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53 淑女教育――アベル視点


 この二週間余り、クラウド様は多忙だった。


 先日届いた王都からの荷を領内の長たちに届けることで、これまで領内で行ってきた挨拶回りはひと段落する。


 しかしこれがまた時間のかかる仕事だった。


 町や村で歓待を受ければ無下に帰るわけにもいかず、スケジュールが押しに押して城へ戻るのが夜遅くなる。

 おかげでクラウド様はエステル様のお顔をロクに見てないだろう。

 教養係を仰せつかった私の方が、エステル様にお会いしているかもしれない。


 その私が感じるのだからまちがいない。


 エステル様は、確実に変わられた。

 もっと言えば、たいへん美しくなった。


 もともと容姿の資質はおありだと思っていた。

 けれど、エステル様はあまりにも痩せていた。栄養事情が悪かったからだろう。肌は白いというより青ざめて病的、髪は艶がなくパサついて見るも憐れな状態だった。


 それがどうだろう。

 珍しい黒髪は七色の輝きを放ち、ツヤめいている。シミひとつない白い肌は雪華石膏アラバスターのようだ。

 そして、痩せぎすだった身体は見違えるように肉付きが良くなった。

「エステル様はそれは気持ちいい食べっぷりですからねえ、ついあれこれ作りたくなっちゃいますよ!」

 そう言ってアグネスをはじめメイドたちは腕によりをかけてパンやミートパイ、お菓子までも丹精込めてたくさん作る。

「この城の食事が格段にレベルアップしたのはエステル様のおかげだな!」と大食いのルイスは大喜びしているほどだ。その点は私もうれしい。なんと言っても焼きたてのミートパイは絶品だ。


 しかし。

 舞踏会までの教養係を仰せつかった私は少し困っていた。


 肉付きのよくなったエステル様の身体は……ちょっと目のやり場に困るのだ。


 肉付きがよくなったとは言っても、折れてしまいそうなウエストや細い手足はそのままで……つまり、女性的な凹凸がひじょうに強調された身体なのだ。


 もちろん私にやましい気持ちなどは皆無だが、そんな私をざわつかせるほどにエステル様は美しい。

 いつもなら座学なのでほどよい距離を保っていられるが、ダンスの指導はそうはいかない。

 指導とはいえ、大広間で二人きり、身体を密着させている。


 こんな姿をクラウド様に見られたら。

 エステル様の美しさにざわつく以上に怖ろしい。

 エステル様には申し訳ないが、早くレッスンを終了させたい気持ちでいっぱいだ。


 一曲終わったところでエステル様が言った。


「あの、アベル様? やはりわたしはクラウド様とダンスをするレベルには達しておりませんか……?」

 翡翠のような大きな瞳が見上げてきた。同時にその下の双丘の谷間まで目に入ってしまってあわてて目を逸らす。


「い、いいえ! そんなことはありません! 姿勢もステップも完璧です!」


 動揺のあまり思わず叫んでしまったがこれは本当のことだ。

 エステル様はほどよい筋肉があり、ステップの踏み方が軽快で安定している。

 おそらく長年使用人のように家事労働をしていたことが功を奏しているのだろう。


 エステル様は不安そうに私を見ている。私の上ずった声が不安にさせてしまったのかもしれない。

 私はがんばって笑顔を作った。


「しいて言えば緊張しすぎて身体が固くなっているので、もっと力を抜くようにしてください」

「あの、こう、ですか?」


 エステル様の細い腕が控えめに私の腕に添えられる。エステル様は勉強熱心だ。指摘されたところはすぐに直そうとする。

 だからすぐに私の身体に手が伸びたのであって、深い意味はないことはわかっているのだが……まったく! 美しさというのは罪なものだ!


 極力下を向かないようにして大きく深呼吸した。


「はい、そうですね。もっと手のひらをパートナーの腕に委ねる感じで……ええ、そうですね」


 流れでそのまま私もエステル様の背中に手を添え、再びステップを踏む。


「とてもいいですね。視線を上向きに、その調子――」


 そのとき、咳払いが大広間に響いた。


「クラウド様!」


 エステル様がうれしそうにクラウド様に走り寄る。


 見られた!!

 いつから? いつからだ?!

 じわじわと冷や汗がにじむ。


「おかえりなさいませ。今日は早くお戻りになられたのですね」

「ああ」

「おかえりなさいませクラウド様」

「…………アベル」


 紫色の双眸に一瞬、殺意が光ったのは気のせいだろうか。


「ダンスはアグネスの係だった気がするのだが?」

「え、ええ、午後はアグネスが忙しいからと、ダンスの総仕上げを頼まれまして」

「……そうか」


 口調は穏やかだがクラウド様の顔は引きつっている。まとう空気が凍りついている。今にも氷柱が発生しそうだ。

 こ、怖い……!


「クラウド様、もしお時間があれば、午後のお茶を御一緒しませんか? こんな時間にクラウド様にお会いできるなんて、滅多にないので……」


 もじもじと顔を真っ赤にしてエステル様が言うと、凍てつく空気は一瞬に溶け、クラウド様はふわりと笑った。


「ああ、問題ない。そうしようか。――ご苦労だったなアベル。ありがとう」


 クラウド様とエステル様は連れ立って大広間を出ていった。


「殺されるかと思った……」

 私は長い長い安堵の溜息をついたのだった。


 



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