39 薬師プルロット
エステルは反射的に伏せる。頭の上を風が通過した。
何かが落ちる音に振り返れば、ブーメランと大きな木の実が落ちていた。
「てめえ! 危ねえだろうが!」
ルイスが怒気も露わに叫ぶと、動いていた影が立ち上がった。
「魔物かと思ったもんでな。ついでにクハマの実を採ろうかと思ったのでね」
まったく悪びれていない、むしろ開き直ってすらいる不遜な態度だが、エステルが驚いたのはそのことではない。
(この人は、昨日の)
ガレアの町でクラウドに怒鳴っていた青年。
「プルロットさん、ですよね?」
「えっ、こいつがプルロット?!」
一度見たら忘れられない、マッシュルームのような形の緑色の髪。服もくすんだ緑色で森の風景にすっかり溶け込んでいる。
プルロットは蔑んだような目でエステルを見た。
「ふんっ、やっぱり新しい領主もとんだ悪党だな」
「なんだと?」
ルイスが凄みのある視線を向けるが、プルロットは動じない。
「西の森へ入るなと言っておいて身内には入らせる。この森が薬草の宝庫だと前の領主にでも聞いたんだろう」
「ち、ちがいます! クラウド様はそんなこと考えてません!」
「町で見たぞ、あんたは領主の花嫁なんだろ? あんたは少し前にもこの森にいただろう。あんただけが自由にこの森に出入りしていることが何よりの証拠じゃねえか! 」
「そ、それはちがうんです! わたしが禁を破って森に入ったから」
「言い訳はいらねえ! おまえらは領主って立場を利用して西の森の恵みを独占しようとしているんだ! オラたち薬師は薬草が必要なのに!」
「とんでもねえ被害妄想ヤロウだな」
ルイスが呆れ顔で肩をすくめる。
「誰が独占するとか言ったよ。そもそも立入禁止令は一時的なもんだって言ったはずだ。竜の瘴気が消え、周辺の魔物をほぼ殲滅し、森の安全が確保されれば西の森の出入りは自由になる」
「嘘をつけ! 前の領主もそんなことを言って、ずっと西の森の立ち入りを制限したんだ! オラたち薬師がどれだけ苦労して薬草を手に入れてきたか――ってあんた何してんだ!?」
いつの間にかプルロットの足元でエステルが大きな籠の中をのぞいていた。
「やめろ! オラの籠に触るな!!」
怒るプルロットをエステルは目を輝かせて見上げた。
「すごいですプルロットさん!」
「は!?」
「エルドフラワーやワートまで……どうやって集めたんですか!?」
「なっ……うるさいっ、おまえに答える筋合いはねえ!」
「これらは流行性の風邪に効くだけでなく、強い抗菌作用もあります。生えている場所を教えてください!」
「だ、誰がおまえなんかに」
「わたしも毒消しを作るためにエルドフラワーやワート、それからあればリンデルを探しているんです。これらを調合すればワーウルフを含めた中級程度の魔物の毒に有効な毒消しができます。これらの薬草はこの森のような豊かな植生がある場所でないと生えていないんです。わたしも本物を見たのは初めてなんです!」
目をきらっきらさせて語るエステルは止まらない。
「まさに! わたしが調合しようと思っていた理想の毒消しができます! きっとこの地方で寒い時期に流行る風邪にも効くと思うんです! あ、そうだ! プルロットさん、一緒に作りませんか? 一人より二人で作ったほうがよりたくさんの毒消しが――」
「うるさいっ!!」
ひと際大きな声に、さすがにエステルもハッと我に返った。
「ご、ごめんなさい、わたし夢中で話してしまって」
「一人でやってろっ。オラは忙しいんだ!!」
エステルから籠を奪い取って背負うと、プルロットは更に木々の茂る方へと入っていく。
「おい、おまえも薬草採りならわかってんだろ。土の色を見ろ。こっから先は竜が遺した瘴気が濃いエリアだ。魔物が出るぞ! おい! 聞いてんのかコラ!!」
ルイスの怒声を完全に無視して、プルロットはエステルたちからどんどん離れていく。
♢
「……ついてこねえな」
真昼の太陽すら遮る木々の中、プルロットは振り返った。
エステルとかいう領主の妻とルイスとかいう剣士の姿は、背後から消えていた。
「ああせいせいした。ここからはじいちゃんに教わった秘密の採取場だからな」
エルドフラワーやワートだけでなく、チャベイルやリンデルといった珍しい薬草もたくさん群生している場所。祖父に教わったが、前の領主が西の森へ入ることを制限して以来、ほとんど来れていなかった。
「最後にきたのは、小さいときだったな……」
祖父がまだ生きていて、薬草も充分に取れて、人々が必要としてる薬をちゃんと精製できていた頃だ。
あの頃はよかった。薬草の精製方法を学ぶのは楽しかったし、この森へ来ることも生活の一部だった。
それなのに。
前の領主から受けた仕打ちを思い出し、腸が煮える。
それなのに。
「あの女、薬師なのか?」
さっきのエステルという娘の言うことが気になってもいたのだ。
確かにエステルの言う通り、薬は複数人で作ったほうが精製しやすい。
それに、リンデルを毒消しに調合することについては、実は今までずっと考えてきた。エステルがそれを言ったときは正直驚いた。
「じいちゃん……」
祖父が流行り風邪であっけなく死んでしまったあの時から、ずっと。
あの娘が言っていた「魔物の毒消しと流行性の風邪に効くだろう」という言葉は、プルロットが考えてきたこととまさに同じなのだ。
「し、知るかっ。領主なんてオラたちから絞り取っていばるだけの嫌な奴らだっ」
祖父の仇とも言える奴らと協力など、ありえない。
プルロットは屈みこんで地面を探る。そう、さっきの地点からこの辺りもそうだが、土の色が赤味を帯びている。瘴気が濃い証拠なのだと昔祖父に教わった。
だからこそ、珍しい薬草も生えているのだと。
「おっ、リンデルが」
群生するティトリーに混ざって生えていた珍しい薬草を摘もうと、プルロットは採取用の小刀を抜いた。
ごう!
「うわあ!?」
突然、目の前に躍り出た影に思わず小刀を振った。硬い手応えと共に耳障りな咆哮が響く。
「う、うそだ……ウッドタイガー!?」
木々に溶ける褐色の肌に太い縞模様、体躯の二倍はある長い尻尾。
ヒトを好んで喰らう魔物。
『森でウッドタイガーや竜に出遭ってしまったら魔法で対処するしかないからな』と死んだ祖父はいつも魔法符を持ち歩いていた。しかしプルロットは魔法符など持っていない。
「まままさかこんなところに出るなんて……今まで遭遇したことないのに……」
プルロットが振るった小刀が傷付けた前肢を舐めたかと思うと、プルロットの二倍はある巨躯が宙に躍った。
「助けてくれえええええ!!!」




