45 エステルの決心
「王城から舞踏会の招待状?」
「ああ。だが、たいしたことではない。基本的には辞退を考えている」
さらりと言い、軽い祈りを捧げて、クラウドがカトラリーを取って食べ始める。
(クラウド様はさりげなくおっしゃってくれているけれど……)
自分のせいかもしれない、とエステルは不安になる。舞踏会は、既婚者は基本的に夫婦で出席する。
今や竜討伐の英雄として遇されるクラウドの妻として、なにもかもが足りていないことはエステル自身がよくわかっていた。
(今からでも頑張って外見も中身も磨いて少しでも貴婦人らしくなれれば、クラウド様に恥ずかしい思いをさせなくて済むかしら……?)
自分が枷となっているなら、クラウドのために精一杯がんばりたかった。舞踏会は貴族にとって政治的にも社交的にも大切な場だ。
「あ、あの……お断りしてはよくないのでは? 王城からの招待状なら、王からの招待状なのではないですか?」
「いや、舞踏会の主催者は王太子だ。舞踏会も比較的カジュアルなもののようだ」
クラウドはスープをすくっていた手を止めた。
「エステル」
「は、はい」
「貴女は、王都へ行きたいか?」
「え……」
質問の意図がわからず、エステルはすぐに言葉が出てこない。
「深く考えなくていい。言葉通りの意味だ。王都は貴女にとっては故郷だから」
「クラウド様……」
「貴女が王都へ行きたければ、舞踏会の出席を考えてもいい。貴女が王都へ行きたくないなら、舞踏会などどうでもいい。俺の判断基準はそこだ」
クラウドが微笑むと少しだけエステルの不安そうな表情が和らいだ気がした。
今すぐにでも抱きしめてやりたい衝動をぐっと抑え、微笑んだままエステルを見つめる。いや、エステルを見つめていると、自然と顔の筋肉が緩むというべきか。
(何か意図があるのは間違いないからな。あの紙切れは)
クラウドは内心、招待状への嫌悪をあらわにした。
♢
金銀細工が施された重厚な箱。その中には、純白に金の縁取りで王家の紋章の入った封書がある。
執務卓に置かれたそれを囲んで、クラウド、アベル、ルイスが渋い顔をしていた。
「ぜってー嫌がらせだろ、コレ」
ルイスが大げさに顔をしかめた。
「まあ、なんらかの悪意がこめられているのは確かでしょうね」
アベルも溜息をつく。
「舞踏会まではあと二か月足らず。普通、遅くても舞踏会の招待状は三か月前には送るものです。そもそも新しい領地経営のいろいろに忙殺されている我々には、舞踏会に出席する準備をしている時間などない。それを承知の上なのですから、恥をかかせようという魂胆は見え見えです。さしずめ、ぽっと出の辺境伯に社交界の洗礼を与える、といったところでしょうか」
クラウドは不機嫌を隠さずに招待状を卓上で叩いた。
「それよりも、エステルに危害を加えようという意図が見えるのが気に入らん!」
(差出人は王太子だったが、裏にはおそらくエステルの異母妹がいるだろう)
以前、エステルのことを調べさせた王都からの青鳥には、リヴィエール公爵家長女としてのエステルの嫁ぎ先は王家であり、許嫁は王太子であった、と記されていた。
エステルの身の上を考えればその約定は果たされていない。おそらく王太子の婚約者となっているのは異母妹だろう。
社交界に「長女は病弱」と吹聴しているように、対外的には「病弱な長女に代わり妹が王太子の婚約者となった」としているのだろう。
しかし真実は、リヴィエール公爵家と王家がウラで結託し、もともと冷遇していた邪魔な娘をぽっと出の辺境伯へ押しつけた、というものだ。アストラス山一帯の辺境地で見つかった魔石鉱泉の利益を得るため、リヴィエール公爵家と王家が画策した陰謀のために。
そして今また、時間のない状態で舞踏会に呼びつけ、エステルに恥をかかせようとしているなんて。
(反吐が出る)
これ以上エステルを傷付けることは許しがたかった。王都になど、二度と足を踏み入れさせない。エステルはこの地で幸せになってもらいたい。
そう思って招待状を破こうとして、アベルに止められた。
「お気持ちはわかりますが、舞踏会は政治的に無視できないイベントです。ちょっと考えてみませんか?」
「何を考える必要がある。エステルに酷い扱いをした者たちに会う必要などない」
「まあそれはそうですが。私に少し考えもあります。クラウド様は、まずエステル様のお気持ちを聞いてみてはいかがですか?」
「嫌なことを思い出させるだけだろう」
「そうかもしれませんが、エステル様にとって王都は故郷です。エステル様のお気持ちを聞いてから返事をしても遅くはありません」
故郷、と言われてクラウドはハッとした。
クラウドの故郷はもうなかった。竜に焼かれたのだ。
良いことばかりではなかった。むしろ辛いことの方が多かったかもしれない。それでも、今でも故郷を懐かしく思うことがある。
それで、エステルの気持ちを聞いてみる気になったのだった。
♢
「どうだ?」
「え、と……」
エステルは膝の上のナプキンをぎゅっと握りしめる。
(クラウド様はほんとうに優しい……きっと、わたしが実家で辛い思いをしていたことを御存じだから)
だからエステルの気持ちを最優先だと言ってくれる。舞踏会は貴族にとって最重要イベントの一つなのに。
舞踏会に出れるような貴婦人教育も受けていないエステルを気遣い、思いやってくれる。
そんなクラウドの気持ちにうれしくて切なくて視界がにじむ。
(わたし、頑張らなくちゃ)
ここで、この地で、クラウドやこの城の人々と一緒に生きていきたいと思った。
(だったら、過去に背を向けてばかりじゃダメだわ)
今から出来得る限りの努力をして、貴婦人としての立ち居振る舞いや教養を身に付ける。容姿も磨く。クラウドの隣に立つにふさわしい女性になる。
そして、舞踏会でクラウドが貴族として存分に社交できるように、妻としてサポートするのだ。
(わたし、決めたわ)
エステルは顔を上げてクラウドを真っすぐ見た。
「クラウド様。わたし、王都へ行きます」
「……そうか」
クラウドは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに頷いた。
「わかった。では、そのように準備をしよう」
「あのっ!」
エステルは思わず腰を浮かせていた。
「舞踏会の準備はわたしにお任せくださいっ。クラウド様はお忙しいですし! 舞踏会の準備は、そ、そ、そのっ、つつ妻のっ、仕事ですので!!」
(い、言えた……)
妻、という時に顔が爆発しそうになったがなんとか言い切った。
「あのっ、よろしいですか……?」
クラウドは一瞬、虚を突かれた顔をしたが、すぐにエステルから視線を逸らした。
「問題ない。全部エステルに任せる。よろしく頼む」
そう言ったクラウドの頬は心なしか赤い。
「……うわあ……噂と違います。なんていうかとっても純粋無垢なご夫婦……あこがれますっ」
扉の影でうっとり見ているアンの肩をアグネスがぽん、と叩く。
「そうさ。クラウド様は冷酷辺境伯じゃないし、エステル様も王都から来た高慢ちきな奥方でもないんだよ。人の噂なんざアテにならないもんさね。それよりもアン、忙しくなるから覚悟おし。舞踏会の準備だよ!」




