誓った。
♢
――王都。王城。
王は、宝石を散りばめたソファに中年太りの身体を横たえ、気だるげに白い便せんを見ていた。
白い便せんには獅子と矢の紋章。封蠟にも入ったその紋章は、リヴィエール公爵家のものだ。
「ふうん、魔女ねえ。トレンメル辺境伯夫人は実は魔女でした、か」
王は白い紙をテーブルに置いて、「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な♪」と一人鼻歌を歌った。
そこへ、扉を叩く音がする。王は封書を懐にしまうと「入れ入れ~」と陽気に言った。
「失礼しまーす」
美女が三人入ってきた。三人とも、王好みの薄い絹のネグリジェ姿だ。
私室にあって、王は必ず美女を侍らす。百とも二百とも言われる美女を城に置いて、毎晩はしゃいで過ごすのが王の日課だった。
息子の王太子は女慣れしない潔癖な性格で有名なので、「なぜこの王にこの王子が」と臣下も首を傾げるほど、王は女遊びが大好きだ。
「ねえ、魔女だって。エリーゼちゃんはどう思う?」
「えぇー、魔女こわいー」
「こわいよねえ。アメリアちゃんは?」
「こわいですぅ、でも魔法ってちょっと見てみたいぃ」
「だよねえ、魔法、見たいよねぇ。フローラちゃんは?」
「やだあ、王様ったら、魔女は国外追放なんでしょー? 王様がムズカシイ法律でお決めになったんじゃないのぉ?」
「ははは、そうだったそうだった。国外追放ね♡」
王は侍る美女たちの豊満な肉体をさわりまくり、美女たちは嬌声を上げて王の身体にまとわりつく。
鼻の下を伸ばしまくっているように見える王の細い目が、きらりと光った。
「公爵夫人か辺境伯夫人か、どちらを取るのがお得かなぁ~? わしも舞踏会に参加しちゃう~?」
王のひとりごとは、美女たちの黄色い声にかき消された。




