47 テロル村の仕立て屋
テロル村は、ガレアの町の東にある谷合の村だ。
馬車の中では、パン屋のおかみさんのエマがいろんな話を聞かせてくれた。
この地域の歴史から最近の町の噂話まで、エステルには興味深い話ばかり。
そこにアンが質問や小話をはさむので、車中は笑い声が絶えなかった。
幸いなことに魔物にも出会わなかったため、あっという間にテロル村に着いた。
「楽しくおしゃべりしてる間に着いちゃいましたね」
アンが楽しそうに言った。
「本当ね。テロル村にもう着いたなんて、信じられないくらいだわ」
御者の話では、一時間はかかるということだったが、とてもそんなに時間がかかったとは思えない。
「ちゃあんとテロル村に到着していますよ。ほら、ご覧ください」
エマがカーテンを開けた。
「うわあ……」
エステルは思わず窓に張り付いた。
ここは村の門をくぐったばかりらしく、道の左右には畑が広がっている。畑の周囲は鮮やかな新芽色の草原が広がり、黄色やピンクや薄青色の小さな花が咲き乱れ、白い蝶が飛び回っている。
遠くには小川が流れ、大きな水車がいくつも見えた。
「クラウド様が言ったとおりだわ。とても素敵な村ね」
家々の屋根は赤い色が多く、壁は白い。おとぎ話の世界に迷いこんだような、そんな気にさせる景色だ。
やがて馬車は村の中心部に入った。
そこは、両側に商店の並ぶ通りだった。商店と言ってもガレアのように大きな店は無い。村人が日常生活に困らない程度の物が売っているくらいの、こじんまりとした佇まいだ。
「仕立て屋はもうすぐですよ。あ、ほら、見えてきました!」
通りの向こうに、『仕立て屋』の看板が見えた。少し通りから外れていて、店の裏には水車が回っている。
馬車を降りたエステルたちは、両開きの扉をくぐった。
意外と広い店の中には、いろいろな小物や服を着たマネキンがあった。真ん中には大き目の四角いテーブル、その上には木製のお裁縫箱が置いてある。
エステルの目を引いたのはレース編みのテーブルクロスとパッチワークのティー・コゼだ。
(これから寒くなったら、クラウド様に用意するハーブティーのポットに使えそう……わたしにも作れるかしら)
「こんにちは!」
エマがカウンターの奥に声をかけると、中からすらりとした男性が出てきた。
「いらっしゃいませ。お買い物カバンからドレスまで、なんでもお仕立ていたします。御用向きはなんでしょうか?」
慇懃にお辞儀をする男性は、白いフリルがふんだんに付いたブラウスに洒落た黒いビロードのパンツをはいている。髪の毛も整髪料でぴっちりと整え、立派な口ひげはピンと先が立っていた。
牧歌的なテロル村には似合わない外見だ。
「ドレスを仕立てていただきたいんですの。こちらの奥様に」
エマが一歩引いてエステルを前に出す。
「新しい領主様の奥様、エステル・トレンメル夫人ですわ」
「ほう、こちらが! あの有名な辺境伯の! ほうほうほう」
ほうほう言いながら男性はエステルの周りをゆっくり回った。そしてエステルをじっくりと、上から下まで観察した後、
「素晴らしい!」
と叫んだ。
「あ、あの?」
ドレスを作ってもらえるのか不安になったエステルが思わず口を開くと、男性は興奮した面持ちでエステルをじっと見た。
「ふむ、瞳はなんと翡翠のような御色! そしてこの七色に輝く黒髪! さぞドレスを美しく見せてくれることでしょう……うむむむむむ!」
「え? あの、ちょっと!?」
男性はエマが呼び止めるのも聞かず、奥へ入っていってしまった。ごそごそ何かしている音がするが、出てこない。
「エマさん、あの仕立て屋さん大丈夫なんですか? ちょっとアブナイ人っぽいけど」
「そ、そうね、でもこの辺りじゃかなり有名で評判のいい仕立て屋なのよ!」
「あの、お名前はなんとおっしゃるんでしょう?」
三人がひそひそと話していると、奥からたくさんの生地ロールを抱えた男性が戻ってきた。
「さあ! こちらへおかけになって!」
「は、はあ、失礼します」
三人が椅子へ腰かけると、男性は生地ロールをテーブルの上へどさっと置いた。
そして、次々に生地をエステルの肩にあてがっていく。
「申し遅れました! わたくし、テンプルトンと申しまして、このテロル村で仕立て屋を営んでおります! 前の領主様にもごひいきにしていただいておりました! 何卒よろしくお願いします!」
「は、はい、こちらこそよろしくお願いします……あの」
「はい?」
「舞踏会まであと二ヶ月もないんです。ドレス、作っていただけますか?」
エステルが思い切って言うと、テンプルトンは目を丸くした。
「オウ。二ヶ月に足りない。と言いますと、仕上げから試着等々考えますと実質一ヶ月ですね……」
何か考えているらしいテンプルトンだが、その間にも手は止めない。次々に布をエステルにあてがい、布を二つの山に選別していく。
エステルはごくりと唾を飲んでテンプルトンの動きを見つめる。アンとエマも心配そうに見守っていた。
「よろしい! やりましょう!」
「えっ」
「本当ですか!? 間に合わせてくださいますか?」
身を乗り出したエマにテンプルトンは大きく頷いた。
「もちろんです! このテンプルトン、お引き受けしたお仕事を仕上げられなかったことはございません!」
「あ、ありがとうございます」
エステルが言うと、テンプルトンは一歩下がってエステルをうっとりと見つめた。
「このような完璧なプロポーションをお持ちの御方にドレスを作れる機会など、めったにあることではございません! 身に余る光栄! そして御用向きは舞踏会でしたね?」
「は、はい」
「完璧です!」
テンプルトンは布の仕分けを終えると、数の少ない方の布の山を三人に指した。
「奥様のお肌の色、御目の色、髪の色、雰囲気。それらに合う布を選びました。こちらからお気に召す布を三つ、選んでください。もちろん、この中に無いとのことでしたら奥からまた持って参りますのでおっしゃってください!」
「わあ、全部エステル様に似合いそう」
「どれも良質な布ねえ。手触りもいいし、色もいい」
アンとエマがうっとりと生地ロールを手にした。
(ほんとうだわ。とってもいい布。マリアンヌやイザベラお母様が着ていた物、いえ、それ以上の質感かもしれないわ)
エステル自身はドレスなどあつらえたことはないが、屋敷にはよく専属の仕立て屋が来て、マリアンヌやイザベラのドレスを作っていた。
『素敵でしょう? ま、お姉様には縁のない物だけど』
マリアンヌは小馬鹿にするように笑って、エステルに仕立て屋の手伝いをさせた。布を運ばせたり、仮縫いを手伝わせたり。
おかげで、布の種類や質にはエステルも詳しくなった。
(その経験がこうして活きるなんて……あのときは辛かったけれど、マリアンヌに感謝しなくてはね)
そのマリアンヌの陰謀で、二カ月足らずでドレスを作らなくてはならない状況になっているとは知らず、エステルは一生懸命に布を広げていった。




