64 アベルの報告➀
その日の夜、アベルはクラウドの執務室にいた。
ルイスは城内の衛兵の見回りに出ている。執事として使用人の中で最後まで起きていたグスタフも少し前に就寝の挨拶にきた。
夜も更けて、城の中は静まり返っている。
「無事、舞踏会の準備はほぼ整ったと聞きました。エステル様はさすがですね」
頼りなげだが、エステルには実行力がある。
黙って、静かに、いつの間にかやるべきことを終えている。そんなエステルの芯の強さにアベルは舌を巻いていた。
しかしエステルに称賛の言葉をかけても、
『そ、そんな! わたしなんて何もしてません! すべてアベル様やルイス様、グスタフさんやアグネスさんをはじめ、お城に仕えているメイドさんたちやガレアの職人さんたち、そしてテンプルトンさん……たくさんの人たちのおかげです』
そういう謙虚な答えが返ってくるだけだったのだが。
「城内の者たちはエステル様の意向を実現しようと動いています。職人たちもそうです。エステル様が町の皆の言葉を聞いてくれることは知れ渡っていて『聖女』と崇められている。エステル様の人望があったからこそ、この短期間に準備が整ったのです。エステル様は謙遜されていましたが」
「エステルらしいな」
「はい。まずは第一関門突破というところでしょう。常識では考えられない短期間での舞踏会準備を見事クリアしたのですから。次は舞踏会の場でエステル様の義妹君が何をしようとしているのか、です。マリアンヌとかいう義妹君が王太子の背後で糸引いていることは間違いないようですので」
「王都からの青鳥が帰ったか」
クラウドはアベルに、急な舞踏会招待の裏を探れと命じていた。
「はい。王太子の周囲、リヴィエール公爵家の周辺を探らせました。王太子はマリアンヌの言いなりのようです。舞踏会の招待も、マリアンヌの強い意向を受けてのことだとか」
「エステルは公爵家でまともな淑女教育を受けなかったと聞く。完全な嫌がらせ、エステルに恥をかかせようという下品な意図が丸見えだな」
「はい。それと、辺境伯であるクラウド様にも恥をかかせようとしているのでしょう。新婚夫婦を社交界の笑い者に仕立てて、以後社交界に近付かせない魂胆なのかと」
クラウドは冷ややかに笑った。
「社交界からはじき出されるなど、こちらからのぞむところだ。面倒な貴族の腹の探り合いになど関わりたくないし興味もない。だが、そのマリアンヌとかいう娘の思惑でエステルが恥をかかされるのは見過ごせない」
アベルが片眼鏡をかけ直し、軽く笑った。
「ご心配なく。クラウド様とエステル様を笑う者などいないでしょう。今日の大広間での予行練習を見れば明らかです。それに、エステル様はすでに立派な淑女ですよ。教養係を仰せつかった私が言うのですから間違いありません」
「そうか……それもそうだな」
大広間でのダンスの予行は、夢のようなひとときだった。このままずっとエステルの手を取っていたいとさえ思った。
エステルの気品は控えめながらも周囲を圧倒するものに大きく変化した。
そういうオーラをまとった女性を人は淑女と呼ぶのだろう。
「それはそうと、王都からの青鳥とガレアの現状を合わせて気になることが。今夜はこのご相談がしたくて城が寝静まるのを待ったのです」
アベルの声に緊張が混じったのを捉え、クラウドはソファの中で居ずまいを正す。
「なんだ」
「マリアンヌの母、つまりエステル様の義母にあたるイザベラという女が、どうやら屋敷を長く留守にしている様子でして」
「留守? 買い物や別荘での静養か」
「それが、一人で。リヴィエール公爵もイザベラの留守を知らないようなのです」
同じ屋敷に住んでいて、妻が長く留守にしていることを知らないとは考えにくい。
「どういうことだ」
「それが……どうやら、魔法を使って分身を仕立てていたようです」
「魔法だと?」
「イザベラは魔法使いの可能性が高いようです」
「エステルも魔法使いだが……実母は亡くなったと聞いている。継母に知られないように魔法の訓練をしていたとも」
「はい。ですから、おそらくエステル様とイザベラは互いに魔法使いだと知らない。そしてエステル様は、継母の存在をとても恐れていらっしゃる御様子でしたよね」
以前、王都からの青鳥には、エステルが日常的に継母や義妹に虐待されていたとあった。
「少し前、エステル様が町へ下りた日がありましたね」
「ああ……」
あの仮縫いの日だ。
「あの日から、エステル様は御様子がおかしくないですか?」
アベルがそれを見破っていたことにクラウドは驚く。
「なぜそれを」
「もしかしたら、エステル様はあの日、町で『悪い魔女』に遭遇していたかもしれないのです」
「なんだ、その『悪い魔女』というのは?」
「そのときエステル様のお供をしていたエマに聞いたのですが、仮縫いのときに、テンプルトンから妙なことを聞いたと言って」
「妙なこととは?」
「テンプルトンが言うには『悪い魔女』がガレアの町に潜んでいるかもしれないから気を付けろと。あまりにテンプルトンが真剣なのでエステル様には町で一人にならぬよう、厳重にお伝えしたそうなんです。ですが……」
「なるほど。一人になった時間があった、と」
「はい。エマが少し主人と話ている間に、パン屋から抜け出していたそうなんです。そのとき店にはプルロットがいて、プルロットが言うには、エステル様は町で問題になっている謎の果物売りを探しにいったのだと」
「果物売り? まさか、少し前から捜索している老婆の」
「はい」
少し前、ガレアの市場で乱闘が頻発した。乱闘を起こした者は例外なく、金色のリンゴを果物売りの老婆から買って食べたという。ゆえに、その老婆を探し出すために巡回兵を増やしていた。
「その老婆が、テンプルトンが言っていた『悪い魔女』であり、イザベラであるとは考えられませんか?」




