55 反則だ!
応接間にはたくさんの布が広げられていた。
布はエメラルドグリーン、濃いピンク色、淡いラベンダー色の三色に分けられる。ドレス三着分のパーツが並べられているのだった。
「ご機嫌よう、奥様。このテンプルトン、お言葉に甘えまして参上しました!」
テンプルトンがお辞儀をした。相変わらずひらひらとした奇抜な衣裳の慇懃な仕立て屋に、エマとアンはぷぷぷと親愛の笑いをこらえる。
「お越しいただきありがとうございます、テンプルトンさん。御逗留中、お城で困ったことがありましたら遠慮なく言ってくださいね」
「オウ。温かいお気遣いありがとうございます。ところで奥様――」
テンプルトンは数歩後ろに下がり、エステルを頭から足の先まで目を細めてじいっと見た。
「あ、あの?」
「オウ、不躾に申しわけございません! ですが! 少しお会いしない間に奥様は変わられました! 思わず見惚れてしまうほどお美しさに一層輝きが! これは何かの魔法でございましょうか?」
「いいえテンプルトンさん、魔法じゃありませんよ。奥様は舞踏会のためにダンスからマナー、教養まで日夜励んでおられるんです」
エマが誇らしげに言うと、テンプルトンは目を輝かせて両手を合わせた。
「オウ! 内面からの美! これぞまさしく本物の美ですな! これはわたくし、ますます仕立て屋の腕が鳴ります!」
テンプルトンはいそいそと革鞄に入った道具を広げていく。
「さっそく仮縫いを始めましょう! まずは! ドレスの命! デコルテ周辺を!」
テンプルトンは手品のようによどみない動きで布を広げ、エステルの身体に当てて行く。リズミカルに待針を指す手は軽快なタッチでピアノを弾いているようだ。
「そして! ドレスの要のウエストは限りなく細く! そして妖精の羽のような広がりを意識して!」
素早い手つきでぱっと布を広げ、するするすると束ねていく動きはハープを奏でているようで。
「す、すごい神業……」
「エマさん、あたし、テンプルトンさんをわずかでも変な人かもって疑ったこと取り消します。すんごい職人さんなんですね!」
エマとアンは呆然とテンプルトンの動きに見入っていると、テンプルトンは困ったように目をぱりくりさせた。
「オウ、申しわけございませんがご婦人方、こことここを押さえていただけますかな?」
「あら失礼! あたしら手伝いにきたのにぼーっとつっ立ったままで」
「すみません、つい見入っちゃいました!」
メイドたちはあわてて手伝いに入るが、テンプルトンの手際はまさに神業、二人が手伝うことといえば仮縫いを終えたドレスをマネキンに丁寧に被せていくことくらいで、一着、二着、三着とまたたく間に仮縫いが終わっていった。
「ど、どうですか? わたし、どこかおかしいかしら?」
エステルは三着目の淡いラベンダー色のドレスの裾をそっと手に持ち、練習を兼ねてカーテシーをしてみる。
「なんとお美しい……」
「よく似合ってますよエステル様!」
「完璧です! 完璧ですぞ奥様! このテンプルトン、これほど仮縫いがスムーズに終わったことはございません! デコルテもウエストも、これ以上ない理想的な仕上がり! これならば今日中にでもどのドレスにするかを決められます!」
エマ、アン、テンプルトンが揃って見つめるので、エステルはなんだか恥ずかしくなってもじもじしてしまう。
「奥様、どれがお気に召しましたか? わたくしめがお見立てするに、ここにある三色はどれもエステル様の美貌を引き立てる色であるからして、どれをお選びになっても舞踏会の花になること間違いなし! あとはエステル様のお好みでございます!」
「エステル様、ほんとうにどれもお似合いですけれど……どれが一番、お気に召しましたか?」
エマとアンがうっとりとエステルに問う。
エステルは嬉しくて自然と笑みがこぼれるが困ってもいた。
「どうしましょう。どれも素晴らしくて、決められないわ」
リヴィエール公爵家にいた頃はドレスなどあつらえてもらったこともなかったが、マリアンヌやイザベラの仮縫いをよく手伝ったので、ドレスの良し悪しはわかっている。
テンプルトンの作るドレスは、仮縫いの段階ですでに一流品の質だ。
しかし、自分の一着を決めるとなると、どれも素敵で困ってしまう。
「オウ、それでしたら、決め手となるのは……」
テンプルトンが細い髯をぴん、と撫でたとき、応接間の扉が開いた。
「クラウド様!」
エマとアンはさっとかしこまる。
「なぁんと! まさにグッドタイミング!」
テンプルトンは叫び、深くお辞儀をした。
「このような無作法な格好で失礼します。初めましてトレンメル辺境伯様、わたくしテロル村で仕立て屋をしております、テンプルトンと申します。この度はお城にお招きいただき、誠にありがとうございます。さっそくですが奥様のドレスのお見立てに御意見を賜りたく……あの、領主様?」
テンプルトンは怪訝気に小首を傾げた。
クラウドは固まったように動かない。
「クラウド様?」
エマが眉根を寄せた。「いかがなさいました? 御気分がお悪いですか?」
言われて、クラウドはハッと我に返る。
「い、いや、そうではない、問題ない」
そう言いつつ、クラウドはくるりと後ろを向いてしまった。
「「「???」」」
エマ、アン、テンプルトンは揃って首を傾げ、
「クラウド様……」
エステルは不安そうにクラウドの背中を見つめる。
誰も気付いていない。
クラウドの白皙の顔が熟れたリンゴのように真っ赤なことを。
(な、なんという……反則だっ。直視できないっ……)
言葉を失うとはこのことだ。
エステルが美しすぎる。




