表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

44/90

44 トレンメル城の朝と王都からの報せ

「「おはようございます」」

 朝、エステルが夫婦の居間へ行くと、アグネスとアンが笑顔で待っている。アンは先日メイドとしてやってきたガレアの町娘だ。


「おはよう、アグネス、アン。クラウド様は?」

「もう少しでいらっしゃいますよ。昨日の夜にできなかった書類の決裁を済ませてから行くとおっしゃっていました」


 アグネスはまだ不慣れなアンにてきばきと指示を出し、丁寧にお茶のポットに湯を差したり、パンを切り分けて籠に並べていく。アンも覚えが早く、アグネスをよく手伝っていた。


「クラウド様、大丈夫かしら? 昨日の夜も遅くまで出かけていらしたでしょう?」

「ええ。王都から届いた荷を領内の主だった村や町に配っているんですよ」

「王都からの荷って、あの魔物騒ぎがあった日の……」


 ガレアの町にワーウルフが入りこみ、クラウドは大怪我をした。

 そのワーウルフは、王都からの荷馬車が誘引してしまったらしい。

 エステルがガレアの町の薬師・プルロットを西の森で助けたことで意気投合し、プルロットと共同で作った毒消しを使ってクラウドは驚異的な回復をみせたのだった。


「ええ。この辺りでは、王都からの荷はひと月に一度しかこないんです。今回の荷には、クラウド様が領民の長老たちへ贈る手土産が多くありましたのでね。それを配りに行っているんですよ」

「その前にも挨拶回りに行かれていたのに……」

「こういう辺境地では、貢ぎ物を持参して挨拶が完了なんですよ。もちろん領主はクラウド様ですから、しなくてもいいんですけどね。クラウド様は領民とできるだけ良好な関係を築きたいとお考えですから」


 それはエステルも知っていた。クラウドは、何か強い理由があって、領地経営をするにあたり領民との関係を密にしたいと考えている。


 その理由は、まだクラウドから聞いていない。



(あの日……)

 作った毒消しで、クラウドの傷を消毒した夜。


 記憶の花を探す理由を問われ、答えられなかったエステルに、クラウドは言った。

 自分も言っていないことがあると。だからお互いさまだと。


 それを少し寂しいと感じたエステルは、つくづく自分の「悪女さ」に呆れた。自分だってクラウドに隠し事をしているというのに。


 それでもクラウドは「夫婦なのだから、ゆっくり時間をかけてわかり合おう」と言ってくれた。


 そしてエステルは生まれて初めて、恋というものを知った。


 深く口づけるたびに、クラウドの優しさやエステルを大事に思ってくれていることが伝わってきて、胸が甘く苦しく痺れた。

 同じように、エステルもクラウドを大事にしたい、この人を強く抱きしめたい、と思った。

 クラウドが怪我をしていたので、それはやめておいたが。

 それは今までエステルが経験したことのない、甘くて熱くて優しい気持ち。

 これが恋というものかもしれない、とエステルは直感した。



——それから数週間。



 必ず食卓を共にし、就寝前もクラウドに仕事が無ければ一緒に過ごした。そんなときは必ず、寝る前に口づけを交わした。

 しかし、そこまでだ。

 それ以上は進まなかった。夫婦の寝室を使うことはなく、それぞれの部屋で休んでいる。


(イザベラお母様がおっしゃっていたことは、本当なのかしら……?)


 継母から聞かされた『夜の営み』は、辛く苦しく、痛みに満ちたものだった。淑女たるものそれに耐えねばならぬ、というのが継母の教えだった。

 その囁きは、今でも呪いのようにエステルを苛む。


 しかし今のエステルには、クラウドとベッドを共にすることが辛く苦しいことだとは思えなかった。



 むしろ、クラウドが自分と一緒にベッドに入らないのは、自分が女性としての魅力に欠けるからでは、と密かに思っていた。



 城へ通ってくるメイドたちや、たびたび出かけるガレアの町の娘たちを見るにつけ、自分の身体がいかに貧相であることにがっかりする。

 今も、スープを給仕してくれたアンの豊かな胸元に、エステルは羨望の眼差しを向けていた。


「エステル様? 召し上がらないのですか?」

「え!? あ、ありがとう! いただきます!」


(わたしったら、ヘンなことばかり考えて、はしたないわ!)

 エステルは顔を真っ赤にしてスプーンを取った。


「エステル様はたくさん召し上がってくださるから、作りがいがありますよね!」

 アンが丸い顔で笑う。

「良家の奥様っていうのは、小鳥みたいにしか食べないって聞いたことがあったんで、パンもパイもせっかく焼いたって余るんじゃないかって心配してたんですよ」

「エステル様にかぎってはそんな心配はいらないよ。じゃんじゃん作っておくれ!」


 アグネスが言うと、アンは元気よく頷いた。


「はい! でもいいなあ、エステル様は。こんなに召し上がるのに、そんなにほっそりとお綺麗で……これが御生まれの違いってもんですかねえ」

「そうそう! いいじゃないか、あたしたちはこの体形のおかげで元気で働けるんだからね!」


 アグネスが励ますようにアンの背中を押して部屋を出ていくと、クラウドがすれ違いでやってきた。


「おはようございます! ご主人様!」

 まだ城主に慣れないアンはびっくりして、床につくくらい頭を下げている。

――冷酷辺境伯。血みどろ伯爵。竜殺し。

 噂に聞く異名が、まだアンたちメイドの頭にはこびりついているのだ。


「ご主人様か……まあいい、おはよう」


 クラウドの方でもメイドたちに「ご主人様」と呼ばれることに慣れていない。


「クラウド様、お身体はだいじょうぶですか?」

 心配そうにのぞきこむエステルに、クラウドは笑む。

「ああ。エステルが用意してくれたハーブティーを飲んだら、とてもよく眠れた。おかげで疲れも残っていない」


 就寝前に一緒に過ごせないとわかっている日は、エステルはクラウドのためにハーブティーを用意していた。

 朝、西の森で摘んできたフレッシュなハーブや、乾燥して保存してあるハーブをクラウドの体調に合わせて調合する。

 会えないクラウドを想っての作業は、寂しい心が温められた。


「それはよかったです」


 花開くように笑ったエステルを愛おしそうに見つめていたクラウドだが、ふと、表情が翳る。


「クラウド様? どうかされたのですか?」

「いや、問題ない。が……」


 クラウドは一瞬ためらってから口を開いた。


「実は王都からの荷の中に、王城から舞踏会の招待状が入っていた」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ