42 晩餐はそれぞれに悩ましく
今日の晩餐のメインディッシュは、表面をカリッと焼いた一羽丸ごとローストチキン。
「クラウド様はたくさん召し上がって、早く回復してくださいね。せっかくエステル様がこんなによく治療してくださったんですから」
アグネスはチキン解体用の大きなナイフとフォークを取り出す。
「あの、アグネスさん。わたしがやりましょうか?」
「えっ?」
「アグネスさん、お忙しいですよね。来てくださったメイド希望の方々にいろいろと教えていらっしゃるでしょう?」
エステルに宣言したように、パン屋の女主人エマが商店街の女たちを引き連れてやってきてくれたのだ。
おかげでアグネスは朝からてんてこ舞いだった。
「うれしい悲鳴なんで大丈夫ですよ、エステル様。それに、爵位のある御屋敷で奥様に給仕をお願いするなんて聞いたこともございませんし」
「いいんですアグネスさん。わたしはその、慣れてますから」
「そんな、エステル様……」
「わたしはアグネスさんが大事です。だから人不足のときだけでもアグネスさんの負担を少しでも減らしたいんです」
エステルの身の上はグスタフから聞いていた。
予想よりそう遠くなく、より酷い話にアグネスは言葉を失った。
あんなに辛い体験を自分からは言い出しにくいだろうに、アグネスのために「慣れているから」と給仕を申し出てくれた健気さに胸を打たれる。
「もちろんアグネスさんにやっていただいた方がいろいろと具合がいいとは思いますし、わたしなどが出過ぎたことかもしれませんが……あの、よろしいですか、クラウド様?」
エステルがテーブル越しにクラウドを見上げると、クラウドは微笑んだ。
「ああ。問題ない。アグネス、俺たちは前例のないことだらけで今までやってきた。爵位を賜ったからこそ守るべき格式もあるのだろうが、俺たちの間では今まで通り、皆が心地よければそれで良い、という基準で物事を決めてもいいと思う」
「クラウド様……」
アグネスの瞳が潤んで、しかし嬉しそうに破顔した。
「エステル様が花嫁で、本当によかったですね!」
「な、なにを言うんだ、急に」
「ふふふ、わかりました。エステル様、お言葉に甘えて給仕をお任せしますよ」
「はい! まかせてください!」
「けっこうな数の女たちが来てくれたんで、仕事の説明が今日できれば明日からの仕事がスムーズになりますよ。ありがとうございます、クラウド様、エステル様!」
アグネスは上機嫌でいそいそと部屋を出ていった。
「メイドが来てくれればアグネスも少しはラクになるだろう。礼を言う、エステル」
「そんな! わたしは何も」
「いや、貴女が一緒に町へ出てくれたおかげだ」
クラウドに褒められて、エステルは顔を赤くしつつも慣れた手つきでチキンを切り分け、クラウドの皿に盛りつける。
「そういえば、貴女の馬が届いた」
皿をエステルから受け取りながらクラウドが言った。
「わたしの馬……?」
「貴女は馬が好きだと言っていただろう。乗れるようになりたいとも言っていたから、自分の馬がいたらいいだろうと思ってな」
「馬を頼んでくださったのですか?」
「ああ。気に入るといいのだが」
クラウドの心遣いに感激して、エステルは目頭が熱くなる。
「も、もちろんぜったい気に入ります! ずっと大事にします!」
勢いこむエステルに、クラウドは目元を和ませた。
「明日、一緒に厩へ見に行くか?」
「はい!」
開いた扉からかすかに女たちの笑い声が聞こえてくる。メイドたちだろう。
格式から言えばメイドの笑い声が城内で聞こえるなどもっての外かもしれないが、クラウドにはそれが心地よいものに聞こえた。
(広く豪奢なだけでは、城とは呼べない)
エステルが来てからというもの、急速にこの城は血の通った温かみのある場所に変化している。アグネスやグスタフ、ヨン、トム、ロニーやアベル、ルイスも、少なからずエステルのために動いてくれることが多いのだ。
エステルには、人の心を動かす何かがある。
(エステルが花嫁でよかったというアグネスの言葉は、その通りだな)
そう思っている自分に気付き、顔が熱くなる。
昨日の夜、エステルでよかったと思わず本人に伝えてしまったことも思い出し、さらに顔に熱が昇る。
(昨日のことは……あ、あくまで良き花嫁という意味でだ! つい口づけをしてしまったのは……雰囲気、というか! って何を言っているのだ、俺は)
滑稽と思いつつ、自分で自分に言い募る。
(それに! これは政略結婚なのだから花嫁に利があると思えるのはいいことじゃないか! 決してエステルが可愛いとか魅力的とかそういう邪な発想では無くて——)
「クラウド様?」
ハッと顔を上げると、エステルが心配そうな顔をしている。
「やっぱり、痛むのですか? 傷が」
「いやそうではない。問題ない」
あわててサラダの皿を取るクラウドを、エステルは心配そうにじっと見つめた。
「クラウド様。今すぐ消毒をいたしましょうか?」
「いや、問題ない。心配しすぎだ。チキンをいただこう。冷めてしまう」
「それもそうですね……」
エステルはピンク色の唇を噛んで思案する。
「では、後で仕度が整いましたらできるだけ早く参りますから! でもそれより前に痛みが出たら、ぜったいに遠慮なくおっしゃってください!」
「そんなに心配せずとも、どうということはない」
「ダメです! 魔物の傷は怖いですから! 痛かったらすぐにおっしゃってください! 約束ですよ?」
「……ああ、わかった」
しぶしぶ返事すると、エステルはやっと安心したようにナイフとフォークを取り、美味しそうにチキンを頬張り始めた。
(本当に美味しそうに食べるな)
小鳥のように口に運ぶエステルはとても愛らしいが、皿はものすごいスピードで気持ち良く空になっていく。
その対比が面白くてクラウドはついじっとテーブル越しの愛らしい少女を見つめた。
「クラウド様? 召し上がらないのですか?」
「ん? ああ、食べる。美味そうだ」
エステルに見惚れてしまっていたことを隠すように、クラウドは急いでナイフとフォークを手に取った。




