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52 淑女教育――アグネス視点


 エステル様へ淑女教育をしてほしい――クラウド様にそう仰せつかったときはとても驚いた。


 エステル様の不幸な境遇は大まかに聞いてはいたけど、まさか淑女教育も受けさせていなかったなんて……リヴィエール公爵家の仕打ちに、あたしは言葉を失ったね。


 でも、あたしは心配なんかしちゃいなかったさ。

 だってエステル様には、すでに気品が備わっている。


 あれは持って生まれた素質だろうと思う。

 淑女教育を受けていなくてあの気品、あれこそが、生まれながらの高貴な女性というものだ。素質があるのだから、あたしなんかが教えるまでもなく、エステル様はすぐに淑女になられるはず。


 そんなあたしの見立て通りだった。


 あれから二週間余り、エステル様は見違えるように変わられた。


 もともとお美しい御方だけれど、中身が磨かれた輝きがさらにその容姿を美しくしている。

 今も、お昼を召し上がっているだけなのだけれど、その優雅な姿につい、魅入られてしまう。


「あ、あの、アグネスさん?」

 エステル様に声をかけられて、あたしはハッと我に返る。


「はい! ああ、すみませんエステル様、お水ですか? パンが足りませんでしたか?」

「いえ! そうじゃなくて、アグネスさんが珍しくぼんやりされているようだったので……」

「あはは、すみません。エステル様に見惚れてしまって」


 本当のことを言っているのだが、この謙虚で心も美しい御方は心配そうに眉を曇らせる。


「そんなにわたしに気を遣ってくださって……お仕事の合間にわたしの教育係をしてくださって、お疲れなのではないですか?」

 ああ、そんな心配そうなお顔も、うっとりするくらいお綺麗ですよエステル様!

 と思いつつ、それを口に出しても信じちゃもらえない上に余計に心配させるので、あたしは胸を張ってみせる。


「疲れてなんかいるもんですか! このアグネス、クラウド様たちと数々の討伐を経験してきたんですよ。エステル様の教育係を仰せつかったくらいで疲れやしません!」

「確かに……そうですわね」


 やっとエステル様の顔から心配そうな色がなくなった。


「ではお聞きしますね。カトラリーの使い方、どうでしょうか。覚えたつもりなのですが、細かいところが心配で……」


 エステル様は飲みこみも早い。砂が水を一瞬で吸収するように、教えたことはすぐに覚え、自分のものにできる能力がある。

 テーブルマナー、パーティーマナー、お酒の知識、パーティーでの殿方やご婦人の嗜みや会話の仕方、立ち居振る舞いなど。あたしが男爵家で得た知識のすべてを、エステル様にお伝えしてきた。

 そしてそのすべてを、エステル様は完全に自分のものにしてしまった感がある。

 だからはっきり言って、あたしが教えることは、もう無い。

 あとエステル様に足りないのは――。


「エステル様。自信と誇りをお持ちください」

「自信と、誇り……?」

「カトラリーの使い方はまったく問題ありません。お食事中のマナーはもともと完璧ですしね。言うことナシです」

「そんな! わたし、まだまだアグネスさんに監督していただかないと不安です!」

「いいえ。エステル様、あとは実践あるのみですよ。そして、御自身の美しさと気品への自信と、クラウド様の妻であることの誇りをお忘れなく。そうすれば間違いなく、エステル様は舞踏会で最も輝く貴婦人となるでしょう」

「クラウド様の妻である誇り……」


 呟いたあと、麗しい微笑みが花開いた。


「そうですね。わたし……クラウド様の妻としての誇りを、もっと周囲の方々にお伝えしたいです!」


 ほんのり頬が上気したエステル様は、美しさが倍以上になっている。

 エステル様は無意識なようだが、クラウド様をかなりお慕いしている御様子だ。

 ちょっとでもクラウド様の話になると、とたんに美しさが輝くのだ。

 これが恋する乙女というものだろう。


「はあ、エステル様は、罪な御方ですねえ」

「え?」

「その美しさには、他の殿方も参っちまうでしょうからねえ」


 あたしの溜息と同時に、食堂へ入ってきたアベルが目を丸くした。


「これはエステル様。なんだか今日は、いつもより更にお美しいですね」

「ああ、アベル様、お呼びだてしてすみませんねえ。あたしが午後はちょっと時間がないんで、エステル様のダンスの仕上げを見て差し上げてくださいよ」

「午後は教養の時間もあるので私は一向にかまいませんが、ダンスですか……」


 アベル様の表情が微妙に翳る。


「おや? アベル様はダンスもできましたよね?」

「ええ、まあ、できるはできますが……こんなお美しいエステル様の手を取ってダンスをしているところをもし、クラウド様に見つかったら……後で何をされるか……」

「あはは! たしかにねえ」

「???」


 苦笑するアベル様とあたしのやり取りに、エステル様だけが首を傾げているのだった。

 ご自分の美しさにも無自覚なエステル様は、たぶん、クラウド様の熱いお心にも気付いていないだろう。

 ああ、無自覚ってこわい……。





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